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「清貧」である必要はない
私はどこからどうみても貧乏人です。54歳の時に「もうダメだ、自分は通じない」と実感して、それまでの仕事を捨てる決心をしました。その後はアルバイトで生計を立てようと思っていたのですが、上手く行きませんでした。年齢ではねられてしまって、まずもって雇って貰えない。労働市場の過酷な実態を目の当たりにしました。

「清貧」という言葉がありますよね。自分が「清」であるかは判りませんが、「貧」であることは間違いない。ヒヒーン。他に「貧すれば鈍す」(貧乏をすると、生活の苦しさのために精神の働きまで愚鈍になる)という言葉もありますが、そうならないように「貧して、ますます鋭す」を心掛けています。略して「貧鋭」。

貧乏というのは、結局相対的なもので、絶対的な貧乏とか、絶対的な金持ちというものはないわけです。お金のない人はないなりに工夫して暮らし、ある人はそれなりに使えばいいだけのことです。私も今はこうですが、お金がある時にはそれなりに使いました。いちばんいけないのは、お金を溜め込むこと。流れをストップさせることです。

お金は、よく血液に例えられます。社会の中で健全に回っている間は健康で、そこに鬱滞、鬱血があると、社会は病気になってしまいます。甚だしい時には、動脈瘤破裂などの症状も起こすのです。

お金持ちというのは、要するに大動脈を担っているわけで、動かす血液量が多いわけです。ですから、それをストップさせたら影響が大きい。全身に血液が回らなくなる。この血液を適切に回すことで、小さな血管にも流れて行き、果ては毛細血管まで行き渡るのです。私などは、さしずめ毛細血管の役割を担っているというわけです。でもこれだって、なければ困る。

結局のところ、それぞれに応じた働きをすればいいのであって、別に「清貧」である必要はない。逆にみんなが「清貧」を目指したら、社会は困ってしまいます。

いま富者である人は、前世で人々を労ったり、施しをしていた経験があって、今世そうなっているのかも知れません。ですから、次に極貧に陥ったりしないように、その恵まれた境遇を活かして、他の人々に役立つようなお金の使い方をすればいいわけですね。残念ながら、そういう人が少ないようですけれども。