by Rainbow School
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効果幸楽のうた

1980年代の後半、

テレビジョンに素晴らしいメッセージソングが流れていたよ。

このうたの中には、「幸福」とは何かということの真髄が説かれている。

今この瞬間の feel が、あなたの現実を創ってるってこと。

だから、あなたも味わって。今のこの幸福を。

 

 

そのままでいいのさ I feel 幸福

笑顔に逢えるから I feel 幸福

今なにか感じている 効果幸楽

爽やか 呈す体

I feel 幸福

 

もう一度始めよう (この生を) I feel 幸福

変わらぬこの feeling I feel 幸福

毎日が新しい (体験なんだ) 効果幸楽

爽やか 呈す体

I feel 幸福

 

初めてじゃないのさ (生まれて、この道を歩くのは)

いつでも一緒なら (大いなる一者と)

今なにか感じている 効果幸楽

爽やか 呈す体

I feel 幸福

 

もう一度確かめて (今この時を) I feel 幸福

触れ合うこの feeling I feel 幸福

毎日が新しい (体験なんだ) 効果幸楽

爽やか 呈す体

I feel 幸福

あなたは気球

あなたの本質は気球なんだよ。内側に、気をいっぱいに溜めた球なのさ。

ここで言う気は、Spirit(霊)のことだけどね。

自分の内側を、一度じっくり覗いてみてごらん。

天に上りたい、どうしても上りたい、

というあなたの切なる願いが見えないかな。

なに、見えない?

ああ、そこじゃない。もっと奥だよ。

目を閉じて、もっともっと深く見つめてごらん。

これは、地上に生まれた全員が、最初から持っているものなんだからね。

携えたまま、あなたも地上に生まれて来たんだからね。

この気は、天に充満する気と、実はまったく同じものなのさ。

だから、あなたはいつだって天とつながっているし、

望めば天に上れる(ascend)のだよ。

 

知らなかったのかい?

今まで考えたことも無かったのかい?

 

だとしたら‥‥

じゃあなんで自分は上れないのか、と今のあなたは言うだろう。

なぜ叡智にたどり着けないのか、と今のあなたは言うだろう。

いい質問だ。

今度は外を見てごらん。自分の外側だ。

あなたが乗っている気球のゴンドラの、足下を見て。

たくさんの砂袋が括り付けられてるのが見えないかい?

これじゃあ上れるわけがないじゃないか。

いいかい。

これはみーんな、あなたが自分で括り付けたものなんだよ。

 

え、そんな覚えはないって?

じゃあ、試しに第一の砂袋を開けてみようか。

おや、中身は砂じゃなかったね。お金だ! お金がいっぱい詰まっている。

うん、お金は魅力的だものね。お金がないと暮らせないしねぇ。

でも本当にそうだろうか。そう思って生きている動物は人間だけだよ。

第二の袋はどうだい?

名刺の束かぁ。ずいぶんと肩書きを集めたもんだねぇ。

こんなに大勢の人が、肩書きが自分を証明するものだって思っているんだね。

三つめはどうだい?

トロフィーに賞状か。誇らしいねぇ、さぞかし名誉なことだっただろうね。

四つめは?

わぁ凄い。よくもまあこんなに買ったもんだ。服と宝石と化粧品の山。

五つめは何かな?

写真かい? ああ、写っている人たちが忘れられないんだね。

おや、ペットの写真もある。なんたってかわいいものね。

六つめは?

うわぁ、なんだい、この薬の量は。

それにお守りだのお札だのがいっぱいじゃないか。不安なのかい?

七つめは?

うっ、こりゃ重い。なんだろう? ああ、教科書に答案用紙。

ふ〜ん、ずいぶん時間を使って来たんだね。大変だったねぇ。

で、役に立っているの?

八つめは?

今までとは‥‥これはちと毛色が違うね。

袋に「ねばならない」って書いてあるよ。この中身はなんだろうね。

九つめは?

こっちには「ヘイト」って書いてある。「ヘイト」ってなんのこと?

その隣の袋は?

あ、もう、切りがないからやめよう。

中には20個も30個もぶら下げている人がいるよ。

 

自分を縛り付けることが、よほど好きなんだねぇ。

あ、そうか。自分を縛り付けているなんてちっとも思っていないわけか。

 

でもね。そのままじゃあ、いつまで経っても天には上れないんだよ。

しごく簡単な理屈さ。

でもその重石を、一つずつ切り離して行くと、

自分には浮力が備わっているってことが、だんだんと分かって来る。

「そうなんだ、自分も上れるんだ」ってことに気づく。

そして、切り離す数がどんどん増えていくと、

ついには浮力の方が勝って、あなたは地上を離れてフワッと浮くのさ。

Ascend し始めるのさ。

その瞬間から、グングン天に向かって上り始めるのだよ。

なぜって、あなたは気球なのだから。もともとが気球なのだから。

 

これって、凄いことだと思わないかい?

あなたが、あれほどまでに希求して来たことが、

実は自分が気球だったと、気づくことだったんだからね。

ただそれだけでよかったんだからね。

 

だから、天に上るには、なんの努力も必要としないんだよ。

いいかい、もう一度言うよ。

あなたが、天に上るには、なんの努力も必要としない。

ただただ、自分の本質に「気づく」だけでいい。

そうすればフワリと浮くんだ。

 

でも‥‥

でも、重石の袋を捨てるには、大変な努力、いや決心が必要になる。

多くの人にとって、「捨てる」ことは恐怖だから。

 

これは最大級のパラドックスだ。

これこそが、今まであまり説かれることがなかった神秘。

なんら努力を必要としないことの実現のためには、

めちゃくちゃ努力が必要なんだよ。

特に、袋をより多く集めることが大人になることだと、よりよい人生だと、

固く信じ続けて来た人にはね。

 

さて、これを聞いて、勘のいい人は、

あれ、前にも同じようなことを聞いたぞと、ピン!と来たのではないかな?

そう。「あなたは、最終的に旅は必要なかったんだということを知るために、

自分探しの旅に出る」と前に言ったことがある。

あれとおんなじ。

あの言葉の答えが、「あなたは気球」ということなのさ。

解ったかな?

 

「捨てる」と言っても、

文字どおり「ゴミ箱に放り込め!」と言っているわけじゃないよ。

それへの執着を捨てるという意味だ。観念を手離せという意味だ。

あなた方が、物質界に生きているということはよ〜く解っている。

だから、物質界で生きるためのツールを捨てろ、とまでは言っていない。

でもそれはただのツールなんだ。ボードゲームの駒のようなものなんだよ。

駒を使って、人生を生きて、体験を充分味わって、でも一切執着しない。

どう? それだったら、出来るのじゃないかな?

 

あらゆる「執着」というものは、みな「怖れ」から生じているのだよ。

何かを失うということの「怖れ」が、「執着」に転化しているんだ。

その裏には、「必要」という根強い観念があるのだけれどね。

たとえばお金だ。お金を失いたくないと思うから強く執着するのだよ。

たとえば防衛意識。攻撃されたら大変と思うから、防衛を声高に叫ぶんだよ。

自分が「執着」するものをリストにして、よく見つめてごらん。

裏には必ず「怖れ」があることを発見できるから。

だから、「怖れ」が無くなれば、「執着」も消える。

 

それにね、

あなた方は、まもなく何もかもガラポンしなくてはならなくなるのだよ。

今までの考え方やシステムが、一度ぜーんぶひっくり返るのさ。

あ、でもこれを予言とは捉えないでくださいね。

わたしは予言はしない。ただ宇宙の法則を言ったまでだから。

自分が為したことは自分に返る。

振り子が右に大きく振れれば、振れた分だけ今度は左に返るのだよ。

 

というわけで、どのみち今の世界への「執着」などは無意味になる。

来たるべきガラポンする世界は、

既存システムに「執着」し続けようとする人にとっては大恐怖だけれど、

「執着」のない人にとっては、明るい希望なのだよ。

あなた方は、そのどっちの道を行くか、これから選ぶことになるのだよ。

 

アセンションというのは、見方を変えれば、

「怖れ」がいっさい無くなった状態だとも言える。

しかし、ここでもまたパラドックスだ。

アセンションすれば、いっさいの「怖れ」が消える。

でも、アセンションに至るには、「怖れ」を手離さなくてはならない。

まるで卵が先か、鶏が先か、みたいな話だよね。

さあ、どうする?

 

そこで、あなたに朗報だ。

ちょっと前から、強い光のエネルギーが、地球全体に降り注いでいるんだよ。

それは人類への、大いなる者からのプレゼントなんだ。

だから、この光のエネルギーを、推進力に利用させて貰えばいいんだよ。

素直になって、心を開いて、あなたの帆をいっぱいに広げて、

宇宙の流れに、すべてをゆだねてみて。

そうすれば、グングン前に進むから。

そうやって、前に進むことだけを考えていれば、

いつの間にか、

重石が一つずつ振り落とされていることに気づくことになるから。

 

考えてごらん。

宇宙のすべてを司るのは、ただ一者なんだよ。

その一者が、なにゆえに自らに予言をするというのだろうか?

その一者が、なにゆえに怖れる必要があるというのだろうか?

すべてを支配する者なのに。


だから、なんの心配もいらないんだよ。

あるがままに、ただ「今ここ」を生きればいいんだ。

どうか自分を信じて。あなたは気球なんだから。

傷つくということ

傷つくことは、単に傷つくということに過ぎない。
ただそれだけのこと。
苦痛から逃れることばかりに神経を使って生きていて、
それで一体どうするのかな。
あなたの心には、喜びを感じる自由もあるということが、
なぜわからないんだい?
あなたを傷つけるものは、外から来る出来事じゃない。
それに対する、あなたの反応なのだよ。

熟れすぎた果実

熟れすぎた果実は、いつかは地に落ちる。

溜め込んだ甘い汁が、すえた臭いに変貌して。

幼少時に受けたトラウマは、「愛を乞う人」から「愛を撒く人」に自分がなることでのみ解消できる

幼い子どもにとって、周囲の大人たちは絶対的な存在に映ります。小さくて力がない上に、自分一人では生きていけないことを、子どもは本能的に知っているからです。そのため、誰かに依存して生きなければならないのですが、結果として、その〈誰か〉が有する思想や、生活信条や、生活スタイルに多大な影響を受けることになるのです。

 

ところが、逆の立場にある大人たちは、その影響力の強さについてはあまりにも無頓着です。子どものナイーブさというものをまったく考慮しておらず、自分の考えや行動原理を、さも当然といった感じで、子どもの前で披露する人が殆どです。中には、「愛情」とか「教育」とか「しつけ」という言葉で自分の行動を正当化している人も大勢いるのです。

 

今、子どもの頃を思い起こしてみると、子ども同士の情報交換のなかには、周囲の大人たちに対しての寸評が多く含まれていたことを思い出します。「ねえ、あの人、善い人、悪い人?」「優しい、それとも恐い?」というのが、子どもたちにとっての二大評価軸でした。ですからドラマを観ている子どもは、みんな開始早々に訊くじゃありませんか。「ね、この人、善い人、悪い人?」って。

 

この子どもと大人の間の著しいギャップ。子どもたちを前にして、何にも増して先ず優しい人、善い人であろう、ありたいと常に意識している大人たちが、一体どれほどいるでしょうか。こんな訳ですから、大人は、知らず知らずのうちに、子どもの心をナイフで抉るように深く傷つけてしまっているということになかなか気づきません。

 

子どもにとっては、家族は単に家族ではありません。最初に腕に抱かれる両親そして家族が、自分が初めて接する「社会」なのです。次いで地域の人々や、保育園、小学校などに自分が接触する「社会」が徐々に広がって行きます。しかし、大人たちが漠然と考えている「社会」と、子どもたちが目にする「社会」とは、全然別物だということに大人はもっと注意を払わなくてはいけません。

 

幼少時の子どもにとっては、自分が接触できる範囲、それが「社会」の総てなのです。子どもたちは、容易にそこを脱け出すことは出来ません。その環境の中で、好むと好まざるとに関わらず、「社会適応化」されて行きます。もしそこに、優しい人や善い大人が、一人もいなかったとしたらどうでしょう? その子にとっては、「社会」は牢獄にも等しい場所になってしまいます。

 

この苦しみは喩えようもないほど大きいものです。その牢獄からはなんとか脱け出したい。でも行き場もないし、脱出方法も分からない。自分が今いる「社会」に、自分という存在を、「生きていていいんだよ」「あなたはあなたのままでいいんだよ」と認めてくれる人間が、だれ一人いないように思えるのですから‥‥。

 

人が自殺をすると(特に子どもの場合などは)、みんな〈どんな原因が、その人を死に至らしめたのか〉という特定の犯人探しにばかり注目します。つまり原因と結果の一対一の関係を探ろうとするのですが、解ってないなと思います。なるほどきっかけはあったでしょう。でも、どんな場合であっても、自殺というのは、牢獄のようにしか思えないこの「社会」(=この世)からのエスケイプなのです。

 

生まれて初めて知った、逃れようのない「社会」が、暴力や、ネグレクトや、育児放棄であったとしたらどうでしょう? その子には、深い傷が刻まれます。そして、エネルギーを内に向ける子は自傷行為におよび、エネルギーを外に向ける子は破壊衝動に向かう。それは、その子の「魂」の叫びなのです。「ねえ、無視しないでよ! ここにわたしがちゃんと居るんだよ!」という。

 

幼い子の成長時には、信頼できる大人の(多くの場合、両親ですが)たっぷりとした「愛情」が絶対に必要です。それは、具体的には、外敵から自分を守ってくれることと、温かいご飯を食べさせてくれることと、オシッコやウンチの始末をしてくれること、この3つです。それによって、自分の「存在」というものが肯定され、祝福されているという原体験をその子が持つのです。

 

こうした原体験を持つ子は、その後の人生で、たとえ大変な困難にあったとしても、大崩れするということはありません。自分は〈愛されて育った〉というこの原体験が、必ず湧き起こり、ギリギリのところでその人を支えてくれるからです。けれども、それが無い人は、帰る場所(ホーム)がないのです。幼少時に受けたトラウマの、厄介なところはそこです。

 

帰りたいホームには、「苦痛」の記憶しかないのです。そこで、これを忘れようとします。蓋をして触れないようにしようとする。でもそれは、トラウマを心底から解消できたわけではありません。よく言うじゃありませんか、嫌いは好きの反対だって。これは、好きも嫌いもどちらも、その対象に対しては大いに興味があるということです。つまり、「避けたい」という思いは、強い関心の裏返なのしです。

 

トラウマから遁走して生活することは可能です。しかしそれは、傷口を取り敢えず塞いだカサブタのようなもの。何かの拍子にポロッと剥がれると、その下の傷口がまたズキズキと疼き出すのです。これは、トラウマを抱えた者にしか解らない痛みです。そして、自分では忘れていると思っていても、その影響が、日常生活にずっと影を落とし続けるのです。

 

幼少時に自分を傷つけた大人たちは、大抵はひと世代かふた世代前の人たちです。ですから、自分がもの言える大人になった頃には、その人たちはかなりの高齢か他界していたりする。すると、自分が長年抱え込んで来た怨みや復讐心をぶつける相手が、もうこの世に居なかったり、イメージがすっかり変貌していたりするのですね。その結果、自分のこの「思い」だけが宙ぶらりんになってしまうのです。

 

つまり、もはや解消の仕様がない!

幼少時に受けたトラウマに限らず、このような「思い」に囚われ続けている人は大勢います。口に出すのを避けているだけで、掘り下げれば、大抵は何か出て来るものです。さてそこで、

 

エスケイプするのではなく、トラウマにちゃんと向き合って、考えていただきたいのです。自分に、なぜあのような境遇や、事件や、事故が生じたのか。「そんなことは、言われなくたって考え続けて来たよ」と仰る方もきっとおられるでしょうね。まさに、それがトラウマなのですから。消そうと思っても消せない囚われなのですから。

 

でもその方は、それを、自分と相手の問題として考え続けて来たのではないでしょうか。「そりゃそうだろう、自分と相手の間に起こった問題だもの」と、あなたは仰るかも知れません。でも、もっと大きな視点で捉えてみて欲しいのです。「それは‥‥例えば『人として』ということかい?」。いえいえ、もっともっと大きな視点。宇宙的視点です。

 

「えっ、こりゃまた、えらく大きく出たもんだね」

 

宇宙的視点から見て、自分が、なぜそのような境遇や、事件や、事故に遭わねばならなかったのか、ということです。

 

宇宙に偶然はありません。(と言っても理解できないでしょうが‥‥)あなたに、それが起きたことは、みな必然だったということです。そう聞いて、腹立たしく思われるかも知れませんが、しかし総てが必然なのです。

 

そこで、〈必然だとしたならば〉そのような境遇や、事件や、事故になぜ自分が遭わねばならなかったのか、と改めて考えていただきたいのです。そこにはカルマの働きがあったかも知れません。しかし、それがカルマの働きであったかどうかに限らず、それによって、あなたは、あなたの人生上に多大な影響を受け、そのことについて、深く考えざるを得なくなったのではありませんか?

 

そこにこそ注目して欲しいのです。マイナス面だけではなく、トラウマのプラス面を見て欲しいのです。もし、トラウマになるような境遇や事件や事故が、あの時、我が身に起こらなかったとしたら、あなたは、その課題について傷つき、悩み、考えることも無かったはずです。そこに、宇宙的な視野があるのです。宇宙を司るものの視点があるのです。それを考えなさい。

 

いつも言っているように、物質世界は、所詮は無常なるもの(絶えず変化してゆく幻)です。宇宙に在って継続するのは、あなたの思い(思念)だけなのです。だとしたら、もう巻き戻すことの出来ない過去の出来事のトラウマに、いつまでも拘泥し続けることは、まったく理に合わない、馬鹿げたことだとはお思いになりませんか?

 

それよりも、今日この一日を、この瞬間を、楽しく、朗らかに生きた方がずっとステキだとは思いませんか?

ここに、宇宙からあなたへの、大いなるギフトがあるのです。

これを気づきとして、大ジャンプを成し遂げなさい、という。

もの凄く大きな、「愛」のメッセージが。

 

多くの人は、自分の一生を、「一回限りの人生だもの」と思って、「魂」の声に耳を傾けることをせずに、欲得の感情のままに生きて、一つの人生を終えます。この結果、せっかく地上に誕生して来て、様々な体験をしたとしても、霊性の向上はほんの僅かしか進まずに、転生を繰り返しては、また同じようなカルマに翻弄された人生を送ってしまいます。

 

でも、トラウマを抱えた人は違う。

誰よりも傷ついて来た人は、誰よりも霊的に飛躍できる可能性があるのです。

だから、あなたに言う。

試練を、ジャンプ台にせよ。

 

幼少時に不幸にして愛情不足で育ったあなた。それが原因で、あなたは今も「愛を乞う人」になっていないでしょうか。「愛を乞う人」を続ける限り、あなたのトラウマは解消されません。幼少時には親の「愛情」がたっぷり必要です。でも、「愛情」は「愛」の学習の第一歩だとしても、「愛」の到達点ではありません。それはあくまでも通過点なのです。

 

「愛」に「情」が絡んだ「愛情」は、真の「愛」ではなく、欲得の一種なのです。多くの人は、「愛」と「愛情」の違いが判らずに、「愛情」(というエゴ)を「愛」と錯覚して生きています。ですから、離婚騒動、浮気騒動、親子の確執が絶えないのです。もし、真実の「愛」に生きていたとしたら、ラブラブの結婚をした半年後に早くも離婚、なんてことが起きるわけがないじゃありませんか。

 

「試練を、ジャンプ台にせよ」とは、この段階を超えなさいということです。もう「愛情」レベルは卒業しなさい、ということです。いつまでも「愛(情)を乞う人」であってはなりません。ここから一気に飛躍して、「(本当の)愛を撒く人」へと大変身するのですよ。それを今日、この瞬間から誓うのです。

 

そして、日々、そのように行動することによってのみ、あなたはトラウマを解消できる。貰うことばかり考え続けて来た人生をやめて、与えるのです。先ずあなたが与えるのです。最も傷ついたあなただからこそ、周囲に与えるのです。「愛情」ではなく、本当の「愛」を。見返りをいっさい求めない本当の「愛」を。無償の「愛」を。

 

そのことを喜びとしなさい。今すぐには分からなくても、そうしたいとひたすら願い、続けているうちに、やがてそれがあなたの内に入って来る。その時こそ、自分が生きている真の理由が解る。なぜ自分が、あれほどの苦しみに遭わねばならなかったのか。そしてあなたは、その手配に、感謝の念すら抱くようになることでしょう。

 

友よ。諦めるな。真の「愛」に生きるんだ。

いいかい。あなたが率先して、次代の「愛を撒く人」になるんだよ。

崩壊へ向かう世界、その中にある希望

地球の大変革が加速しています。敏感な方なら、その顕れをいま肌でひしひしとお感じになっておられることでしょう。

 

大きな潮流は三つあります。一つは、気象災害が激甚化している一方で、今なお地球環境の破壊行為が止まないという点。二つめは、お金の仕組みを含むこれまでの政治・経済システムが機能不全に陥る中で、新たな民衆運動が勃興して来ているという点。三つめは、AIやロボットや遺伝子操作等の、次世代テクノロジーの著しい発達です。

 

これらは表層的に見れば、それぞれバラバラな変化として見えるでしょうが、その根底にあるものはみな共通しています。それは、古い考え方、古いシステム、古い秩序から、新しい考え方、新しいシステム、新しい秩序への大転換が進行中ということを意味しているのです。そして、これまでにも何度か語って来たように、新しい家を建てるためには、古い家は破壊されなければならないのです。

 

これから進行することになるであろう世界の大混乱は、この移行期に伴う必然的な事象です。古くから、このことは陣痛にたとえられて来ました。それは地球という惑星に課せられた、次への産みの苦しみだということです。あなた方は、このことをよく認識して、これからご自分の目の前に起こることにもきちんと対処して行って欲しいのです。

 

それはこういうこと。来たる陣痛の苦しみに怯えながら毎日を過ごすか、それとも、赤ちゃん誕生の喜びを予感して今を耐え抜くかです。

 

毎日毎日、飽きもせずに、地震や台風や犯罪事件発生の警告ばかりしておられる霊能者の方がおられます。その方の霊能力を疑うわけではありませんし、きっと親切心でやっておられるのだと思います。でも、そんなことをしていったい何になるのでしょうか? そうした警告を事前に知って行動すれば、被害が未然に防げるということなのでしょうか?

 

たぶんそうなのでしょう。けれども、〈未然に防げるもの〉とは、何を意味しているのでしょう。生命や財産のことではありませんか? それがそんなに大切なのですか? 実に、ここが肝心なところです。あなた方は、全員が、いずれはこの世でいうところの「死」を迎えます。どの道、生命も財産もぜーーーんぶ失われることになるのですよ。そんなものに執着心を抱いて、一体どうするのですか?

 

そんな対処法は、単に「衝撃」の先延ばしに過ぎない。それよりも、「衝撃」を事前に手放して、来たる日が、もう「衝撃」とは思わない気持ちになって、今日という一日を楽しく過ごした方がずっといいとは思いませんか? 地震は起きるときには起きます。台風は来るときには来ます。事件は起こるときには起きます。そんなものは当たり前。ない方がおかしいです。

 

自分だけは助かりたい。そんな卑しい気持ちを刺激されて興奮しているようでは、先行きは暗いですぞ。よいですか、地球環境が今のようになったのはどうしてですか? 森林を伐採し、資源を掘り尽くし、川や海を汚染し、放射能を撒き散らし、毒入りの野菜を食べる日常を日常にしてしまったのは、あなたたちなんですよ。あなたたちが、総意としてそういう社会を創ったのです。

 

なぜ、そこに気づかないの? どの世界に、自分が依存している環境を、自分の手で破壊する生物がいますか? でもそれを、あなた方はやって来たし、今もまだやっている。ああ、なんという愚かさでしょう。昨今の気象の極端化現象は、人々の心の極端化現象をそのまま映し出したものです。これは天が下す罰ではありません。宇宙には罪も罰もありません。作用と反作用があるだけ。

 

それらはみんな、あなたたちが望んだこと。あなたたちの心が、そのような世界の実現を追い求めたのです。このメカニズムに気づきなさい。災害で突然死することの恐怖を云々する前に、人類は共同して、緩慢な「自殺」に向かっているということを知るべきです。いや、緩慢どころではない。今や急展開で向かっているのですよ。

 

あなたたちが今なすべきことは、霊能者の予言に従って、危険から自分の身を回避することではありません。これは、人類みんなの問題なのです。人間が誰も住めない地球になろうとしているのに、自分だけは生き残ろうとしたってそうはいかない。あなたたちが今なすべきことは、今できることからライフスタイルを改めることです。そして、地球を破壊することに熱心な、愚かな政治指導者たちに対しては、敢然と反旗をひるがえすことです。

 

古い考え方、古いシステム、古い秩序に固執する人たちは、これを維持しようとして、今やなりふり構わぬ策に出ています。しかし、いくら延命策を講じようとも、もはや継続の限界値を超えており、今の社会システムは近い将来に必ず破綻、崩壊します。一方で、新しい考え方、新しいシステム、新しい秩序を模索する人々は、既存の仕組みを破壊します。つまり、どっちの道を選ぼうとも、今の世界秩序は崩壊します。

 

そこに希望を見出してください。

 

えっ、分からない?

たったいま言ったばかりじゃありませんか。

赤ちゃん誕生の喜びを予感して、今を耐え抜くのですよ。

 

強いイメージを思い描きなさい。

住むところや、お金の心配がまったくなく、世界中の人々が、自分の才能を発揮し、これを持ち寄って互いに分かち合える世界を。助け合える世界を。喜びと喜びが交換できる世界を。一切の武器がなくなった世界を。子どもたちがみな笑顔で、のびのびと自由に遊んでいる世界を。

 

みんなが思い描けば、そのような世界が出来ます。うそじゃない。思いが行動となり、行動の結果が世界を創るのです。人類は今まで、それとは真逆の世界を思い描いて来たからこそ、そのような世界が実現化しているのですよ。この単純な理屈に気がつきなさい。深い眠りから、眠り続けて来た長い歴史から、いよいよ目覚める時が来ました。このチャンスを、是非ともものにしてください。

 

あなた方に染み付いた洗脳は、あまりにも深く、また何重にも積み重ねられているので、完全に目覚めるまでには、何度も何度も高いハードルを乗り越えなければならないかも知れません。でも、人類全体を覆い尽くしている「洗脳」が、どのような構造によって出来上がっているかをここで知れば、脱出への糸口が掴めるかも知れません。

 

人類全体を覆うこの巨大な洗脳システムは、次の三つの要素の連鎖から成り立っています。

 

/祐屬持つエゴ

▲┘瓦魎霹廚箸靴社会構造

その社会に適合しなくてはならないという思い込み

 

先ずは、人間が普遍的に持っているエゴです。エゴというのは、もともとは魂が一者から分かれて、個別化した際に、必然的に発生したものです。

 

それは、自分以外の「他者を認める」という視点を提供すると共に、乗り越えて行くべき修養のツールとして機能しているのです。

 

ところが地上では、エゴの行使がむしろ礼賛される傾向があり、近年その傾向が一段と強まっているのです。

 

富を得ること、名声を得ること、地位を守ること、他者を支配すること、人を騙すこと、他者から収奪すること、が実に大っぴらに行われ、こうした能力に長けた人たちが、社会の中枢でリーダーの役割を果たすようになっているのです。これは地上世界ならではの逆転現象です。かつて言われた「人徳」などという言葉はもはや死語同然で、剥き出しのエゴをぶつけ合う世の中になってしまったのです。

 

このような価値観を有するリーダーたちが、今の社会の中枢を担っているのですから、当然ながら、社会構造の基盤は、こうした価値観をベースに形成されて行きます。お金の問題も、教育も、医療も、外交も、法律も、エネルギー問題も、環境問題も、マスコミも、何もかもがエゴを満たすための仕組みとして考案され、特定の人のみが利益を得るように計画されているのです。

 

さて、こうした社会構造は、ごく一部の人のみが得をする仕組みになっているのですが、既得権益を持つ人たちは、この構造を維持し続けるために、ここに競争原理を導入し、この構造を大衆に認めさせます。それによって、構造そのものの是非までは問われないようにしているのです。たとえて言えば、高校野球の甲子園大会のようなもの。毎年恒例でそれが当たり前の感覚になっているのです。

 

しかし、むろん大衆の多くは、この支配構造の上部に行くことは出来ません。けれども、競争原理のおかげで、自己責任論を押し付けることが出来るのです。あなたが貧乏なのは、あなたがよい会社に入れないのは、あなたがいい地位につけないのは、あなたが結婚できないのは、みんなみんなあなた自身のせい。あなたの努力が足りないせいなのさ。

 

かくして、今の社会構造にちゃんと適合して生きねばならない、そしてその階段を上らなければならない、という「思い込み」が、体の芯にまで沁み通ることになるのです。そして、そのための必死の努力が、その人の内なるエゴを強化し、それによって社会構造はますますエゴに傾き、社会に適合しなければならないという思い込みが、さらなるエゴを育てるという悪循環となって、この輪がグルグル廻るのです。

 

今の社会の「生きにくさ」というものの正体は、まさにこの循環の中にあるのです。心を和ませる小さなコミュニティというものが次々と失われ、人類の大半が巨大システムに組み込まれて生活をするようになりました。誰も彼もがTwitterで呟き、いいねボタンを押し、amazonで買い物をし、チェーン店で食事を済ませ、テーブルに並んだお皿の写真を撮ってInstagramに投稿する。

 

それはまるで、先へ行こうとして、ただ車輪を回し続けるハツカネズミのようなものなのに、誰もそんなことは気にしていない。この循環の輪にいちど嵌ってしまったら、もう容易には脱け出せないのです。なぜなら、この輪からこぼれることは、その人に大変な恐怖心をもたらすから。エゴを捨て去ることも恐怖だし、社会構造が崩壊することも恐怖。自分の思い込み(信念)が引っくり返ることはさらにさらに大恐怖です。

 

この「洗脳」システムのループは極めて強力で、誰も、よもや自分が「洗脳」されているとは気がつかない。子どものためを思う親も、学校の教師もみな「洗脳」されているのであり、それを管轄している役所の人間も、政治家も、経済人も、学者も、マスコミ人もみんなみんな「洗脳」されていて、この「洗脳」が、グルグルと果てしなく回転するのです。

 

右だ、左だ、と言ったところで、このシステムの中でウロチョロしているだけであって、右が左を攻撃し、左が右を攻撃するのは、その約束事に習って条件反射しているだけの話。所詮は、籠の中でグルグル車輪を回すハツカネズミなのです。でも、「この社会は、それ自体がどうもおかしい」との直観を持つごく少数の人にとっては、この世界は、もの凄く生きにくい世の中に映ることになるのです。

 

そして、そのような人たちの大多数は、今までは、社会の同調圧力に負けてしまっていました。なぜなら、そこに疑問を呈することは、即、社会からの落ちこぼれを意味しましたし、独りぼっちになることでしたし、そもそもそれ以外の「生き方」を考えたこともないし、教えて貰ったこともなかったからです。

 

ですから、その輪からドロップアウトすることは、もの凄い勇気を必要とする。みんなそれが怖くて、「本当は、もっと違う世界があるのかも?」「本当の幸福というのは、違うところにあるんじゃないだろうか」とふと思っても、急いでその思いを打ち消して、またハツカネズミの生活に戻って行くのです。たとえ確信めいたものが浮かんだところで、家族がそれを否定することは目に見えていますし‥‥。

 

でも、あなた方に言っておきます。このループの一端は、すでに崩壊に向かって進んでいるのですよ。既存の社会構造の崩壊が加速度的に進んでいる。その顕れを、あなたも既にお感じになっている筈です。ですから、この輪のネガティブな連鎖はやがて切れてしまいます。

 

さてその時です。ただ仕組みをぶっ壊すだけでは足りない。人類の課題としては、自分の「思い込み(信念)」の誤りに気づいて、同時にエゴを手放すことが出来るかどうかです。

 

この点で、いま「地球人」となっている魂が選択する道は、大きく二手に分かれます。それでもなお、エゴを貫き通そうとする道を行くのか、それともエゴを手放す道に入るのか。

 

よいですか。「救い」というのは、命が助かることでも、財産が保全されることでもないのですよ。悩みが解消されることでも、どん底から引き上げられることでもない。結果、そうなることがあったとしてもね。「救い」というのは、「目覚める」ことなのですよ。何に? 自分は「最初から救われていたのだ」ということに。この世は、自分が現実だと思っていたこの世界が、実は「幻に過ぎないのだ」ということに。

 

この世は幻。

 

あなたも、この真理の言葉に、一度は触れたことがあるでしょう? 古代より、変わらず言われ続けて来たことです。でも、そう言われても何のことやらさっぱりワケが解らないでしょうし、たぶん実感も湧かないことでしょう。無理もない。もしそれが解れば、しかも頭で解るのではなく、全身で、かつ魂のレベルで解るのであれば、その人は既にアセンションしているということですから。

 

しかし、いま改めて「この世は幻」と聴いた時、あなたはこう思うかも知れません。「もし、この世が幻と言うのなら、そんな世界を生きることに、いったい何の意味があるのか」と‥‥。解りますよ。でも違うのです。

 

「幻の世界を、どう生きるか」が問われているのです。

 

あなた方が、この世でいうところの「死」を迎えた時、かつてあなたであった身体は、間もなく分解を始めます。あなたには、もうこの世で生きる乗り物はありません。あなたが生きた証しだと思って来た数々の残留物との接触も、その瞬間から断たれます。でも、本当のあなたは、その後も生き続けるのです。本当のあなた、それは多層階で構成された「意識」です。

 

本当のあなたであるところのこの意識体は、そうやって、あの世とこの世を行き来しているのです。意識体だけが連続するのであり、生まれ変わりを体験する度に、そこでの成長度合いが魂に刻み込まれるのです。さあ、もうお解りでしょう。「幻の世界を、どう生きるか」が問われている、ということの意味が。幻想の世界というのは、あなたに向けられた、中間テストや卒業テストのようなものです。

 

そのテストを前にして、あなたはまだエゴの誘惑に負けてしまうのですか。今度ばかりは、地球人にとってラストチャンスなのですよ。エゴをますます太らせて行こうとする人々を、反面教師としなさい。そして憐れんであげなさい。かつてイエスも言いました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、自分でも分からないのです。」と。

 

あなた方は、エゴの扇動者に、もうこれ以上、巻き込まれるのを止めるべきです。今度こそ、この不毛の輪の連続から自由になるのです。勇気を持ちなさい。この輪からドロップアウトしても、宇宙が失われるわけではありません。地球が無くなるわけではありません。

 

あなた方がいま「正しい」と思っている社会通念も、みーんな人間が拵えたもの。その時々の為政者が、社会の支配者が、自分たちに都合のよいように。そんなものは、時が変われば一変してしまう、所詮は泡沫(うたかた)に過ぎないのです。それなのに、これからも泡沫の奴隷であり続けるのですか?

 

そこに気づきなさい。あなたは自由だし、霊魂は深いところで、宇宙の真理を知っています。あなたが真理に沿った生き方をすれば、魂は喜び、真理に逆らった生き方をすれば、魂は引き裂かれ、苦悩に沈みます。

 

すべては一つ。そこに希望を見出しなさい。

あなたの中に未だ燻り続けるエゴを、ジャンピングボードに活用するのです。

そして、大きく羽ばたくのです。

あなたには、それが出来る。

認知症の背後にある意味

Q.医療関係の仕事に従事している者です。私が勤務している病棟では、認知症になっておられる患者さんが多くいらっしゃいます。霊的学習に関する最近の私の理解では、人が怪我をしたり病気になったりすることや、またどのように死ぬかということも、究極的にはその人が自分で決めていることだと捉えております。こうした理解は正しいでしょうか? またそれが正しいとした場合、自分が認知症になることを選択し、人生を忘れていくということは、その人にとってどのような意味があるのでしょうか?

 

A.先ずは前半の質問に関してです。これには「運命論」ということを考えなくてはなりません。人の運命は、予めすべて決まっているのだという考え方です。人生の不条理に接した時に、そのような考えに至る人は大勢います。また人によっては、「宿命」と「運命」という言葉を分けて、「宿命」は変えられないものだが「運命」は変えられる、と言う人もいます。本当はどうなのでしょうか?

 

これらは半分は当たっているが、半分は間違っていると言えます。先ず、「人の運命は、予め決まっている」と言った場合、そこには、自分の外側にある、何らかの不可抗力によって〈決められている〉というニュアンスが多分に含まれているのではないでしょうか? だとすると、これは正しくはありません。外側から〈決められている〉ものはありません。あなたには、あなたの人生を生きる「自由意志」が与えられているのです。

 

これは、「魂」が持つ根本的な性質であって、この「自由意志」をどう使うかが、その「魂」にとっての個別の旅なのです。さて、「魂」は輪廻転生をします。その際に、中間生(あの世)において、次の転生の目的と、大まかな人生プランを、まさに自分の「自由意志」によって設計するのです。ですから、これをもし「運命」と呼ぶならば、「運命」は自分で〈決めている〉のです。

 

*この時には、自分のガイド役やマスターとの話し合いやアドバイスがあります。

 

問題は、現世(この世)に誕生し、物心がつくようになると、この世の知覚認識能力がだんだんと向上するのと入れ替わりに、中間生で自分がしてきた人生プランを忘れてしまうということです。その結果、自分で「運命」を〈決めている〉のに、外側からの不可抗力によって〈決められている〉と思い込んでしまうのです。しかしこの忘却には、とてもよい面があります。それは、人が大いに迷い、悩む、ということです。

 

えっ、迷い、悩むことが、どうしてよいことなの? と、首を傾げられる方が少なからずおられるでしょう。でも、人生の岐路において、大いに迷い、悩むからこそ、それをジャンピング・ボードにして、その「魂」の霊的な成長が図られるのです。そこで、これまでにもしばしば、それが「ギフト」だと言ってきたのです。あなたが出遭う試練は、言わば「魂」の「筋トレ」です。それは、あの世にいた時のあなたが、自分自身に贈っておいた「ギフト」なのです。

 

さて、以上を理解していただいた上で、改めて質問者の「怪我や、病気や、死ぬことも自分が決めている」という捉え方を見ますと、そこには若干の誤解があるようです。確かに、究極的には何もかも自分が〈決めている〉と言ってもよいのですが、怪我を未然に防いだり、病気にならぬように心身を鍛えたり労ったりすることは充分に可能ですし、またそうすべきです。何でもかんでも「運命論」に帰すべきではありません。

 

「死」に関しては、今回は深くは触れませんが、人は、自分で設計して来た目的を果たすまでは、この世で言うところの「死」を迎えることはありません。必ず目的を果たしてから死ぬのです。そう言うと、きっとたくさんの疑問が沸くでしょうが(特に個別の事例として)、今はそこまでで留めておきます。

 

次に「認知症」に関してです。ここで最初に考えなければいけないのは、「認知症」という言葉が、2004年になってから作られた、比較的新しい言葉だということです。それまでは、一般には「ボケ」とか「痴呆症」と言われていました。この言葉の置き換えには、それ以前の言葉に含まれていた差別的ニュアンスを払拭したいという考えがあったと思いますが、同時に、医学会の中で医学用語っぽくしたいという別のベクトルも大いに働いていたと思います。

 

そして、この試みは成功しました。今では「認知症」という言葉を誰もが知るところとなり、25歳以下では、おそらくそれが当たり前の言葉と認識になっていることでしょう。今日、それは堂々と「病気」の仲間入りをし、親が「認知症」になったら介護が大変とか、歳を取ったら自分も「認知症」になるかも?、という新たな「病気不安」を人々に植え付ける結果となりました。

 

ところが、「ボケ」とか「痴呆症」という言葉が使われるもっと以前には、別の言い方がされていたこともあったのです。今日、その言葉を知る人は少ないようですが、それは「二度わらし(童子)」と呼ばれていました。人生の最晩年期に、二度めの童子に還るという意味です。そしてこの意味は、今日「認知症」と呼ぶようになった症状の、最も適切な捉え方を示しています。

 

ここで、これまでにも何度か触れてきた、心と脳と魂の関係についておさらいをしておきましょう。今日の科学では、心は脳の活動によって生じる、という考え方が主流を占めています。しかし、この考えは全くの誤りです。心のそれぞれの顕れ方によって、脳の特定部位が活動をしているというのは、観察に基づいた事実です。しかし、だからと言って、脳が心を生み出しているという理由にはなりません。

 

もし、脳が心を生み出しているのだとすれば、ではその脳は誰が動かしているのか、何が動かしているのか、心の真の支配者は誰なのか、という疑義が生じます。現行の「科学」と称するものは、この点には頰被りして、原因は脳だ脳だと言うばかりなのです。これも、心の問題を脳の機能障害に帰することで、「病気」にしてしまいたいという輩が、暗躍している結果の現象なのです。

 

しかし「脳」というものは、コンピュータでいうところのハードウェアに過ぎないのです。そして、みなさんがよくご存知のように、コンピュータはハードだけでは動きません。動かすにはソフトウェアが必要です。そのソフトに当たるものが「魂」なのです。「心」は、「魂」というソフトウェアが、「脳」というハードウェアを使って演算した結果の、この世におけるアウトプット(出力)なのです。

 

今の時代、「心」を病んでいる人が非常に多いと言われています。かく言う私も、過去に鬱病を経験いたしました。しかしそれは、「脳」の機能に障害があるのではありません。ハードではなくソフト、つまり「魂」の側が傷ついているのです。傷ついた「魂」が、「脳」の演算を狂わせているのです。ですから、脳機能を正常化しようとしていくら薬物を使っても、真の問題は解決しません。

 

真の問題解決のためには、傷ついた「魂」を癒やす必要があるのです。ではどうやって癒やすのか。それには先ず、なぜ「魂」が傷ついているのかを知らなくてはなりません。「魂」が傷つく理由は、自分の本体が「魂」にあるということを知らずに、肉体を持った自分が自分だと思い込み、この世の論理に合わせようとして無理をするからです。そこで、「魂」が持つ本来の「自由」が、阻害されてしまうのです。

 

けれども、自分は大河の一滴だと気づき、宇宙の流れに逆らうことなく、真理のままに生きていれば、本当の自分、つまり「真我」が発見でき、その奥の院は「神我」に繋がっているのだということを知るようになります。そうすれば、「魂」は癒やされ、この生きにくい世の中にあっても、明るく、朗らかに、楽しく生きることが出来るのです。このように、理屈は至ってシンプルなのですが、この世で受けた「洗脳」を解くのが、とても難しいのです。

 

「認知症」というものも、近年になってから作られた、そのような社会「洗脳」の一つです。一般に「心」の病いと言われている人々の中で、脳機能に本当に障害があるという人は、極めて稀です。大多数の人は、そう思い込まされているか、あるいは自分で思い込んでいるという状態です。ところが、認知症はそうではありません。老化に伴って、実際に脳機能(つまりハードウェア)が低下して行ってしまうのです。

 

脳も筋肉と同じで、使わなければだんだんと衰えて行ってしまいます。自分で考えたり、工夫したり、創造したりするということを止めて、生活を他人まかせにしてしまうと、脳の老化は一気に進んでしまいます。今の時代は、「他人まかせ」が横行している時代です。めんどくさいことは一切しない。そういう感覚に慣らされていますし、スマホやAIやロボットの登場で、この傾向はますます強くなっています。

 

現代社会というのは、「認知症」になるための危険なワナでいっぱいです。ですから、認知症になっている患者さんを大勢見るというのは、しごく当然の結果なのです。今の病院システムは、入院患者の自力を阻み、籠の中の鶏同様にしてしまっていますからね。認知症になるというのは、他の身体的病気と同様、身体のケア不足、この場合は「脳のケア不足」が原因ということになります。ここに、先ず、その人の今世で、新たに(あるいは再び)作った課題があります。

 

さて今、認知症は「脳」というハードウェアの機能的衰えだと書いたのですが、他者から見て、アウトプット(=心)がおかしいように見えても、ソフトウェア(=魂)に関しては、以前と変わらずに活発に活動しているのです。ただし、ハードウェアに支障が出てきているので、以前のようには思考したり行動したりするということが困難になり、本人は大層もどかしい思いをしているのです。

 

と、ここまでの説明を聞いて、ピン!と来た方はいらっしゃいませんか? あなたも過ごした、いつかのあの段階とそれは同じです。そう、乳幼児の段階です。ですから、昔の人は認知症のことを「二度わらし」と呼んだのです。紙に山形のカーブを描いてみてください。脳機能の発達のカーブです。生まれてから脳がどんどん発達し、そしてあるピークを迎えて、それからは徐々に低下して行く。

 

脳機能は、他の身体機関と同じように、発達と衰退の時を経るのですが、その間、ソフトウェアとしての「魂」は、連続的に活動しているのです。しかし、赤ちゃんの時には、脳だけではなく、身体の骨格や筋肉組織も充分には発達していないので、全面的に誰かのお世話にならなければ生きて行くことは出来ません。ところが老人の場合は、身体機能はまだそこそこ動くので、いわゆる徘徊やその他の困った問題が起こるのです。

 

けれども、今言ったこの認識に従って、赤ちゃんと老人とを比べると、今の社会の人間が、老人に対していかに冷淡であるかが解るのです。なぜなら、赤ちゃんと老人は、人生サイクルの上昇期と下降期の一局面を示していて、同じような状態にあるのにも関わらず、身の回りのことを自分で出来ずに、時々むずかったりする赤ちゃんに対しては、「認知症」とは言わないのはどうしてでしょうか?

 

それは、今はそうであっても、その後にはやがて「成長」するだろうという暗黙の希望があるからです。ところが、その逆回路は、「衰退」と「死」をイメージさせるので、反対に忌み嫌われるのです。これは、人間が「死」の本当の意味を知らない、「生命」の本当の意味を知らないところから来ているのです。「人生死んだら終わり。生きているうちが花なのよ」と、ほとんどの人がそう思っているのです。

 

ですがこれは、この半世紀で、急速に広まった考え方です。身近なところで「死」を見るという機会がほとんど無くなってしまい、大多数の人々は「死」を出来るだけ遠ざけるようにして、ただ享楽的に今を生きています。ですが、「死に方」が解らない人には、「生き方」も解らないのです。現代社会が息苦しい(生き苦しい)のは、その部分をみんな避けて生きようとしているからです。

 

先ほど書いていただいた山形のカーブの端と端を、下部に円を描くようにして結んでください。指輪のような形になるでしょう。これが輪廻転生のサイクルです。山形の部分が、いわゆる「この世」での活動期間。しかしこれを終えても、あの世での生が続き、ぐるっと廻ってまた次の誕生へと繋がっているのです。「魂」は、この円環状を連続的に生き、少しずつ霊的成長を遂げながら、スパイラル状に旅を続けて行くのです。

 

乳幼児期と認知症期では、「脳」がうまく機能していませんので、その「魂」の霊性の発達の度合いというものがもろに出ます。乳児はまだ自分ひとりでは動けませんが、幼児を観察していますと、2歳くらいから個性が見え始めます。それは、その「魂」が今世に持ち越して来た自分なのです。

 

一方、認知症の人の中には、暴言を吐いたりする人もいるかと思えば、終始ニコニコしている人もいます。それは、その「魂」の、現在の霊的な発達段階を示しているのです。社会の中で取り繕って来た蓋の部分が外れてしまったので、今の「魂」のあり方そのものが表出しているのです。

 

周囲にいる人たちは、そのメカニズムをよく理解した上で、どの「魂」にも同じ労わりの心を持って接してあげてください。なぜなら、発達段階に違いがあるとは言え、どの「魂」もみな等しく神の子なのですから。それが神の視点なのですから。そして、その「魂」が、少しでも霊的に向上して行けるように手助けしてあげてください。それがあなたの役割です。存在意義です。

 

具体的には、もどかしい気持ちをなだめてあげて、本当の自分(魂の自分=真我)を見つめ直すように促すこと。そしてその奥には「神我」が繋がっていることを繰り返し話してあげてください。遅くはありません。「魂」には、いつでも聞く耳があるのです。ヒーリング・ミュージックをお聞かせするのもよいです。

 

そのようにして、その人にチャンスを与えてください。真理を理解しようとせずに人生を過ごし、霊的な学習をずっと避けて来たからこそ、その人は今そうなっているのです。人間、いよいよとならなければ、簡単には目を覚まそうとはしないものです。その人は、認知症というギフトを頂いて、認知症のもどかしさを経験する中で、ようやく「魂」の学習を始めようとしているのです。

 

また、このチャンスは、本人だけではなく、周囲にいる人たちにも与えられています。何度も書いて来たように、人間関係とは、つねに両者の間にあるものであり、どちらか一方ということは無いのです。認知症を患っている人は、そのもとでの課題を生きることになりますが、それをお世話してあげる人も、お世話してあげるところに自分の課題があるのです。これは認知症だけではなく、すべての看護、介護についても同じことが言えます。

 

そして、「How Can I Help ?」という課題を、あなたは、ご自分の意思で、自由に選び、行動することが出来るのです。たとえば、

 

・いやだから、やらない。

・いやだけれど、まあやってみる。

・あれこれ考えずに普通にやる。

・喜んで、楽しんで、やる。

 

目標をどこに置くかも、あなたの自由です。

宇宙には、罪も罰もありません。

すべてが、あなたの自由意志。あなたに任されているのです。

 

さて、あなたの自由意志は、どうすることを選びますか?

静かに内観をして、自分があの世でして来た約束を思い出してみてください。

そう、それですよ。では、行ってらっしゃい。

“hate”ということについて

選挙戦が今たけなわです。選挙は短期決戦ですので、何者かへの「憎悪」を前面に打ち出し、人々の心に宿る「ヘイトしたい」という気持ちに火を点けた候補者が、一時的に多くの票を集めて勝利する場合があります。しかしこのような人物や政党は、長い目で見れば、目標を達成することは出来ません。

 

すべては「波動の法則」によります。「波動の法則」というのは、現象面で見た場合には極めてシンプルなもので、同じ波長どうしは共鳴し合うというものです。これは見近にあるギターなどの楽器を奏でればすぐに解る理屈です。弦を弾くとギターが鳴るのは、胴の共鳴箱が弦の振動を増幅してくれるからです。もし共鳴箱が無かったとしたら、弦を弾いても微かな音しか聞こえません。

 

さて、この理屈が解れば、「ヘイトしたい」という気持ちを集めたグループが、長期的には決してうまくは行かないという理由も解るでしょう。「○○をぶっ壊せ」とか「○○をやっつけろ」と言っている人たちは、同種の波動を持つ人たちを集めます。当初はよいのですが、熱が冷めて互いの温度差が見え始めると、最後は集まった者どうしが互いにぶっ壊したり、やっつけ合うことになるのです。

 

何かを改革し創造するためには、確かにその前提として「破壊」が必要です。しかしそれは、次の理想実現のための、やむを得ぬプロセスとして、でなければなりません。「破壊」を目的にした「破壊」では、後には荒廃しか残らないのです。ですから、改革を叫ぶその言葉の奥に、どんな「理想」が語られているかを鋭く見抜くことが大切です。

 

狡猾で、霊性の低い権力者たちは、人々のこの「ヘイトしたい」という気持ちをしょっちゅう利用します。特定の「敵」を作っては、それへの憎悪を煽ることによって、人々の共感を我が方に引きつけようとするのです。その最悪な結果が、言わずもがなの「戦争」です。残念ながら、今もって多くの人は、特に若者は、そうした企みに簡単に引っ掛かってしまいます。

 

でも、先の太平洋戦争で犠牲になったのは、結局は誰かを考えてみてください。「鬼畜米英」と言って戦争に駆り出されて行った若者たちです。軍人軍属は230万人が亡くなったと言われていますが、そのうちの実に60パーセントは、なんと戦闘ではなく、マラリヤなどの病気や飢えで亡くなっているのです。なんてひどい話でしょう。自軍の上層部が描いた無謀な作戦によって、前途ある命を落としたのです。

 

さらには、一般民間人も内外地合わせ80万人が亡くなっています。戦争法では(そもそも、ここまではやっていいというのもおかしな話ですが)民間人への攻撃は禁止されているのに、アメリカ軍は日本の主要都市を原爆と焼夷弾によって焼き尽くし、多数の一般市民を殺戮しました。アメリカでは、この行為は、地上戦の突入によって失われる兵士の命を未然に救ったものとして正当化されています。

 

同様に日本でも、このような悲惨な結果をもたらした戦争の当時の立案者や遂行者たちの多くは、戦後になって裁かれることもなく(戦勝者が行った『極東国際軍事裁判』はありましたが、国内法では裁かれていません)、また総括や反省もなく、手のひらを返すようにして今度はアメリカに媚を売ることによって、政治や経済や学問の分野に返り咲き、再び権力の座に就いているのです。

 

よく、「現在の政治状況は、満州事変からのその後の日本にそっくりだ」などと言われます。歴史は繰り返す。「ヘイト」を焚きつけられて、その気になって、割りを食うのは、結局は若者たちなのです。小泉・竹中改革の時にも、「郵政民営化」「自民党をぶっ壊す!」という言葉に人々は熱狂しました。はて、それでどうなったでしょうか? 日本社会がぶっ壊れ、その後の若者たちは、ロスジェネ世代にされてしまったではないですか。

 

そもそも、他者を「ヘイトしたい」気持ちとは何なのでしょうか? 一体どこからそれが沸いて来るのでしょうか? これは、「承認欲求」の歪んだ形の表現なのです。人は、自分がこの世に確かに「存在している価値がある」と思えなければ、非常に生きにくいものなのです。極端な話、「価値がない」と思った時には、消滅願望まで生じてしまいます。

 

そこで、「あなたには、生きている価値があるよ」と、周囲から承認して貰いたいのです。この「承認欲求」というものは、普通であれば、コミュニティの一員として何かしらに役立っていると思うことで満足させられるのですが、現代社会に端的なように、分断され、コミュニティを失った人間には、そうした手段がないのです。

 

一方で、情報発信ツールとしてのネットメディアには、誰もが非常に簡単に参入することが出来ます。ネットメディアが無かった時代には、自己主張を発表することには大変な努力を必要としました。新聞や雑誌への投稿に当たっては、文章スキルをきちんと磨いて、さらには内容もキラリと光るものでなければ決して採用されませんでした。

 

ところが、現在のネット環境はそうではありません。検閲なしに、内容が陳腐であろうと、文章がメチャクチャであろうと、たったの一言であろうと、wwwwwであろうと、自己主張が可能な環境になったのです。この二つの要因が結びついた時に、「承認欲求」としての「ヘイト」が、歪んだ形の自己表現として一気に拡大して行きました。

 

しかしそれは、やはり「歪み」に他なりません。本人は、一生懸命自己表現をしているつもりですが、「ヘイト」する相手の褌を借りて、相撲を取っているだけです。ですからこれは、形を変えた「依存(addiction)」なのです。「ヘイト」する相手に依存してるからこそ、自分が成り立っているのです。その意味では、相手に感謝しなければなりません。

 

でも、そこが本人には分かっていないのです。「依存」することでしか、自己表現をする方法を知らない。他者の表現にはすぐに心を騒がせてコメントするけれども、自分から「私はこう思う」という主張はしない。それは、本当の自己表現ではありません。その気づきが、「ヘイト」する人たちにはまだ育っていません。

 

「オレという存在がここにいるんだぞー」と叫びたい気持ちは解ります。でも「攻撃性」という槍を投げれば、その槍はブーメランのように返って来て、結局は自分自身を傷つけます。顕在意識に沸き上がった暴発的な感情と、魂の深奥にある宇宙意識とが強く引き裂かれてしまうので、心が不安定となりイライラや苦痛がより増大してゆくのです。

 

ここで、「これじゃいかん」と気づいて引き返せば、一つの学習機会ともなるのですが、イライラや苦痛の原因が自分の性向にあると認めたくない人は、苦痛を解消しようとして、さらに「ヘイト」することにエネルギーを費やしてしまう。こうなると、その人はストーカーまがいの行為にまで及び、自分がいま何をしているのかさえ分からなくなほどの病的な様相を呈して行きます。

 

ここに、宗教的観念や、政治的観念からの「正義」のお墨付きが与えられると、「ヘイト」の気持ちが、信じがたいほどの暴走を始めます。そうやって、この集合意識が、あらゆる戦争や紛争を形づくるのです。先にも言いましたが、権力者たちは、このエネルギーを利用して若者を戦争に駆り立てます。その結果、使い捨てにされるのは、いつも若い生命なのです。

 

いったい何度同じ過ちを繰り返せば、地球人類は気がつくのでしょう。「ヘイト」の気持ちが、幸福を創造することはありません。「ヘイト」は破壊しかもたらしません。相手だけではなく、自分をも破壊してしまうのです。このような愚かな行為に、人はなぜそれほどにまで心惹かれ、夢中になるのでしょうか?

 

若者たちよ、目を覚ましなさい。自分たちが利用されているのが分からないのですか? 未来を創るのはあなたたちなんですよ。狡猾な権力者や欲ボケした老人たちの餌食になってしまって、一体どうするんですか? あなただって人から愛されたいでしょう? だったら他者を愛しなさい。それを、何が「ヘイト」ですか!

 

韓国、北朝鮮、中国憎し? 外交というものは、表に出たニュースを聞いて解るほど、そんなに単純なものではありません。はっきり言って、ニュース報道は大衆を操作するためのニセ情報です。そこには裏があり、裏の奥には影があり、さらにその奥には闇がある。そしてその闇には、地上世界を超えた魔界がつながっている。

 

この多重構造が、これまでの長い期間、人々を盲目にさせ、互いに反目をさせて来ました。表のニュースしか知らない人、裏情報を知っている人、裏の裏の影まで分かる人、その奥の闇の存在に気づいている人とでは、世の中の動向に関する理解度がまるで違う。ですから容易にはコミュニケーションが成立しません。権力者や闇の存在は、それを隠れ蓑にして、大衆を好き放題に操って来たのです。

 

しかし、いま宇宙から強い光が当たるようになって、隠されていた闇の断片がどんどん表に出て来るようになっています。でもどんなに裏を調べても、裏の構図は超複雑で、また手の届く場所でもありませんから、誰にも真実のほどは分かりません。ですから、そこを追究し過ぎて、ラビリンスに迷い込まないようにした方がよいでしょう。

 

それよりも、あなた方に、何が本物の情報かを見破るポイントをお教えして起きます。表→裏→影→闇と、人類支配の構造は多段階になるほど、見えにくくかつ複雑化して行きます。ところが、闇のさらに奥にある「魔界」にまで話が及ぶと、事が一挙に単純化してしまうのです。それを説明する前に、闇と魔界との関係を言っておかなくてはなりません。

 

「魔界」という、この言葉だけを見ると、オカルティックなものを想像するかも知れませんが(実際に闇グループと「悪魔教」と結びつけて語っている論者もおられますが)、私が言うのはそういうことではありません。闇の支配者にせよ、その他の人々にせよ、人間というものは「意識的存在」なのだということ。それが人間の本質だということです。

 

私たちが何かの「行為」をする。それは地上という物理的世界における見え方なのであって、その「行為」には、必ずそうしたいという「意識」が伴っているのです。「行為」という物理的現象は、実は幻影にすぎず、「意識」の方が本質だということです。そして「意識」というものは、無形の振動するエネルギーですから、「波動の法則」によって同種のものが引き合い、強め合うのです。

 

いま「魔界」と書きましたが、「魔界」というものがあるかと言えば、あるとも言えるし、ないとも言える。どういうことかと言いますと、それは非物質的領域における、「悪さをしたいなー」「人間どもを奴隷にしてコキ使ってやりたいなー」という思念の集合場所なのです。そこと、闇の支配者たちの意識とが繋がって協同しているのです。

 

したがって、地上にいる者たちが、こうした思念を強め合う行為を一切しなくなれば、思念の集合体の場はいずれ消えてしまいます。

 

さて、人類の支配構造は、いま述べたように、にっちもさっちも行かないほど多段階かつ複雑な様相を呈しています。ですが、その根本にまで遡ってしまえば、意外にも、原因は極めてシンプルな形に落ち着くのです。それは何かと言うと、これまでにも繰り返し語って来たように、「合一」か「分離」かというベクトルの違いだけなのです。

 

あなた方の意識が、「合一」へと向かえば、その「魂」は霊性を進化させます。けれども「分離」へと向かえば、その「魂」がする地上での体験は、負のカルマの積み増しとなるのです。これは、一者のもとから分かれて個別化した「魂」が、再び一者のもとへ還るという、旅のプロセスの、今どの辺りを学習中かという違いによります。

 

一者から分かれた「魂」は、当初は個別化した自由を大いに謳歌しようとします。その際に、個別化した「われ(=自我)」という存在を、周囲に認めさせたいという欲求を持ちます。幼い子が、自分が今している行為を「ねえ、見て見て」とよく言うじゃありませんか。あれです。しかし、これが誤って用いられますと、他人よりも自分の方がずっと優れている、他者の上に君臨したい、劣った奴らは蹴散らしたい、といった差別の感情を育てて行くのです。

 

しかしそうであっても、「魂」の深奥の部分では、依然として一者と繋がっているわけですから、内なるこの声を聞く耳のある人は、やがてそれが間違いだと気づき、生き方を修正して行くことになります。ところが、人知を超えた世界があるということを信じない人や、聞く耳を全く持たない人は、「分離」意識をどんどん増幅させて行ってしまいます。

 

このような段階にまだある「魂」は、奥深い「真理」に触れる経験が少しもありません。そのため、葛藤に悩まされることも、良心の呵責に苦しむことも、自分がした行為を反省することもないのです。

 

残念ながら、地球という惑星では、このような「魂」が権力を欲しいままにし、人々を支配下に置いて隷属させています。しかし前回にも述べましたが、これは決してそういう権力者たちだけの責任ではありません。みんなでそのような社会、そのような構造体を作り上げているのです。地球人類は、未だに小学校入学も果たしていない、と言われるゆえんです。

 

誰の心にも、ちょっとした優越感や、他者を小馬鹿にしたい気持ちや、物を独り占めしたい気持ちや、自分だけが助かりたいという気持ちや、今の地位財産を失いたくない、といった気持ちがあります。当然です。なぜなら、一者から別れ、個別化した「魂」となったのですから‥‥。ですから、そこは否定しようとしてもできません。

 

でもそこで、考えていただきたいのです。あなたはどっちへ向かうのかと。「分離」意識の増幅への道を歩むのか、それとも「合一」への進化の道を選択するのかと。これが、この地上で、あなたに与えられた「自由」です。どのような選択も、あなたの自由意志に任されているのです。そして、罪も罰もそこにはありません。

 

しかし、「分離」意識の強化への道を選択した「魂」は、その分だけ、一者への帰還が遅くなります。そして今回が、地球という惑星におけるラストチャンスなのだということに心を砕いてください。

 

なぜ地球に、不平等や、差別や、虐待や、支配があるのか?

 

それは、それとは真反対にある、究極の「愛」を知るため。

あなたとわたしは同じだという真理に気づくため。

生命はすべてが繋がっていて、永遠の連続の上に生かされているということを思い出すため。

 

だから、そのために「分離」というチャンスが用意されているのですよ。

友よ、そのラストチャンスを今度こそものにしなさい。

 

あなたの目の前に、その時々で用意された行動の選択肢を選ぶ時、それが、自分の中の「分離」意識に基づくものなのか、「合一」意識に基づくものなのかを、いつもいつも意識して自分に問い掛けなさい。外からやって来る言葉に惑わされることのないように。自分の内に入り、深奥に潜む真実の言葉に耳を傾けなさい。そうすれば、道を誤ることは決してありません。

 

このセオリーは、あなた方が霊的なメッセージを耳にする時にも当てはまります。神からの言葉と称して、不安や恐怖心を煽ったり、闘いをけしかけるメッセージを下ろす霊能者が今も後を絶ちません。ですが、それらはみな「魔界」と繋がったメッセージを「神からの言葉」と偽って下ろしているのです。

 

一者とは、宇宙のすべてを統括する存在です。「者」と表現していますが、人格的存在ではなく、どちらかと言えば「法則」と言った方が近いです。それを仮に「神」と呼ぶことにすれば、「神」がそのようなメッセージを発することは、絶対に絶対にありません。「神」は一者です。ならば、どうして自分で自分に恐怖を与えたり、自分で自分に攻撃せよと命じることがあり得ましょうか?

 

なぜ、そんなことをする必要があるのでしょう? もしそれが本当だとしたら、「神」はひどい分裂症を患っているということになってしまいます。

そうではありません。「神」は究極の「合一」です。だから「一者」と言われるのです。「神」は法則であり、愛であり、永遠の生命であり、全存在なのです。

 

実に簡単な理屈ではありませんか。それを人間たちはなぜ解らないのでしょうか? なぜ、自己保身や、忖度や、ヘイトや、暴力が、そんなに好きなのですか? それをすると楽しいのですか? 心がウキウキするのですか? 幸福感で満たされるのですか? そんなものよりも、真実の「愛」に触れた時の、「魂」の歓喜を求めなさい。

 

えっ、何のことか解らないですって? よろしい。その歓喜は、あらかじめインプットされているのですよ。あなたにも、他のあなたにもね。どの「魂」も、そのように造られているのです。ですから安心して、己が「魂」の素直な声に従いなさい。そこにわたしがいる。いつも、いつも、あなたを見守って。

 

だから、わたしの愛を受け取りなさい。そしてその愛を、周囲の人たちにも分け与えなさい。この世におけるあなたの承認欲求を、「ヘイト」などという馬鹿げた方向に向けるのではなく、周囲の人々を助けたり、役立ったり、喜ばせたりするものによって表現しなさい。それが、人類に多様性というものを与えた意味なのです。

 

あなたの健闘を祈ります。

地球のアセンションと政治

政治に関心を持ち、これに積極的に関わって行くことはとても大事です。なぜなら、私たちの生活は否応なく、政治が描く基盤の上に成り立っているのですから。その下では、あらゆる制度から、社会インフラから、ものの考え方や、行動原理までもが、政治によってコントロールされているのです。私たちは、そのことを普段ほとんど意識ませんが、実はそれほどまでに、そこに従属させられているのです。

 

精神世界に興味のある人の中には、ややもすると、政治的な事柄を、単に汚れている世界や俗事として決めつけ、そこを避けた生活を送ろうとしたり、神仏の加護をひたすら願う日常を送るという人が多いのですが、これでは本末転倒です。自分がなぜ地上に生を受けたのか、そこをよ〜く考えてみてください。地上でしか味わえない体験をするためであり、地上のカルマの世界に積極的に飛び込んで、行動することが何よりも大切なのです。

 

さて、このように政治は社会の基盤ですから、政治を司る地位にどういう者たちが就くかということは、人々の生活全般や、健康や、心のあり方に重大な影響を与えます。簡単に言えば、良い指導者がその地位に就けば、人々の暮らしは良くなり、悪い指導者が就けば、人々の暮らしは悪くなるのです。この良い・悪いは、利他的な発想をどれだけ持っている人なのか、あるいは利己的な人物なのか、ということに依ります。

 

現在の日本の政治のトップである内閣総理大臣のAという人は、類まれな人物です。後にも先にもこれほどの人物は珍しい。通算の在職期間が既に歴代3位を超え、1強と称されています。なぜこれほどまでに強いのでしょうか。それは、この人物が発する言葉には真実が一つもないからです。まるで、嘘で練り固めた金太郎飴のようなもので、どこを切っても嘘しか出てきません。このような人間は他にちょっといません。

 

2012年には「TPP断固反対。ウソつかない。ブレない。」と言っていました。「ウソつかない」と言っていたことが既に嘘なのですから、こうなると常人の神経では計り知れません。この人物が好きな言葉を借りれば、まさに「異次元」の存在です。でもこの人の内部では、それは「嘘」ではないのです。そうすることが、この魂のアイデンティティなのです。ですから「嘘」という自覚が全くありません。それゆえ、心が痛むこともなく、ずっと強者でい続けられるのです。

 

嘘でないならば、では何のか? それは戦略であり戦術なのです。ある目的、目標のために、その時々で繰り出す戦略・戦術。ですから、状況が変われば、戦略・戦術をその度にコロコロ変えていく。その時々で発する言葉には、何の論拠も真実性もなく、ただその場の状況で繰り出して行くだけです。人々には、それが嘘に見えるのですが、この人にとっては、それは戦略・戦術の行使に過ぎないのです。

 

こうした戦略・戦術の例を一つ挙げると、軍産複合体にとっての目的は軍産による世界支配であり、目標は武器を世界中に売ることです。そうしますと、このためならば何だってやるのです。もちろん嘘はつき放題。世界のどこかで、常に謀略による緊張状態を演出し、10年に一度は在庫一斉処分のための戦争を本当に起こす。そのためには「武力による平和」という、言葉自体が矛盾した思想さえも、人々に植え付け、信じ込ませていくのです。

 

A政権の目標は言わずと知れた「憲法改正」。ですが、驚くべきことに、目的は「政権維持」にあるのです。なんと手段が目的になってしまっている。そして「政権維持」が目的なのですから、そのためには何だってやるのです。アメリカさんに楯突くことは一切せずに、軍産の言いなりにもなる。三権分立をなし崩しにして手中に収め、第四権力のマスコミも抱き込んで、嘘で塗り固めた情報操作を行う。それらは全部、「政権維持」のための戦略・戦術なのです。

 

こうした結果、「波動の法則」によって、政権中枢には同種の波動を持つ人しか集まらなく(集まれなく)なっているのです。類い稀な嘘つき首相の周囲には、今や、嘘つきと、ゴロツキと、狐憑き(特定の信念に取り憑かれた人たち)しかおりません。内閣、政権与党、政府、マスコミは、結託して犯罪者集団と化しています。その犯罪者集団にすっかり操られてしまっていることにさえ気がつかない、というのが今の日本国民なのです。

 

さてここで、現内閣総理大臣の名前をAとしたのには訳があります。この構造にある本質を知っていただきたいからです。Aはアルファベットの最初の文字です。すべてはここから始まります。この頂点からは末広がりに2本の棒が伸びています。中央にある横棒は、嘘つき、ゴロツキ、狐憑きの(三ツキ集団)グループで、その下には台形が広がり、これらを統治しているという構図です。ですが、頂点の三角形部分には別の人間がいて、それ以下を握っているのです。

 

三ツキ集団は、類い稀な嘘つきの資質を持った人間を首相として神輿に担いだ、もっと上からの雇われグループに過ぎないということです。これらを操っている者たちがいる。そして、さらにその奥には闇の存在がいる。A首相はその操り人形に過ぎません。A首相の強さは、操り人形としては、他の人には真似の出来ないズバ抜けた資質を持っていたこと。何しろ嘘をつくことがアイデンティティそのものですから、良心の呵責というものが一切生じないのです。

 

ですから、普通の神経ならば、胃に穴が空いているような状況に追い込まれても、平気でゴルフや外遊に興じることが出来るのです。しかも、自分で考えた言葉や理想を全く持ちません。これは操る側からすれば、この上なく貴重な存在です。演説はすべて誰かが書いた原稿の棒読み。しかもそのことを恥じない。ですから、この政権が長続き出来たのです。でもそれも、利用価値がある間だけの話。利用価値が無くなったと見れば、すぐにポイ捨てされてしまうことでしょう。

 

そもそも、「分離」意識を下敷きに持つグループが、人類を完全に支配することなどは、論理的に言って不可能なのです。なぜなら、ベースにあるものが「分離」ですから。このようなグループは、利害が一致している間は仲良しこよしを続けます。ですが、ひとたび逆風が吹けば、必ず、言い逃れ、責任のなすり付け合い、裏切りが内部から始まります。「分離」意識による支配が、その人たちに共通した根本理念だからです。

 

世界を One World に統一する理念は、やはり「愛」以外にはあり得ないのです。

 

よく、「Aという人物は、国を売り飛ばし、これだけ酷いことをして来て、それ相応のカルマの報いというものは受けないのでしょうか?」と訊かれます。もちろん受けますとも。「カルマの法則」は絶対的なものですから。ですがそれは、みなさんが想像しているようなものとは違うのです。Aという人物は、Aという人物が、周囲に為した行為に対してのカルマをいずれ清算することになる、というだけの話です。

 

国家権力者としての地位の影響力が、非常に大きいように見えても、Aがたった一人で、そのような政治をすることは出来ないのです。Aが直接的に影響力を行使できるのは、せいぜい十数人。あとは、組織や、利害や、忖度や、飴玉が、このシステムを動かしているのです。ですから、そこに加担する人たちみんなで、そのような悪政をせっせと共同制作しているということです。決してA首相一人のせいという訳ではない。もちろん有権者や、国民のすべてが関わっています。

 

実にここが肝心なところで、この構造を理解し、反省しなければ、人類は次の時代へとジャンプすることは出来ません。悪政に賛同する人には賛同する人の責任があり、付和雷同する人には付和雷同する人の責任があり、無関心な人には無関心な人の、それぞれの自分の行動というものへの責任があるのです。これが、各々のカルマとなるのです。そしてこれらがちょっとずつ寄り集まって、国のカルマを形成しているのです。

 

最近になって、「A政権打倒」を叫ばずに、自分が考える「理想社会」のビジョンを、ハッキリ提言する活動家が増えて来ました。これはとてもよい傾向です。宇宙のすべては、波動(振動するエネルギー体)から成り立っています。「打倒」を叫べば、その闘争心が沸き起こす粗い振動のエネルギーが、相手側の同種のエネルギーを増幅することになるのです。殆どの人が、こうした法則を知らなために、人類は同じ過ちを何度も繰り返して来ました。

 

けれども、「それじゃダメだ、今までと変わらない」と、直感的に気づく人がどんどん増えています。潮目がいま急速に変わりつつあります。古い政治システムや、既成政党の枠組みの中でいくら政権交代を訴えても、そんなものはもはや時代遅れなのです。政治システムそのものや、お金の概念や、教育や医療の枠組み自体が大変革しなければならない時を、人類はいま迎えているのです。

 

その「予感」のある人が、世界中でいま続々と立ち上がっています。日本は、残念ながらトラック2周遅れくらいのところを走っているのですが、でも世界が変われば、日本もいずれ変わらざるを得なくなるでしょう。もっと広い視野を持つことです。「A政権打倒」を叫んで、仮にこれを打ち倒したとしても、古い政治システムがそのままならば、単なる操り人形のすげ替えに終わってしまいます。アメリカ合衆国の、大統領の交代を見るように。

 

そうではなくて、新しい理想社会のビジョンを語ることが大事なのです。それを夢想し、周囲の人たちと語り合うことは、あなたにも出来るはずです。それが、政治への参加です。不平不満や愚痴を言うのはおよしなさい。それよりも、万人が、不安なく、健康で、平和的に、日々伸び伸びと生き、自分の才能を活かし、周囲の人々にも喜びを与えられる理想の社会を、まざまざと胸に思い描きなさい。

 

そして、それを実行に移しなさい。あなたがいまこの瞬間に出来ることから。

Now!  Be here.

 

地球のアセンションが既に予定されたことだとしても、そのあり方は、人類の今後の行動に託されています。集合意識が変われば、そのあり方も変わるのです。ややもすると、精神世界に興味を抱く人は、これも「予言」ばかりに興味を集中させて、自分がどう行動するかということを考えない、受身的な傾向の人が多いのは困ったものです。繰り返しになりますが、それでは全くの本末転倒です。

 

霊性の向上は「行動」によって試されるのであり、ただ拝んでいるだけでは、その機会を活かせません。カルマの原意は「行為」です。ですから、「行動」することは、すべてその魂のカルマとなります。カルマを恐れて「行動」しなければ、今度は「行動」しなかったというカルマになるのです。これは最悪ではないにしても最低です。なぜなら、生まれてきた目的がまるで果たせないのですから。

 

ですから、この地球のアセンションの機会に、あなたの霊性も同時に向上するように図りなさい。そのためには政治に積極的に参加しなさい。今までの奪い合う政治から、分かち合う政治へと大きく意識を切り替えなさい。人類のジャンプは、「愛」に基づく行動によってしか実現できません。一人ひとりが、「愛」をベースに行動することで、その集合意識が波紋のように世界に広がるのです。

 

希望を持ちなさい。そしてあなたも、地球のアセンションに貢献して行けるように図りなさい。先ずあなたがアセンションすれば、次には他の人たちを手助けしてあげることが出来るのです。それがどんなに貴いことか、素晴らしいことか、そして喜びに満ちたことか、解りますか?

 

ピンと来てない人にはまだまだ道が遠いね。今までわたしがなんと言って来たか、思い出してください。繰り返し、繰り返し言ってきたこと。あなたはわたしであり、わたしはあなたなのですよ。すべては一つ。そこに「分離」はありません。ですから、他者を助けることは、自分を助けることであり、他者を傷つけることは、自分を傷つけることなのです。それを知って、なおも他者を傷つける道を選ぶのですか?

 

今こそ本当の喜びに目覚めなさい。人類を長きに渡って拘束して来た、この牢獄のようなシステムを破壊するのです。あなた自身の意思の力によって。

 

あなたの「魂」は、本来的に自由なのです。

お願い

ブログに書かれているメッセージの発信主体と、私(このBlogの管理人)とを同一視しないでください。私は単にパイプ役を果たそうとしているだけであり、ごく普通の人間です。それもどちらかと言えばヘナチョコの。私に興味をお持ちになっても、裏切られた思いになるだけです。

 

それよりも、メッセージ内容そのものに関心をお持ちになってください。メッセージが繰り返し語って来たのは、自分の内に光を見い出しなさいということと、自分の意志で行動しなさいということです。あなたに響く言葉が、もしもメッセージの中にあったなら、それは、今このタイミングに、ドンピシャリで天が直接あなたに送ったものと解釈してください。