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"I am that I am"とは?
「神」というのは人間が「それ」に対して与えた名前であって、「それ」自体は自分を「神」と名乗ったことは一度もなく、「それ」は永遠に知られざるものです。ところが、人間としてはそれでは納得がいかない。パラドックスのままではどうにも気持ちがスッキリしない。そこで人間は「神」を自分の外側に創り、これを崇め奉ったのです。

これが、過去2000年間、地中海史の基調を彩ることになった「一神教」の始まりです。ご承知のように「一神教」では「偶像崇拝」を禁じています。しかし「偶像崇拝」の本当の意味は、像に「神」を刻むことではありません。「一神教」そのものが、人間が創ったもの、つまり「偶像崇拝」に他ならないのです。

だからこそ「一神教」同士が縄張り争いをし、激しくいがみ合うのです。それが「真」のものならば、「全ては一つ」を体現しているはずです。「全ては一つ」なのですから、そこには分離はなく、したがって争いもなく、みなが仲良く平和に暮らしているはずです。それが実現していないということは、過去2000年間の宗教の試みは失敗に終わったということです。

『旧約聖書』の出エジプト記3章14節に、意味不明とされる次の言葉があります。
אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה(エヘイェ・アシェル・エヘイェ)
これは、モーセに《神》がイスラエルの民を救い出すようにと促したとき、モーセが「ただ私がそれを言ったところで信用されません。どなたから言われたと答えればよいのでしょうか?」と質問した際に、《神》なるものが「こう申せ」と語った言葉です。(すみません、シャレです)

英訳では、"I am that I am" と書かれています。
ところが、日本語訳になったときに、これが「我は在りて有る者である」と訳されているのです。
在りて有る者? まったく意味不明です。実は、これは完全な誤訳なのです。
この本当の意味は、こうなのです。

最初の「I am that」の「that」は関係代名詞で、後に続く文、「I am」を表しています。
ところがこの「I am」の後ろにあるもう一つの「that」が、重なるために省略されているのです。つまり本当は、

"I am that /I am(that)" 

なのです。後ろの文の「I am that」は「私は《それ》である」という意味です。ですから《それ》が略されて「I am」となっている部分には、「《それ》と呼ばれているところの私」という意味が隠されているのです。

これらから、"I am that I am" の意味は、次のようになります。
「私は、《それ》と呼ばれているところの者、それである」

これは実に意味深で巧みな表現です。一つには、いま言った《それ》という答え(自分では「神」とは名乗っていないことに注意)ですが、もう一つは、言葉が重なっていることの意味です。これは相似形を表しているのです。つまり、ヘルメス文書にある「下なるものは上の如く、上なるものは下の如し」という「全一の法則」を、この一文が余すところなく表現しているのです。

「全一の法則」:「全部が一つ、一つが全部」ということ。一者の法則(The Law of One)とも言う。天人合一、不二一元、万教帰一、アルファでありオメガ、これらも全ておなじことを言っている。

さらに言えば、このことから、誰もがそのように宣言してよいということもまた表しています。なぜなら、万物が一つのものから分かれたかけらであり、なおかつ繋がっているからです。あなたという存在は、《それ》のかけらであると同時に、あなたの中にも《それ》の全てが含まれているのです。マクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(人間)は相似形なのです。

ですから、堂々と宣言してください。
"I am that I am" 「私は私です」と。