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老化と健康

東京と山奥を往復して生活していると、老人の意識の違いというものに気づかされます。都会地では、老人がちょっと集まると、あそこが痛いここが痛いという話に始まって、自然と病院通いのことがいちばんの話題になっています。街をゆく人を見れば、みんなヨタヨタと歩いているし、病院の待合室は今や老人のサロンと化している。


でも山奥で暮らしている人は、たとえ「腰が痛い」と訴えたとしても、それはいっときの話で、その話題を1時間も2時間もをずーっとしているなんてことはないです。すぐに表情が微笑みに戻っている。この違いは何なのかな?と考えてみると、田んぼや畑を持っていて、作物を育てていることが凄く大きいような気がするのです。


山里暮らしの人は、それらの作業で毎日が忙しいんですね。季節ごとに次にやらなくちゃいけないことが決まっていて、しょっちゅう体を動かしています。しかもこの作業は、自分とお天道様と作物との共同の、クリエイティブな作業になっているわけです。観察して、考えて、判断して、かつ創造的にことを行わなければ前に進まない。


都会にいる人たちはこの部分がないから、リタイヤした人は、別の仕事を持つか趣味を持つかしてクリエイティブな時間を埋め合わせないと、とたんにヒマになってしまいます。すると、頭も使わないし体も動かさないということになって、そのうちに病院通いが始まる。本当は、ボランティア活動などに精を出して欲しいんですが、与えられることに慣れ切っていて、自ら創造するということができない。


このポッと出来たスキマに、いたるところから、「健康」情報だけがまるでシャワーのように降り注いでいる。しかもそれらの情報には、人間をトータルに見るという考えがありません。人体というのは小宇宙であって、陰陽のバランスが崩れた時に、不調が起きたり病気になったりする。という考えは、もはや皆無です。


50年前は、まだこういう考え方が幅広く行き渡っていたものですが、この半世紀ですっかり変わりました。「木を見て森を見ない」という言葉がありますが、いま巷に溢れる「健康」情報は、葉っぱばかり。木すら見ていない。そしてそのどれもが、「この一枚の葉っぱさえよくすれば、森全体が健康になるんですよ」と、まるで魔法のような宣伝をしています。


こうして、いろんな形の葉っぱが世の中に溢れかえっているものだから、あれがいい、これが効くといったことで、健康談義に終わりがないのです。なんという、不毛なヒマつぶしでしょうか? 理に適った食事をおいしく頂いて、クリエイティブな作業で頭を使って、身体を動かして、朗らかに生きていれば、人間は病気になどなりません。ズバリ「森を見よ!」ということです。


本当の森のことを想像してみてください。そこにはたくさんの生き物がいて、すべてが循環の中でバランスを保っています。少々バランスが崩れたとしても、自浄作用でみんな自然に治している。ではその森のバランスを破壊しているのは誰ですか? 間違った知識を持った人間ではないですか? それと同じことを、現代社会に生きる人間たちは、自分にしているんですよ。


歳をとったら、人間というのは、だんだんと身体が利かなくなるものだ。病気になるものだ。認知症になるものだ。介護の世話になるものだ。こういう間違った思想が、予防や支援と称して、人々の間にどんどん植え付けられています。それで一体、誰が得をしているのでしょうか? そこをよく考えてみてください。


あなたの身体を創っているのは、あなたの思い、つまり「心」です。あなたがもし、いま言ったような思想に嵌ってしまったら、身体は、その思いを「望み」通りに実現します。それで一体、誰が得をしているのでしょうか?


あなたは、人間を、自然の中の一存在と考えますか? それとも自然を征服できる特別な存在だと考えますか? もし、自然の中の一存在と考えるのであれば、またナチュラルに生きたいと思うのであれば、「自然」をお手本にしてください。そこに答えが全部、書かれています。


「森を見よ!」
自然は、なに一つ隠すことなく、健康に生きるための智恵を、そこに示してくれているのです。