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“因”の世界を知る

物事の結果には、必ずそれを為さしめた原因というものがあります。これが「因果の法則」、よく言うところの「因果律」です。この世のあらゆる現象というものは、何かの結果として今そこにあるのですが、これが原因となって、また次の現象を生じさせているのです。

 

たとえば、空気中の水蒸気が凝結して雨が降る。この雨が低いところに集まって川になる。川はやがて海に注ぐ。海が温められて水蒸気が発生する。その水蒸気が雲を作り、これがまた雨を降らすといったように。このようにして、「因果の法則」は永遠にグルグルと回り続けるのです。そしてこれは、「生命」とは何かという答えを、同時に表しているのです。

 

ところで、科学には2種類があるということをご存知でしょうか? この世の現象(という結果)の真の原因を探ろうとする科学と、現象から現象を導く科学です。そして今のこの世で、「科学」と言った場合には、ほとんどが後者、つまり現象から現象を導く(結果から結果を導く)ものを「科学」と称しているのです。

 

たとえば、フレミングの左手の法則というものがあります。たぶん中学校で習ったでしょう。覚えておられますか? 〈磁場〉の中を〈電流〉が流れる際に、導体に〈力〉が発生するという現象と、その向きについての法則です。こういう現象があるから、それを応用した電動モーターが動いているんですよね。

 

とまあ、そういう法則が自然界で成り立っていると。そこまではいいです。でも、なぜそうなのか? どうして〈磁場〉と〈電流〉と〈力〉が、きれいに90度で交差するという現象が起きるのか? これは分からない。分かっているのは、そういう現象(結果)があるということだけです。そしてこういう法則(公理)を基に、次の法則を導き出しているのが、現代の「科学」と称する学問なのです。

 

つまり、いま主流の「科学」は、ちっとも真の原因を探ろうとはしていないのです。電荷にプラスとマイナスがある。じゃあどうしてプラスとマイナスがあるのだろうか? そこまで追究して知ろうとは、決してしない。プラスとマイナスがあると言っているだけです。そういうものは、問うのも愚かな「公理」ということになっています。

 

でも、こうした〈現象から現象を導き出す〉現代の「科学」は、必ず矛盾に突き当たってしまいます。

 

宇宙はビッグバンによって始まったと言う。じゃあ、その始まりの前は何だと。「無」だと。「無」から突如、宇宙が誕生したんだと言う。じゃあ「無」から「有」が生じたプロセスを説明してみてください、ある日突然と言うけれど、その「ある日突然」がどうして訪れたのかを説明してください、と言ってもできない。

 

心は、脳の部位が活動した結果、生じているんだと言う。だから心の変調は脳の機能障害なんだと言う。じゃあ、その脳を動かしているのはいったい誰なんだい? 脳が勝手に動くとでも言うのかい? ということは、自分の「意志」は、自分のものではないということ? 俺はいったい誰なんだ? Oh, No!

 

人間は死んだら「絶命」して「無」になるという。じゃあ逆に、「誕生」って何なの? 生殖行為が「無」から「生命」を創り出すとでも言うわけ? もしそれが本当だとしたら凄いことだよ。人間のビッグバンだ! でも待てよ、本当にそれが「無」から生じたって言えるのかな? そもそも、卵子と精子という〈生きた〉素材があったわけでしょう?

 

こういうシンプルな疑問に、現代の自称「科学」は何一つ答えられません。それは現代の「科学」が、依然として物質領域の世界にのみ留まっていて、現象から現象を導き出しているだけだからです。「その奥があるのでは?」とは言えないし、名のある科学者は決して言わない。それが建前になっている。そっちの領域にまで踏み込んだ科学者は、みなウソつき呼ばわりされてしまうからです。

 

この、さらに奥の原因を探ろうとする科学が、もう一つの科学、つまり神秘学なのです。そしてこれを「“因”の世界」と言うのです。この世だけを見ていますと、一見、現象が現象を次々と生み出しているように見える。でもその根源には、“因”の世界というものがあるのです。先ず“因”の世界での活動があって、その結果が、この世(物質世界)に、〈現象として〉立ち現れているのです。

 

ところが、以前にも真逆様(まっさかさま)の解説で述べたように、この世では価値観が逆転していますから、「真理」を知らない人たちは、“因”の世界を知ろうとする「真」の科学を、逆にエセ科学とかトンデモ説といって攻撃します。でも、どっちがエセ科学なのでしょうか? 現象から現象を導き出しているだけの、矛盾だらけの学問が、果たして「科学」と言えるのかどうかということです。

 

よく「見えない世界は信じない」と簡単に言う方がおられるのですが、その人に問いたいです。あなたに電気は見えるんですか? 電波は見えたんですか? 磁場は見たんですか? 放射線は見えますか? 意識は見えますか? 心は見えますか? 想念が見えますか? 生命が見えますか? どうです? 見えないものを、既にいっぱい信じちゃっているのではありませんか?

 

では、電気という見えないものをあなたが信じている理由はなんですか? そういうものがあると、どこかで習ったからでしょう? 放射性物質の近くに行くのは危険だと、あなたが信じる理由はなんですか? そう習ったからでしょう? あなた自身が確かめたわけじゃない。じゃあ、1000年前の人に、それを説いてみてくださいよ。あなたの言葉を信じる人がいると思いますか?

 

子どもの頃に、隊列を作って地面を忙しく動き回る蟻さんを、不思議な眼でじーっと見続けたことはなかったでしょうか? 星座盤を片手に夜空を見上げ、宇宙の果てはどうなっているのだろうと思いを馳せたことはなかったでしょうか? 結局それが、「真の科学(=神秘学)」というものの視点なのです。「不思議だなぁ?」「なぜだろう?」「どうしてかな?」と思うことが出発点。

 

ところが現代人は、そういう好奇心よりも、他人から聞いた「知識」を先に仕入れてしまう。しかも学校では、「知識」の有無を採点対象にしてしまうものだから、受け売りの「知識」をみんな無条件に信じるようになってしまったのです。そればかりか、知識量を誇る人たちは、子どもの視点をずっと持ち続ける「真の科学者(=神秘家)」を、キチガイ扱いして糾弾する始末なのです。

 

あと1000年、いや100年経ってご覧なさい。「“因”の世界」のことは、もう常識になっている筈です。私が話すことは、別に信じなくていいです。ただ生活の周りに、いつも子どもと同じ視線で、好奇心や疑問を持ち続けていて欲しい。「知識」を鵜呑みにしているだけでは成長はありません。疑問があるから気づきがあり、気づきがあるからこそ、成長があるわけですからね。