by Rainbow School
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お金はすべて Flow 所得

「富の格差」の問題は、しばしば印象的な次の数字をもって語られます。世界の富の82%がわずか1%の富裕層に集中。貧困層37億人が有する富は全体の1%にも満たない。世界で最も裕福な8人が、貧困層36億人に匹敵する資産を所有。調べてみますと、この数字の出所は、すべて国際NGO「Oxfam」が出した2018年版報告書『Reward Work, Not Wealth』に基づいていました。

 

これが、子引き、孫引きされて各所で使われているのですね。オックスファムが出した数値は、金融大手クレディ・スイスが毎年出している世界の家計所得分配を分析したレポート『Global Wealth Databook』を基に、各所得階層別にオックスファムが再集計したものとのことです。データ元が富裕層側の銀行ですし、2000年からの時系列データを分析しているということですので、一応、信頼はおけそうです。

 

このような印象的な数字は、確かに、「富の極端な偏在」という今の地球上で起きている問題を解りやすく示してくれています。しかし他方で、「豊かさ」や「幸福」の概念を、「お金」という物差しで計測するという、別の〈解りやすさ〉をも与えていることに注意しなければなりません。なぜかと言えば、このような「尺度」そのものが、一つの固定観念をもたらしているからです。

 

「お金」に関しては、私も人並みに非常に苦労しました。「お金」に翻弄されてしまったという時期もあります。パニックになったり、鬱になったりしたのも、元をただせば「お金」が原因でした。なぜそんな状態に陥ったのかと、今になって振り返ってみますと、結局は「お金」というものの仕組みに無知だったことが最大の理由です。「お金」というものが作り上げている「土俵」に、何の疑問も持たずに、完全に信じた上で生活していたのです。

 

おそらく、世の99.99パーセントの人は、今でも、かつての私と同じような理解状況にあるんだろうなと思います。そして、この「無知」ということが、人類を「お金」の奴隷にさせ続けていることの元凶を形づくっているのです。早い話が、強烈な「洗脳」です。「お金」が無ければ生きられない。「お金」を稼がなければいけない。とみんなが思っているし、思わされているのです。

 

そこに気づいてから、この牢獄をなんとか脱したいと思うようになりました。「お金」のシステムから完全に逃れるというのは、無人島にでも行かない限りは難しいことでしょう。ですが、「お金」には出来るだけ関わらないようにしてみようと決心しました。そこで、荒療治でしたが、第一番めに「お金」を稼ぐというワークをやめたのです。この呪縛を捨てたら、いったいどうなるのだろうかを実験してみようと思いました。それが、10年前の54歳の時です。

 

当初は貯金を取り崩して生活費に充てていましたが、当然のことながら、その貯金も底を尽き、ど貧乏となりました。でも段々とその感覚にも慣れ、今では自分が貧乏だとも思わなくなりました。まったく平気です。欲しいものは何もありませんし、今あるもので充分です。何かに追われるようなストレスを抱えることもないですし、一日の大半を瞑想的に過ごしていられるので、いつも幸福感で満たされています。

 

「同じことを、あなたもやってみて」とはもちろん言えないのですが、しかし少なくとも、「働く」ということと「稼ぐ」ということは、切り離して考えた方がハッピーに生きられるよ、ということは自分の経験からしても言えそうです。でもここを、みんなゴッチャにして考えているんですね。「就活」というものが産業化してから、この同一視傾向が著しくなったと思うのですが、詰まるところ、これがあなたに、奴隷化への道を開くのです。

 

「働く」ということと「稼ぐ」ということは別です。「働く」というのは、あなたという個の自己表現であり、社会における自分の役割です。ですから、この「働き」の連鎖的つながりによって、社会全体の活動が維持され、働く人も、その働きの恩恵を受ける人も、共に喜び、感謝し、幸せを分かち合うシステムが形成できるのです。ですから、賃金の報酬とは関係なしに働き(例えば毎朝、家の前の道路を掃く)、それを喜びとすることも可能なのです。

 

30年前までは、日本社会にもこのような考え方がまだ普通に残っていたのですが、グローバル経済の導入と入れ替わりにすっかりアメリカナイズされ、今ではほぼ消滅してしまいました。私が20代だった頃は、「給料要りませんから、是非ここで働かせてください。あなたの弟子にしてください」という若者がけっこういたんですよ。私もその一人でした。「お金」は二の次、三の次だったのです。ところが今は、先ず「お金」です。

 

決して「お金」が悪いと言っているわけではないのです。「お金」に〈隷属した状態〉の自分に気づいてみては?、と言っているのです。今まで、ずっと低賃金の派遣労働に甘んじて来た。なんとかして、正社員で給料40万円の職に就きたい。その気持ちはよ〜く解りますよ。でもそのような発想をしていては、自分をますます苦しめてしまうことになるのではないでしょうか。

 

大切なのはそこじゃない。自分をどういう「行為」者、別の言葉を使えば「表現」者として、この世に存在させるかということなのです。あなたの満足は、究極的にはそこにしかありません。「正社員で、給料40万貰える人間になりたい」という願望は、あなたの「表現」なのでしょうか? 違うでしょう。別にあなたじゃなくてもいい、それは単なる「ポジション」に過ぎない。そこを錯覚してはダメです。

 

そもそも、なぜ「お金」を稼がなくてはいけないのでしょうか? 「お金」がないと、暮らしに困るからですよね。具体的には、生活に必要な物資やサービスが自由に買えないからです。そういうシステムの中で、現代人が生活しているからです。でも仮に、もしもそうしたものが、全部タダで手に入れられるとしたらどうでしょう? 「お金」は不要ということにはなりませんか。

 

生きるために必要なものは、あくまで物資やサービスであって、「お金」というものは、その仲立ちをしている道具に過ぎないのです。その証拠に、災害が起きたときには、必要な物資がタダで届けられるではありませんか。それに対して、誰も「金を払え」とは言わないでしょう。むしろ「どうぞ使ってください」と言うでしょう。ですから、この理念を災害時だけではなく、平時にも押し広げればよいのです。

 

それは、決して不可能ではありませんし、荒唐無稽な話でもありません。世界中の人々が、そうした理念に合意すれば可能なのです。でも、現実はそうなってはいませんよね。それは、別の理念(「お金」が地球を支配する世界)に、人類の大多数が「これでいいのだ」と賛同しているからです。これが、冒頭に語った「土俵」です。皮肉な話ですが、貧困層の36億人が、8人のスーパーリッチの成立に貢献しているというのが、この「お金」のシステムなのです。

 

もしも全員に、平等に富が分け与えられていれば、もちろんこんなことは起きません。富を平等に分けることをせずに、他人の分を掠め取って集める人がいるから、このような極端な偏在が起こるのです。そして人類は、人類の総和として、そうすることを、古代バビロニア時代から認め続けて来たということなのです。これは実に巧妙で、よく出来た、壮大なるフィクションです。

 

ほとんど誰もが、「お金」の存在というものに、微塵も疑問を持っていないのです。世の中に「お金」というものがあって当然だと思っている。ではその「お金」がどこから生まれるかと言えば、借金から生み出されるということも殆どの人が知らないのです。

 

銀行は、本当は持っていない「お金」を貸し出す権利というものが法律によって認められています。そうすると、その時点ではまだ数字に過ぎない金額を、どこかに貸し出すと、その時点からそれが「お金」に化けるのです。まさしくマジックであり、空中から「お金」がパッと捻り出されるのです。この「無」から生じた「お金」を、借りた側は、利息をつけて返すことになるのです。なんとも奇妙な仕組みです。

 

日本政府が累積している膨大な額の借金。これも、一民間銀行であるところの日銀から借りている「お金」です。この借金に、日本政府は利子を付けて返済しなくてはならないのです。その返済金はどこから調達するのか。国営企業のない日本政府としては、税金しかありません。このようにして、国民は働かされ、稼いだ「お金」を搾り取られているのです。

 

けれども、このフィクションの実体は、国民には何も知らされていないのです。空中から「お金」を生み出せる銀行。その元締めであり、通貨発行権を持つ日本銀行の株主が、いったい誰であるかは明かされていません。

 

ですが、ここで原点から考えていただきたいのです。地球資源は誰のものでしょうか。土地は誰のものでしょうか。海は誰のものでしょうか。空気は誰のものでしょうか。太陽は誰のものでしょうか。月は誰のものでしょうか。そもそも、宇宙は誰のものでしょうか。誰のものでもありません。それは我々への恵みです。その恵みを、なぜ平等に分けようとはしないのでしょうか。

 

なぜ、平等な分配を主張するものはみな叩かれ、排斥され、逆に富の極端な偏在を志向する者が世界を牛耳り、また政治・経済に幅を効かせているのでしょうか。それは、決して一握りの人間のせいではありません。多くの人が、リッチになることの幻想を手放せていないからです。これは、宝くじの理屈と全く同じ。1等の賞金を得る人は、大勢の幻想を掻き集めることによって成り立っているわけですね。

 

違いは、宝くじの場合には、誰が1等になるのかは分かっていないのですが、金融の世界は、闇の支配者によって、最初から意図的に富の偏在が計画されていることです。このカラクリに、今後どのくらいの人々が気づくことになっていけるのか。更に進んで、「宇宙は誰のものでもない」という原点に、どれだけの人が立ち帰ることが出来るのか。それが、人類の未来を決定づけます。

 

「お金」は経済の血液だと言われます。「お金」は、そもそもは経済を円滑に回すための道具に過ぎなかったのです。ところが、その道具を使って博打場を開いたり、「お金」が「お金」を生み出す仕組みを人間が拵えてしまった。そして公的に、また国際的に、この詐欺システムを堂々と運営し、欲に駆られた人々を大量に市場に惹き付けているのです。

 

なんと愚かな人間たちでしょうか。一体どの世界に、自分の血流を好んで悪くしたり、静脈瘤や動脈瘤を作ったり、それを破裂させたり、脳溢血になったりして喜ぶ人間がいますか?

 

でも人間たちは、それを喜んで、自分で自分の苦しみを創り出しているのです。ああ、なんたる無智。この無智から、一体いつになったら解放される日が訪れるのでしょうか。「お金」はすべて Flow 所得だと思いなさい。それはあなたを支えてくれる血液の流れなのです。流れるままにして、執着を無くせば、それに思い煩わされることもなく、健康に生きて天寿を全う出来るのです。

 

「お金」は、結局ところ、今の人類にとっての、最大級の罠なのです。「お金」を操る者に、人類全体が操られている。そして、地上での暮らしの大部分を、この「お金」の奴隷となって生きることで、一生の殆どを使い果たしているのです。まあ、なんとムダな労力を使っていることでしょうか。地球人が、何度生まれ変わっても、大した成長がない理由は、大部分この「お金」が原因なのです。

 

さて、今世もまた「お金」で苦労しますかな?

それとも「お金」への執着は、終わりにしますかな?