by Rainbow School
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『いろはクッキング教室』を開催します
来年1月22日より、週1回、全6回のシリーズで、料理教室を行うことにしました。名づけて『家庭料理を取り戻そう!/いろはクッキング教室』です。



指導は、恥ずかしながら、小生が行います。プロの料理人でもない「私ごときが‥‥」という思いも多分にあるのですが、どこにでもいる料理好きのオバチャンになったつもりで、ズーズーしくやってみたいと思います。私ならではの部分も、もしかしたら伝えられるかも知れません。

そもそもこの企画は、私が知り合ったある子育て中の主婦が、料理がうまく出来ないことに悩みを抱えていたことから、個人的に数回、指導に行っていたことで始まりました。その方の話では、そういうお母さんはいっぱいいるというのです。だったら、集めて料理教室をやろうと考えました。

私はプロではありませんが、この半世紀の家庭料理の変化というものを、つぶさに見てきました。小学校の低学年の時から、母親の手伝いを始めたのですが、先ずやらされたことは「鰹節削り」です。鰹節は硬くて、すぐにカンナの刃が鈍(なま)ってしまいます。その過程で、刃物の研ぎ方も覚えました。

我が家から「鰹節削り器」が追放されたのは、1960年後半です。母親が、「味の素」の「ハイミー」を使い始め、その後「ほんだし」に代わり、面倒なカンナは駆逐されてしまいました。そのころのCMの「かつお風味のほんだし〜♪」や「お箸の国の人だもの。」のコピーは、今でも耳にこびりついています。

その頃は、「ほんだし」が鰹だしを濃縮し乾燥させたものだと、本気で思い込んでいました。「ほんだし」が「味の素」に鰹の風味づけをしただけの商品であったと知ったのは、なんと20年以上経ってからです。広告代理店の「味の素」担当の人から直接聞いて、びっくり仰天しました。

いま振り返ってみると、家庭料理が崩壊した第一原因は、そこにあったと思います。和食は、なんといっても「出し」が基本です。その「出し」をまがいもので置き換えてしまったのですから、日本料理の概念が根底から崩れてしまいました。

私の母親は一昨年94歳で他界しましたが、その年代の母親ですらそうだったのですから、あとは推して知るべし。家庭料理の伝承は、ごく限られた人にしか行われていないと見るべきでしょう。

そこに、ファストフードや、コンビニ、冷凍食品、レトルト食品、たれレシピ、食の情報化などの変化が加わり、料理の組み立てが全く判らなくなってしまったというのが、今の状態です。調理技術が崩壊してしまったのに、食の安全や健康やグルメに関する情報ばかりが、逆に肥大しているのです。

私が現状を憂いているのは、単に調理技術に関する問題だけからなのではありません。家庭の温かな料理は、家族の接着剤であり、帰っていける「ふるさと」だと確信しています。

親の愛情を示せる、最も身近で深い行為は、温かな食卓なのです。ないがしろにしてしまうことは簡単ですが、心の「ふるさと」は毎日の積み重ねによってしかできません。そして、「生きる」とは、「家族」とは、そういうなんでもない日常を温かなものにしていくことに最大の意味があるのです。

今回企画した『いろはクッキング教室』では、まさに家庭料理の基本中の基本を学びます。「『味』の組み立て」「お出し」「献立づくりの基本」の3つがテーマです。ということでベテランさんには物足りないでしょうが、一歩一歩前進して行きたいと思っています。

年末を挟んでしまったことやネットワークが不十分なため、告知活動がうまくいきません。さらに平日の昼間ということで、果たして参加者がおられるかどうかクエスチョンなのですが、たとえ一人しかいなくても実施します。

会場は多摩市永山公民館です。お近くにお住まいのお知り合いの方がいらっしゃったら、お声がけしてくださると助かります。主催は、子育て支援サークル「セサミ・クラブ」です。こちらも立ち上がったばかりで、いま手伝ってくださる会員を募集しています。

詳細は、こちらのホームページで▶︎ http://sesame-club.net
本物はどこに?
スーパーに買い物に行って、珍妙なネーミングの商品を見つけました。「蒟蒻屋さんのコンニャク」というものです。「なんだよ、コレ?」と思ってその隣を見ると「お豆腐屋さんのとうふ」というのもあります。さらに歩くと「パン屋さんのパン」という商品まであったのには驚いた。

思わず「人をおちょくるのか!」とツッコミを入れたくなりました。これって今の流行りのネーミングなんでしょうかねぇ? しかし「待てよ」と思い直しました。

みんな、自分のところの商品の優位性をアピールしようとして、今までいろんなことをして来ました。素材や製法の違いを前面に出したり、産地名をプッシュしたり、農家の人の名前や加工した人の名前を表示したり、有名シェフの名前を借りたり、面白ネーミングを付けたり。

そういうことにみんな飽きちゃったんですね。食品偽装問題や中国産の農薬問題などを経験して、今やそういうプッシュに新鮮味がないし、逆に信じられないというか、嘘臭く感じるのでしょう。そこで「パン屋さんのパン」「お豆腐屋さんのとうふ」の登場です。

ということは、いかに「パン屋さんが作ったのではないパン」「お豆腐屋さんが作ったのではないとうふ」が多いかということでしょう? それらはいったい誰が作ってるの? 機械とアルバイトということなんでしょうかねぇ?

でも「パン屋さんのパン」「お豆腐屋さんのとうふ」と書いてあったって、作っている現場を見たわけじゃないから、結局これも信じられない。今やどこを向いてもまがい物だらけ。料理屋に料理人はおらず、建築現場に大工はいない。みんな、アルバイト。ひどい時代になったなぁ。

前にラーメンのことを書いたけど、最近、心底こう思います。
「ああ、ラーメン屋さんのラーメンが食べたい」
ある居酒屋大将の財産
磯子でセミナーをした後は、参加者有志と「いつもの居酒屋」へ行くのが恒例となっています。最初のうちは、いいお店を求めてあちこちうろついたのですが、その店に決めてからは浮気をしなくなりました。

お世辞にもきれいとは言えない。のれんは出しているんだかいないんだかよく判らない。通りに何軒か飲み処が並んでいるのですが、間違いなく、いちばんみすぼらしい店でしょう。一見(いちげん)さんには、入るのに勇気が要ります。

このお店が気に入ったのは、大将のぶっきらぼうと、メニューに並んだ珍しい魚です。厨房に立つ大将はポロシャツ姿だったので、あんまりやる気も感じられず、脱サラで趣味っぽくやっているのかなぁと最初は思いました。

ところが、出て来たお通しが、八寸に見立てた平皿に三点盛りがしてあったのをみて「おお!」と思いました。気が利いているのです。「おぬし、出来るな」という感じです。それからはいつもこの店になり、大将のおこりんぼのキャラクターもだんだんと愛すべきものに変わっていきました。

その大将が、三ヵ月くらい前に亡くなったのです。体調を崩して入院されてから、あっという間でした。あとには、看病とお葬式のバタバタで疲れたおかみさんが、憔悴しきった顔で店に立っていました。

聞くと「借金が残っていることが判って、お店をやめられないのよ」とのこと。メニューは半減し、ウリだった魚の刺身は二種類くらいになっていました。とりあえず、焼き魚、煮魚、揚げ魚でしのぐといった感じです。

これが‥‥ハッキリ言って不味い。焼き魚も揚げた魚も、みんな火を通し過ぎで、すっかり脂が抜けてしまっている。他のメンバーは気にせずに食べているけど、酒呑みオヤジとしては辛い。よっぽど「おかみさん、火はこの七分(ななぶ)くらいでいいよ」と言ってあげた方が親切かと悩んだけれど、結局言わないで帰りました。

そして今月。驚きました。チコ鯛をきれいに三枚に下ろして刺身を作っている。私なんかより遥かに上手です。焼き過ぎ、揚げ過ぎは相変わらずだけど、今の八分(はちぶ)でいいよ、というところまで進歩しているんです。きっと随分努力したんだろうなぁ。

表情も明るくなり、お客も結構いる。女性客も意外と多い。「ママ、聞いたわー、大変だったわねぇ」なんて言ってる。このお客たちが、大将が残した財産なんだね。大将が亡くなっても、メニューが半分になっても、来てくれる客がいるというのは凄いことだ。

店は客によって作られるというけれど本当だね。きっと来月は、もっと進歩していることでしょう。

*磯子のセミナーは今は4人だけです。ご興味のある方はどうぞいらしてください。
来月のご案内はこちら▶︎
ラーメン談義
ラーメンが好きでした。本当は今も毎日食べたいくらいなのですが、私の好きなラーメンは歴史の彼方に行ってしまいました。それで、食べられなくなっちゃった。呑み屋も、蕎麦屋も、豆腐屋も、我が愛するものたちはみんな街から消えて、つまらないチェーン店ばかりになってしまいましたねぇ。

私の家の本棚に3冊の本があります。林家木久蔵著『なるほどザ・ラーメン』(1981年)、東海林さだお編『ラーメン大好き‼︎』(1982年)、柴田書店編『東奔西走ラーメン巡り』(1984年)。3冊とも今のようなビジュアル本じゃありません。ですから出てくるお店やラーメンはみんな手書きイラスト。当時は、そんな情報しかなかったのです。

ラーメンという言い方が一般化したのは1960年代の後半からだと思います。その前は「中華そば」と言っていたし、もっと以前は「支那そば」が普通でした。今ほどスポットが当たった食べ物ではありませんでしたが、60年代の「支那そば」は庶民のご馳走で、めったに食べられない憧れの食の一つでした。

私の原点は、家から歩いて1分のところにあった光洋軒の支那そば。これがめっぽう美味かった。思い出を美化している面もあるでしょうけれど、今でも一番だと思う。何が違ったかというと、独特の香り。あの香りは、どこに行ってもない。出前を頼んで、店のおかみさんが玄関に入って来ると、途端にプーンと香りがして待ちきれなくなった。

でも、当時はみんな貧しかったので、めったに食べられるようなものではありませんでした。父が宴会で呑んだくれて帰って来ると、必ず「折り詰め」をぶら下げていたのですが、「折り詰め」の定番は鶏のモモ肉のローストで、それを食べ終わると、翌日、母親がその残った骨に煮干しを足してスープを取った。

そして、私に光洋軒まで麺を買いに行かせた。ラーメン屋さんへ、麺だけ分けて貰いに行くのです。確か一玉15円でした。そんなものでもご馳走で、だから私は、父親が呑んだくれて帰って来ると、「あ、明日またラーメンが食べられる」と嬉しかった。

東京のラーメンが今のように変節してしまったのには、大きく4つのエポックがあったと思います。その最初は、1990年代の終わりに和歌山ラーメンが入って来たこと。これがブームとなって、<ラーメンのスープは澄んでいなければならない>という常識が崩れた。

次に、ラーメンの鬼、佐野実さんがメディアに登場し、あのキャラクターが受けたこともあって、ラーメンの「情報化」が一挙に進みました。つまり、どんぶり一杯分をただ味わうというだけでなくて、麺はどこそこ産の小麦粉でかんすいがどうのこうの、細いだの太いだのちぢれてるだの、スープは何種類をブレンドしてるとか、そういうウンチクの方が重要になっていった。

そして三番目に、豚骨醤油味とつけ麺が若い人たちの間でブームとなって、先の「情報化」と合わせて、もの凄くバラエティー化が進んだ。さらに佐野実さんの影響もあって、ラーメンで起業したいという人たちも増え、そういう人たちが他店にない味を、競うようにして出していった。

そして四番目に、チェーン店化が当たり前の時代になったと思います。ことラーメンだけではなく、いま起業しようとする人たちは、最初からチェーン店化を念頭に置いて起業プランを描いている。それは、私などが知る昭和時代の経営感覚とはまるで違った発想で、業界の弱肉強食を一層強めています。

そうやって眺めてみると、ラーメンの「情報化」は、結局うまく行っていないように思います。他店にない味をいくら「情報化」して売っても、それを食べに来る客は、一度食べると、次の新しい「情報」を求めてすぐに移動してしまいますから、定着しません。だからマスコミに取りあげられた店はパッと流行って、パッと消える。

昔のラーメン店の店主は、「他店にない味」ということを第一にはしませんでした。それよりも、「食べ飽きない味」を重要視したんです。なぜなら、ラーメンは値段が高いものではなく、商圏が狭い食べ物だったからです。だから、近所に居るお得意さんに、週に何度も来て貰えるよう愛されることが何よりも重要だった。

この点、「情報化」に踊らされて失敗した人たちよりもずっと知恵があったと思います。テレビや雑誌に取り上げられたのを見て来たお客が、今度来てくれるのはいつの日か。そんな客をあてにして、一杯500円前後の日銭商売はできません。それに、特徴のあり過ぎる味は、毎日食べられるものじゃありません。

結局、昔ながらの店で、昔ながらの味を守っているところが、なんだかんだ言っても最後は強い。親が子供を連れて来て、味を覚え込ませてくれるしね。だから、畳席があるってところが案外ポイントかな。でも残念ながら、わが街にはそういう店がない。地方に行かないと見つけられないのが寂しいです。
「キャンティ」のスパゲティ・バジリコ
東京に住んで40年にもなるというのに、山手線の内側に行ったことがあまりありません。一年を通じてもほんの数回です。青山、原宿、赤坂、六本木、霞が関といった繁華街に出掛けると、なぜか居心地の悪さを感じるのです。自分など「お呼びでない」といった感じです。

その理由を、自分が田舎者だからだとずっと思っていたのですが(もちろんそれもあるのですが)、NHKの「シリーズ東京 街はこうして輝いた」の第2回目と3回目を見て、本当の理由が分かりました。そこは、貴族、大名、豪商が住む土地だったからです。

「シリーズ東京 街はこうして輝いた」の第2回目は、ファッションブランドVANの創業者、石津謙介さんの足跡を追ったものでした。そして第3回目は、六本木の伝説のレストラン<キャンティ(CHIANTI)>のオーナーだった川添梶子さんの物語でした。

ハイティーンの時代に新潟の田舎にいて、VANもキャンティも情報としては知っていたのですが、興味はあったものの、私はのめり込むタイプではなかったのです。そうした文化が時代の先端を走っているということは解っていましたし『MEN'S CLUB』も購読していたのですが、「何かしっくりこないな」とずっと感じていたのです。

結局、川添梶子さんは貴族だし、石津謙介さんは大名屋敷に通う豪商だったのです。自分にはまったく縁遠い人々でした。ですから文化としては興味があっても、憧れではない。青山、原宿、赤坂、六本木も、自分とってはちっともオシャレには感じないのです。それよりは場末の小汚い居酒屋を探す方が、よほど自分の趣味に合っているし落ち着けるのです。

今度の番組を見て、六本木「キャンティ」の名物料理スパゲティ・バジリコが、まがい物だったと知って驚きました。まがい物という言い方は適切ではないかも知れませんが、なんとバジリコが入っていなかった! オリーブオイルの代わりにサラダ油とバターを合わせ、それにパセリと青ジソのみじん切りを合わせたものだというのです。

無理もない。当時はバジルやオリーブオイルなんて手に入りませんもの。でもそれが「キャンティ」の名物料理となって、今もそのレシピで出しているそうですよ。こういう例は結構あり、浅草の洋食屋のレシピなどはみんなそれです。

小麦粉でとろみをつけたハヤシライスや、ケチャップ味のスパゲティナポリタン、日本海軍が毎週金曜日に食べていた海軍カレーが市中に広まったものなんかを、みんなそれが「本物」の洋食だと思って食べていたのです。あと有名なものでは、麻婆豆腐も陳建一さんのお父さんが日本人向けにアレンジして作ったものなのです。

「キャンティ」のスパゲティ・バジリコを食べてみたくなりました。近々行ってみようかな。誰か一緒に行ってくれる人いない? それとも自分で作って食べますか。
鍋を振る
5日のフライパンの記事で「鉄製の中華鍋を推奨します」と書いたところ、ある方から「女性には重くて、扱いづらいのが欠点」というメールをいただきました。

でもそれは刷り込まれた先入観ではないでしょうか? 中華鍋の鉄はそれほど厚くはないです。もっと重い鋳鉄製のル・クルーゼを、女性は好んで使っているではありませんか? 要は、おしゃれな感じがしないということなのではありませんか?

重いフライパンで困るのは、鍋を容易には振れないことです。「鍋を振る」というのは、料理人がよくやっているように、鍋の中で材料と調味料を素早く回転させ、手早くかつ満遍なく混ぜ合わせる調理技術です。でも、そもそも女性で鍋を振れる人なんてそんなにいないんじゃないかな?

これには、鍋の形状も大きく関係しているし、コツと練習も必要です。先ず、ふちが直角に立っているようなフライパンはダメ。材料がそこで止まって滑らないから(プロはそれでもやりますけどネ)。

ふちがなだらかに曲線を描いているのがいいんです。その最適な形状が中華鍋です。鍋全体が曲線を描いています。これが、材料をひっくり返してくれるし、油を入れても真ん中に集めてくれるんです。扱いづらいどころか、こんなに扱いやすい鍋はないんです。

さて、鍋を振るには「慣性の法則」を利用します。小学校で習ったでしょう。動いている物は動き続けようとし、止まっている物は止まって居続けようとする法則です。中華鍋はこの法則の利用を簡単に実現してくれます。

いくら中華鍋が重いと言っても、五徳に載せられないわけではないでしょう。いいですかゴトクですよ、ゴタクを並べるんじゃないですよ。中華鍋はこの五徳に載せたまま、中の材料を返すことができるのです。鍋を持ち上げる必要がないのです。

やり方です。中華鍋を五徳に載せたまま、手前に勢いよく引いてスパッと止めます。そうすると中の材料が廻ります。

鍋を引く動作で、中の材料も一緒に動きだし、その材料は「慣性の法則」で動き続けようとするのですが、今度は急に鍋を止めるので、勢い余った材料が、鍋のカーブに添ってひっくり返るという寸法です。だから鍋を持ち上げなくてもできる。

ところが、フライパンではこの方法が使えません。ふちが浅いので、材料が外に飛び出してしまうのです。そこでフライパンではどうするか。パンを持ち上げ、こぼれようとする材料を受け止めるために、斜めに傾けて受け止めなくてはならないのです。

しかもフライパンの場合は、鍋を手前に引くのではなくて、押して空中に放り投げるようにして「慣性の法則」を使う。これはかなり練習しないと上手くはできません。どうです? フライパンの方が実質重いってことなんですよ。それにね、中華鍋だとその辺にあるフタがなんでも被せられるでしょう? これが実にいいんです。

鍋を振れない人は次のようにしてください。スパテュール(木べら)を2本両手に持って、鍋の両脇から突っ込んで、お好み焼きでやるように材料を上に持ち上げて廻してください。
テフロン加工が料理を決定的に不味くした
私の子供時代、フライパンはただの鉄製でした。それがいつの間にか(たぶん60年代から)表面に焦げ付きを防止する加工がなされるようになりました。

いちばん最初に聞いた名前はテフロン加工。その後、フッ素加工、マーブルコート、シルバーストーン加工など、さまざまなものが登場していますよね。テレビショッピングなどでは、この加工技術の効能差が一つの売りになっていて、今や表面加工を施していないフライパンを探すのが逆に難しいくらいです。

テフロン(Teflon®)というのはデュポン社の商標で、フッ素と炭素からなるフッ化炭素樹脂、ポリテトラフルオロエチレン(polytetrafluoroethylene,PTFE)に付けられた名前。ですからテフロン加工もフッ素加工の一つだということです。この化合物は1938年に、米国デュポン社の研究員ロイ・プランケットによって発見されました。

テフロンは化学的に安定しており、耐熱性、耐薬品性に優れるという特徴から、電気関係部品や機械部品など幅広い用途に使われています。この加工をフライパンに施したものがテフロン加工のフライパンです。

ところがこのテフロン加工(フッ素加工)フライパンには、欠点があるのです。それはやわらかくて高温に弱いということ。えー!!! 知ってました? 硬い器具でこすられたり、高温で調理すると剥離してしまうのです。その剥離したフッ素樹脂はどこへ行ったか? お腹の中です。

そもそも、フライパンを使っていて焦げ付くというのは、鍋の温度が低いからなのです。(逆だと思ってたでしょう?)つまり、火の使い方に問題がある。鍋を高温でしっかり焼いておけば、決してくっつかないものなんです。たったそれだけのこと。

ところが、表面加工したフライパンを使いますと、火の使い方を誤ったまま、焦げ付かせないで、料理ができちゃう。だから、仕上がった料理がもの凄く不味いんです。調理法が間違ったままだから。

しかも、フッ素加工フライパンは、高温にしてはいけないというんだからどうしようもありません。鍋を高温にできない→鍋の温度が低い→料理が不味い、この流れから逃れられなくなってしまうというわけです。

私として、鉄製の中華鍋をお勧めします。万能で使えますからね。鍋の焼き方にはコツがありますが、言葉で伝えるのはちょっと難しいかも。また機会があれば。
火加減とは鍋加減のこと
久々に料理の話を。私の調理技術のイロハは、母親から習ったものがベースになっているのですが、中学を卒業すると直ぐに家を出たので、それからは自分で工夫するようになりました。

最初のころは、誰でもするように料理のレシピ本を片手に作っていました。レシピ本の中には、材料や調味料の分量と、調理手順が書かれています。この調理手順の中にたいていは「火加減」も書かれている。強火で、中火で、弱火でといった具合にです。まあその通りやってみるのですが、これで随分と回り道をしました。

なぜ、ここは「強火」なのか、なぜここは「弱火」に変えるのか、そういうことがまったく解らないまま、ただレシピに従っては失敗を続けていたのです。おそらく、そういう人は多いんじゃないでしょうか?

今だから言えるのですが、レシピ本に書いてある「火加減」を首っ引きしている限りは、調理などできゃしません。「あれ、次はどうだったっけ?」などと考えて本を見直している間に、時が過ぎてしまう。そこで焦がしたらマズいと思うから、火を弱めたり消したりする。それで流れが途切れてしまうのです。

そうじゃないんですよね。火を加減するのにはちゃんとした理由がある。だから理由の方を考えていれば、レシピ本を見なくても、自ずと「火加減」するようになるわけです。その理由とは、鍋(Pan)の温度を今どうしたいか、ということだけです。

たとえば、天ぷらをするとしましょう。最初は天ぷら鍋の油の温度をできるだけ早く180度に持っていきたい。だから強火です。でも適温になったら、放射熱で鍋が冷えるのと同量の熱量を加えて温度を一定にすればいいのですから、今度は弱火です。

ここに衣をつけた材料を投入します。すると、冷めた材料に熱が一挙に取られていきますから、少し上げて中火にする。だんだん揚がって来ると、今度は材料と油の温度が近づいて来ますから、そのままでは焦げます。だからここでまた火を弱くする。そのように、意味を考えていれば、「火加減」は自ずと決まるのです。

つまり、火加減とは鍋加減だということ。鍋クンの気持ちになればいいのです。

総じて、女性がする調理は、鍋(Pan)の温度が低過ぎます。これは、焦げることを心配したり、油がはねるのが怖いので、どうしても弱火でコチョコチョやってしまうからですが、これでは味がみんなダル(dull)になってしまう。料理というのは、角がスパッと立っていなくちゃいけません。そのためには、切り方もあるけれど、鍋加減が非常に大切です。

ご参考になったでしょうか?
でも、うちのガスコンロも3年前に取り替えたら、勝手に「火加減」しちゃうんです。もう使いにくくてしようがない。こういう大きなお世話はやめてもらいたいものですナ。そういうサポートをするたびに、人間がバカになって行ってしまいます。
調理技術を身につけるには
「調理技術」とは何か? 多くの人は、煮たり焼いたり、味付けをすることが「調理」だと思っています。ですが、これが大まちがいなんです。根本を間違って捉えているから、いつまで経っても料理がうまくならない、レシピが広がらない、ということになってしまうのです。

「調理」全体の6割〜7割は、実は「下ごしらえ」という地道な作業にありますす。材料を入手することや盛りつけ、配膳まで考えたら、煮炊きや味付けの作業は、全体の1割程度に過ぎないかも知れません。つまり、一般に「調理」だと考えられていることは、最後の「まとめ作業」の部分だけだということです。

ですから「調理技術」を身につけようと思ったら、その殆どは「下ごしらえ」技術の習得になるということを覚悟してください。ところが今は、テレビでも雑誌でも、完成写真と味付け作業ばかりを見せるものですから、その前に「下ごしらえ」技術が必要ということが分からない。

そのため「下ごしらえ」作業が完全にブラックボックス化してしまい、その作業がすでに終わったカット野菜、ゆで野菜、切り身、マリネした肉・魚、小麦粉やパン粉をつけた肉・魚、無洗米、合わせ調味料、味付けされたスープなどを多用するようになってしまったのです。

これでは、「料理」というものがどのように組み立てられているか、その芯が解らない。家庭料理が崩壊するのも当然です。

そこで、家庭料理に危機意識を持ち、これから何とかしたいと思っていらっしゃる方は、先ず「下ごしらえ」の習得に励んでいただきたい。ハッキリ申し上げて「下ごしらえ」は手間がかかります。それがイヤな方は、どうぞ怪しくて、不健康で、不味くて、わが家の味ではないものをお子さんに食べさせてください。

さて、なぜ「下ごしらえ」技術が失われたかと考えますと、土間や縁側が無くなったから、と言えるかも知れません。もちろんこれは比喩ですが、「下ごしらえ」の作業は、そうした場所で母親や祖母から習ったものなのです。つまり、マンツーマンでおしゃべりしたりしながら作業をした。

今は枝豆の季節ですが、さやを枝からもぎ取るのだって、さやえんどうの筋を取るのだって、魚を捌くのだって、材料を切りそろえるのだって、「下ごしらえ」はすべて時間が掛かる。ちょっとした忍耐です。でも一人だと息が詰まるけれど、何人かでやれば気がまぎれるし、作業も捗ったというわけです。

しかし面倒だと思えば面倒ですが、エプロンの紐をしっかり結んで、気合いを入れて「下ごしらえ」作業に入ると、「ああ、料理をしているなぁ」という気がしみじみしてくるもんです。一人でやっているのが退屈なら、BGMでもかけながらはどうですか? ユーミンの『チャイニーズスープ』なんかはどうかな?
なんちゃって和食で「わーショック!」
なんかいきなり、ためしてガッテンの小野アナみたいなダジャレですみません。
先日、親戚の家に遊びに行ったおりのこと。「そうめん茹でるから食べていって」というので待っていたら、しばらくしてそうめんが出て来ました。横に「つゆの素」と「水」を伴って。

もうびっくり!です。カルチャーショックでした。それを、数日たって別の女性に話したら「え、それ普通でしょ」と言われ、さらにびっくり! あ、そうそう、人から聞いた話ですが、スーパーに「“びっくり水”というのはありますか?」と買いに来る人が居るそうですよ。

仕方なしに、恐る恐る「つゆの素」を「水」で希釈して食べてみたのですが、いやぁ、甘ったるくて、不味くて食べられない。ほうほうの体で退散しました。

麺のつゆというのは、出汁(だし)とかえし(醤油とみりんを合わせたもの)で構成されています。自分で出汁をとってみれば分るように、出汁自体は冷蔵庫に入れても3日と持ちません。それが、しかも濃縮されているのに一ヵ月だって平気で持つという「つゆの素」は、いったい何で出来てるの?

どうして、得体の知れない、不味くて、不健康で、我が家の味ではないものを、みんなが金を払ってわざわざ摂取しようとするのか、私にはさっぱりワケが解りません。

出汁など、昆布や煮干しや干し椎茸などの乾物を、ただ水に浸けておくだけで取れるのに、どうして「つゆの素」を「水」で希釈するという手間の方を選ぶのかが解らない。洋風のスープを取ろうとしたら、どれほど手間が掛かることか。それに比べたら、日本のお出汁はまるでインスタント食品のようなものなのに。

なぜインスタントで出汁が引けるかと言いますと、乾物にするまでの工程に手間が掛かっているからです。そのため、調理場での手間はほとんど掛からないのです。それなのに、そのちょっとした手間すら惜しんで、わざわざまがい物を使うというのは、いったいどういうワケ?

そもそも、和食というのは、出汁をベースにした料理なのです。なぜ出汁をベースにした料理が発達したかと言いますと、日本は世界に冠たる「水」の豊富な土地柄だったから。この水の恵みを最大限活かした料理が和食です。

したがって、出汁を取ることやめた時点で、それはもう和食ではないのです。「めんつゆで煮魚」ですって? バカ言っちゃいけない。そんなものは和食ではありません。なんちゃって和食に過ぎない。

現代では、料理研究家と称する人々が、揃いも揃って、こうしたなんちゃって料理のテクニックを開発することにばかりに鎬を削っている。天候も異常なら、心理も異常というしかありません。どうして本物を追求しようとしないで、まがい物を追求しようとするのか。私にはまったく理解出来ません。

和食の基礎中の基礎である出汁も取らない人たちが、あれは健康にいいとか悪いとか、塩はどこそこ産がいいとか、ミネラルがどうした食物繊維がどうしたと話しているのを聞くと、チンチラおか、いや間違えました、ちゃんちゃらおかしいです。そう思いませんか?

調理技術はほとんどゼロに等しいのに、情報だけが肥大している。しかもその情報も、親から習ったとかお婆ちゃんから習ったというのじゃない。全部がコマーシャリズムから仕入れた情報です。そのいびつさに全く気がついていない。それほど毒されてしまっている。

いったい全体、江戸期以降、数百年掛かって先人たちが工夫に工夫を重ね完成させた料理の技を、わずか数十年で捨て去ってしまった国など、他にあるでしょうか? スローフード運動はイタリアにマクドナルドが進出したことに対する危機意識から生まれました。でも日本人に危機意識などありません。むしろ嬉々としてハンバーガーを食べている。

なぜ「なんちゃって」のテクニックばかり追求しようとするのか。同じ追求するのなら、そのエネルギーを「本物」の追求に向ければよいではありませんか。そうすれば、安全で、健康で、おいしいものが食べられるのに。そしてそれを次の世代に渡して行けるのに。

気づいた人から、どうか元に戻す努力を始めていただきたい。先ず出汁から始めよ。出汁を引くのはそんなに難しいことじゃない。出汁をしっかり引けば、料理が一変することは請け合います。