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「瞑想」は頭をカラッポにすることでも、心を無にすることでもない
霊性開発のいちばんの手段は、何と言っても「瞑想」です。「瞑想」を習慣づける生活をすることで、あなたのチャンネルが開かれ、少しずつ、あなたはご自分が何者であったかを思い出していきます。こころ静かにできるこの体験は、充実した楽しいひと時であり、「瞑想」に親しむことによって、あなたの人生は何倍も豊かになります。

「瞑想」は、あなたが考えているほど難しいものではありません。実はあなたも、日々「瞑想」を行っているのです。それは、我を忘れて何かに集中している時、気持ちよさに心がフワッと浮いた気分になった時、インスピレーションがパッと湧いた時。これらはすべて「瞑想」のバリエーションなのです。

同じことを、これは「瞑想」なんだと意識してやってご覧なさい。その時から、あなたは「瞑想」習慣を自分のものにすることが出来ます。電車の中で、お風呂の中で、公園のベンチに座っている時に、いつでも少し意識するだけで、あなたは「瞑想」の世界に入ることが出来るのです。

「瞑想」習慣がとりわけ重要なのは、あなたがご自分の声に従うことが出来るようになることです。大多数の人は、自分の声に従うなど思いもつきません。そのため、いつも自分の外側にある情報を気にし、これに振り回され、自分自身を見失っているのです。でもそうではないということ。大切なことは全て自分の内側にあり、いつでもあなたはそこにアクセスできるのです。

あなたが友とすべきは、自分自身なのです。

「瞑想」を難しくしてしまったのは、ZENが、屁理屈をこねまわしてしまったからです。頭をカラッポにしなさいとか、心を無にしなさいとか。
これは「空」や「無」という、宇宙の成り立ちに関する概念を、無理やり「心」の状態に敷衍(ふえん)させてしまった結果の、誤解の産物なのです。

もし「瞑想」が、ZENが主張する通りのものであったとしたら、西洋には「瞑想」がないことになってしまいます。しかし実際にはそうではありません。古代エジプトから、もっと遡れば遥か以前から、「瞑想」習慣は、世界共通のものとしてあったのです。

「瞑想」状態に入っている時(ちなみに夢もそうですが)、人は肉体的存在であることを忘れています。その分、自己の本質である「魂」が浮かび上がって来るのですが、「魂」は思念が塊となったエネルギー体ですから、生命を謳歌して活発に活動しています。ですから、頭をカラッポにしようとしても、心を無にしようとしても、どだい無理なのです。

そうではなくて、「魂」の状態を遊ぶのが「瞑想」です。広義でいう「瞑想」は、その深度に応じて、リラックス → 集中 → 変性意識状態(狭義の瞑想)→ サマーディ(三昧)へと進みます。最終段階のサマーディだけは、到達するのがなかなか困難ですが、第三段階の変性意識状態までの移行は、それほど難しいものではありません。

ただし、その日の体調や、周辺環境によっても、意識状態は影響を受けるので、いつもいつも深い「瞑想」状態が得られるとは限りません。それを目標にしますと、未達の焦りが生じてしまいますので、気楽になって身を任せて、その瞬間を楽しむように心掛けてください。ちょっとしたリラックスならリラックス状態を、何かに集中しているのなら集中を楽しめばよいのです。

ZENのもう一つの悪い点は、「瞑想」を苦行にしてしまったことです。足を組んで微動だにしないように保つ。ちょっとでも動くと、パシッ!と警策で叩かれる。これでは、第一段階のリラックスに入ることすら困難です。

足を組む必要もないし、ソファーでもいいし、寝転んででもいいし、とにかく楽に親しんでください。苦行ではなく「楽行」でいいのです。むしろそうすべきなのです。
本当のあなたを発見するために。ぜひ「瞑想」習慣を楽しんでください。