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地上に「善」と「悪」がある理由
もし宇宙に「神」と呼ぶような存在があるとすれば、どうして地上に「善」だけではなく「悪」が存在するのか? おかしいではないか? そう思われたことはありませんか? 私もこれが、長い間の疑問でした。そのことをもって「神」など存在しない、と言う方もきっとおられるでしょう。

昨日は「光」と「影(闇)」の話をしました。光あるところ必ず影があり、影あるところには光がある。これについてはご納得していただけるのではないでしょうか? しかしこれをもって、地上に「善」と「悪」がある理由とするわけにはいきません。「光」と「闇」を、「神」と「魔」に置き替えることが誤りであるように、「善」と「悪」に置き替えることもまた誤りなのです。

先ず「善」と「悪」というのは、主観的な問題に過ぎないということです。何をもって「善」と言い、何をもって「悪」とするかは、人それぞれだということ。現に、国家や民族、宗教によっても「善・悪」の基準は大いに異なります。たとえば、豚肉を食べることはどうなのか? 女性が肌を露出させることはどうなのか? お金を貸して利子を取ることはどうなのか?

同じ民族、国家の中でも、自然やエネルギーや経済に対する考え方は異なります。原発推進は「善」なのか「悪」なのか? 自然を破壊しても経済を優先すべきなのか? そうすることが人類にとっての幸福なのか? ある人にとって、それは「悪」に見えたとしても、ある人にとってはそれは「善」なのです。ですから、「善・悪」で物事をくくることはできません。

いやいや、誰が考えても「悪」というものだってあるはずだ。たとえば「殺人」はどうだ。「殺人」はどう考えたって「悪」だろう。果たしてそうでしょうか? 戦争で「殺人」をすれば賞賛されますよ。場合によっては勲章まで貰える。アメリカの歴代大統領は、「正義の闘いだ」ってみんな言っているじゃありませんか。

重要なのは「善・悪」ではありません。人が生きていくために、それがよいかどうかです。人間は自然環境の中に生きていて、そこからの恵みを得て生命をつないでいます。ですから、そのシステムを自ら破壊することは、「悪」ではなく「愚か」だということです。人を殺せば、恨みを買ったり、報復の連鎖に成りかねないのですから、やはり「愚か」です。

ですから、先ずは「善・悪」が問題なのではないと。しかし「善」と感じたり「悪」と感じたりする心はあるわけで、それが何から発生しているかと言えば、やはり「光」と「影」という双極性から発しているわけです。ここで、あなたの周囲を見回してください。あなたの周囲にあるもので、双極性を表していないものなど、なに一つありません。

昼と夜、東と西、表と裏、SとN、プラスとマイナス、右と左、上と下、オスとメス、交感神経と副交感神経、etc.。原子1個をとっても、原子核と電子があります。素粒子にも右スピンと左スピンがある。凡そありとあらゆるものが、双極性の間に出来上がっているのです。つまり万物は、陰陽の双極性の間に創られている、と言えます。

これを見事にシンボル化したものが、「陰陽太極図(タイチーマーク)」です。これは、宇宙を表しているのですが、宇宙というものは「陰」と「陽」の渦から成り立っていることを表しています。

白と黒の渦の中にも反対色の小さい丸がありますね。これはそれぞれ陽中陰、陰中陽と言って、「陰」と「陽」の中にも、反対の要素が含まれていることを示しています。

この形を、宝石に加工したものが「勾玉」です。またこの形は、受精卵の胚が発生していく際の初期の形態をも表わしています。つまり、生命の誕生ですね。さて、「陰陽太極図」は、別名「陰陽魚」とも呼ばれます。「勾玉」を魚の形に見立てたわけですが、それで何かを思い出しませんか? そうです「双魚宮」のゾディアックシンボルです。

つまり、魚座の時代とは、宇宙の双極性にフォーカスを当てた(当て過ぎた)時代だったのです。双極性自体は決して間違いではないのですが、その元は一つであるということまでは思いが至らなかったのです。そのため、「善」と「悪」の対立、「神」と「魔」の闘いという考えが、作り出されてしまったのです。

さあ、これでもうお解りでしょう。宇宙に「光」と「闇」、つまり「陽」と「陰」がなければ、万物は生じなかったのです。生命も誕生しなかったのです。もし宇宙が「光」だけだったとしたら、「光」は自らを「光」と認識することはできません。「闇」があるからこそ、「光」は「光」として自らを認識できるのです。「闇」もまた同様です。

このことから、我々が住む物質世界は、別名「相対性の世界」と呼ばれています。あらゆるものが相対性の中にあるのです。それは、自らを認識するためなのです。相対性の海の中で、あなたは、ご自分の生き方を自由に選ぶことができます。そして、選んだ結果が、明日のあなたを創るのです。「光」を目指そうとするのも、「闇」を目指そうとするのも、あなたの自由です。

お解りでしょうか? 「善」と「悪」は、あなたの感じ方の一つです。それは相対的なものに過ぎません。そこで身を焦がすよりも、自分が今「相対性の世界」に暮らしているということをしっかり認識して、「さて、どういう成長を図ろうか」と、日々の選択をしていくことがよほど重要だということ。

さてあなたは、どっちの道を行く?