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アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』と、地球のアセンション

NHK・Eテレの『100分 de 名著』は、毎回録画して観ている数少ないテレビ番組です。私は読書家ではないので、25分×4回の100分で「読んだような気になれる」この番組は、とても助かっています。進行役の伊集院光さんが文字通り光ってます。勘が非常に鋭くて頭もいいのに、嫌味がなく私は好きです。伊集院光さんじゃなかったら観続けていないかもね。

 

さて、その2020年3月は、「アーサー・C・クラーク スペシャル」でした。「スペシャル」と銘打った場合には、この著者の手になる本を毎回違ったものを取り上げて、都合4冊を紹介しています。

 

その2回めが今日ここで紹介する『幼年期の終わり』でした。この、わずか25分の番組を観た瞬間、私は「えーっ⁈」と声を上げそうになりました。例によって「これを見ろ!」と目の前に差し出された感じがしました。そして、今のこのタイミングに、「お前が解説しろ!」と命じられている気がしたのです。

 

しかし、コロナ騒動があったために、書くタイミングを見計らっていました。世間がそわそわし、みんなが浮き足立っているような心理状態では、せっかくの話も届かないと思ったのです。でも今がそのベスト・タイミング。まさにこの書は、いわゆるアフターコロナの世界を予言した物語だと言えます。今度の「コロナ・ショック」を、多くの人がおかしいと言い出しています。創られたパンデミックであった可能性が高いからです。今回、それが世界同時に実現された。明らかに、地球史の次のフェーズが始まったと言えるのではないでしょうか。

 

アーサー・C・クラーク(1917 - 2008)と言えば、スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』の共同原作者として有名です。

 

私はこれを、1978年に銀座のテアトル東京で観たのですが、この時の興奮は今も忘れられません。予告編が終わって、いよいよ本編となった時に、テアトル東京の大画面がさらにガーッと左右と上に広がったのです。うおーっ、凄い! 当時、70mmシネラマを上映できる劇場は、日本に2館しかありませんでした。その時が、私の70mmシネラマ初体験だったわけです。

 

圧倒されました。CGなど無かった時代に、よくぞここまでという完璧な映像描写。『2001年宇宙の旅』は、よく「SF映画の金字塔」といった言い方をされるのですが、私は、「これはSFなどではなく、宇宙を扱ったドキュメンタリーだ」とそのときに思いました。それほど「リアル」という感覚が突き抜けていたのです。しかしこれは、あくまで監督のキューブリックに対する賛辞であり、当時は、アーサー・C・クラークがどういう役割を果たしたかについては知る由もありませんでした。

 

小説を読む習慣がまったくといっていいほど無いものですから、クラークの小説も読んだことはありません。ですが何かの折、クラークが次のような発言をしていたことを印象深く覚えていました。彼は、地球外知的生命体の存在について、こう語っていたのです。「宇宙には、たくさんの知的生命体がいる。その中には、我々のような身体を持たない存在もいる」と。私はそれを聞いて、「この人は知っている」と直感しました。何を? 「本当のことを」です。

 

1999年より開始された「SETI」という地球外知的生命体探査の活動があったのですが、この3月31日をもって21年間の活動を休止しました。これはカリフォルニア大学バークリー校が音頭を取り、世界中のボランティアのパソコンを繋いで、宇宙から飛来する信号を昼夜を問わずに探索し続けるというプロジェクトです。でも、残念ながら成果は無かったわけですね。

 

私などからすると、これはアプローチ方法が完全に間違っていて、やはりこっちからあっち側を見ようとしている典型例だと言えます。ま、それはそれとして、しかしクラークは真実を知っているのです。

 

宇宙人とUFO問題については、いつか改めて書くことにして、クラークが著した『幼年期の終わり』の話に戻りましょう。この小説は1952年に執筆され、翌1953年8月に初版が刊行されました。ソ連のスプートニク1号の打ち上げが成功したのが1957年ですから、まだ人類初の人工衛星すら誕生していなかった時代の著作です。しかしその後、科学技術の進歩によって描写のいくつかに時代遅れの部分が生じてきたため、1989年と2001年の二度にわたって改訂版が出されています。

 

*日本語訳は、早川書房版、東京創元社版、光文社版があり、早川書房版は1953年刊行の旧版を元にしている。

 

本書の原題は『Childhood’s End』と言います。さて、この「幼年期」なのですが、これは地球の「幼年期」という意味なのです。そのことから、東京創元社版では、分かりやすさを考慮してかタイトルを『地球幼年期の終わり』と訳しています。ということで、ズバリこれは「地球のアセンション」を描いた物語なのです。驚くなかれ、今から68年も前の1952年にですぞ! 来たるべき世界の姿として、それがどのようなプロセスで進行するかを、クラークは寓話の形にして完璧に描き残したのです。

 

この解説は、たぶん私にしか出来ない。だから命じられたのだと思う。普通の人にはとうてい読み解けない。でも私には解る。なぜって、いつも自分が語っていることと同じ意味が書かれているから。しかし、どこの馬の骨とも分からない私が語ったところで所詮は眉唾物。だけど、こっちはなんてってSF界の巨匠、アーサー・C・クラーク様だぜ。ぜんぜん格が違います! ということで、そのアーサー・C・クラーク様が、何を書き残してくださったのかを、一緒に見て参りましょう。

 

本書を開くと、先ずは、扉ページの隅っこに付けられた奇妙なエピグラフ(断り書き)に、首を傾げることになります。そこには、こう書かれてあるのです。

「本文中に示された見解は、著者個人のものではない。」

えっ、なにこれ? じゃあ誰の見解だってわけぇ?

なんでわざわざこんな断り書きを‥‥?

 

1989年の改訂版に付けられた「まえがき」で、著者はその件について不可解な言い訳をしています。いわく「その少し前に “The Exploration of Space” を出版し、人類はやがて宇宙に広く進出するだろうと書いたのに、今度は “人類が宇宙を制する日は来ない” と主張する本を書いたわけで、短期間のうちに前言を翻したと思われたくはなかったから」だと。ですがそんなことで、わざわざこの断り書きを入れねばならなかったのでしょうか?

 

というのも、「人類が宇宙を制する日は来ない」と語っているのは、一人の登場人物(実際は宇宙人)のセリフとしてであり、その直前のセリフで「きみたちが太陽系の惑星を支配する日はいつか来るだろう。だが、」とも語らせているからです。これは今日の視点で見ても、異論の起きようがないことです。人類は、ボイジャー1・2号によって、太陽系の端っこまでを探査するレベルにはどうにかこうにか辿り着きました。しかし、その外宇宙はまだまだ未知のままです。それに、どだい無理! 物理的距離があまりにも遠すぎて。

 

著者は、さらにもう一つの理由を挙げています。1953年の出版から1989年に至るまでに経験して来た、超常現象やら、超能力、UFO、占星術、ピラミッドパワー、チャネリング等の「とにかく考えつく限りのデタラメの汚染」に対する嫌悪感です。「そうしたことに騙されやすい人々に、本書も寄与することになっていたとしたら残念だ」とクラークは語っています。こちらの理由は、前のものよりも理解できます。私も「ス」と聞いただけでコメカミが「ピリッ」とするほど嫌いですから。しかし、これは後付けされた理由です。

 

クラークは、暗に「そういうものとは一緒にしないで欲しいんだよな」と言っているように私には思えます。「だってこの見解のソースは、違うところから来たものなんだからね」と。

そして、私の見立てから言えば、アーサー・C・クラークという人物は、「宇宙」というものの〈拡張〉概念を、小説の形で人類に知らせる役目を持って、地球に派遣された、彼自身が「宇宙人」です。

 

「人類が宇宙を制する日は来ない」の「宇宙」とは、物質的な「宇宙」を指しているのではなく、広義の「宇宙」、つまり非物質世界を含めた「全宇宙」の意味なのです。そう考えれば、「きみたちが太陽系の惑星を支配する日はいつか来るだろう。だが、人類が宇宙を制する日は来ない」の意味が、すんなり解るのではないでしょうか。もしこれが物理的空間のことだけを語っているのなら、後の文言は「宇宙を」ではなく「太陽系外を」となるはずです。また主語も、「人類が」ではなく「きみたちが」の繰り返しになっていたことでしょう。

 

クラークは、おそらく抜群のテレパシー能力を持っていて、人類の未来に関する情報を、同胞である宇宙存在から受け取っていたと思います。

 

それでは、『幼年期の終わり』の中身について見て行きましょう。物語は、地球の主要都市上空に、巨大なUFOが出現して、しばらく経った時代から始まります。映画の『第九地区』や『メッセージ(原題:Arrival)』で描かれたような、強烈なパンチのある出だしです。というよりも、『幼年期の終わり』で描かれたこの描写が、その後のUFO映画のオープニング・パターンを創ったのです。

 

この巨大UFO群には、地球人が「オーヴァーロード」と名づけた宇宙人たちが乗っていて、すでに地球社会を平定しています。「Overlord」とは「lord」を超えたという意味ですから、日本語に訳せば「大君主」といったところでしょうか。しかし地球人は、ただ一人を除き、このオーヴァーロードを見た者が他に誰もいない。オーヴァーロードの正体は、完全に闇に包まれています。つまり、影の支配者の「実体」は謎のままなのですが、影の支配者の「存在」は、万人が既知なのです。

 

そのただ一人とは国連事務総長で、彼だけが定期的に宇宙船に招き入れられ、オーヴァーロードの中の総督との面会(実際にはスクリーン越しに声だけしか聞こえない)を許されて、その指示を得ながら地球社会を統括しています。つまり、闇に包まれている存在(宇宙人)の後押しを得て、国連統治による「世界政府」がそこに樹立されているのです。この統治下においては、かつての国家は、独立性を持たない、一つの地区行政単位でしかありません。

 

なぜそうなったのか? オーヴァーロードたちの知性と科学技術力が、地球人のそれを遥かに凌駕していたためです。彼らの前では、それまでの地球人の文明など、まるで赤子の手を捻るようなものだったのです。オーヴァーロードたちの実質的支配による「世界政府」が実現するまで、地球には様々な問題が山積していました。しかし「世界政府」の実現以降、人種差別や貧困や労働問題は、完全に過去のものとなってしまいます。戦争の記憶も、忘却の彼方へと消え去ってしまいました。

 

もっとも明らかな変化は、20世紀を象徴していた、何かに追いかけられるような世の中のスピードが、ゆるやかになったことです。人々から、無知や病気や恐怖が消えました。動物虐待もなくなりました。生産現場は高度にオートメーション化され、人間に代わってロボットが働いています。あらゆる日用品がタダ同然で手に入るようになり、人間は贅沢品のためだけに労働をするか、労働自体をやめてしまいました。代わって教育の密度が濃くなり、生涯教育が当たり前となりました。英語を話せない人間は一人もいなくなりました。

 

小型の空中自動車が普及し、移動が格段に便利になりました。いつでもどこでも世界中の情報をライブ映像で見ることも出来るようになりました。物を盗む必要がなくなったので、犯罪が一掃されました。また犯したとしても、オーヴァーロードの監視から逃れることは不可能であることをみな知っていました。宗教とは、新しい社会は完全に縁を切りました。怪しげな奇跡話に乗る人はもういなかったのです。清教徒的な異常な潔癖さを主張する性道徳も消え去りました。

 

このようにして、人類に黄金期が訪れたのです。自力では、かつて一度も実現することが出来なかった世界が。突如として。

 

みなさんはどう思われますか? 今まさに、それが進行しつつあるとは思いませんか。AI、ロボット、遺伝子操作、5G、監視社会、自動運転、ベーシック・インカム、デジタル・カレンシー(仮想通貨)等々、矢継ぎ早に繰り出される技術革新トレンド。そして「コロナ・ショック」を受けて一気に加速する、あらゆる「20世紀型モデル」の終焉。その変化の真っ只中に、われわれ人類が今いるのです。

 

コロナ騒動の比較的早い段階(3月26日)で、英国の元首相ゴードン・ブラウン氏が「世界政府」の設立を呼び掛けました。「これは一つの国で対応できる問題ではない。協調した世界的な対応が必要だ」と言って、強い権限を持つ世界的な「タスクフォース」をつくり、ワクチンの共同開発のほか、中央銀行による金融緩和や、政府による財政出動での協調、新興国からの資本流出の阻止などに取り組むよう世界各国の首脳に求めたのです。いささか勇み足だったものの、この先の狙いを露骨に表明していました。

 

今度のコロナ・パンデミックで、世界中のマスコミが軍産複合体の支配下にあるということがよく分かったと思うのですが、マスコミを軽信している人が大多数(pandemic ではなく infodemic だったと言われている)ですので、彼らの狙い通りに、人類削減計画、人類家畜化計画、中央銀行制度の破壊と世界共通デジタルコイン化、地球環境保全整備、そして世界統一政府の実現へ向けて、今後も着々と計画が進んで行くことになるでしょう。しかし、いつも言っている通り、それらもみな風景に過ぎない、ということは肝に命じておいてください。

 

『幼年期の終わり』に話を戻しましょう。宇宙からある日突如やって来たオーヴァーロードたちは、そのようにして地球社会を瞬く間にパラダイスに造り替えて行きます。オーヴァーロードたちが一体どのような姿かたちをしているのか、彼らが地球に来た目的や、最終的にやろうとしていることが何なのか、ということも人類にいっさい知らされることなく、時が進んで行きます。そして、世代交代が進み、いつしか旧世界のこともすっかり忘れ去られるようになったころ、オーヴァーロードがかつて人類と交わした約束が、遂に果たされる日がやって来るのです。

 

それは、50年後、オーヴァーロードが船を降りて人々の前に姿を現わす、というものでした。その登場の際の描写が次です。〈間違いようがなかった。硬い革でできたような翼、小さな角、矢印の形をした尾 ―― すべてが揃っていた。あらゆる伝説のなかでももっとも恐ろしい一つが、未知の過去から命を持って現れたのだ。ただし、それはいま、微笑みをたたえて立っていた〉。人類に、数々の “良い” 変革をもたらしてくれた宇宙人は、なんと西洋人が長年「悪魔」と呼んできた存在そっくりの姿をしていたのです。

 

なぜオーヴァーロードの姿が、人類が知る「悪魔」の姿そっくりだったのか。この理由として、二つの可能性が示唆されています。一つは、記憶の倉庫(いわゆるアカシック・レコード)というものは無時間の場にあるので、過去に生活していた人類が、未来に起きている出来事の記憶を引き出していたという説です。そしてもう一つは、オーヴァーロードたちが、過去にも地球に来た経験があるという説です。後者はボカされてはいるのですが、こっちの方が真実ということを暗に示しています。

 

それは、過去に二度あった、25920年周期の「地球のアセンション」チャンスにも来訪していたが、その時には「刈り取り(harvesting)」のミッションに失敗していたということ。「刈り取り」というのは、第五霊性密度へのジャンプが達成できそうな「魂」を見出して、手助けして掬い上げるということです。過去二回の来訪においては、Harvest できそうな「魂」が残念ながら見つからなかった。この失敗が、いわゆるアトランティスの水没といった伝説として残されているのです。

 

*以上は、本文中にそうした記述があるわけではなく、あくまで私による、他の情報との関連づけです。

 

ということで、オーヴァーロードたちがやって来た目的の一つが明らかにされます。それは危機に差し掛かっていた地球人類の救済です。

 

「このままでは、単に地球だけの問題ではなく、宇宙全体にその悪影響が及んでしまう危険性が生じたため、介入することになった」。これは地球にコンタクトして来る宇宙人の来訪理由として、様々なチャンネルを通じて繰り返し語られて来た言葉です。1960年代、70年代は、核戦争の具体的脅威がありましたので、私もこれは「核戦争」のことなのかな?と思っていました。しかし、仮に「核戦争」が起こったとして、どうしてそれが宇宙全体にとっても大問題となるのかがずっと解りませんでした。

 

広大無辺な宇宙からすれば、地球の「核戦争」など、線香花火にも満たない爆発でしょうに。なにしろ、たった一回の太陽フレア爆発が、水素爆弾10万発から1億発に相当すると言われているのですから桁違いです。しかも、宇宙に輝く星々、あれはみんな太陽と同じ恒星なんですからね。その数は無限です。ところが、今回『幼年期の終わり』を読んで、長年のその疑問がとけたのです。宇宙全体にとっての脅威とは、そのような物質的な問題ではなかったのです。

 

「核戦争」は、人類にとっては確かに滅亡への脅威です。しかしまだその先に二段階めの脅威があった。それは、オカルティズムへの偏向、偏重です。「魂」はその進化の過程で、第四霊性密度(いわゆる「四次元の河」)をくぐり抜けて、第五霊性密度へとジャンプします。しかし多くの人間が、一斉に第四霊性密度に進入してそこに留まったままでいると、その集合エネルギーがパワーを持ちます。霊的世界というのは時空間のない世界ですので、そのネガティブなパワーが霊界全体、つまりは「宇宙」全体の脅威になる、ということだったのです。

 

そして、その可能性は、現在の地球人の進化度合いから見れば、大いにあり得るということです。「時代の転換期には、必ずニセ預言者が登場する」と、これも古くから言い伝えられて来ましたが、どうでしょう? 脅威を強調し、恐怖を煽り、何かにすがるよう急き立てる「ニセ預言」のパワーが、一方でますます広がっているとは思いませんか? 人間はエキサイティングな情報にどうしても惹かれてしまうので、簡単にその術中にハマってしまいます。それが、その人だけの問題ではもはや済まない、宇宙全体の問題なのだということです。

 

さて、『幼年期の終わり』との関連で見たとき、この寓話から読み取らなければならない点は、隠れていた闇の支配者(大君主)が、実は「悪魔」の姿をしていたということの比喩です。これも、このブログでは、人類支配の構造は、表→裏→影→闇→魔と、順々に奥へと繋がり、最後は霊界に至るということをずっと言ってきました。そこで考えてみなければならないのは、「悪魔」が「善」なる社会の実現を人類にもたらすことになる、というプロセスに関する示唆なのです。

 

クラークは、単にドンデン返しの面白さを狙って、この設定を考え出したわけではありません。国連機関は、今でも「善」なる顔と、裏の「悪」の顔の両方を持っています。バチカンだって、マスコミだってそう。表の「善」と、裏の「悪」の両方の顔を持っている。戦争を仕掛ける者と、戦後復興を行う者は、実は同じです。貧困をつくり出す者と、人道援助を行う者も同じ。医療だってそうです。病気をつくり出す者と、治す者が同じなのです。

 

もちろん、各現場の当事者たちはそんなことは知りません。それぞれがみんな自分のミッションを遂行しようとして一生懸命にやっているのです。でも、大元の手綱を持っているところはみな同じ。彼らはAチーム、Bチームを闘わせるという手法だけではなく、人間が誰でも持っている「善・悪」の観念に介入し、これを刺激し、揺さぶりを掛けてコントロールしているのです。そうやって「善・悪」の二元性を上手に使って、「闇」グループはこれまで人類をコントロールして来たし、これからもコントロールしようとしているわけです。

 

ここで「ルシファー(Lucifer)」についても少し述べておきましょう。ルシファーというのは「堕天使」と言い、元々は天使の実力があったのに、天界を落っこちて悪魔の親玉であるサタンになったとされる存在です。「闇」グループを暴く活動をしている人たちの中には、「闇」グループの人たちがこの「ルシファー信仰」つまり「悪魔教」を崇拝している、と仰る方がおられるのですが、そうではありません。その考え自体が、キリスト教的な「善・悪」概念に取り込まれてしまっている。

 

そうではないのです。「闇」グループの信仰とは、キリスト教的な「神」概念そのものの否定。「実世界を動かすパワー」への信仰なのです。

 

そこで、彼らは、実世界を動かす二極性、二元性を最大限活用する道を選んだのです。

 

そうやって「善・悪」の両極端を支配してしまえば、その中間領域で「善・悪」に揺れ動く人間を、丸ごとそっくり支配してしまえることを発見した。ルシファーとは、天使でもあり悪魔でもあることの象徴なのです。

 

「正義」はダメだ、と何度も言って来たのはそれが理由です。「正義」の行使は、この「善・悪」コントロールの術中にまんまとハメられるということでしかないのです。そこで、これからの人間は、「善・悪」の裏側を見抜く眼をきちんと身につけていかなくてはなりません。と言っても、疑心暗鬼になれと言っているわけではありませんよ。「疑い」の眼差しは、その人の波動を著しく下げてしまいますからね。そうではなくて、そこには、ごく単純で明確な法則があるということです。ですから、それを知ってください。

 

それは「分離」と「合一」です。第三、第四、第五霊性密度は、二極性を学習する領域です。いま我々は、第三霊性密度の物質界に暮らしているのですが、周囲を見回してください。あらゆるところに陰陽の二極性が見られることにお気づきでしょう。これは、二極性があるからこそ、その間に新しいものが生み出されるという意味があるほかに、「分離」されているからこそ、「合一」を体験できるという意味もあるのです。ですから「分離」そのものが悪というわけではありません。

 

しかし、「魂」の進化のステップとしては、「分離」を充分体験した後に「合一」へと向かうというプロセスを必ず通るのです。例えば、憎しみから、許しへ、そして愛へ、というように。従って、その「魂」が霊的学習のどの段階にあるかは、「分離」と「合一」のどちらの要素が多いかを見れば、自ずと判断できるのです。これは、その人が出している波動を見れば即座に判ります。

 

さて、いま YouTube を見ますと、ありとあらゆる非難の応酬で溢れ返っています。その中には、義憤に駆られ、正義感から「悪」を叩くことに心血を注いでいるという人も多く見られます。それはそれで役立っている部分もあるのですが、大きな視点で見ると、やはり「分離」意識の中で語っている。言い換えれば、魔界お得意の「分離」意識に取り込まれている、と言えるのです。ですから、このような正義感を燃やし続けている人は、いつか必ずしっぺ返しを受けます。

 

これも、いつも言っていることですが、あなた方が目指すべきことは、「闇」に敵意を向けたり、「悪」を懲らしめたりすることではありません。そうしたところで、所詮は「善・悪」二元論の範囲内で闘っているに過ぎないのです。地上に生きている以上、誰の心の中にも「善・悪」の二極性があります。周囲の現実は、全部がその人の投影なのですから、「闇」や「悪」に闘いを挑んでいる人たちは、自分の中にある許せない「闇」部分や「悪」の部分と闘っているわけですね。つまりは自傷行為をしているのであり、それゆえ必ずしっぺ返しを受けるのです。

 

ジョン・レノンは、「世界は狂人に操られている」と言いました。でも、その狂人の指導者を打ち倒す必要はありません。自分がなぜ狂人の指導者に着いて行くのかを、各人が考え直せばそれでよいのです。

 

これを読んでくださっているみなさんには、是非ともその段階を超えていただきたいのです。それが、人類の明日への扉を開きます。それは、「調和」を目指すということです。光があれば影ができるのであり、影があるところ必ず光があるのです。光と影が揃ってこそ、一つであることは言うまでもありません。どうかこの原点に帰ってください。そして、いつでもどこでも「調和」を胸に刻んでください。争いなど実にツマラナイことです。詐欲でも憂欲でもなく、みんな仲良くを心がけてください。

 

「闇」グループに所属する「魂」たちというのは、「分離」意識の極端な道を歩んでいるのです。彼らにも彼らなりの理想があります。いわゆる「New World Order」。しかしその理想社会は、ごく一部のエリート層が、大多数の家畜人間を飼いならして、自分たちの思い通りに操ることによって平定した世界です。彼らの中には、「調和」という考えは芽生えていないのです。幼い「魂」というわけではありません。むしろ老獪です。彼らは、普通の人の中にある、中途半端さがイヤでこれを嫌ったのです。

 

しかし、ここで宇宙的な視点に立って、それらを眺めてみてください。その一方の極端さが、教師の役割を果たしていることに気づきませんか? それが理解できれば、この状況を、またこれから訪れるであろう変化を、あなたの「魂」の成長に役立てることができるのです。あなたが先行してそこに取り組めば、やがては人類全体の目覚めに寄与することが出来ます。

 

話を『幼年期の終わり』に戻します。オーヴァーロードたちの目的の一つは、そのようにして、人類の危機と宇宙の危機を同時回避することにあったのですが、実は隠されたもう一つの裏目的が存在していました。ユートピアの実現と見られた黄金期は、実は地球進化の通過点でしかなかったのです。彼らの真の裏目的とは、ユートピアの実現後に登場する、新しい人類の誕生を、今か今かと見守ることでした。旧い人類が滅び、新しい人類がすき間を埋めて行く。いわゆる「人類補完計画」が実現するかどうかです。

 

*作品中では「人類補完計画」の名は登場していない。

 

オーヴァーロードの意向を受けて国連が進める「世界連邦政府」の樹立に関しては、当然ながら反対もありました。彼らはテロリストと見なされていましたが、最終的には平定されてしまいます。これも、いま世界で起きている国家主義や民族主義の風潮を彷彿とさせます。一方で、これとは違った形の反逆者も登場します。それは、科学と芸術の自由な探求を目指すグループで、彼らには弾圧はなされず、「ニューアテネ」という自治区のような島が活動拠点として与えられるのです。

 

このエピソードも、「ああ、クラークは知っているな」と思わせられる点です。科学と芸術は、私もまさに同感する部分であり、その両方ともが、「宇宙」の実相をそれぞれの形式で表現できる分野だからです。「ニューアテネ」というコミュニティが形成されていった理由は、ユートピア社会が実現して、あらゆる種類の闘争や紛争が一掃された結果、創造芸術というものがすっかり衰退してしまったためです。なぜなら、創造芸術というものは、大部分が「葛藤の克服」をテーマとして描かれるからです。ユートピア社会では、その「葛藤」がもはやないのです。

 

ですから、管理されたユートピアからあえて距離を置き、自由な創造活動に身を投じたいと願うグルーブが生まれたのです。こうして人類は、ユートピアに暮らす、ある意味「家畜化」されたマジョリティと、それに抵抗し、独立性を一部保ちながら、伝統を守って自由な創造活動にいそしもうとするマイノリティとに分かれたのです。アフターコロナの社会では、おそらくこの通りに、人々が分かれて行くことでしょう。そして小説では、「ニューアテネ」のコミュニティの中に、新人類誕生の兆しが現れるのです。

 

それは26歳のジーン・モレルという女性で、オーヴァーロードの監視役が、「ひょっとしたら?」と目を付けます。けれども、ジーンはすでに26歳であったことから、本人自身ではなく、きっと彼女に関係した人物に違いないと目星を付け、彼女を引き続き監視下に置きます。この時のセリフが、「彼女のステータスを “カテゴリー・パープル” に変更する」となっている点に注目してください。「紫カテゴリー」、つまり「第七霊性密度の波動」で彼女を覆い支援するという意味です。

 

果たして彼女は妊娠し、続けて二人の子どもを産みます。この二人が、やがて新しい人類誕生の礎となるのです。この二人の子らは、生まれてしばらくすると、次第に奇妙な特性を示し始めます。予知夢を語ったり、子どもがいる部屋ではポルターガイスト現象が起こったり、そうかと思えば何時間もじっと座り続けたり、また何日も眠り続けたりするのです。子どもたちのこの少し変わった特性は、その後、加速度的に向上して行き、オーヴァーロードのモニタリングによると、宇宙の創生にまで遡った深い認識を得るに至るのです。

 

これを機に、全世界の10歳以下の子どもらに、まるで伝染病が広がるように同一の現象が起き始めます。オーヴァーロードが「トータル・ブレークスルー」と呼ぶメタモルフォーゼの始まりです。やがて子どもたちは、まるで夢遊病者のようになって、ボンヤリした表情のまま一斉に同じダンスを踊り続けるのです。子どもたちは、こうして「個」を失い、「統一意識体」へと変貌してしまうのです。番組ではこの時、果たしてこれはユートピアなのだろうか、という議論がなされていました。その問いかけは、半分当たっていて、半分違っています。

 

これはとても重要なポイントです。先ず違っている半分は、「そうなることが、果たして人間にとってユートピアなのか」ということではなくて、人類は必然的にそうなるのです。それは、既定路線の「帰還への旅」なのです。夢遊病者のようになるのは「瞑想」状態にあるからであり、そのもとで、全「魂」が統一体へと進化して行くわけです。しかし一方で、それがどうもハッピーな状態だとは思えないという予感もあります。それも間違ってはいないのです。

 

地上には、地上でしか味わえない苦痛と、同時に喜びがあります。霊界には、霊界の喜びがあるのですが、それは地上での喜びとは違った、パーっと心が澄んでホンワカ気分がじわーっとやって来る、といった静かな感じのものです。そうしますと、地上でのエキサイティングな喜びから見たら、どうももの足りない感じがするんですね。しかも、そうした気分に到達した経験もそれほどないわけですしね。

 

そこで重要な点は、地上でしか味わえない喜怒哀楽を、地上にいる間は充分に体験しておけ、ということです。『幼年期の終わり』には、終始一貫して、このテーマが間接的に語られています。「充分に楽しんでおけ世、でも君たちは、やがては統一体へと帰るんだから根」ということです。

 

さて、これに関連して、オーヴァーロードたちの運命に関して、重要なオチが付けられているのです。オーヴァーロードたちが宇宙で果たしていた役割というのは、まだ幼年期にある惑星に行って、彼らを支援し、幼年期を卒業させた上で、その中から更に「統一意識体」へと進化する生命の誕生を見届けるというものでした。

 

このミッションは、地球人からは、自分たちは「オーヴァーロード」と呼ばれていたけれどもこれほどの皮肉はなく、実は自分たちも上からの命令を受けて行動していただけなんだよ、と。我々の上には、更に「オーヴァーマインド」とでも言うべき存在がいるんだと言うのです。

 

この「Overmind」というのは、一般的には「Oversoul」と言われることが多く、日本語では「大霊」と訳されています。要するに「神」のことです。その「神」から司令を受けて、自分たちはミッションを遂行しているんだけれども、我々自身はもう子どもを産めないのだ、と言うのです。進化の袋小路に入ってしまった存在なのだ、と告白するんですね。

 

しかし地球人は違う。我々よりもっと超えた進化を遂げることが出来る。そして、それがうらやましいとまで言うのですから。

 

これはどういうことなのでしょう。「オーヴァーロード」は、「悪魔」の姿かたちを象徴しています。つまりは「闇」グループの親玉です。「闇」グループは、二極性の極端な道(図の赤矢印)を選択することで、支配的な人類統合を目指しています。それによって、第三〜第五霊性密度に至る二極性をクリアしてしまおうという戦略です。確かに、その方法でも、第五霊性密度には到達できる。しかし、その先の第六霊性密度に進むことはできないのです。そこで進化はストップです。

 

なぜなら、第六霊性密度というのは、二極性の学習を終えた領域だからです。

 

ここには、「調和」によって統合を実現した「魂」しか進めない。「分離」意識を抱えたままでは、そこで進化が止まってしまうのです。

 

『幼年期の終わり』には、それが象徴的な形で示されているのです。科学をどんなに進展させようとも、知識をどんなに拡大させようとも、文明をどんなに発展させようとも、「分離 / 支配」意識では、最終ゴールには到達できない。やはり「調和 / 合一」というルートを通ってしか「神」への帰還は果たせない。ゆえに中庸、中道を行けということです。

 

さて、メタモルフォーゼした子どもたちが、その後どうなったか? 子どもたちは、短期間のうちに第六霊性密度へと進みます。第六霊性密度には、神々とか、天使、ディーバ、マスターなどと呼ばれる存在たちがいます。この領域では、「魂」の個性はすでになく、同種の性質が集まって、特定の意識体を形づくっています。それぞれの意識体には、それぞれの役割があり、その一つに、星を創ったり、新しい生物を生み出したりするワークもあるのです。

 

メタモルフォーゼした子どもたちは、このワークを何度か練習した後、最後は役目を終えた地球を消滅させてしまうのです。凄いエンディングですよね。幼年期を終えた後は、「消滅」なのですからね。「消滅」、つまり物質界は卒業したということです。今日ここでした解説を聞かなかったとしたら、きっとワケが解らなかったことでしょう。不安に感じたかも知れません。

 

しかし、この小説が長年に渡って多くの人を惹きつけて来たのは、これが単にフィクションではなく、読み手の直感に訴えかけて、「ここには何かある」と思わせるものがあったからです。あの三島由紀夫も、原書で読んで感銘を受けたということですし。

 

いま進行しつつある世界的変化。その背後にはいったい何があるのか。裏の裏の、奥の、そのまた奥に、遠大な計画が隠されています。そのどこまでを知るかによって、人々の理解はまるで違います。しかし、これを読んでくださっているみなさんは、背後にある意味を知って、なぜアーサー・C・クラークがこれを書き残したのかに想いを馳せていただきたいと思います。

 

クラークは、最後の最後に、オーヴァーロードたちの悲哀と、対する人類の可能性を対比させて物語の行く末を描きました。

 

これから起こる状況を見るとき、この対比を、いつもちょこっと思い出していただければな、と思います。そうすれば、どんなピンチもチャンスに変えて生きることができるでしょう。