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初めてのサットサン ―― Q&Aに寄せて

前回の記事中にあった宿題に、投稿をしてくださった方がおられました。許可をいただいた上で、以下にこれを掲載いたします。

 

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「霊的成長への希求」に関する宿題について投稿致します。瞑想をした訳でもありませんし、全くの的外れで回答にもなっていないかもしれませんが、私なりに感じたことがありました。結論から申し上げますと、宇宙や魂が何故霊的な成長を図るのを止めないのかというのは、ひょっとして、「遊び心」(のようなもの)を持った「好奇心」「向上心」「探究心」(のようなもの)があるからではないかと‥‥。「遊び心」と言っても、決してふざけたり不真面目なのではなく、大真面目にそして「ユーモア」を持ってということです。

 

「霊的成長への希求」と「時間の罠」については、私も日々気になっていたので、記事を読み直し、しばらく悶々と考えました。行き詰まったので一度考えるの止めたのですが、slice of life の事がもう一度頭に浮かんだ時、ふと思い出しました。当たり前の事ですが、私は既に幸せなのだと。裕福ではなくても必要な物はちゃんと持っているし、何より愛されていると。ここ数日、体調が悪く疲れて気分が悪かったのですが、「あ、そういえば私幸せなんだった」と思ったら楽しくて疲労感などどうでも良くなり、筋トレをしました(笑)。

 

そしてまた気づき、思い出しました。これも当たり前だとは思いますが、私は成長が楽しいのです。心身ともに幾度なく病みましたが、それも含めてです。なにぶん若輩者ですので未だ悲しみや怒りや不安を感じますが、歳を重ね気づきを得ていくのは楽しいです。ひょっとするとこの「楽しみ」も魂が成長を希求する理由の一つとは言えないでしょうか。私も宇宙の一部であるなら、こんな私の戯言も少しは意味があるのかもしれないと思いました。

 

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ご投稿、どうもありがとうございました。初めての「サットサン」が、意図せずに起きたことを嬉しく思います。『気づきの啓示板』では、コメントもトラックバックも受け付けてはいないのですが、この方は、わざわざ「問い合わせ欄」を使って、宿題に対するご自分の見解を送ってくださいました。

 

「サットサン(satsang)」というのは、「真理との交流」という意味です。『気づきの啓示板』を始めて、もうすぐ8年になるのですが、前回質問をお寄せくださった方と、それに対する私からの応答と、今回コメントをくださった方とのリレーで、初めての「サットサン」がここに成立したのです。実際に出会わなくて、互いに名前を名乗らなくても、「サットサン」の場が生まれたのです。

 

なんて素晴らしいことでしょう。8年めにして。

けれども、今回の「サットサン」には、もっと深い意義があります。

 

ある時、セミナーに参加された方から、「私は長い間メンター(mentor:指導者)を探し求めていましたが、今日やっと出会えました」と言われたことがあります。完全な誤解に、一瞬とまどいましたが、私がその時、即座に返した言葉は「あなたは、『自分にはメンターなど必要なかったのだ』ということを、これから学んで行かなければなりません」でした。

 

メンター、マスター、グル、師。なんと呼ぼうとよいのですが、あなたの外側に「サットサン」の対象を見つける必要はないのです。あなたが、心底からアセンションしたいと願うなら、また本当の自由にたどり着きたいと切望するなら、師を求めて、グルグル回る必要などまったくないのです。

 

セミナーに行く必要もなければ、瞑想をする必要もない。ヒマラヤに行く必要もなければ、ヨーガを極める必要もない。どこかの教団に所属する必要もなければ、信仰する必要もない。マントラを唱える必要もなければ、戒律を守る必要もない。説教を聞く必要もなければ、聖書・聖典を読む必要もない。

 

ない、ない、ない。なにからなにまで、必要ない! 聖書・聖典に耽溺することは、むしろ害毒ですらある。なぜなら、あなたを「聖なる(holy)」という幻想に引き摺り込み、そこに固く縛りつけてしまうから。この際だからついでに言いましょう。信仰者が、「解脱」を達成することは不可能なのです。熱き信仰。それは、「自由(Freedom)」への最大の障害となってしまうのです。

 

あなたの師は、あなたの内に在る。常にあなたと共に在る。あなたが、たとえどんな状況にあろうとも、あなたの師が、あなたを見捨てることは絶対にない。だから、内なる師と常時会話することを習慣づければよいのです。沈黙する師との沈黙の会話をネ。ひとたび内なる師と会話する習慣を身につければ、あなたは、どこにあっても師を見い出すようになる。なぜか。それは、あなたの内なる師の、その場への顕現を見るようになるから。

 

これが、真の「サットサン」。

このたび質問をくださった方も、コメントをお寄せくださった方も、真の「サットサン」に挑戦されたのです。ああ、なんて素晴らしいエポックだろう。

 

あなたも真の「サットサン」を始めなさい。

これ以上、外に求めようとはせずに、これからは自分自身に頼みなさい。

沈黙に身を置いて、沈黙の声に耳を傾けるのです。

そして、そこで得たものを、他の人々と分かち合いなさい。