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霊能者が語る「恐怖の予言」の類は一切無視してください(2)
「恐怖の予言」を無視していただきたい理由は他にもあります。
これにはリアリティの本質ということが関わって来るのですが、我々がよくいうところの「現実」とはいったい何か、ということです。多くの人は、「現実」の中で自分が生活をしていると、疑いなく思っています。しかし、果たして本当にそうなのでしょうか?

私たちが外の世界を認識する際には、五感という感覚器を使って、先ずそこにある信号をキャッチします。この信号を、神経を通して脳に伝え、脳がその情報を処理することによって、外界が認識されます。ところが、この「認識」が、誰においても共通だという保証は全くないのです。むしろ、全員違うといった方が正しい。

先ず感覚器の性能が違う。視力の良い人、悪い人。耳の良い人、悪い人。鼻が利く人、利かない人。味が分かる人、分からない人。様々です。

それと、我々が何かを知覚する際には「選択的集中」というものが起きています。例えば、会議室でマイク録音をしますと、後で聞いて色々な音が入っていることにびっくりされるでしょう。しかし会議中は、発言者の声に「選択的集中」をしているために他の音は聞こえないのです。これはその他の感覚器についても同じです。

次にこの信号を脳に送って、脳が情報処理をするのですが、脳は過去に蓄えた情報を瞬時に呼び出して解釈をしようとします。例えば「あ、この香りは前に嗅いだことがある」などです。そうしますと、過去体験した情報の蓄積具合によって、みな処理が違うということになります。

さらに、そこから生じる感覚や感情も、それぞれで全く異なるのです。同じ食べ物を前にしても、ある人は「美味しそう」と思い、ある人は「私これ嫌いなの」と言う。これらのことから解るように、外界の「認識」には、何段階ものバイアス(歪み)が掛かっており、人それぞれだということがお解りいただけるでしょう。

では改めて「現実」とは何でしょうか? 我々は「現実」そのものをキャッチすることはできません。それは不可能です。我々が「認識」できたものは、それぞれの人間が、自分の頭の中で拵えたイメージだけなのです。これが、その人の「リアリティ(Reality)」です。

つまり「リアリティ」と「現実」とは違う。人間は「リアリティ」は分かるけれども、「現実」というものは永遠に理解不能なのです。このリアリティは、個々人で少しずつ違う。けれども我々はそこを曖昧にとらえていて、共通性があるような事柄に対して「名前」を付けて、それが「現実」だと、思い込んでいるだけなのです。

例えば「太平洋戦争」の記憶と言ったときに、史実は一つとみな思い込んでいるし、教科書にも誰かがまとめたものが載っているわけですが、「太平洋戦争」を体験した人は、全員が異なる体験を語る筈です。それがその人の「太平洋戦争」の「リアリティ」です。

我々が「現実」だと思い込んでいるものは、実は錯覚に過ぎないということがお解りいただけたでしょうか? 「現実」は幻(まぼろし)。我々にあるのは、個々人の「リアリティ」だけなのです。

ではその「リアリティ」は誰が創っているのでしょう? その人、本人の「想念」です。同じ人間を見ても、悪人だと思えば悪人になるし、善人だと思えば善人になってしまう。その相手とは関係なくです。よく言うところの「思いは現実化する」というのは、実はこのことを言っているのです。

さて、「恐怖の予言」をあなたが信じたとしましょう。すると、その思いは現実化する方向へと梶を切り始めます。「想念」は一つの波動エネルギーですから、多くの人が同じ「想念」を持ちますと、この波動が共鳴しあって、大きなエネルギーの塊を作り出します。結果として、「予言」が成就する方向へと展開して行きかねないのです。
高次元の霊的存在が、そんな馬鹿なことをする筈がないことくらいお解りいただけるでしょう。結局のところ「恐怖の予言」というものは、低い波動の存在が霊能者を使って混乱を作り出し、それを見て喜んでいるという低級なものに過ぎないのです。それを真に受けていたら、あなた自身がエネルギーを吸い取られ、低い波動に落ちてしまいます。

そうならないように、「恐怖の予言」の類は一切無視してください。それよりも、「今ここ」を明るく朗らかに生きて、自分を役立て、人々のためにもなるような活動で瞬間々々を満たしてください。それだけが唯一の幸福への近道なのです。(完)