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BS1スペシャル『私はどこに還るのか〜中国残留孤児の歳月〜』を観て
NHK BS1スペシャル『私はどこに還るのか〜中国残留孤児の歳月〜』というドキュメンタリーを興味深く観ました。ちょうど『大地の子』の再放送が終わったところで、主人公の陸一心が、実父から「日本に来てくれ」と誘われ、「私は大地の子です」と答えるところでドラマは大団円を迎えます。

「大地の子」というのは、中国大陸という意味だけではなく、もっと大きな地球という意味でもあり、それが「日中に隔てはないんだ」ということを暗示しているわけですね。でも実父にとっては、その言葉は、日本で一緒に生活したいという願いがもう叶わぬものだと、悟らされる瞬間になるのです。

1980年代、中国残留孤児の肉親探しが始まると、当時のニュースは連日これを報道していました。その当時の中国は、小平の改革開放路線が開始さればかりでまだ貧しく、人民服とボサボサ頭の帰国者たちが、肉親と抱き合って再会の涙に暮れる姿が印象に残っています。

しかし今や経済状況は逆転。日本に見切りをつけ、日本語と中国語の両方ができる強みを活かして、中国に還る戦争孤児一世、二世、三世が増えているというのです。(『大地の子』の原作者である山崎豊子さんは、「残留孤児」と言うと、自分の意思で残ったような印象なので「戦争孤児」と言うべきだと語っている)

前に、清掃のプロフェッショナルとして活躍している戦争孤児の女性のことを書きました。その方も仰っておられたのですが、中国に居た時は「中国人じゃない」と言われ、日本に来たら「日本人じゃない」と言われる。この経験は戦争孤児たちみんなが持っているようで、陸一心のように「私は大地の子です」と言えない現実というものがやはりあるわけです。

私はつくづく「どうして人間はもっと優しくなれないんだろう」と思うのです。戦争孤児となってしまった一世も、その子である二世も、国家が仕出かした戦争というものに巻き込まれて、やむなくそういう状況に置かれてしまったのに、ただただ肉親に会いたいと願い帰国してみれば、待っていたのはイジメだった。

こういう特殊性というものは、そこをどう乗り越えるかという点で、我々に大きな示唆を与えてくれます。そこが、私にはとても興味深い。特殊な環境で育ったということは、ある意味、自分の今の不遇を、全部「環境」のせいにして仕舞いやすいということです。そこで、生き方に大きな差が出てくる。

全部を「環境」のせいにして、恨みや絶望感に打ちひしがれたまま過ごす生き方もある。一方で、それをバネにして、反面教師にして、力強く己の人生を開拓しようという生き方もある。またある人は、特殊と言えば特殊だけれど、個人個人はみな特殊な環境を歩んでいるんだと気づいて、自分の人生を受けとめようとしている。

こうした違いが、このドキュメンタリーには全部出ています。さらにこれに、親子の問題が絡んでくる。子どもに対して「すまない」という気持ちをいつまでも抱き続ける親。子どもに愛情をかけることをせずに「自分は悪くない」とあくまで主張する親。子どもの成長を喜び、見守ろうとする親。いろんな「親のあり方」も出ている。

番組中、胸が痛んだのは、現在43歳となった登場人物の一人が、小学生だった時の映像。たぶん戦争孤児二世ということで、当時注目され撮られていたのでしょう。「お前ら」呼ばわりする教師が、この少年を、叱咤激励するつもりで大声で怒鳴りつけているのです。可哀想に、少年は身をすくめてその怒声にじっと耐えている。

こんな、錯覚した教師がいるかと思うと、本当にやりきれない。それが私学だったら果たして通用したでしょうか。予備校だったら通用したでしょうか。工場の幹部だったとしたら通用したでしょうか。義務養育の安定したサラリーマンという立場にあぐらをかいて、教師ズラを振り回すとはいったい何事かと思います。人間性を疑います。

子どもたちにとって、身体の大きい、力の強い大人は、まるで大木のようなものです。その大木が、地位や権威を振りかざして一方的に怒鳴りつけたりしたら、どれほどの恐怖を感じるか。こんなことは絶対にやっちゃいけない。大人は子どもたちに対して、暑い時には木陰をつくり、疲れたら背をもたれかけさせてあげられる、そういう大木にならなければいけないのです。

再放送:12月30日(水曜)午前10時 BS1 よかったらご覧になってください。