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共に学んで来てくださった皆さんへ ― 掲載休止のお知らせ

この『気づきの啓示板』は、2012年の4月2日に第1回めがスタートしました。ということで、4月1日の今日でちょうど7年が経過したわけです。書き始めた頃にはさしたる目的があったわけでもなく、わずか10行にも満たない文章量でしたが、途中で何回かの感覚的な変化があり、どんどん体裁が変わって行って、最後は今のような形になりました。

 

実は一年くらい前にも、またもや感覚的な変化があったのですが、その感じをうまく言葉で表現することは出来ません。しかし、なんとなく「もう終わりかなぁ」とは感じていました。それからは、週1回のペースでメッセージを掲載して行くことの義務感と、「終わりかなぁ」と思うことのせめぎ合いの中で、取り敢えずは頑張って掲載を続けて来ました。

 

一時は、「一生続けよう」という気にもなったのですが、それが2週間ほど前に、突然「止めよう」に変わりました。その時、この4月1日で、ちょうど7年を終えることに気がつきました。「そうか、7年経ったのか。こりゃあいい」と思いました。7は神秘数で、一つの段階的終了を意味します。それが分かったら、なんだか気持ちが開放感で満たされて、晴れ晴れして来ました。

 

この一年間ほどは、1回分を仕上げるのに3日くらい掛かっており、やっと掲載を終えてほっと一息つくと、もう次のテーマを探さなくてはならないのです。書く前には、完全に一人きりになって「今、このタイミングで、人々に有益な、最も適切なメッセージをお授けください」とお願いしてから、インスピレーションがやって来るのをじっと待ちます。ですが、すんなり事が運ぶことは滅多にありません。

 

最初の1ブロックが固まるまでがとにかく苦しい。2時間、3時間経っても何も浮かばない時には、焦る気持ちも出て来て、余計に混乱してしまいます。そんな時に無理やり言葉をひねり出しても、後で修正されてしまうのがオチです。時には、一日掛かって書いた文章がそっくりゴミ箱行きなんてこともあります。だんだんコツを掴みかけて来てはいるのですが、最後まで、上手い方策は見つかりませんでした。これが私の限界なのでしょう。

 

けれども、この7年間で、私は多くの「智恵」を授かりました。この予期せぬ仕事を設定されたことによって、私は大いに鍛えられました。それは、私にとっては一つの行でしたが、その成果のおすそ分けを、世の中に出すことも出来ました。このブログの読者数は非常に少ないのですが、今まで熱心に読んでくださった人たちは、共に学習を続けて来た同志であると、私は思っています。

 

しかし、友よ。机上での学習の段階はもう終わりです。『虹の学校』も、次のステージへと向かう時が来ました。これからは、あなた自身が、実践的な生き方を通じて、周囲の人たちに、高い波動を投げ掛けて行くのです。いつまでも、他の誰かを通じて得られるメッセージに期待し続けていてはいけないのです。自信を持って、自分自身の内なる声に耳を澄ましてください。あなたには、それが出来ます。それでこそ本物。あなたは本物となります。

 

10年前、私は、そろぞれの接点が全くない3つのチャンネルから、自分の将来の役割について、同じことを聞かされました。いわく「“生き方”を説く人」になるというのです。「生き方」だってぇ? それを聞いた時には、全くわけが分かりませんでした。私は50代半ばを過ぎておりましたし、カミさんを亡くした直後で、仕事はないし、鬱だったし、そんなものがあればこっちの方が聞きたいと思っていました。

 

しかし、背中を押されるようにして始めた『虹の学校』の活動と、この『気づきの啓示板』ブログが4年めを迎えた頃になると、いつの間にか、本当に「生き方」についてを語り出している自分がいたのです。その時になって、自分が大変な誤解をしていたことに気づきました。「“生き方”を説く」というのは、この世的な「生き方」ではなく、霊的な「生き方」のことだったのです。

 

若い頃は、私も人並みに社会的な成功を夢見ていました。そして、そのための必死の努力もして来ました。ですが、何をやっても挫折の連続で、ついぞ報われるということはありませんでした。しかしその体験が、今になって大きな意味を持っていたことに気がついたのです。つまり、それは「チャンネルを変えろ!」という示唆を得ていたのですね。表側と裏側の。

 

実は、表が裏なのであり、裏が表なのだということです。これは、古代より言われて来た「真理」の一つなのですが、多くの人と同様、私も言葉としては知っていても、その意味を〈実感として〉掴んでいたわけではありませんでした。実に、ここがポイントで、霊的世界を全否定する人はもちろんのこと、肯定する人であっても、99.99パーセントの人が誤解している部分なのです。

 

どういうことかと言いますと、霊的世界を肯定したり大いに興味を抱く人であっても、その視点は、〈こちら側から、あちら側を覗き見る〉という立ち位置を、どうしても捨てきれないのです。すると、本籍地はあくまで「この世」に置いた中で、向こう側を見ようとするのです。そのため、そこから垣間見える世界は、不思議ワールドであったり、オカルトであったり、全部が、いわゆる超「常」現象になってしまうのです。

 

これが、人智を超えた特別な「価値」に見え、人々にエキサイティングな興味を抱かせるのです。嘆かわしいことには、ここに「この世」的な成功のスケールを当てはめて人々を誘う、自称「霊能者」がワンサカといるのです。けれども、これらは、全くの本末転倒と言わねばなりません。なぜならば、そうした視点は、エゴのために霊的パワーを利用するという、自分の「カルマの強化」にしかなっていないからです。

 

ですが、このことを、多くの人は理解できません。逆に言えば、それほど「この世」的な成功を夢見させる「カルマ」の力は、絶大だということです。そもそも、「この世」に生まれた目的を、〈霊的向上を目指すため〉と捉えている人は非常に少ない。加えて、そのためには〈得るのではなく、捨てるのだ〉となったら、その道に飛び込むのには、大変な勇気を必要とします。まさに、天と地が引っ繰り返るほどの、価値観の大転換です。

 

そこで、アセンション出来る人というのは、10万人に1人とか、100万人に1人となってしまうのです。いったい何がそれほど難しいかと言えば、高みを目指して、階段を昇る努力をひたすらするということではないのです。むしろ逆、階段をすっかり降りてしまうことだったのです。これが、〈生きることとは、社会的存在であり続けること〉と刷り込まれている現代人には、もの凄く難しいハードルなのです。

 

この『気づきの啓示板』で繰り返し語られて来たことの一つは、この〈社会的存在が自分だ〉という思い込みが、実は錯覚でしかないということに気づいてもらうことでした。そして反対に、これも繰り返し語られて来たことは、あなたの本体(非肉体的なもの)は、いついかなる瞬間であっても「自由」なのだということです。これこそが、まさに天と地が引っ繰り返る逆転なのです。

 

ところが人間は、実は表と裏が逆転しているのだということに気づきませんし、その意味も理解できません。そこで皮肉なことに、「社会的存在」であろうとして、自分で自分の自由を奪い、自分で自分を苦しめ、自分で自分を不幸にさせているのです。でも、「実は逆転しているのだ」ということにさえ気づけば、茶番劇ももっと有意義な演じ方ができますし、また、そういう人が増えれば、地球人は今度こそ、このカルマを清算できるのです。

 

もういい加減に、あなた方はこの逆転の「真理」に目覚めるべきです。あと20年。あと20年の間に、目覚める人から目覚めて行って欲しいのです。

そこで今日は、締めくくりのメッセージとして、今後の行動の指針にしていただくためのポイントをいくつかお伝えしておきます。

 

◉あなた方は「多次元的存在」

ここで言う「次元」は、何度も言って来たように、数学的次元を指すものではなく、宇宙全体を成り立たせているところの「振動するエネルギー体」を、振動数別に大きく7つに分けたものです。正式には「霊性密度」と言います。この振動数の違いは、階段状(算術級数的)ではなく、渦巻状(幾何級数的)に変化しているのですが、それを便宜的に7段階に分けて、各段階を「次元」と言っているのです。

 

7段階の階層は、音階のドレミファソラシに対応していることから「宇宙鍵盤」とか「オクターブ」とも呼ばれます。この他、虹の7色と対応して説明されたり、チャクラとの関係や、日月火水木金土の惑星との関係で説明されたりもしています。このように「7」という数字は、様々なところで見られる神秘数になっているのですが、そこで示していることは、宇宙の巨大構造というものは、実はたった一つの「振動するエネルギー体」の、振動数の違いだけで全てが成り立っているということです。

 

さらに注目すべき点は、人間は、この全ての次元(霊性密度)を、同時に所持している存在だということです。つまり、成り立ちにおいて、人間と大宇宙とは相似形を為しているのです。これが、ヘルメスが説くところの「下なるものは上のごとく、上なるものは下のごとく」の意味なのです。大宇宙(マクロコスモス)と人間(ミクロコスモス)とは、基本的に同じだということです。

 

大宇宙を大海に喩えれば、あなたは一滴の雫です。ほんとうに小さな小さな一滴の雫ではありますが、しかしその一滴の雫が集まって、大海を構成しているのです。しかもその一滴の雫は、間違いなく大海の同じ成分を有しているのです。そこで、もしも大海を「神」と呼ぶのであれば、「神」はあなたの外側にあるのではなく、紛れもなくあなたの内側に存在すると言えるのです。これが、異端とされて来た実は真実の神学なのです。

 

◉意識もまた多次元に存在する

さて、「多次元的存在」というものを別の視点から眺めてみましょう。それは「意識」です。あなた方の「意識」は、決して一種類ではありません。起きている時の意識と、眠っている時の意識、またウトウトしている時の意識には、明らかな違いがあることをあなたもお認めになるでしょう。実は、あなた方の「意識」は、これだけではなく多層階に渡ってあるのです。

 

それは、「存在」の階層構造と基本的に同じなのです。勘の言い方は、先ほど、大宇宙はたった一つの「振動するエネルギー体」の振動数の違いだけで成り立っている、と言った部分にピン!と来ることでしょう。そうです。「存在」と「意識」とは、実は同じものなのです。えっ、「存在」と「意識」が同じだってぇ? これは、地球に普通に暮らしている方からすれば、驚くべき結論であることでしょう。

 

今までに、そんな説明は聞いたことがないでしょうし、意味もまるで解らないでしょうから。あなた方の常識とは全く違いますからね。でも、こんな例を考えてみてください。あなた方は、宇宙が138億年前のビッグバンから始まったと聞かされます。すると「そういうものかなぁ」と思って、もし宇宙の誕生から今までを1日の時間にしたら、人類誕生は23時59分34秒過ぎだ、などと言って済ましています。

 

でも、ここにはパラドックスがいくつも隠れていることに気づいていません。仮にそのように始まったとして、始まる前はどうだったのでしょうか? 素朴な疑問です。また、空間が膨張したと言って、その模式図を描いたりしていますが、外側に描かれている “場” はいったい何なのでしょうか? あるいは、138億年前に誕生したという「存在」については、いったい誰がそれを「認識」出来たと言うのでしょうか? もしも「認識」出来る主体(それも存在)が無かったとしたら、「在る」ということの「認識」は不可能です。

 

よって、こう考えるしかありません。「存在」と「認識」とは、同時に、パラレル(並行的)に誕生したのです。当たり前です、元々が同じものなのですから。そして、それは「無」から誕生したのではなく、別の宇宙から絞り出されたのです。宇宙は、我々が認識できる「この宇宙」だけではありません。無数の別の宇宙があるのです。このようにして、宇宙は明滅を繰り返しながら、永遠の無時間を生きているのです。

 

◉自分の「意識」を意識して生活する

話を人間の「意識」に戻しましょう。人間が「多次元的存在」であるということは、「意識」もまた多次元に渡って存在するということなのです。ごく大雑把に言って、人間の意識は、三次元(心)、四次元(魂の下層)、五次元(魂の上層)の間で、たえず揺れ動いています。本当は、全部の「意識」を同時に働かせているのですが、フォーカスを与えている中心点がどこか一部に偏るのです。

 

*この他に、一・二次元、六・七次元の意識もあるのですが、通常の状態では知覚できません。

 

それはちょうど、アナログ式のチューナーの針を動かしているようなものです。あなた方は三次元的な「意識」だけではなく、四次元的な「意識」や、時に五次元的な「意識」をも活性化させています。そういう瞬間があるにも関わらず、普段そのことを全く意識していません。それは、そのような理屈を誰からも聞かされたことがありませんし、また多次元に渡ってある「意識」に、意識的にフォーカスを当てる訓練も積んでいないからです。

 

そのため、せっかく直感やインスピレーションを得ても、これを「気のせいだ」と思ってみんな無視してしまいます。その代わりに、肉体が知覚する三次元的な「意識」にだけは素早く反応し、そこで得た「認識」が本当の現実だと、強く思い込んでいるのです。近年、静寂な時が失われたせいで、この傾向がますます強まっています。しかし、事実は全く逆で、それらは全て幻なのです。本当のあなたの「認識」は、肉体的な知覚を超えた領域にあるのです。

 

なぜかと言えば、肉体的な知覚によって生じた「意識」は、肉体の消滅と同時にみんな消えて行ってしまいます。ところが、その体験から解釈した「認識」の一部は、四次元的「意識」や五次元的「意識」に変換されて蓄えられるのです。これが、いわゆる「カルマ」となり、あなたの「霊魂」にアイデンティティを付与します。そして、この「カルマ」を清算するために、また地上に輪廻転生して来るのです。

 

ですから、このメカニズムをよく知った上で生きれば「生き方」が違ってくるのです。確かに「この世」は生きにくい。不正や、不条理や、暴力が横行しています。けれども、あなたが自ら望んで誕生して来たことです。そこには目的があるのです。ですから、地上世界を全否定してはなりません。地上でしっかり生きながらも、三次元的な「意識」には出来る限り囚われることなく、いつも五次元的な「意識」を働かせながら行動して行く、ということが大切なのです。

 

そして、それは可能です。例えば、草取り一つする時でも、三次元的「意識」にフォーカスを当てるのではなく、五次元的「意識」にフォーカスを当てながら同じことをしていくのです。そうすれば、あなたの「意識」には五次元的エネルギーが流れ込み、あなたをハッピーにしてくれます。幸福とは、条件ではありません。幸福だと感じている「意識」状態です。あなたの「意識」がそうなれば、周囲の景色がきっと輝いて見えるはずです。

 

三次元的「意識」が生み出す感動と、五次元的「意識」が生み出す感動は、全く異質なものです。この違いを、よ〜く感じ取って区別しなさい。三次元的な感動は「感情」が生み出した感動です。けれども、五次元的な感動は、本質と出会った際の「魂」の震え(バイブレーションの共鳴)なのです。「これだ!」「ここに真実があったのか!」という。あなたにも、きっと経験がおありでしょう。嬉しいわけでも悲しいわけでもないのに、ただ涙が溢れ出て来たということが。

 

◉「瞑想」を習慣化し、高い波動を固定する

そして、このような「意識」をコントロールする訓練が、いわゆる「瞑想」なのです。ですから「瞑想」は、霊的向上を目指す者にとっては、必須の生活習慣です。「瞑想」習慣を日常的に取り入れて習熟すれば、「意識」のコントロールが次第に出来るようになり、「心」の暴走にも悩まされることがなくなります。そして、やがては、内なる真実の声に、耳を傾けることが出来るようになることでしょう。

 

でも、そうなるためには、何より静寂の中に身を置かなくてはなりません。小川のせせらぎを聴いたり、月夜に鈴虫の鳴き声を聴いたりしていた時代とは違って、現代社会ではこんなことすら非常に難しいのです。街もお店も絶えず騒音で溢れ返り、メディアはひっきりなしに暴力的で刺激的な情報を垂れ流しています。多くの人は、もう麻痺してしまって解らないのでしょうが、これらの波動はもの凄くザラザラ、トゲトゲしているのですよ。

 

それらの粗雑なバイブレーションに休みなく晒されて、今や現代人の心はズタズタに傷ついています。結果として湧きあがる不安感を、なんとか埋めようとして、さらに情報の虜になって行くという悪循環。しかし情報は、決して心のスキマを埋めてはくれませんよ。むしろスキマに入り込んで、傷口を押し広げます。あなたの心のスキマを埋めてくれるものはただ一つ。その奥にある、心を超えたチャンネルだけなのです。どうか、そこに目を向けて欲しい。

 

チャンネルが開いた時、あなたは、自分にも周囲にも、高い波動を送り出せる存在となっています。「何を為すか」は問題ではありません。「どのように為すか」が重要なのです。あなたは、あなたの特性を活かし、ご自分が出来ることをすればそれでよいのです。全てのことを、自分一人で出来る人間は誰もいないのです。誰もが支え合って存在しています。その時に、自分が為す行為に、いつも高い波動を載せて行うということが、何よりも大切なのです。

 

そうすれば、その波動が、周囲の人々に影響を与えます。全ては「波動」です。「波動の法則」によって展開しています。あなたが高い波動を出せば、周囲に高い波動が伝播し、あなたが低い波動を出せば、低い波動が伝播して行くのです。実に簡単な理屈です。しかし人間は、その簡単な理屈を知りません。そのため、故意に、刺激的な「低い波動」を出す者たちによって、コントロールされてしまっています。

 

◉激動の時代を、高い波動で生き切る

これからは、これまで以上の激動の時代に突入します。その時に、あなたを狙う罠に、簡単に引っ掛からないようにしてください。と言っても、怖れることはありません。むしろ「怖れ」そのものが罠なのですから。不正や、不条理に対しては、黙認するのではなく、きちんと向き合い声を挙げてください。でも、闘争は勧められません。なぜなら「闘争」そのものが、波動を低める罠なのですから。

 

ひとから、どんなにバカにされても、蔑まれても、罵倒されても、叩かれても、蹴られても、あなたは、どこまでも「愛」に生きてください。『北風と太陽』のあのイソップ寓話を思い出しましょう。闘うのではなく、愛のエネルギーによって、固まった結び目をほどくのです。ご自分の底に流れる、この力を信じてください。

 

この道を歩く者には、この世的に言って良いことは少しもありません。むしろイバラの道です。けれども、あなたは既にご存知のはずです。自分が、そうせずにはいられないことを。そのイバラの道を行くことが、自分の最高の喜びであることを。

 

最近になって、私も、7歳の時に突如内側から沸き上がった言い知れぬ感動とともに「自分はブリッジの役割を果たすぞ」と誓った日があったことを思い出しました。「ブリッジ」などと言う言葉はもちろん知りませんでしたが、その時、そのような概念がまざまざと浮かんだのです。そしてまさに、気がつけば、「虹の架け橋」の仕事を、50年後に、導かれるようにして私はしていたのです。

 

すべては、このためにあったのですね。その役目が、どれだけ果たせたかは判りません。けれども、とりあえずは、インターネット上でお話し出来ることは、これまでのメッセージを通じてすべて伝え切りました。7年前に、S.O.さんとした約束も、これで果たせたかな?と思っています。いつか、このブログのメッセージを、テーマ別にまとめてくださる方が現れないかなぁとも思っております。どなたか手を挙げてくださいませんか?

 

身近な人に「終了」を告げましたら、何人かの方から、月1回でいいから、それがダメなら気が向いた時でもいいから、続けて欲しいと言われました。そこで、一応「休止」としておきましたが、同じ形式での再開はたぶんないだろうと思います。質問があればお受けします。今はとにかく少し休みたいです。休んでから、次のステージに進みたいです。この次には、もう少し、自分が楽しんで出来ることをしたいです。

 

最後に、これまで私を支えてくださった皆さんに感謝の意を捧げたいと思います。特に、私に健康体操を伝授してくださったYさん、また体調不良の時に治療をしてくださったもう一人のYさんには格別の謝意を。あなたたちとの出会いがなければ、とても続けられませんでした。そして、相談事に乗ってくださったり、お金や食べ物を恵んでくださった多くの方々にも。また励ましのメールをくださった方々にも、接触のあった全ての人にも御礼を言います。ありがとう。皆さんの励ましによって生きて来られました。

 

最後の最後に、私に多くの気づきとメッセージを与えてくださった守護霊団とホワイト・ブラザーフッドのマスターたちに。とりわけ、不甲斐ない私を根気よく見護り、応援してくれた、祖父であったところの護久翁の霊に対して。あなたの名前の意味が、いま解りましたよ。

 

護久、サンキュー。