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イエスが、「わたしが、父に至る唯一の道である」と語った意味
その言葉は、『ヨハネによる福音書』の第14章にあります。最後の晩餐の席で、イエスがこれから起きる出来事について弟子たちに語った際、動揺したトマスが「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかると言うのでしょう?」とイエスに問いかけます。その答えとして、イエスが次のように語るのです。

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである。」(14章6節〜7節)

実にこの言葉が、非常に大きな問題を孕んでいるのです。「だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」。《父》というのは、キリスト教では「神」の代名詞ですから、イエスは「自分によらなければ、神の国には、絶対に到達できないのだ」と、ここで宣言したわけです。

これが、イエスを「ただ一人の神の子」とするキリスト教においては、非常に強い求心力となり、他方で、キリスト教以外の宗教では神の国へは行けないという、排他主義と独善のバックボーンを形成する理由になったのです。

キリスト教徒たちは、みな「信仰」を土台にして『聖書』を読み、解釈を行おうとします。先ず「信仰」ありきなのです。そのため、キリスト教成立時の歪み、『聖書』編纂時の歪みを一切考慮することなく、「歪み」のままを信じ切って、言葉を捉えようと努力します。これが、今日に続く大きな間違いを生んでいるのです。

イエスはキリスト教の教祖ではない、ということは前にも書きました。ではどういう人物だったのか? 今日の言葉で言えば、チャネラーだったのです。しかも類いまれな能力を持った‥‥。ですから「真理」を、「宇宙の法則」を、私見を交えずに正確に下ろすことができたのです。そのようにして見ると、イエスが「私が、父に至る唯一の道」と語った真の意味が解るのではないでしょうか。

イエスは最初にこう言っています。「わたしは道であり、真理であり、命である」。このことから解るように、チャネラーであったイエスは、この時「大いなる存在」を自分の中に下ろしているのです。ですから「もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。」と言っているのです。チャネラーとしてのイエスと、神とが、もう渾然一体となっているわけですね。

その「大いなる存在」が、「だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と、イエスの口を借りて語ったのです。ですからこの言葉は、イエスの傲慢でも、キリスト教だけの選民思想でもなく、普遍的真理を語っているだけなのです。

「道」とは霊性を向上させていく階梯のこと、「真理」とは法則のこと、「命」とは宇宙全体の成り立ちであり輪廻ということ。この三つが全部一つとなった存在が「わたし」であり、「命」の仕組みと「真理」を正しく理解して、愛の人となって「道」を歩むこと以外には、絶対に神の世界には到達できないのだという人類に共通した課題を、その存在がそこで示したのです。

イエスがチャネリングをしていたことは、この章の他の文章からも解ります。
ピリポに語った言葉。
「わたしを見た者は、父を見たのである。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。」

イスカリオテでない方のユダに語った言葉。
「わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。」

素直に読めば、人間イエスがチャネリングをして「真理の法則」を語っているということは、これはもう明らかなのです。それなのに、父と子と聖霊の「三位一体説」を前提として言葉を解釈し、しかも神に父という人格を与え、イエスを「唯一の神の子」と言って特別視したことから、そこで語られている普遍的真理が、大きく歪められてしまったのです。

魚座の時代が終わり、水瓶座の時代となって、これらの歪みが、正されなければならない時期が来ています。

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注:創造神、神、神々について
創造者と被創造物は、必ず一対一の関係として存在します。したがって全宇宙を創造したものも、どこかに居られるはずです。それを一般には《創造神》と呼び、それは論理的に考えて一者です。けれども、この《創造神》が何であるかは分かりません。なぜなら、《創造神》が居るとしたとたん、その《創造神》の創造者が存在しなければならず、パラドックスに陥ってしまうからです。

ですから、一般に《神》と呼んでいる存在は、《創造神》ではないことになります。では何なのか? 非常に高いレベルの霊的存在ということになります。宇宙は多次元(霊性密度)で構成されており、高い波動になればなるほど、人格的なものは消えて行き、それらの霊が合体してより普遍的な、宇宙的な存在となって行きます。

これらの高い霊性を持った存在たちが居る領域を、一般には「神界」と呼んでいて、ここには複数の存在がおられるのです。ですから、一般に《神》と呼んでいる存在は一者ではなく、複数が居る。つまり《神々》を構成しています。我々に話しかけて来る《神》は、これら《神々》の中のどなたかであり、唯一絶対の存在である《創造神》が直接語ることはあり得ないのです。

*もし、《創造神》が自ら語ったとしたら、《創造神》が居るということになり、冒頭で書いたパラドックスに再び陥ってしまいます。

イエスが《父》と呼んでいる存在は曖昧模糊としていますが、イエスを通して言葉を発しているのですから、「神界」に居る《神々》のことを語っていると見られます。またこの「神界」の中も多次元構造になっており、たくさんのレベルの違う霊たちが居るということを付け加えておきます。