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エロスの愛について
愛には、エロス(性愛)、フィリア(隣人愛・博愛)、アガペー(真の愛・神の愛)と、三段階があるということを別のところで述べましたが、今日は七夕ということで、エロス(ερως, eros)の愛についてもう少し深くお話したいと思います。

エロス(エロース)は、男女間の恋心にからむ愛のあり方を言っていることから「性愛」と訳されるのですが、そこには当然ながらセックスも含まれています。これはエロスの愛が、感情を司る第三チャクラ(マニピューラ)だけではなく、その下部にある第二チャクラ(スワディスターナ)の影響も受けているからです。

スワディスターナ・チャクラに対応した内分泌腺は男女ともに性腺であり、日本語でいう「エロ」は、元々はエロスのことなのですが、肉欲的な部分に特にフォーカスを当てた言葉になっているわけです。しかしエロスは、相手を恋しいと思う気持ちからセックスまでの、一連の意識のあり方を言っている言葉です。

さてこの恋心なのですが、「恋しい」という気持ちは、その相手を獲得したいという願望なのです。運よく両者の思惑があって、結婚に漕ぎつけ、式場で永遠の愛を誓う。この誓いには、浮気をしないということと、どちらかが死ぬまで喜びも悲しみも共に分かち合う、ということが含まれていて、みんなその時はしおらしく「ハイ」と言うのですが‥‥これが守られないんですよねぇ。

アメリカでは結婚したカップルの2組に1組が、日本では3組に1組が、その後離婚しています。しかしこれは、現代社会では仕方がないとも言えます。

「恋しい」という気持ちは、自分の相手に対する恋慕を、何としてでも満足させたいという感情であって、多分に自己中心的なのです。だから「恋しい」相手が、他の異性の方を振り向いたりすると、嫉妬心が沸いて腹が立ってくる。これは本当に相手を愛しているわけではなくて、自分を満足させたい、要は自分を愛しているだけなんですね。

ところが、ラブラブの間は、熱くなって錯覚しているものだからそこに気づかない。結婚して一緒に生活してみて、初めて「あ、この人は自分を愛しているわけじゃないんだ」「独善的なだけだったんだ」と気づく。そして破局を迎える。しかしそう言っている本人自身が、独善的なことに気づいていないわけで、まぁお互い様だったということです。

そのように、自己愛とか自己執着が非常に強い段階では、感情が激しく揺れ動きます。自分というものを客観視する余裕がまだないのです。そして激しく揺れ動く気持ちを「大恋愛」などと錯覚している。ですから自己愛が強い人ほど、心が不安定で、満足というものを知らず、自分が愛されることばかり考えており、他者を愛するということができないのです。

心が治められないという人は、一度じっくり自分を振り返ってみるといい。その背後に、自己愛、自己執着、自分を守ろうとする気持ちが、どの程度まだ残っているかを。両者は完全にリンクしており、このことは、心を治める上での重要なヒントを与えてくれます。つまり、自己愛を手放して、利他愛に目覚めれば、自動的に心も治まっていくということです。

これが本当に解った人は、「なぁんだ、こんなに簡単なことだったのか」と思うはずです。ところが、これがなかなかできないのですね。自己愛の自己愛たるゆえんです。