by Rainbow School
<< April 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< 激動の時代を生き抜くには | main | あなたが創る「現実」という名の幻術 >>
師の死の詩

「ラムダスが亡くなったよ」と、人から聞かされました。

昨年暮れのことだそうです。

「そうか、帰られたのか‥‥」と、ちょっとの間だけ思いを馳せました。

昨年も、別の方から「ティク・ナット・ハンが亡くなったよ」と聞かされ、

その時も同じように、我が師につかの間の思いを馳せました。

 

逝かれた日の事を、私は確認しようとは思いません。

ただ「ああ、そうか」と思うだけです。

型どおりのご冥福も祈りません。

誰のご冥福も、私は祈ることをしません。

死んでも死なないということを知っているから。

現に、師は私の胸の中に、今日も生きている。

 

ありとあらゆる合成麻薬を自身の体で実験し、

これじゃダメだと気づいて、方向転換の末に覚者となったラムダス。

私は、この師の、青空のように抜けたユーモアとセンスが好きです。

べトナム戦争で知人を皆殺しにされ、一時は、

地の底から沸き上がるような激しい怒りに震えたティク・ナット・ハン。

私は、この師の、許しに至った経過が好きです。

エイズに冒された人たちをケアしようと創った施設を、

二度までも焼き打ちにされてしまったエリザベス・キューブラー・ロス。

私は、この師の、不屈の闘志が好きです。

 

どの師にも会ったことはないし、どの死にも出会ったことはありません。

でも、どの師の意志も、私の胸に深く刻み込まれ、今日も生き続けている。

それぞれの師が果たした、今生の役割を想う時、かたじけなさに涙こぼるる。

 

昨年秋に、韓国ドラマの『ホ・ジュン』を再見しました。

Amazon Prime で、135話もある。

全部を見終わるまでに、3カ月掛かりました。

無頼の徒であった若き日に、師に激しい叱責を受けてから、

ただただ「心医」を目指すことを目標に、艱難辛苦を耐え抜いたホ・ジュン。

その死は、135話目に唐突にやって来ます。

疫病が発生した村に治療のために入り、自身も感染し死んでしまうのです。

その最期の瞬間まで、ずっと「心医」であり続けたホ・ジュン。

 

月日が経ち、夏草が生い茂った土饅頭の墓の前に、

ともに苦難の同じ道を歩んで来た、女医のイェジンが現れます。

見ると、傍らに弟子と思われる女の子を連れている。

その子が、イェジンに尋ねます。

「誰のお墓ですか?」

イェジンが答えます。

「私がずっとお慕いし尊敬していた方よ」

「何をしていた方ですか?」

「お医者様よ。あの方は、まるで地中を流れる水のような方だった。

太陽の下で名を馳せるのはたやすいわ。

難しいのは人知れず地中を流れ人々の心を潤すことよ。

それができる方だった。心から患者を慈しむ心医でいらしたの」

「その方は、イェジン様を愛してたんですか?」

「それは分からないわ。私が死んで地にかえり、水になって再会したら、

その時にぜひ尋ねてみたいわ」

 

この、実にあっさりした最期のシーンに、134話分を費やして描いた、

ホ・ジュンの波乱万丈がズシンと響いてくるのです。

まさに、それは人生そのもの。

 

その女の子は、もはやホ・ジュンを知らない。

でも、イェジンを師として、

この子もやがて「心医」への道を目指すことになるのでしょう。

そうやって、また次の世代へと志が引き継がれて行く。

 

一人の人間が、艱難辛苦を過ごした日々など、みな消え去って何も残らない。

でも、その人の周囲には、心に刻み、刻まれる瞬間瞬間があるのです。

 

師とは、存在ではなく、自分が見いだしたもの。

祖父母や、両親や、伴侶の中に。

親しい友人たちの中に。

そして公園で遊ぶ子らの中にもあなたの師はいるのです。

バーのマスター、総菜店のおばちゃんも、あなたの師かも知れない。

空にも、海にも、川にも、森にも、花にも、舞い落ちる木の葉にも、

そして小鳥にも、師を見る瞬間がある。

だから、アッシジのフランチェスコは小鳥との会話を楽しんだのです。

 

私も何も残さない。

名前すらもう不要。

私は私の今生の役割をただ果たすだけ。

 

友を師とし、師を友とする毎日を生きているから、私は幸福。

刻み、刻まれ、日々ともに成長して行けることの、この幸福。

かたじけなさに涙こぼるる。