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「この世は幻」という言い方について

スピリチュアルな世界を探究していると、「この世は幻(まぼろし)」という言い方に出会うことがあります。あなたも、おそらくそれを目にしたり、耳にしたりしたことがあるでしょう。この主張は多分に戸惑いを起こさせるもので、きっと反発を抱かれる方も多いのではないかと思います。


「この世は幻」と言ってしまうと、まるでちゃぶ台をひっくり返すようなもので、現実世界をあっさりと全否定してしまう。それは、現実世界をベースに組み立てられている思考を、全部ないがしろにしてしまうことになるので、言われた方は虚を衝かれるんですね。次いで「こいつ、何を言ってるんだ」という反発心が芽生えてくる。


「幻」というのは「幻影」ということで、別にそれが「無い」と言っているわけじゃないのです。


私たちが映画を観る。その時、スクリーンから離れて観ているから、それが映画として見え、ストーリーも解るんです。でも、スクリーンの手前1メートルくらいに近づいて一箇所だけを見ていたら、そこにあるのは光の変化だけしか見えない。つまり、スクリーンに映っているのは、ただの光の明滅や色の変化だけなんです。

 

これが「幻影」、プラトンが言うところの「映し絵」ということなんです。

ちなみに、このように部分に着目すると全体の意味が失われることを「ゲシュタルト崩壊(独: Gestaltzerfall)」と言います。


私たちは、現実世界というものを、正確に、かつ共通のものとして捉えている。そう、みんな見なしています。ところが全くそうじゃないのです。私たちには、現実を「認識」する際に、誰にも二段階のバイアスが掛かっています。一つは、感覚器による「知覚」です。もう一つは「知覚」した信号の「解釈」です。この二つの能力には、人によってみな差がある。


ですから、現実世界の「認識」というものは、実はみなバラバラなのです。あなたが「現実」だと思っているものは、実はあなたの「認識」でしかあり得ず、他の人の「認識」とは違っているのです。また違って当たり前なのです。そこでこの「認識」したデータを、「現実」とは区別して、「リアリティ(reality)」と呼ぶことにします。つまり「現実」と「リアリティ」とは違う。


「リアリティ」は有るが、「現実」がその通り有るかどうかを証明することは不可能です。純粋な意味で客観視というものはあり得ないからです。必ず誰かの「解釈」になってしまう。ということは、「現実」に意味を与えるのは、つねにあなただということなのです。それはちょうど、映画を観ているようなもので、単なる光の明滅に解釈を与え、意味を見出しているのはあなたなのです。


ですから、同じ1本の映画を2人で観に行っても、「解釈」も「認識」も全く違う。評価を巡って時に喧嘩になったりもする。でも「あの時さ、一緒に『ハリー・ポッター』を観たよね」ということで、なんとなく口車を合わせ、あたかも共通の「認識」があるかのように振る舞っている。それと同じことが、私たちが「現実」と呼ぶ世界でも起きているのです。


これが「幻影」ということ。「現実」が「無い」とは言えない。しかし「現実」が「有る」と証明することも出来ない。「有る」のは、それぞれの「リアリティ」だけである。そこで、「我思う、ゆえに我有り(Cogito, ergo sum)」となるのです。もう、それしか言えない。


ですから、全世界の「現実」というものは、人類の壮大な「リアリティ」の集合として提示されているだけなのです。我々は、それを確かに有る「現実」だと思い込み、その集合意識がまた「現実」に影響を与え、次の「リアリティ」を生み出して行く‥‥。この、実に壮大な錯覚に、人類は未だに気がついていません。


なぜかと言うと、五感の「知覚」に堕ち込んでいるからです。五感で「知覚」したものが全てだと思い込んでいるからです。言うなれば、それは五感で造られた檻の中に閉じ込められているようなものであって、本当の世界というものを知らない。「魂」の自由を知らない。「魂」の世界の方が「主」で、物質世界のこの世が「従」に過ぎないということを知らないのです。


これが、「幻影」ということのもう一つの意味。プラトンが語った「映し絵」の意味なのです。この世は、「魂」の世界が投影されたものになっている。人々の集合意識が、この世を創っている。その集合意識の裏側には、個々の「魂」の生き方があるのです。

 

もう一度言います。「現実」に意味を与えるのは、あなたなのです。そしてあなたの「リアリティ」が、あなたの人生そのものなのだということ。ゆえに、あなたが「リアリティ」を変えれば、あなたの人生も変わるのです。そして、それらの集合意識が、世界を動かすのです。