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「幸福」の条件

自分が「幸福」であるかどうか? そこに条件は、何も要らないのです。そのことを真に理解したとき、そしてその意識が、からだ全体に行き渡ったとき、あなたは心の底から「幸福感」に満たされる。


私の母親は、死ぬ前の20年間くらいは、「私って幸せだわ〜、本当に幸せだわ〜」と、毎日しつこいくらい声に出して呟いていました。父親が芸術家だったために、娘時代を貧乏のどん底の中で過ごし、戦争を経験し、夫を早くに亡くし、海外旅行など一回もしたことがなく、生涯をつましく、けれども非常にクリエイティブに暮らしました。


「幸福」に条件は要らない。なぜなら、それは「心」の状態だからです。「心」が「幸福感」で一杯に満たされていれば、その人は、たとえどんな状況下にあろうが「幸福」でいられるのです。逆に、地位、名声、財産、ファミリー、大きな屋敷、高級車、宝石、豪華な衣装、豪勢な食卓が日常的にあったとしても、「幸福感」がなければ「幸福」とは言えないのです。


それらを、別に否定しているわけではありません。「条件は何も要らないよ」ということだけを申し上げたいのです。ところが、どんなことにせよ「幸福」実現のために、ある条件づけをしてしまいますと、その瞬間から、次の問題がその人を蝕むようになってしまいます。


第一に、自分が設定した理想の条件が、なかなか達成できないことに苦しみます。第二に、達成できた場合にも、一時的には歓喜に包まれるのですが、今度はそれを維持しようとして苦しむことになります。結局、最後は、それらの条件では、本当の満足が得られないということを知ることになるのです。


よく言うように、それらは墓場へは持っていけないのです。獲得したものは、墓場まで持っていけない。これはどういう意味かと言いますと、霊界にとってはどうでもいいこと、その人の霊性向上のためには役に立たないものだ、と言っているのです。つまり、物質界で得たものを誇ったところで、所詮、空しいものに過ぎないということです。


では、墓場へ持って行けるものは何もないのでしょうか? 霊界に帰った以降も役立つようなものは、何もないのでしょうか? あります。それが、「魂」がした経験と、「魂」の満足感、幸福感なのです。「魂」の体験だけが運ばれるのです。これらが、あなたの「魂」と一体となって運ばれ、次の生まれ変わりを創る基になるのです。いわゆるカルマです。


カルマには善いカルマと悪いカルマがあって、どちらも来世へと運ばれます。なぜ、カルマが運ばれるかと言えば、「魂」というのは「思念エネルギー」の塊ですから、その思念に、経験したことや、満足感、幸福感というものが、粘土細工のようにくっつくのです。


もちろん、嫉妬、悔しさ、恨み、深い悲しみ、恐怖心、未達成感、といったネガティブな感情もくっつく。こうして、「魂」が経験と学習を続けて成長して行くのです。完成した「魂」となって、元のところへ帰るために。これが、輪廻転生の意味です。地球学校がある意味です。


ひるがえって、今の時代は、あまりにも「条件つき幸福」を求める風潮が強い。歴史上かつてなかったほどの蔓延です。先日、スーパーに行ったところ、店頭に七夕飾りがあって、そこに小学生が書いたと思しき短冊がぶらさがっていました。真っ先に眼に飛び込んだのは「どうかお金持ちになれますように」の願いでした。


「条件つき幸福」を求めれば求めるほど、逆に未達成感が拡大して、そのネガティブなエネルギーのはけ口が欲しくなってきます。それが、今日見られるインターネット上の炎上、世界的な暴力の連鎖、拡大へとつながっているのです。


「幸福」に条件は要らないのです。どうかあなたも、今この瞬間から「幸福」になっていただきたいのです。


*善い・悪いというのは、この世の相対的見方であって、仮にそう表現しましたが、宇宙全体から見れば、善悪はありません。善いことも悪いことも、みな善いことです。