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求人のレッテル貼り

ある方からこういう話を聞きました。その人は、今は別の仕事についているのですが、保育の仕事がしたくて何年も掛かって保育士の資格を取得しました。手始めに出来ることを探していたところ、市の保健センターが赤ちゃんを預かるボランティアを募集していたので、そこに連絡をしてみた。その時、応対した人から、いの一番にこう聞かれたというのです。

 

「お子さんはいらっしゃいますか?」

「いません」

「結婚はされていますか?」

「していません」

 

「あぁ、そうですか」と、担当者はガッカリした様子だったというのですが、彼女が「保育士の資格を持っています」と言った途端、相手の態度が豹変したというのです。

 

人は、レッテルでしか相手を見ない。その典型です。子どもがいると言ったって、始終当たり散らしている親もいるわけだし、ほったらかしや、虐待までしている親だっている。結婚していたって、みんなが円満な家庭を築いているとは限らない。何しろ3分の1が離婚しているんですから。憎悪の炎を燃やしている夫婦関係などいくらでもある。

 

私がその担当者なら第一番にこう聞きます。

「赤ちゃんは好きですか?」

「ウンチやオシッコの手当ては、喜んでしてあげられますか?」

「いま泣いているという赤ちゃんがいたら、あなたならどうしますか?」

 

これだけで充分だ。そう思いませんか? なによりも、それをすることが「好き」。これに勝るものはありません。いくら結婚していたって、子どもがいたって、「好き」でない者がその仕事に就いたら、雇う方、雇われる方、そして赤ちゃんの三方が全部、思わしくない結果に晒されてしまうことになる。

 

求職で、「経験者」という制限を設けるのも私は嫌いです。何だったかはもう忘れましたが、若い頃に「経験者求ム」の求人に対して、未経験で応募したことがあります。結果は不採用だったのですが、私は担当者にこう言って喰い下がりました。

 

「そうやってみんなが『経験者求ム』と言い続けていたら、新人には全く門戸が開かれないことになってしまうじゃありませんか!」

 

この思いは、今も変わりがありません。

どうして、人をレッテルでしか見ようとしないのか? どうして、その人の可能性を見てあげないのか? レッテルを重視する人は、自分には「人を見る眼がありません」ということを、自ら証明しているんだね。