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登校拒否は、子どものストライキ
90年代の初頭、流通視察のために何度かアメリカに行きました。そこで、平日の昼間、ショッピングセンターに子どもがたくさん来ているのを見て首を傾げました。「はて? 学校はお休みなんだろうか?」ツアーガイドに訊いてみると、アメリカでは、日本みたいに「全員が学校へ行かなきゃ」という感覚が乏しいのだと言う。それを聞いて、当時はとても驚きました。

その日本も、90年代から2000年にかけて、不登校の児童数が急増し、4万人から3倍の12万人にもなり、その後は横這い状態が続いています。

なぜ登校拒否なのでしょうか? 文部科学省の調査結果を見ると、「登校拒否に陥ったきっかけ」という項目がいろいろ並んではいるのですが、私の見解は違います。一言で言えば「学校に魅力がない」から、「今の義務教育に魅力がない」からだと思うのです。もし魅力があれば、何をさておいても学校に行くでしょう。

調査をしている主体が、学校を仕切っている文部科学省なので、もちろんそんな項目はありません。それに、「登校拒否に陥った」とあるように、学校に行かないことを「問題視」する視点で貫かれています。この傲慢な姿勢こそが元凶なんだと、なぜ気がつかないのでしょうか?

ここに一軒の飲食店があったとします。このところ客足がパタッと落ちた。その時に、「なぜ客は、来店拒否に陥ったのか?」とは、ふつう考えないでしょう? 自分たちの店から魅力が失われているのではないかと、考えるのではないでしょうか。つまり文科省には、「子どもたちへのサービスをしている」という発想が、全然ないんですね。

「登校拒否」を問題視するよりも、そっちの「気づきのなさ」の方が重大な問題だと思います。客足が途絶えた理由を、客のせいにしてどうするんですか? 傾いた経営を立て直すために、もし土光さんが乗り込んだとしたら、真っ先にするのは、たぶん文科省と教職員の意識改革になると思います。

アメリカの民主主義は地域からの積み上げ型、日本の民主主義は中央からの落下傘型で、そもそも考え方が違うのですが、「登校拒否」児童を、システムからの脱落者のように言うのは誤りだと思います。「登校拒否」は、「拒否」という行動を通じた表現だし、それは「子どもたちのストライキ」なんだと、私は思う。「今のシステムには乗らないよ」という抵抗運動なんだと思う。

大人だって、長い物には巻かれろ式の体制順応型が多い中で、体制に逆らう勇気を持っているのだから、凄いことだと思います。そのエネルギーを、先ずは賞賛してあげて、後は眠っている才能を引き出す手助けを、周囲の人たちでしてあげられればいいと思う。そういう私設の寺子屋が、今こそ必要だと感じています。