by Rainbow School
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「信」が持つ力を、利用して生きる

前回のメッセージを読んで、こう思われた方はいないでしょうか?

じゃあ、「素直で、正直に生きよう」という「信念」を持って生きている人は、どうなるわけ? それだって一つの「信念」だよね。その人も、必ず「嘘」をつくということになるわけ? でもそれって、矛盾してやしませんか?

 

そう思った人は鋭い! えっ、そんなこと全然考えもしなかったって? う〜ん、その人はあんまり鋭くないですねぇ。いつも言っているじゃありませんか。このブログに書かれてあることを含めて、外から来る情報は一切「信じ」てはダメだって。鵜呑みにしてはダメなんだって。疑って、疑って、自分の「直観」の中に答えを見出すんです。それだけが、あなたが信じていい唯一のこと。

 

もしもその人が、「素直で、正直に生きる」という「信念」を固く胸に抱きつつ生きていたとしたら、その人は、やっぱり苦しむでしょうね。「信念」というのは、結局のところ、自分を縛る鎧ですから。つまりそれはぜーんぜん「素直」じゃない。素直なフリをしようとしているだけ。そう演じることで、本当の自分に、真実の自分に、やっぱり「嘘」をついているんですね。

 

例えば、これを正直に言ったら、明らかに相手を傷つけてしまうと分かっていることがあるとしましょう。あなたはそれを、ただ「正直であるべきだ」と金科玉条的に考えて、その通り告げることを選びますか? ルールを決めれば、確かにそれは楽かも知れません。でも、人間関係の学びにはならない。告げた方がいい場合もあれば、告げない方がいい場合もある。だからこそ、学習機会になるのです。

 

「素直さ」というのは、特定のどんな信念も保持し続けないということです。たとえ直前まで何かの信念を持っていたとしても、「気づき」が起きた瞬間に、それをパッと捨てられるということ。改められるということ。いつでも自分を変えられるということ。自分が間違っていたということに気づいたら、すぐに謝れるということ。それが「素直さ」というものです。

 

「素直で、正直に生きよう」と心掛けることと、それを特別意識しないでも実現できていることとは、次元が違うのです。「意識」の置き場所がちょっと違うんですね。「素直で正直」というのは、いったい誰に対してのことだと思いますか? 自分ですよ。己れに「素直で正直」である人は、結果的に、他者に対しても「素直で正直」になれるし、周囲にもそのように映るんです。ただ、それだけのこと。

 

でも、言うは易し行うは難しで、素直で正直に生きることを、意識しなくても実現できているようになるまでには、何年も掛かる。いつも言っているように、「解る」には三段階がある。先ずは全然解らないし気づかない。次に、あることにパッと気づく。そしてストンと腑(体の内)に落ちる。その後に、自分の中の細胞が少しずつ変わり始め、何年かすると、遂には新しく芽生えた意識と自分とが一体化してしまう。これが、本当に「解った」ということ。

 

ですから、何にも増して、その人に「気づき」の瞬間が訪れなければ、その先の三段階めはないのですよ。そしてその瞬間は、その人が、それを受け取る準備が出来た時にだけ、グッドタイミングでもたらされるのです。だからなおのこと、「素直で正直」であることが重要だというわけ。「信念」という盾で凝り固まった人たちは、自分に贈られたせっかくのメッセージを、みんな撥ね退けてしまいますからね。

 

さあ、解ったかな? あなたが、ただ「素直で正直」でありさえすれば、メッセージはどんどんもたらされるのだよ。真理の知恵は、いわば大海のようなもので、それはいつもあなたの周囲に流れているのです。それを、気づかずに素通りして生きるのか、欠けた小さな盃に受けるのか、大きな鉢でたっぷり受け取るのか、穴の空いたザルで汲みに来るのか、その違いだけなのです。

 

あなたの上にこぼれ落ちたしずくが、たとえ一滴だったとしても、それを見逃さずに、心底ありがたいと思って飲み干せば、あなたの器はどんどん大きくなるのだよ。それは、幾何級数的な発達をもってね。その発達段階を、上手に乗り切る方法を、今日のこのタイミングで特別にあなたにお教えしよう。それは、「信」が持つ力をうまく利用するとよいのだよ。

 

先ほども言ったように、たとえ瞬間的に何かの「気づき」を得たとしても、その先に進んで、本当に「解る」という段階に至るまでには何年も掛かる。焦る必要は全くないのですが(というのは、宇宙は永遠の無時間だから)、多くの人はせっかくの「気づき」を得ても、直ぐに、これまで吹き込まれて来た価値観で、まるで黒板消しを走らせるようにサッとそれを打ち消してしまう。

 

これが、地球人の覚醒がなかなか進まぬ大きな原因なのですね。ですから、一つの「気づき」を得たら、次にはそれを意識に上げて、留め置くことが大切です。このようにして、自分の意識を意識することによって、顕在意識の奥にある超意識の扉が少しずつ開かれて行くのです。そして、これを習い(習慣)にすれば、あなたの霊性は、やがて幾何級数的な発達を見せるようになるのです。

 

その際に、途中段階にある間は、また葛藤で苦悩する間は、「信」が持つ力を利用すればよいのです。「信」は、自分を変身させる強力なツール。「信」が、あなたという人間を育て、あなたの個性を形づくっていると言っても過言ではありません。試しに、私が「あなたは誰ですか?」と訊いたとしましょう。あなたは、あれこれと説明をします。それは、あなたが自分に対して持っている「信」に他ならないのです。

 

けれど、普通の人は、そんなことを考えたこともありません。自分の意識を意識することもなく、まるで夢遊病者のように暮らしているのです。ですから、古来より「目覚めよ」とか「眠りから目を覚ませ」と言い続けられているのです。多くの人は、自分がちゃんと目を覚まして活動していると思っています。でも実際には、集団催眠術に掛かっていることを知らないのです。

 

ここで「思念」というものが、あなたが形づくる世界に、どう働いているかを改めて考えて見ましょう。この例は前にも書きましたが、あなたが今晩の夕食を作って食べたとしましょう。それは、あなたが献立のプランを描き、実際に材料を買い求め、それを手順を考えて調理し、皿に盛ってテーブルの上に並べたから、それが夕食として現実化したのです。

 

このように、現実化しているものの前には、それに先立つ「思念」が必ず作動しているのです。あなた方は物質界に生きているので、物質界で起きていることのみを「現実」と捉えていますが、そうではなくて、数ある思念のうちの、特定の物質化された世界を、選択的に生きて、それを確かな「現実」だと思い込んでいるだけなのです。

 

でも、このことを、「本当にそうだなぁ」と思えるようになるまでは、先ほども言ったように至難の業で、取り敢えずは「そんなものなのかなぁ」という程度のものを、頭の片隅に意識して置いておくしかありません。がしかし、思ったものが(少なくとも思ったものの一部が)現実化している、という法則がそこに働いているということには注目して欲しいのです。

 

*至難の業:それを獲得するのが難しいのではなく、それまでを捨てることが難しい。一種のパラドックスです。

 

さてそこで、この世界には今、あまりにも多くのネガティブな「思念」が飛び交い、これらで全世界が溢れ返っています。日増しに空気がトゲトゲしくなっている。でも、「波動」というものを峻別することが出来ない大多数の人たちには、勿論そんなことは分かりません。でもこれが、人々に影響を与えないわけがないのです。それぞれの人の深部では深刻な影響を与えているのです。

 

敏感で内向的な人たちは、今の荒れた「波動」が渦巻く社会に息苦しさを覚え、自然と他人との接触を避けるようになっています。さらに、それが昂じると「精神疾患」のレッテルまで貼られ、二重に苦しんでいるのです。一方の鈍感で外交的な人たちは、無意識的に、粗い「波動」に同調することによって生き残りを図ろうとし、ますます威圧的に、差別的に、暴力的に振る舞う傾向を強めているのです。

 

はっきり言って、社会全体が病んでいます。しかしその病んだ社会に、なおも同調するように仕向けられているのが、現代というものが持つ社会病理なのです。こうして、病んだ人たちが多数生み出され、その人たちがまたさらに病んだ社会を創り、その社会がさらに病んだ人を生み出す、という悪循環がエスカレートしているのです。これが、地球人類全体が催眠術に掛かり、まるで夢遊病者のように暮らしていると言うゆえんです。

 

どうして、この悪循環をストップできないのでしょうか? それは、地球人類が未だに無智なためです。この宇宙の成り立ちを知らない。この世を動かしている本当の道理を知らない。ただ宇宙の真理について無智なだけではなく、外から来る情報には直ぐに心を動かされ、夢中になり、これを「信じ」てしまう。ですから、この世を操ろうとする者たちの術中に、簡単に落ちてしまうのです。

 

ですがここで、「思念」が現実を創造するという法則を思い出してください。あなたが、歳をとってから生活に困るぞ、とまるで呪文のように思い続けていたとしたら、実際に困るようになりますし、健康診断を受けなければ病気なるぞ、と思っていれば病気になります。少なくともその可能性が高くなる。そういう「思念」が現実を創造するからです。

 

同じように、第三次世界大戦が起こる思っていれば、世界大戦になりますし、大地震が来るぞと思っていれば、大地震が来ます。そう思う人々の意識が集まって、臨界量を越えれば、それが現実化します。そう思って、今の世の中を改めて見てください。いかに人々の不安を掻き立て、心を粗げさせ、欲望を刺激するものばかりで溢れ返っているか。政治も、経済も、ニュースも、広告も、それらで埋め尽くされていることが分かるでしょう。

 

でもここで考えてみてください。そのようにメディアを通じて発信されている社会通念と、あなたの人生とに、いったい何の関係があるというのでしょうか。そんなつまらない、くだらない、意図的に操作された、どうでもいい情報を仕入れなくても、あなたは生きられる。いや、むしろ、その方が生き生きとあなた自身を生きられる。これが、再三言っている「あなたはあなた」ということなのです。

 

あなたは、あなたの人生を生きれば、それでよいということ。何も、病んだ社会に適合する必要も無ければ、自分からわざわざ巻き込まれに行くこともないのです。しかし周囲は、また洗脳された人々は、それでもなお、腐った社会に同調するように、プレッシャーを与えて来るでしょう。でもそんなものは、勇気を持って撥ね退けなさい。街角で差し出されたティッシュペーパーを「結構です」と断るように。

 

代わりに、「信」が持つこの力を逆利用するのです。ネガティブな「信念」が、いかにその人に悪影響を与えているかということが解ったなら、その力を活用してポジティブな「信」に変えてしまうのです。私はすこぶる健康だと思えば、その人は健康ですし、いつも元気だと思えば元気いっぱいです。やることなすことみんな楽しいと思えば、毎日が楽しく送れるのです。これが、いつも言っている「持ち替える」ということ。

 

ゴールまでの道程は遠いかも知れません。でも、その遠さに圧倒されて、今日の一歩を踏み出さなければ、あなたの進歩は永遠にないのです。どんなに遠い道であっても、今日一日という時間を、明るく、楽しく、元気よく歩けば、そう思い込めば、道々で出会うものの意味が違って来るのです。そのために、「信」の力をポジティブに活用しなさい。

 

この世は、所詮は幻なのですよ。幻だと知った上で、取り敢えずのポジティブな「信」を生きるのです。木々の緑の中に、生命の輝きを見ようとしてご覧なさい。湖上の水のきらめきに、妖精が踊っているのを見ようとしてご覧なさい。憎い相手の心の奥にも守護霊の愛があることを見ようとしてご覧なさい。それを習慣づければ、少しずつ少しずつ、あなたは真実の自分に近づく。

 

そして、やがて気づく。もはや「信」など必要ないことを。

ただ、ありのままの自分で、よかったのだということを。