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今さら聖書研究などして何になろうか?
聖書・聖典類に、「宇宙の真理」の一端が表現されていることは確かです。今から2500年前くらいを皮切りに、今日「聖人」と言われる預言者が何人も現れて、それらの「聖人」が語った言葉や行動が、周囲の者たちの手によって記述され、それらの一部が聖書・聖典となりました。

その書物が、2000年の時を経て、多くの人に今も読み継がれて来たのは、ひとえに、それらが組織宗教を支える基本原理として位置づけられて来たからです。過去2500年間は「魚座の時代」。つまり宗教が花開いた時代で、それらの聖書・聖典類は、この時代の要請にぴったりと合ったのです。ここを、取り違えてはいけないのです。

「宇宙の真理」を語った言葉は、それこそ星の数ほどもあります。いついかなる時代にも、世界中にメッセンジャー(語り手)が居て、たくさんの言葉を語って来ました。その中には、注目されたものもあれば、素通りされてしまったものもあります。歴史の彼方に埋もれてしまい、「秘教」の位置づけに置かれてしまったものもあります。

そして今日でも、世界中にたくさんのメッセンジャーが居て、各々の活動をしているのです。みなさんはそのことを知って、今の自分にぴったりする言葉を、お選びになればそれでいいのです。どんな言葉も、今のあなたに響かなければ、それはあなたへの価値あるメッセージとはなりません。「響いた」言葉、それは元々あなたの中にあったものが、その瞬間に耕されたということなのです。

ここを、間違えないようにしなければなりません。しかし人間は、外に頼り、かつ「権威」に弱い。本当は「価値」というものは、自分が認めなければそれは「価値」ではない筈です。それなのに、大勢が支持するもの、大勢が認めるものを「価値」だと思ってしまう。そしてそれに従う。組織宗教は、その人間心理を巧みに利用し、そこに聖書・聖典類を位置づけたのです。

これが、今日に至り大問題となっています。言わずと知れた宗教対立です。各々が、自分たちが崇める「神」のみが正統だと主張し、「神」の名の下に戦争や殺戮や破壊を行っています。同じ起源を持つ宗教内ですら、派閥争いをするという愚かしさ。これらはみな、自分で思考判断することを停止し、「権威」に盲従するようにしつけられた結果なのです。

しかしここで、考えてみてください。「宇宙」は、昔も今も未来もあるのです。もしそこに「真理」があるとすれば、昔も今も未来も、それがあり続ける筈です。いついかなる時代でも、どんな世界であっても、どんな人にでも、普遍性を持つものだけが「真理」です。特定の時代の、特定の組織の、選ばれた人々にだけ作用するものが「真理」の筈がないではありませんか。

聖書・聖典類に、「宇宙の真理」の一端が表現されていることは確かです。しかし同時に、組織宗教が、自分たちの「権威」づけのために、内容を意図的に改竄(かいざん)したり、解釈をねじ曲げたりした部分もたっぷりと含まれているのです。それを知らないまま、「権威」に頼って盲従的にそれらを信じたら、本来の目的とは違ったところへ運ばれて行ってしまいます。

それと、今とは言葉が違うことや、当時の弾圧の影響下で、暗号によって書かれたものも多いのです。そうなると、その暗号を解きたいと思うのが人の常。しかしそこに「権威」が被さっていると、ある句を、人類の未来に関する重大な予言と解釈してしまう誤りが生じかねません。この悪影響が、もの凄く大きいのです。それこそ、世界を破壊しかねない。

これを読んで下さっているみなさんは、これからは一切の「権威」を無視して、ご自分の思考と判断で、数多あるメッセージを取捨選択し、読んでいただきたいのです。いかに「権威」ある聖書・聖典と言えども、みんな One of them に過ぎないと思っていただきたいのです。実際、そうなのですから。

いかなるメッセージにも、「権威」を与えてはならないのです。なぜなら、あなたにとってもっとも重大なメッセージは、すでにあなたの中に有るのですから‥‥。なにゆえ、外に頼る必要があるでしょうか?

「真理」は普遍的であり、普遍的なもののみが「真理」と言えるのです。ですから、いついかなる時代にも、世界中にメッセンジャーが居て、いつも「真理」の言葉を語っています。今、アセンションの時を迎えて、その内容も一段と濃くなり、多様性も増しています。

今までは暗号のように記述されていたことも、分かり易く示されるようになって来ています。情報革新は何もスマホだけの世界ではないのです。霊的世界でも、情報革新が急激な勢いで進んでいるのです。そのような時代に、何を今さら聖書研究でしょうか?

判じ物(謎解き)のように書かれた古代の書物を研究する時間があったら、今の言葉で書かれたものや、科学や、芸術や、自然に接する方がずっといい。なぜなら、それら全てがメッセージだからです。「権威」を崇める必要もなければ、「権威」に従う必要もありません。あなたは、もっともっと自分を信頼してよいのです。