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「自分で蒔いた種は、自分で刈り取るしかない」の意味
自分で蒔いた種は、自分で刈り取るしかない。
これは、霊界が示す法則の最も基本的なものの一つです。何人も、それを肩代わりすることはできないのです。普通この言葉は、自分の身に起こる「禍い(わざわい)」に関して用いられますが、よく読めば、意味はそれだけではないことが解るはずです。

先ずは、「種を蒔かない限り、収穫はない」ということです。禍福は糾(あざな)える縄の如しで、自分にとって良いことも悪いことも、みな種を蒔いた結果、後から付いてくる。ですから、悪い結果になることが怖くて、もし種を蒔かなかったとしたら、収穫は何も得られないということになります。

当たり前のことですが、良い結果を得るには、良い種を選んで蒔く必要があるのです。種を蒔かない限り、何事も為し得ないのです。家に引っ込んで、ただ縮こまっているだけでは、収穫に与かることはできません。つまり、とにかく「行動せよ」ということです。

次に、「自分自身でしか、刈り取りはできない」ということです。ただ生きて行くということだけなら、他者からの恵みに頼ることもできます。パンを貰うことができます。しかし、霊性の向上だけは、自分自身でしか獲得できないのです。自分が気づき、自分でジャンプするしかないのです。

さて、もっと深い意味を考えてみましょう。禍福とはいったい何か?ということです。良い種を蒔けば良い収穫が得られ、悪い種を蒔けば悪い収穫しか得らない。これは、実際の農業を考えてみれば、容易に想像できるでしょう。しかし、禍福というものは、人によって受け止め方が違うのです。

たとえば、莫大な財産を相続したために、兄弟骨肉の争いに巻き込まれてしまう。あるいは、強盗事件を起こしてとうとう刑務所に収監されてしまったが、「ああ、いい経験をした」と、それまでの生き方を反省し、ガラッと人が変わってしまう。その場合、いったいどちらが禍福なのか。

そこに、「自分自身でしか、刈り取りはできない」ということの深い意味があるのです。一度刑務所に入れられて、ガラッと人が変わる人もいれば、出てきた途端性懲りもなくまた同じ犯罪を繰り返す人もいる。前者は、良い種を刈り取り、後者は悪い種を刈り続けているのです。

良い種とは「調和」を目指すことです。悪い種とは「不調和」に突き進んでしまうことです。善行善果、悪行悪果。もし自分の身の上に良くないことが生じている時には、必ずその原因には、なんらかの「不調和」があります。病気、苦悩、喪失、そのような形で「不調和」が知らされます。

これは「罰」ではありません。天の法則に何一つ「罰」はありません。良い悪いは、個我の判断に過ぎず、たとえどんなことでも、自己の霊性の向上に向けられて、物事は生じているのです。あとは、そこから、収穫を掴むだけ。何を刈り取るかは、あなた次第。あなたにしかできないのです。