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しつけ
ショッピングセンターでエスカレーターを降りようとしたところ、降り口で、むづかる女の子をどやしつけている母親の姿が眼に飛び込んで来ました。いたたまれなくなって、避難のために上の階までスルーしました。上のフロアで降りても、まだヒステリックな怒鳴り声が聞こえてきます。自分が今どんな状態でいるのか、客観視する余裕が全くないのでしょうね。

児童虐待が事件になったりすると、その親はたいてい「しつけのつもりだった」と言います。身へんに美と書いて「躾」。この漢字は国字で、礼儀作法によって身体を美しく整えるといった意味合いがあるようです。きっと武士階級や貴族が、その威厳を保つために、日常の所作などを訓練したのでしょう。

しかし、現代の親に、子どもに伝えられだけの美しい所作を体現した者など、どれほど残って居るでしょうか? 少なくとも、あたしゃ失格です。

私の母親は、40代の頃にPTAの役員や婦人会の役員をしていましたが、そのせいもあってか「しつけ」というものにうるさかった。でも家でやっていることは、しょっちゅうヒステリーを起こして竹尺で私を叩く、紐で身体をしばって押し入れに放り込む、という自称「しつけ」でした。

いま振り返ってみて、そういう折檻があったのにはそれなりの原因というものがあったと思うのですが、そっちは全く覚えていません。ただ、折檻のあの手この手のバリエーションだけを鮮明に覚えている。だから実質、「しつけ」効果はゼロ。(´_`;) 結局、「しつけ」などと言ったところで、自分の思い通りにしたいだけなんですよね。

「礼儀作法」や「所作」は、そりゃあ美しい方がいいです。でもそれを身につけて貰うのに必要なことは、訓練であって、結局「コーチング」ということになるのだと思います。「しつけ」というと、すぐに「厳しくするかどうか」という議論になるのですが、最初から上から目線で考えていて「コーチング」という視点が、全く抜けていると思います。

私は、子どもとよく話し合うことが大切だと思う。「こうしなさい」ではなくて、どうして「礼儀作法」が必要なのか、何のために「礼儀作法」があるのか、こんな場面ではどうしたらいいのか、子ども自身に考えさせて、意見を聞きながら修正していけばいいと思う。それが「コーチング」の神髄ですから。

結局、自分で考えて行動したものしか残らない。ロボットにしようとしたって、無理なんです。