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喪失のレッスン
「私、ここで死ぬの?」
8年前のその日、日の出町のホスピスにタクシーが到着すると、窓外に立つビルを見上げて、そうカミさんが呟きました。
私はちょっと考えてから、「うん、そうだね」と小声で答えました。他の言葉も探しましたが、うまく見つかりませんでした。

日の出町のホスピス(正確にはホスピス部門もある総合病院)に入れることが出来たのは幸運でした。その2ヵ月前にKO大学病院を退院させられてからは、行く当てがなくなってしまいました。いわゆる癌難民です。まさにノックアウト状態。

それからは近くの外来の診療所に行って、その助けを借りながら自宅で私が点滴の交換などをしていました。でもそのうち、膨らんだ癌で胃が完全に閉じてしまい、1時間ごとにゲーゲー吐くようになったので、本人も「もう限界だね」と言っていました。

KO大学の先生からは「ここは治すための病院だから」と言われ、「あとのことは、ここの系列病院もあるから、看護師さんから話を聞いて」と指示されました。結局、看護師さんからは、病院名のリストを書いた一枚のコピーを渡されただけでした。

そのリストにあった病院に問い合わせてみて、やっとその時置かれた状況というものが解りました。入院先は一つも見つかりませんでした。ホスピスはどこもいっぱいで、予約が3ヵ月待ちだと言うのです。

それを聞いて、考え込んでしまいました。はたしてホスピスを、予想された死の3ヵ月以上前の時点で予約できるものかどうか。これは難しい決断です。でも、いま入院されている方たちは、その難しい決断をみなされた人たちなんですよね。

「限界」を迎えて、いよいよ困った私は、インターネットを頼りにどこか受け入れてくれるところはないかと探しに探しました。そして、ロンヤス会談で有名な日の出町にホスピスがあることを知ったのです。

問い合わせてみると、もしかしたら空きが出るかも知れないということで、とりあえず面接に行きました。面接審査に通らないと、入院ができないのです。一応それをクリアし、空きの連絡があったのは、死の一週間前でした。ギリギリ間に合ったのです。

一般の病院とホスピスとでは何が違うかと言いますと、いわゆる緩和ケアのノウハウが全く違うのです。入院してすぐ、1時間ごとに吐くという症状は治まりました。それと、充分とは言えませんでしたが、心のケアを行うプログラムも用意されていました。

8年前の私は今と違って、「死」のことをそれほどよく解ってはいませんでした。今なら、もっと違う対応が出来たんでしょうが、その時はそうするしかなかったのです。初体験だったんです、私も。でも都会から離れて、静かな環境の中で共に一週間を過ごせたのはありがたかった。

病室を掃除に来たおばさんが、何も知らないのか、掃除をしながらこう呟きました。「ここの病棟、変なんですよね。患者がしょっちゅう変わるんです。」私とカミさんは、思わず(この人、困ったちゃんだねぇ)と顔を見合わせました。

入院して5日め、日中に雨が降りました。でもすぐに雨は上がり、強い日が射して来ました。ふと窓外を見ると、鮮やかな虹が出ていました。「虹が出ているよ」と私は言い、カミさんを車椅子に乗せて窓辺にまで運び、一緒にその虹を眺めました。

カミさんもじっと虹を見つめていました。その横顔が今も忘れられません。スッキリしていてなにか神々しい美しさに満ちていました。私は思わず言いました。「君って、本当にきれいな人だねぇ」会話をしたのはそれが最後でした。

そうやって、私は「喪失のレッスン」の最初の段階を受講したのでした。それからいくつかの段階を経て今に至ります。一段階目のことを書きたいと思いながら、今まで書けませんでした。息子とも振り返って話したことがありません。でも今日こうして書けました。8年経ち「喪失のレッスン」もやっと次の段階に向かったということです。

あ、そうそう。笑えない笑い話があるんです。日の出町のホスピスにタクシーが着いた時、カミさんがこう言ったんです。
「このタクシー代、私のカードで払うわ」
意味がつかみかねている私に、続けて彼女がこう言いました。
「ポイントが付くから」

女ってやつはいったい何を考えているんだろう、と思いました。カミさんの死後、そのポイントはもちろん無効になりました。