by Rainbow School
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生きぬくことと、個人的な試練

この世に生を受けて、みなさんが第一に為すべきワークは「生き残り」です。これは人間に限らず、すべての生物は「生き残り」を賭けて活動をしているのです。しかし人間の場合には、この他の重要な目的があります。それは、生きぬくことによって、地上での「体験」を精一杯することです。もし「体験」が無ければ、「魂」が、わざわざこの不自由極まりない地上に降りて来る意味がありません。

 

あなた方がする「体験」は、あなた個人のものというだけではなく、「神」の手足の体験でもあるのです。そこを、先ずはしっかりと認識してください。「神」は、あなた方を通して地上世界を体験しているのです。ですから、あなた方は、一人ひとりが「神」のセンサーです。そのようにして、「神」は自分自身の新たな一面を「体験」することで、よりバージョンアップしようとしているのです。

 

ですから、先ずは、何としても「生きぬく」ことが求められます。「生きぬく」過程を通じてこそ、地上でしか味わえない、喜びや、悲しみや、この世の不条理や、試練をたっぷり体験し、「魂」であるところの自己を成長させることが出来るのです。その幸福を感じ取ってください。あなたの目に映るもの、すべてはギフトです。試練に遭えば遭うほど、あなたという「魂」は強く鍛えられるのです。

 

さてそこで、地球のアセンションの意味を考えてみましょう。どうして今年から、世界的規模での災禍が、ほぼ同時に始まったのでしょう? もちろんそこには、人類のカルマの清算という問題があります。しかし同時に、およそ2万6000年ごとに訪れる、この滅多にない機会を体験するために誕生して来た「魂」たちに、天が大きく飛躍するための「試練」をギフトしている、とも言えるのです。

 

*およそ2万6000年:これは地球の歳差運動の周差に関連があると見られる。

 

「かわいい子には旅をさせろ」です。裕福な家に生まれ、何の苦労もせずに育ったお坊ちゃんよりも、貧乏な家庭に生まれて、艱難辛苦を経験して来た人の方がずっと学びが多い。この、人類全体への「試練」は、人類全体を愛するがゆえの、「神」からのプレゼントであることを知ってください。ですから、降りかかる災禍を怯えて過ごすのか、ギフトと捉えるのかで、今後のみなさんの生き方は大きく違って来ます。

 

あなたにとって、一番の「試練」とは何でしょうか? おそらく、死ぬかも知れないような体験をすることでしょう。しかし、「死」そのものは「試練」ではありません。これを混同しないように。「死ぬかも知れないような体験をすること」は、なるほど大きな「試練」ですが、「死」それ自体はごく普通のことです。回転ドアを向こう側へ抜けることでしかありません。ここに、「生きぬく」ことの意味がある。つまり、どのように「生きぬく」のか、という点です。

 

兵隊として戦場に駆り出され、殺すか殺されるか、という瞬間に出遭ったとしましょう。例えば、草むらを匍匐前進していて、大丈夫かな?と立ち上がって見たら、すぐ目の前に敵兵がいて二人同時に相手に気づいた、というような瞬間です。さて、どうする⁈ 今の私なら、躊躇なく殺される方を選びます。それは、その瞬間の、〈死ぬかも知れないような体験〉に際しての、自分の「生き方」の選択なのです。

 

では、この度のことに限らず、今後「試練」を目の前にした時、あなたという個別の「魂」は、どのような「生き方」を選択して行けばよいのでしょうか?

 

このアジェンダ(Agenda:実行に移されるべきことがら)は、決して全員に共通したものではありません。今度のような社会全体を揺るがすような大事件が発生した場合、社会は、世間は、政治は、全員に共通の行動を取らせようとします。しかし、ただその言いなりになって巻き込まれてしまいますと、「魂」としての自己固有のアジェンダを見失ってしまいます。それでは何のために転生して来たかが分かりません。

 

大小含めて、事件や事故や厄災に遭遇した時には、その「体験」を、自分としてはどのように受けとめて、理解するかが大切なのです。いつも言っているように「行為」が重要なのではありません。外にあるものはみな、単なるスクリーンなのです。その「行為」に付随した、「思念」や「意識のあり方」こそが重要なのです。それが、あなたという「魂」の、霊的な成長度合いを決定づけるのです。

 

あなたという存在は、小宇宙(Microcosm)に喩えられます。これは大宇宙(Macrocosm)のミニチュア版と言ってもよく、両者は相似形を成しています。そこで、大宇宙を「神」と呼ぶのだとすれば、あなたも小さい「神」、少なくとも「神」の一部である、と言えるのです。ただ、全部の「魂」に個性を持たせた結果、全員に、各々異なった「歪み」がちょとずつ生じている。けれども、底部にある本質(真我→神我)は、みな同じなのです。

 

では、なぜ「神」は、全部の「魂」を、自身の完全なる相似形として創らなかったのでしょうか?

 

この理由は、直ぐにお解りでしょう。

全部が同じでは、軋轢も共感も生じ得ないからです。よって「神」ご自身からすれば、新しい体験が生まれよう筈がありません。自身をバージンアップ出来ません。そこで、各々の「魂」に、個性と自由が与えられているのです。

しかし、どの「魂」であっても、みんな愛すべきかわいい我が子であることには変わりがなのです。

 

宇宙の真髄は振動するエネルギー体です。大宇宙というのは、物質的世界も非物質的世界も含め、全体がバイブレーションの階層から成り立っています。たった一つの素が、ただ振動数が違うというだけで、あらゆるものを創りだしているのです。実に驚くべきことです! そして、振動数の低い、つまり密度の低い帯域から、振動数の高い、つまり密度の高い帯域までが、指数関数的にグラデーション状に連続しています。

 

*指数関数的;等間隔による階段状の上下(算術級数的)ではなく、べき乗の関係で大きくなったり小さくなったりするような関係。→『Powers of Ten』を参照

 

この帯域の違いは、便宜的に7つに分けられ、各階層にはシンボルカラーとして「虹の七色」が当てられています。これは単にそのように色が振られているというわけではなく、後で詳しく述べますが、各色が象徴しているテーマを、それぞれの帯域が担っているのです。また7階層の内側はさらに7つに分けられ、これで全体が7×7の49階層となっています。この全体構造を『オクターブの法則』と言っています。

 

*49階層:厳密には、この下位にもさらに7分類が為され、これが延々と続くわけですが、そこまで行くと差があまり認識できないため、49階層で留め置いている。

 

オクトはラテン語で8の意味です。みなさんがよく知っている「オクターブ」と言えば、音楽用語の7音階だと思いますが、どうして7音階なのに、8のオクトの名前が付けられているのでしょうか? 7音階は、ドレミファソラシ・ドで一つ上の帯域に上がるでしょう。つまり8番目でジャンプする。そこで、これを『オクターブの法則』と呼ぶのです。

 

さてそこで、ピアノの鍵盤を思い描いてください。ミ→ファとシ→ドだけは黒鍵がなく半音階であることにお気づきでしょう。ゲオルギイ・グルジエフはこれを「ショック」と読んだのですが、ミ→ファ(つまり第3→第4霊性密度)は、物質界から非物質界への移行に当たり、シ→ド(つまり第7→第8霊性密度)は、この宇宙から、あっち側の宇宙(こっちから見ると「無」)への移行に当たるのです。この二箇所だけには、振動状態において大きな変化があるのです。

 

いま言った全体構造は、驚くなかれ、そっくり人間にも当てはまるのです。人体が小宇宙と呼ばれている所以です。またそれは、あなたが、紛れもなく「神」の分身であることを表しています。あなたという個別の存在は、宇宙に普通にある元素を組み合わせて拵えた泥人形に、神の生命の息吹が吹き込まれて誕生したものなのです。そして、大宇宙の7つの階層構造は、そっくりあなたの身体に反映されているのです。

 

それが、いわゆる「チャクラ」です。「チャクラ」というのは、アストラル体(第4霊性密度の体)上にあるエネルギーセンターのことで、あなたに、宇宙の各階層が担うエネルギーを供給する中継所となっています。一方で「チャクラ」は、カルマの種子を宿した場所でもあります。そのため各人の「チャクラ」は、大宇宙の構造を映したものではあるのですが、完全なバランスが取れておらず、その人のカルマに応じた特有の「歪み」を持っているのです。

 

*アストラル体上にあるエネルギーセンター:その上位のカラーナ体(第5霊性密度の体)にも別のチャクラがあると言われている。私には(今のところ)知覚できないのですが。またセンターは「中枢」と訳されることが多い。

 

物質的身体(肉体)は、このアストラル体の鋳型の中に、両親のDNAからその「魂」の歪みに応じた組み合わせを選んで、自己形成を図ります。その結果、あなたの「身体」にも、生まれながらにして「チャクラ」に応じた歪みがあり、これがその人固有の身体的特徴や、強いところ弱いところの傾向、先天的な病気や疾患、特有の心グセ、知力、才能、霊的資質などを表すのです。したがって、今のあなたは、自分が計画して作った乗り物に乗っかっているというわけです。

 

ですから、自分の容姿を嘆いたり、両親のことを恨んではいけませんぞ。

 

この「チャクラ」には7箇所説と、12箇所説があり、身体上に重なってあるとする場所にも諸説があります。しかし、「虹の学校」としては、宇宙の構造把握は出来るだけシンプルでありたいということと、これまでの実験や経験から、身体上に重なって7箇所、それ以外に5つのエネルギーセンターがあるという結論に(今のところ)落ち着いています。

 

諸説ある中でも、身体上の7箇所についてはほぼ見解が統一されていて、脊髄の尾骶部から脳の中枢に至る線上に(アストラル体上ではこれを「スシュムナー管」と呼ぶ)、朝顔状に開いた形で「スシュムナー管」にくっ付いた状態であるとされます。この7箇所に応じた身体上の部位には、それぞれ特有の内分泌器官や神経叢があって、アストラル体上の「チャクラ」の歪みを、内分泌器官や神経叢の歪みとして反映させるのです。

 

*7箇所については、瞑想と呼吸法を組み合わせた集中によって、凡その位置を掴むことが可能です。

 

あなたを、この世に生かし続けてくれているエネルギー源、一般にはそれは「食物」だと信じられているのですが、そうではありません。「食物」エネルギーは、細胞を作る素材を提供したり筋肉組織を燃焼させたりなどの限定的な働きを担っているに過ぎず、生命活動を維持させている主体は、地上の機器では観測できない「宇宙エネルギー」です。この宇宙エネルギーは、西洋ではエーテル、インドではプラーナ、中国では気と呼ばれて来ました。

 

*厳密な定義を言えば、ちょっとずつ違うのかも知れませんが、細かいことにこだわっても仕方がないので。要は、昔から人類が共通に認めて来たということです。

 

ところが、「チャクラ」に歪みがあると、この「宇宙エネルギー」の取り込みがスムースに行われません。あるチャクラでは過剰、またあるチャクラではエネルギー不足になったり、エネルギーの鬱滞が生じたりします。これが、その人の心身に不調をもたらす原因となっているのです。そこで、この「チャクラ」の状態を改善し、なんとかバランスが取れた状態にしたいわけです。

 

そのための方策が、カルマの解消であったり、エゴやこだわりを捨てるということであったり、呼吸法や体操に取り組むことであったり、いわゆる「浄化」というプロセスになるのです。ですから、「アセンション」というものを「チャクラ」の面から捉えれば、「チャクラ」を浄化し、歪みを取って、バランスを回復させることだとも言えるわけです。完璧にバランスされた「チャクラ」、それは大宇宙と同じ、すなわち「神」と同じ状態の実現であるわけですから。

 

では、順番に見て行きましょう。各「チャクラ」の名称が覚えられない人は、下から1番、2番と数えて行き‥‥、最後を7番としても結構です。

 

 

先ず、いちばん下にある会陰部を入り口とする1番チャクラを「ムラダーラ」と言います。シンボルカラーは「赤」で、このチャクラは「物質界に生かされる」というテーマを持っています。大宇宙とは物質界の基本元素である地水火風と対応しており、それゆえ大宇宙的には「物質界の誕生」、小宇宙的には、冒頭で申し上げた「生きぬく力」というものが、この「ムラダーラ」の強弱の差に顕れるのです。ここが先ずは土台だということです。

 

次に、一つ上がった2番チャクラであるところの「スワディスターナ」は、身体上では「性腺」の部位に相当します。大宇宙的には、物質界誕生後の「生命の芽生え」を担当しており、小宇宙的には「性腺」に対応していることからも解るように、主として性的な「情動のコントロール」や「個人のアイデンティティ」(誕生から一歩進んで、性差や個としてのアイデンティティを持つ)というテーマを持っています。シンボルカラーは橙色です。

 

3番めの「マニピューラ」は腹部の太陽神経叢に対応したチャクラで、東洋医学で言うところの丹田に相当します。シンボルカラーは黄色です。大宇宙的には「自己意識の成長」を担っており、ここから(つまり「第3霊性密度」から)陰陽の二極性が開始されます。人間の主たる活動の場と、それに対応した意識は、この「第3霊性密度」に依拠しており、そのことから、小宇宙的には「人格を磨き、社会的な関係を築くこと」がテーマとなっています。

 

これは、言い換えますと「自我」に気づくということです。「自我」はふつう、先ずは「自己愛」に向かいます。すると、「自己愛の中で社会的な関係を築こう」と精を出すことになりますので、必然的に「エゴの行使」という方向に向かうのです。しかしそれは、「魂」の正常な発達プロセスだとも言えます。むしろ現代人が抱えた問題は、「自己愛」が築けないでままで育つ人が大勢いるということです。また、このチャクラは、喜怒哀楽の感情を担当しています。

 

4番めの「アナハタ」は、身体上では「胸腺」の部位に当たり、シンボルカラーは緑です。このチャクラは、7つあるチャクラのちょうど中間に当たります。このことから解るように、「アナハタ」は上の3つと下の3つのチャクラをブリッジする役割を果たしています。大宇宙的にも「第4霊性密度」は「半霊半物質界」という中間領域に当たり、ここでのテーマをそのまま「アナハタ」に映し出しています。そのテーマとは「愛の完成」です。

 

この領域では、上下方向をブリッジするだけではなく、「第3霊性密度」から始まった横方向の二極性を統合するというテーマがあるのです。すなわち、自己愛と他者愛は、結局は同じものだと気づくことです。このチャクラのバランスが達成されると、その人は、愛と許しと慈しみの人へと変身して行きます。「アナハタ」が、別名「ハートチャクラ」と言われる所以です。

 

しかしそれまでは、人は、愛と憎しみ、正義と悪との闘争を、飽きるまで繰り返すのです。今日までの世界はまさにその歴史。人類は、全体としては、なかなかその段階を超えらず今に至っています。というのも、この「第4霊性密度」の帯域は、別名「とらわれ領域」とも言われ(昔は「地獄」と言われたところ)、凝り固まった主義主張を捨てきれない「意識体」が跳梁跋扈し、その波動に同調してくる地上の人間を操っているためです。

 

でも、どうにかこうにか、そこを乗り越えて「愛の完成」を果たしますと、その「魂」はいよいよ高次の自我との交信段階へと進みます。物質界を離れて「第5霊性密度」の意識、すなわち霊的意識に目覚めるのです。

 

この5番めのエネルギーセンターに相当するのが「ヴィシュダー」です。身体上では喉の位置に当たります。ここには内分泌器官の甲状腺と副甲状腺があります。喉という部位から推察されるように、「ヴィシュダー」は、自分の意志を声に出す、すなわち自己表現と関係しています。このチャクラに難のある人は、話し下手であったり、皮膚(表現を象徴)に問題を抱えていることが多いです。

 

対応する「第5霊性密度」のテーマは「本当の智への気づき」で、宇宙には、地上の論理や地上の科学を超越した「真理」が存在することに気づくということです。ですから、あなたが地上で味わう体験を、宇宙的な観点から見つめ直し、自分の考えにして発信するという課題を、このチャクラは持っています。シンボルカラーは青です。

 

6番めのチャクラは「アジナー」で、眉間にあり、深部が松果体および視床下部と繋がっています。仏像の眉間にある宝石は、このチャクラが覚醒したことを表現しています。対応する大宇宙のテーマは「真我への合一」。小宇宙では「本当の智恵に目覚める」ことが課題です。このチャクラが目覚めますと、サイキックな能力が出て来るようになり、宇宙から、本当の智恵、真実の智恵を受け取ることが出来るようになります。シンボルカラーは紺色です。

 

そして最上部、7番めに位置するのが「サハスラーラ」です。このチャクラは頭頂部に開いており、深部は脳下垂体と繋がっています。「サハスラーラ」は、天上から陽極性のエネルギーを受け取る際の入り口となっており、またその他のチャクラを統合する役割も果たしていることから、別名「クラウンチャクラ」とも呼ばれます。この部位に対応した大宇宙のテーマは「無限神聖に到達すること」です。小宇宙的には、いわゆる「霊的覚醒を得る」ことになります。

 

「サハスラーラ」が整い、目覚めますと、あらゆることが許せるようになります。また、宇宙の成り立ちや、悠久や、普遍的な愛や、神聖なエネルギーが、すべて鮮やかで生き生きと実感されるようになるので、深く静かな感動と、感謝の念の中に生きられるようになります。と同時に、人々を助けたり、普遍的な愛を提供する活動を行うようになって行きます。シンボルカラーは紫です。

 

以上、見てきましたように、大宇宙の階層構造と、小宇宙(人体)のチャクラとは、完全な相似形を為しています。ですから、あなたの身体的特徴や、強いところ弱いところの傾向、先天的な病気や疾患、特有の心グセ、知力、才能、霊的資質などをていねいに振り返ってみますと、あなたという「魂」の、今世におけるアジェンダが判るのです。

 

ですが、残念なことに、人々はそんなことを気にも留めていません。無智なるがゆえです。たとえ「悩み」があったとしても、いま言ったような観点から捉えてみた経験がないのです。それが、人類の覚醒が遅れている最大の理由です。何度転生して来ても、設定して来たアジェンダを忘れ、「第4霊性密度」のエアポケットに捕まって、魑魅魍魎に操られ、エゴに埋没したまま抜けられない人生を送るのです。

 

しかし、今後あなたがたを襲うことになる「試練」は、その新しい視点に気づくチャンスです。負荷を与えなければ筋肉が鍛えられないのと一緒です。いま一度、周囲に展開されるものはみなスクリーンだということを思い起こしてください。世間には、よく「あなたのチャクラを開いてあげる」とか「カルマをとってあげる」というような人がおられるのですが、そのようなことは出来ません。あなたのアジェンダを、他の人に肩代わりしてもらうことは出来ないのです。

 

あなたはあなたです。

 

「試練」を体験する時、その「試練」を体験する過程で最初に動いた感情を先ず落ち着かせてから、次に、いま述べた7つのチャクラの観点から、その体験を捉え直してみてください。そして、ストロング・ポイントとウィーク・ポイントを導き出し、今世の自分のアジェンダを探ってください。そうすれば、どんな「試練」も「魂」を成長させる道具として使えるのです。必ず、あなたにドンピシャリの発見がもたらされます。

 

今世、私の妻だった「魂」は、自分が癌になった時、「病気になるのは悪いことばかりじゃない」「病気になって初めて解った」と言って、(その中身については言いませんでしたが)10カ月後に逝きました。彼女は、その死にゆく体験を、大いなるジャンプの機会に変えたのです。人は、たとえどんな状況にあろうとも、すべての体験を、己を成長させるツールに変えることが出来ます。その「神秘のメソッド」の奥にある、宇宙の深い愛を感じ取ってください。

 

では、元気に行ってらっしゃい。

次のワクワクする体験をするために。

そうして、大いなる一者のバージョンアップに寄与するために。

続・ネガティブな出来事を、覚醒へのチャンスに利用する

コロナウイルスの感染拡大によって世界が騒然としています。しかしこれは、まだ序章に過ぎません。この騒動をきっかけにして、世の中の大規模な建て直しが、これから徐々に進んで行くのです。しかし、同じ場所に、新しい建物を建てるには、その前に旧い建物を壊さなければなりません。

 

親しい人たちには、近々「バルブの崩壊」がやって来るよ、と言って来ました。キーを打ち間違えたのではなく、本当に「バルブの崩壊」。バブルというのは、生ビールをジョッキに注いだときに浮かぶ泡の部分でしょ。そこが吹き飛ぶ、というのが「バブルの崩壊」。今回は、その程度の話では済まない。生ビールを供給していたタンクの「バルブ」がクラッシュする。早い話が、バブルの大元である金融システムそのものが崩壊するということです。『熟れすぎた果実』2019/10/22

 

その崩壊の影響はコロナ騒動の比ではなく、今日ただいまの市民生活を直撃します。経済活動が回らなくなってしまうので、連鎖的な企業倒産が起こり、失業する人たちも膨大な数に及ぶでしょう。そこで、緊急的にどうするか、当面どう凌ぐか、という問題とともに、旧来の社会システムへの根本的な問いかけや、生き方の見直しと価値観の大転換、そして新しい社会システムの構築に向けて、模索が一気に進むことでしょう。『崩壊へ向かう世界、その中にある希望』2019/09/01

 

ここで、みなさんは選択を迫られることになります。何かを守ろうとして、あくまで旧い社会システムにしがみ付く道を選ぶのか、それとも、こいつはいいチャンスだと思って、今までの価値観を見直し、己の生き方をすっかり変えてしまうのかどうかです。世の中がひっくり返ることや、自分の生き方をひっくり返すことは、一面においては恐怖です。でも、ドキドキとウキウキはスイッチできる。意識を変えさえすれば、未曾有の大変化にも、大いなる希望を見い出すことは可能なのです。

 

恐怖が、何から生じるか分かりますか? 「執着」ですよ。いま持っているものを失いたくないという執着が、恐怖を生じさせるのです。財産を失いたくない、家を失いたくない、家族を失いたくない、恋人を失いたくない、ペットを失いたくない、仕事を失いたくない、地位を失いたくない、名声を失いたくない、美貌を失いたくない、健康を失いたくない、命を失いたくない、etc.。これら、すべてが執着です。ですから、一切の執着を持たなければ、恐怖は消える。

 

ある方から、欲とエゴとの関係について質問をいただきました。食料の備蓄はエゴに当たるのかというものです。そのように、頭で考えて、これはセーフとかアウトとかの線引きをしないようにしてください。それもまた執着になってしまいますから。前回の記事で、トイレットペーパーの買い占めのことを書いたので、ふとそんな疑問を抱かれたのでしょう。

 

人は、物理的な世界に生きていますので、当然ながら物理的な制約を受けます。ご飯も食べればウンチも出る。食欲というものがもしもなければ、生体を維持していくことは難しくなりますし、性欲がなければ子孫も誕生しません。また意欲がなければ、仕事も、創造活動も、人助けも出来なくなってしまうことでしょう。釈迦だって、イエスだって、人々を救いたいという大欲を抱いたのです。ですから「欲」そのものが悪いわけではありません。

 

問題は「我欲」と「執着」です。人は、善いと言われることにしろ、悪いと言われることにしろ、「行為」にばかり目を向けてしまいがちです。ですが、大事なのは「行為」ではありません。「行為」につい目が向いてしまうのは、身体である自分が自分だと思っているからです。それを当然だと考えている。でもそうではなくて、何かを為している際の「意識」のあり方が問題なのです。

 

お米を向こう3カ月分くらい備蓄しておくとしましょう。その際に、どういう「意識」でそのような行動をしたのか。そこに「我欲」と「執着」はなかったかどうか。今日のおやつに、好物のチョコレートケーキを食べたとしましょう。そこに「我欲」と「執着」はなかったかどうか。「ああ、楽しく美味しくいただきました。ありがとう」と言って、チャンチャンでおしまいにしてしまえば、「執着」は起こらない。

 

そのようにして、あなたが為す一切の行為について、何も「執着」を持たなければ、失う恐怖というものがそもそもないので、苦しみもなくなり、いつもハッピーでいられるのです。ですから、「今ここを生きる(Be here now)」なのです。要は、この世のすべては「うたかた(泡沫)」であることを知って、どんな一瞬も楽しく生きて、全部忘れてしまえばよいのです。

 

実に、簡単な理屈です。

 

でもこれが、なかなか出来ないんですよねー。「我欲」と「執着」に見られる特有の性向は、その人の過去世にまつわるカルマの発露ですし、教育や社会を通じて、「もっと我欲を出せ、もっと執着を見せろ」と、さんざん吹き込まれていますからね。そっちの方が正しい生き方だとされて来たし、「執着」を捨てる生き方なんてバッカじゃなかろうかと思われている。いや、いた。

 

だけど、この先はそうはいかないんですぞ。「執着」を捨てられない人ほど、苦しみに喘ぐようになりますからね。しかも、それだけじゃない。この世で「死」と言われる段階を迎え、身体を脱ぎ捨てて意識体だけとなった時、「執着」は次のカルマの種子になります。通常ならば、そのカルマを清算することをアジェンダ(課題)として、また来世に転生して来るわけですね。ところが、それを迎え入れる器(身体)も、場所ももうないのですぞ!

 

なぜなら、地球自体がアセンションしてしまうから。アセンション後の地球には、アセンションした「魂」しか住めなくなるから。未だ幼稚園レベルの「魂」というのでは、小学校には入れて貰えない。入学拒否に会うんですぞ。脅しているわけじゃないけど、入学拒否をされた魂は、行き場を失って、浮浪児のように霊界の裏通りをうろつくしかなくなるんですぞ。何万年、何十万年とね。

 

だから、何がなんでも、このチャンスをものにしなさい! アセンションを成し遂げなさい!

 

えっ、自分は裏通りの方が好きだって? 盛り場もあるし‥‥って。

あなたねぇ、もう。

そういう人は勝手にしなさい!

 

でも、あなたはそうじゃないよね。

残りの人生をかけて、死に物狂いで取り組みなさい。

なあに、死に物狂いと言ったって、ただ「執着」を捨てればいいだけなんだから。そうすりゃ自動的にアセンションしてしまうんだから。

 

何も、いちどきにぜーんぶ捨てられなくてもいいんですよ。引越しで家を空っぽにするまでには何日も掛かるでしょう。前に上げた代表的な執着品のリスト。中には、私にはそれはないなとか、他者の執着している様子を見て、自分にはそれがどういう感覚かよく分からない、というものだってあるでしょう。その感覚を、自分が執着している対象にも拡張して行けばいいんですよ。

 

例えば、名声に対する執着はない、でもお金に対する執着はある、としましょう。名声なんてものには興味はないのに、どうしてお金には執着心があるのか。その違いはどこから生じているだろうのか? と見つめ続けてみればいい。そうすれば、だんだんと執着心は薄まっていきます。なぜか? お金というものに埋没していた状態に、観照者の視点が入ることで、貼りついた意識を剥がすことが出来るようになるからです。

 

さらに、決定打となる認識をそこに付け加えてください。これも、いつも言っている通りです。あなたの周囲に展開されている現実はみんな「幻」だということ。その「幻」の世界を、あなたは、自分を主役とするドラマを演じているのだということ。あなたにとっての重大事は、演じている際に遭遇する体験を、どのように味わい、そこからどんな「気づき」を得たか、だけなのだということを。それ以外の一切合切は、変化し、やがて形を失ってしまうものなのです。

 

古代より、多くのメッセンジャーが、みな同じことを語って来ました。実に、あの手この手を駆使してね。でも、この「真理」に目覚める人は、いつの時代もほんの僅かしかいません。それほど、エゴの誘惑と、執着のボンドが強力だということです。そこで私も、今の時代の人々なら理解できるであろう、あの手この手を駆使して説明してきたわけですが、今日は別の角度から説明を試みることにいたしましょう。

 

図1を見てください。私たちが今いる宇宙は、すべて振動するエネルギー体によって出来ています。この振動するエネルギー体は、元をたどれば、たった一つの究極の元素とでも呼べるものに還元されてしまいます。しかし、そのたった一つが、振動数を変えることによって、様々な性質に変化し、さらに同質のものが集まるという「波動の法則」によって、あるものは「生命力」に、あるものは「魂」に、そしてあるものは「物質」に顕現しているのです。

 

この、多様な振動数が集まって構成された宇宙は、大きく三つのパートに分類されます。

一つは「物質界」です。もう一つは非物質的世界で、通常は「霊界」と呼ばれています。この「物質界」と「霊界」との中間領域に、文字通り中間である「半霊半物質界」があるのです。

 

この大まかな三つの分類方法に関しては、神秘を探求する各種のグループにおいて、名前の付け方はあれこれありますが、宗教や洋の東西を問わず、ほぼ共通の認識となっています。

 

ところが、これをさらに分類した際には、細かな違いがいろいろと出て来ます。名称や定義づけもバラバラですし、特定宗教を信じる信者は、その宗教の教義を鵜呑みにしますので、もうしっちゃかめっちゃかの状態。結果として、人々の理解がちっとも進まないという状態が続いているのです。

 

しかし、これは変ですよね。宇宙は誰にとっても一つなのですから、理解を助けるためにも、分類法は共通にした方がよいと思うのです。そこで「虹の学校」では、これを7階層に分け、スッキリした形に整理したのです。また、従来は「次元」と言っていた言葉も、数学的次元(dimension)との混同を招きやすいので、「霊性密度(spiritual density)」という言い方をなるべくしていくように改めたのです。

 

この7階層に分ける分類法も、「霊性密度」という名称も、オリジナルというわけではなく、「オクターブの法則」としてすでにあったものです。それがいちばん解りやすいと思われたので、そのモデルを拝借することにしたわけです。なぜかと言いますと、人体上にある7つのチャクラと宇宙との関係が明瞭に説明できる上に、「アセンション」が、第3霊性密度から第5霊性密度への飛躍であるという意味も、容易に理解できるようになるからです。

 

さて、私たちは地球という物質界にいて、なんとかして宇宙の全体像や仕組みを知りたいと思い、あの手この手の模索を繰り返しています。しかし、「非物質界(霊界)」を見たり、観測したりすることは、通常の方法では出来ないのです。(いわゆる「見えない世界」)ところが、「半霊半物質界」には、半分は物質化をしていますので、この領域には、霊的性質が時折り顔を覗かせることがあるのです。みなさんがよく知っている存在に幽霊があります。

 

この中間領域(第4霊性密度)を知覚する能力に秀でた人がいて、この人たちは霊能者と呼ばれます。ところが、霊能者の大半は、第4霊性密度でキャッチした情報を、神からの言葉として下ろしているのです。それは悪意からではなくて、霊能者自身が本当にそうだと信じているのです。しかし、この人たちは第5霊性密度以上の、本当の霊界にはアクセス出来ないのです。なぜかは、もうお分かりですね。

 

エゴの執着を捨て切れば、何の努力もなしに、自動的に第5霊性密度へジャンプする。ところが、霊能者の大半はむしろエゴまみれで、霊能を付加価値にして高い見料をふんだくるというありさまですから、ジャンプなど出来る訳がありません。でも、一般の方々には、第4霊性密度と第5霊性密度以上の世界の区別がつきませんから、不思議世界の話などをされると、「そうかぁ」と思って、その領域に簡単にハマり込んでしまうのです。

 

エゴと、宗教と、オカルトを信じている限り、アセンションは不可能という理由はそこです。アセンションするということは、エゴ(第3霊性密度)の世界を捨てて、宗教とオカルト(第4霊性密度)の世界に落ち込まず、その領域を跳び越して、さらに向こう側へ行くということなのですから‥‥。地上に身体を有したまま、意識だけは第5霊性密度へと上げるのです。それがアセンション。

 

そんなことが自分にも可能なのか? 可能です。いま言ったばかりじゃありませんか。身体を含めた物質界はみな「幻」なんですよ。だとしたら「意識」しか残らないじゃありませんか。その「意識」を、第5霊性密度へジャンプさせればいいのです。ただ、それだけ。ところが、みなさんは、毎日そうしたいと願いながら、毎日それに失敗している。それはなぜかと言うと、地上から宇宙を眺めるというクセが、どうしても抜け切れないからなのです。(図1)

 

霊的世界はこうだとか、宇宙の階層構造はこうなっているとか、真理の法則はこうなんだという話をなんど聞いても、その瞬間は「解った!」と思ったのに、数時間もするとまた元に戻ってしまう。それは、肉体を持った自分が自分で、現実という世界がここにあって、時間がある、という地上の論理に、すぐさま絡め取られてしまうからです。「地上から宇宙を見る」というクセが、どうしても抜けない。あなただけではなく、哲学者も、科学者も、宗教家も。

 

ですから、地上の世界にいて、宇宙を覗こうとするこのクセを、あなたは止めなければなりません。ここが重要なポイントです。あなたがアセンション出来るかどうかの分かれ目です。地上に軸足を置いて宇宙を見るのではなく、逆に、宇宙から地球や人間や自分自身を見るのです。そうすれば、過去にお伝えして来た様々なことがらも、これからお伝えすることになるであろうことも、すべてをすっかり理解することが出来ます。ユーレカ!(eureka)と。

 

図2を見てください。

「物質界」というのは、宇宙全体からみれば、局所的に存在する特殊世界でしかないのです。むしろ「非物質的世界」の方が、はるかに広大無辺なものなのです。

その広大な「非物質的世界(霊界)」に抱かれて、その中に、振動数を落とした物質的宇宙が局所的に存在しているのです。

 

*広大無辺:厳密に言えば、時空間という概念がそもそもないので、我々がイメージする「広大」とは異なります。無限の宇宙(霊的世界)の中に、有限の宇宙(物質界)があるのです。

 

ですから、いわゆる「この世」と「あの世」は、ドアを隔てて分かれているというのではありません。「あの世」という海の中に、「この世」という島がちょこっと浮いているのです。それを、みなさんは逆に考えている。この世が主で、こっちからあっちを見ようとしている。ですから、いつまで経っても「真理」を掴めないし、オカルト現象を畏怖したり、逆にありがたがる性癖が抜けないのです。

 

でも、視点を真逆にすれば、不思議などどこにもない、ということも解るし、そんなものに興味もなくなってしまうのです。すべては一者ということが解るからです。同時に、生命も、存在も、愛も、法則も、全部は同じものの違う表現であるということが解る。ただ頭で解るというのではなくて、魂が完全に同化して、まったくその通りだということが全身で解る。

 

だから、あなたもそうお成りなさい。

 

その時に、みなさんは知ることになります。地球という惑星に暮らすあなた方の、生命や、存在や、愛や、健康や、法則や、善や、自由や、正義や、神に関する定義が、いかに狭く偏見に満ちたものなのか。「物質界」という限定された世界でしかものを考えられないから、それらの定義も、みな限定されたものになっているのです。そして、その偏見を真実だと思い込んでいる。

 

ではどうすれば、頭ではなく、「魂」で、全身の感覚で、それが解るようになるのでしょう? それには、静寂に身を置いて、ご自分の内をひたすら見つめることです。瞑想をしなさい。内観を徹底してごらんなさい。よい喩えが見つからないのですが、油揚げの皮を裏返しに包んだ稲荷ずしを見たことはありませんか。ちょうどあれのように、自分の内を深く深く見つめていると、それがクルッとひっくり返って大宇宙になってしまうのです。

 

ヘルメスの「下は上のごとく、上は下のごとし」とはこれのこと。

あなたの内側に大宇宙があるのです。「大宇宙(macrocosm)」と「小宇宙=人体(microcosm)」は、相似形を為しているのです。

 

物質界に生きている限り、人は物理的な制約を受けます。それを無視しろ、と言っているわけではありません。むしろ、物質界を生きるための乗り物である身体を、もっといたわりなさいと今までも言って来ました。ですから、この機会に、身体をいたわることをさらに学習してください。

 

乗り物をぞんざいに扱っていては、クリエイティブな体験は出来ませんし、内観もうまくできません。ですから、そこはちゃんとケアした上で、意識の世界を探求してください。では、次回の『PEACE DOME』でご一緒しましょう。

Q . 一体「霊的成長」とはなんでしょうか?

次のようなご質問をいただきました。きっと同じ疑問を持たれている方も多くいらっしゃるのではないかと推察します。そこで、今回はこの疑問にお応えしたいと思います。

 

Q .生きているということ、生きて様々な体験をするということは、「自分は誰か」に対する答えを見つけるためのものという記事や、その他、最近の記事について、特に興味深く、何度も拝読しています。ですが、未だに肝心なところがわかりません。すべては魂の成長、霊的成長、気づきのために用意されたもの、という表現もあったかと思いますが、「何のために?」と思えて仕方ないのです。

 

私たちは「それ」、「それ」は私であり、あなたであり、あれやこれやすべて、ひとつ。なんのために成長するのか、何をもって成長というのか。もともと「それ」であり、今でも「それ」であるワタシが、見かけ上、いろいろな制限がある物質世界で「学ん」だり、自分は「それ」だと「気づいた」ところで、だからといって何になるのでしょうか?

 

きっと答えは「何にもならない」だとは思いますが、見習い神様が、自由に何でもできるのは、あまりにもつまらないから、神様学校をサボって、物質化、分化させた自分の部分(ニンゲン)が、いろいろな喜怒哀楽の体験をするのを手をたたいて面白がっている、そんな感じに思えるのです。 一体「霊的成長」とはなんなのでしょうか?

 

A . とてもよい質問であり、深いところを突いておられます。あなたが投げかけられた問いは、究極の問いの一つです。これは、「私は誰か」という問いと、ちょうど対をなしており、ですからそのことにインスパイアされて、深い疑問を抱かれたということも、当然過ぎるくらい当然なのです。

 

いったい何のために? という究極の疑問については、いくつかの見解があります。しかし今日は、それを紹介することはやめておこうと思います。書くと、それを信じる人が出て来る可能性があるからです。それよりも重要なのは、あなたがどう思われるかであり、質問の最後のところで、すでにあなたはご自身の(今の)見解をお書きになっています。確かにそれも一つの見解であり、どう思おうがあなたのまったくの自由なのです。

 

なぜ、こんなことを言うかといいますと、もっとも適切だと思われる回答は、「それは、分からない」と言うしかないからです。本当に、分からないのです。私だけではなく、今までにそれを分かった人は誰もいない。あなたご自身も、それを直感して「きっと答えは何にもならない、だとは思いますが、」とお書きになっているじゃありませんか。もし、あなたの方が、先にその答えを見つけたとしたら、ぜひとも教えて欲しいと心底から願っているくらいです。

 

宇宙が在る(とする)。すると、どうして在るのか、またはどうして出来たのか、という疑問が当然ながら湧きます。それは、ある日、勝手に出来たのだろうか? もし勝手に出来たとすると、どこから、どのような理由で、勝手に出来たのか? 「在る」の反対は「無い」だ。だから、宇宙が「出来た」のだとすると、その前は何もなかった、「無」だったということになる。じゃあ「無」とは何なのか? どうしたら「無」から「有」が生じるというのか?

 

そもそも、「どこから、どのような理由で」と考えた時点で、それはもう「勝手に」ということではなくなってしまうではないか? だとしたら、他の造作物と同じように、ある意図から、この宇宙、および全存在が造られたのではないのか? その意図もしくは意図を有する存在を、仮に「創造主」と呼ぶことにしよう。では、その「創造主」自体は、どこから、どのような理由で顕現したのだろうか?

 

「創造主」が顕現したことにも、きっと何らかの意図があったはずだ。だとすれば、「創造主」の創造者がいるということになる。じゃあ、その創造者は、どこから、どのような理由で顕現したのか? ‥‥というようなワケで、この推論にはキリがありません。そこで、「創造主」を創った存在は、「絶対者」なのだということにして、この推論を打ち止めにします。では「絶対者」とは何でしょう? 絶対であって永遠不変のものです。それは「無」以外にはありません。

 

だとすると、「創造主」を設定しようがしまいが、宇宙は「無」から生じたということになります。違いは、中間に、「創造主」という意識的存在を組み込んでいるかどうかだけです。万物は「無」から生じた、という考え方と、万物が出現する前に、先ず非物質である意識的存在が生まれ、それが万物をかたち創った、と考えるかどうかの違いです。

 

物質科学は、当然ながら、前者の立場をとっており、この論を教育やメディアを通じて繰り返し主張しています。ところが実際には、大半の人々は、その説明に満足してはいません。では、いま言った後者によりシンパシーを感じているのかと言えば、これも、そこまで思索している人はほとんどおりません。結局のところ、大多数の人々の結論はこれです。なんや、よう分からん! そして、私も、やはり分からないのです。

 

「無」の〈意図〉を、どうやれば説明できるでしょうか? 「無」なのに‥‥。あるいはその前段階の「空(意識が消滅した世界)」を、どのように説明できるというのでしょうか? 意識が消えた世界なのに‥‥ネ。

それに、いま重ねて来た論は、最初の「宇宙が在る(とする)」に始まって、全部が仮定の話でしかない。つまりは、単なる「概念」の言葉遊びに過ぎない。

 

ですから、釈迦も言ったのです。

「汝、ニルヴァーナを知りたくば、ニルヴァーナに至れ」と。

それは言葉でなんかとても説明できない世界なんだ。とにかく行くしかないんだよ、ということです。

 

ということで、肩透かしのようで申し訳ないのですが、

これだけは確実に言えます。

「気づいたところで、何にもならない」と思ったにせよ、〈「魂」は霊的成長を希求することを止めない〉ということ。現にあなたも、こうして質問を発することで、それを証明しています。

霊的成長を図ることを、「魂」が止めることは、決してないのです。

 

そこで、みなさんに宿題です。

どうして、「魂が、霊的成長を図ることを止めることはない」のでしょうか?

そう、言い切れるのでしょうか?

このテーマについて、お時間のある時に、瞑想を行ってみてください。今日取り上げたテーマについて、もしかしたら別の見解が見出されるかも知れません。

 

今のあなたの見解は、あくまで「今の」見解なのです。

そして、この見解は、どんどん変わって行きます。なぜだと思いますか?

それが、気づきによる「霊的成長」というものだからです。

あなたが創る「現実」という名の幻術

この世には「時間」というものが存在する。これは、地球という物質世界を生きる人間にとって、ほぼ100パーセント近い共通認識となっています。なにしろ、日常行動のあらゆるものが時間軸を基に決められているのですから。そこに疑問を差し挟む余地など全くありません。そのくせ、「時間とは何か?」「なぜ時間は不可逆なのか?」という問いに答えられる人は、どこにもいないのです。なんとも不思議ですね。

 

これこそ恐るべき洗脳。そうは思いませんか? 人が「洗脳」状態にある時には、それが洗脳だとはよもや気づかない、とよく言うでしょう。「時間」が存在するという洗脳は、宗教よりも、ねずみ講よりも、お金よりも、経済成長よりも、さらに強力な洗脳です。人類がほぼ全員そう思っていて、何ら疑うことをしていないのですからね。(お金は、「無いけど、まあいいや」って人はいるでしょう)

 

この結果、将来の幸福実現のためには、自分に襲いかかって来るであろう競争を何としても勝ち抜いて行かなくてはならないという価値観を抱かされ、同時に、実現しない場合の不安感に苛まれるようになってしまったのです。でも、その「時間」は、見せかけのものに過ぎないんだよ、という話を先日しました。覚えておられますか? 今日はそれに続く、「現実」は見せかけのものに過ぎないんだよ、というお話です。

 

実に、「時間」と「現実」こそは、人類を縛る二大幻影なのです。この二つが幻(まぼろし)であるということに気づき、「なるほど!」と自分の腑にストンと落ちて、さらに体細胞と一体の感覚にまでなったとしたら、その人は、もう覚者となっていることでしょう。「時間」と「現実」は幻に過ぎない、と心底から理解した暁には、「今を生きる(Be here now)」ということも、「ありのままでいい」ということも、同時に体得しているはずですから。

 

その時には、古代から変わらず言われ続けて来たことが、「ああ、ほんとうだったんだ」「その通りだったんだ」と、きっと感慨に耽ることになるでしょう。

そのチャンスが、今なんですよ! もの凄く強力なエネルギーが追い風となっています。ですから、あなたの持てる炎を、この機会にぜひ燃やしていただきたいのです。

 

あなたのアセンションを阻む最大の障害は、「自分には出来ない。ムリだ」という思い込みです。そんなものはどうぞ取っ払ってください。

 

なぜ、あなたは生まれたのですか?

あなたを造ったものは、何者ですか?

 

「それは、両親の子造りアクションで‥‥」

そういうことを聞いているんじゃありません。

あなたである「意識」のこと。つまりあなたという「魂」をですよ。

 

“それ” は、なぜあなたを造ったのですか?

“それ” が、あの人とこの人を差別するとお思いですか?

するとしたら、なぜ? 何のために?

空海には出来ても、あなたは絶対にムリ、とでも言うのですか?

同じ「人間」なのに。

 

そんなことはない。

殺人鬼だったアングリマーラだって、アセンションしたんですからね。

 

だから、出来る、出来る、出来る。

2020年、あなたへのゲートが開く!

Just do it !

 

中学校の美術の時間に、石膏デッサンをした経験がありませんか? モデルを使った人物デッサンというのでも結構です。その時の様子を思い出してみてください。あなたは、他の生徒と一緒に、対象物の周囲に扇型に椅子を配置した中の一つに座り、自分の位置から見えた石膏像を画用紙に描いています。授業が終わった後で、それぞれの作品が壁一面に貼られます。たくさんの石膏像の絵が並んでいて壮観です。

 

さてそこで、その授業に参加した人たちは、貼られている絵を眺めて、みな同じ時間帯に「石膏デッサン」をしていたという「現実」を、共通体験したのだと認識します。それは、わざわざ「認識」という言葉を使うまでもない、当然の思いとして受けとめられています。ところが、本当はそうではないということは、他ならぬ、壁に貼られたその絵が証明しているのですよ。

 

「うそォー。同じ現実を体験したことを証明しているんじゃ‥‥」って。

そう思う? あなたも?

解りませんか?

よ〜く見てください。壁に貼られた絵には、同じものは一枚もないのですよ。ぜ〜んぶがちょっとずつ違う。

 

同じであることは、絶対にあり得ません。なぜなら、そもそも座った位置がみんな違っているのですから。視点の位置が、全員異なっているのです。さらに、その位置から見て、対象物のどこに注目したかがそれぞれの人で異なります。石膏デッサンではそれが判りにくいかも知れませんが、戸外の写生では違いは大きく出ます。さらにさらに、表現の仕方がみな違います。線の細い太いや、色の薄い濃いなど。

 

まとめますと、

〇訶澄viewpoint)が異なる。

知覚・認識が異なる。

GЪ韻靴燭海箸寮依・表現が異なる。

と、三段階のフィルターが、その人が「現実」だと思っている「リアリティ」に被さっているということが、その絵から解ります。

 

つまり、あなたが「現実」だと思っているものは、どこまで行っても、所詮はあなたが知覚・認識した個人的「リアリティ」でしかないのです。あなたが「現実」の〈ありのまま〉を捉えることは不可能です。外界の認識は、必ずあなた固有の知覚器官と情報処理のプロセスを経て得られる。その過程で、いま話したあなた固有の三つのフィルターを通過することになり、その「現実」だと思う認識は、必ずやあなた流の歪みを生じてしまうのです。

 

早い話が、それは「現実」ではなくて「虚実」なのですが、ほぼ例外なく、人間はそれを「現実」だと見なして、会話をしたり、論理構造を組み立てたりしているのです。これは、「時間」と並び、人類を縛り続けている、恐るべき「洗脳」だと言えます。

 

TVニュースで、「これこれ、こういう事件が起こった」という報道を目にしたり耳にしたりしますよね。みなさんは、なんの疑いもなく、ああ、そういう「現実」が起こったんだなと受け止めます。ですが、みなさんは「現実」を全く見てはいないのです。見ているのはTVニュースであり、しかもそれを自分の三つのフィルターを通して受け止めているだけです。「虚実」に「虚実」を被せて、「現実」だと思い込んでいるわけです。

 

さて、石膏デッサンの現場に戻りましょう。よく見れば、「現実」などなかったということが絵によって証明されているのに、でも、その場に居合わせた人たちが、みな同じ「現実」を体験したと思うのはどうしてでしょうか?

 

それは、大まかな点で、互いの辻褄が合う部分があるからです。各人の「虚実」を突き合わせて、中央に「まあ、こんなものかな」という像をこしらえる。その結果、実際には、誰一人「現実」を把握できる者はいない、という根本原理はあっさり無視され、そこに居合わせた人たちで、これが「現実」だったと思うものを共通認識として「創造」してしまうのです。そう、それはまさに創造。想像の産物なのです。

 

しかしここで、個々の「認識」とは別に、それでもなお「現実」というものは存在しているのだ、と考えてみましょう。そのように思われる方も、きっと多いだろうと思います。「現実」は実際に存在しているのだけれども、ただそれは誰かの「認識」によってしか捉えることが出来ないだけ、という考え方です。ところが、この考え方は、量子力学では明確に否定されているのです。(量子力学の観点については、また別の機会にお話ししましょう。)

 

けれども、量子力学という権威を持ち出すまでもなく、誰かの観測と「認識」によってしか、外界は把握できない、という点は動かしようがありません。

 

*ここで新企画を。「宿題その 廖Г海療世鯲狄笋垢襪函宇宙(神)が、なぜあなたという存在を創ったのか、という理由の一つが解ります。瞑想をなさって、この点について考えを巡らせてみてください。

 

さて、ここまで説明しても、なお「見る」ことと、「創造」することは違うのではないか、と仰る向きもおられるでしょう。ごもっともです。「現実」を見ることは不可能なのだということはまあ解ったと。でも、「現実」(だと思い込んでいるもの)を自分が「創造」しているというのは、どうもピンと来ないと。

 

しかし、あなたが「見た」つもりになっているものと、あなたの「認識」とは、常に一対一で対応した関係になっているということに注目してください。ここで「認識」とは、自分の産物なのですから、自分が「創造」したものです。ゆえに、あなたは、あなたの「現実(だと思うもの)」を絶えず創造し続けている、と言えるのです。

 

人はよく「客観的に」といった言葉を使いますね。私も時に使うことがあります。しかし、いま言ったことをよくよく考えていただければ、純粋に「客観」と呼べるものなど、実はどこにもないということがお解りでしょう。「客観的に」と言っているものも、結局は、全部が誰かの「主観」でしかないのです。このことは、非常に重要な事実を突きつけます。みなさんは、この宇宙を、各々の「主観」でしか捉えることが出来ないのです。

 

そこで、このようなことが言えます。

宇宙とは、あなたの主観の産物である。

 

どうでしょう? 頭がクラクラして来ましたか?

 

あなたは宇宙を見る。

その宇宙は、あなたが創造する宇宙である。

どこにも客観的宇宙などはない。

あなたは、あなたが創造した宇宙しか見ることが出来ない。

よって、宇宙はあなたなのであり、あなたは宇宙である。

 

凄い結論ですねぇ。

「現実」は幻という話をしていたら、だいぶ横道に逸れてしまいました。

 

*ここで「宿題その◆廖р堊曚鬚覆気辰董△海離屮蹈奪の「宇宙」という言葉を「神」に置き換えて考えを巡らせてみてください。さらに凄いことになりますよ。

 

話を再び、石膏デッサンの現場に戻しましょう。あなたはその日、学校に行きたくはなかったので、授業をサボることに決め、学校近くの公園に出かけます。そして、公園内の木々や、花や、ベンチや、ブランコを眺めてひとり楽しく時を過ごします。この時あなたは、「石膏デッサンの授業」という「現実創造」には、加わらない選択をしたのです。代わりに、公園で花やブランコを眺めて過ごす「現実」を「創造」したのです。

 

最初の選択である「石膏デッサンの授業」への参加。この「現実」の創造には、多くの人間が加わっています。これらの参加者や、その場にあるものが協同してその時の「現実」を創り上げているのです。一方、あとの公園に行った体験では、誰にも会うことがなかったとしましょう。でも、木々や、花や、ベンチや、ブランコが集合して、同じようにあなたの「現実」を協同して創り上げているのです。

 

実は、これらのものにも意志があるのです。あなた方は物には意志はないと思っているでしょう。でも、高い山が大昔には海の底だったという話を聞いたことがありませんか? それはごくゆっくりではありますが、地殻も動いているということを物語っています。つまり、地球は生きているのです。そして、地球から生み出されたもの、さらにそこから加工されたもの全てにも、いのちがあるのです。「宇宙とは何か」という定義の一つは、間違いなく「生命」です。

 

ですから、あなたが創る「現実」は、これらのものが複雑に絡み合いながら、協同して創り上げているのです。そして、その中では、あなたは常に主役です。誰かの脇役であることは、決してありません。よいですか、全員が主役なのです。このようにして、あなたの「現実」の「創造」のために、今現在のあなたにとって必要かつ有益なことが、いつも完璧に用意されているのです。ただし「有益」とは、あなたという「魂」の成長にとってということです。

 

このように、この世は、すべてが、行き当たりバッチリ! なんですよ。

あとは、そのことに、あなたが気づくかどうかです。

 

さて、今ここに挙げた事例から、どのようなことが学べるでしょうか?

先ず第一に、あなたは、ご自分の意志で、たくさんの選択肢の中から「現実創造」を自由に選べるのだということです。

第二に、その「現実創造」の〈あり方〉(気分的あり方、感覚的あり方)を自由にデザイン出来るということです。

そして第三に、その「現実創造」は、実は幻なのだということです。

 

このことから、さらに次の結論が導き出されます。

 

あなたは、この、あなたが創る「現実」という名の幻術を、自分の成長のために、利用することが出来るのです。

もう一度、言いましょう。

あなたは、この、あなたが創る「現実」という名の幻術を、自分の成長のために、利用することが出来る。

 

これが、今日お伝えしたいメッセージです。

 

*ここで「宿題その」:幻という「現実」を「創造」しながら生きる人生に、果たしてどんな意味があるのかと、瞑想をして考えを巡らせてみてください。

 

みなさんの理解力が上がり、次の段階の真理を求める声が多くなって来ましたので、今日はこのような話をしました。

 

わたしたちは、あなたが目覚めることを応援しています。

いつでもあなたのそばにいて、呼びかければすぐに応える用意ができています。

 

叩けよさらば開かれん。求めよさらば与えられん。

望めば、天の門はいつだって開かれるのです。その用意があるのです。

それを阻んでいたのはあなたの側。

2020年、今度はあなたのゲートを開けましょう。

そして、わたしたちが伸ばした手を、しっかりと握り返してくださいね。

Open your heart.

 

親愛なるあなたへ 永遠の友より

「時間」の罠

「スライス・オブ・ライフ」という言葉をお聞きになったことはありますか? これはその名の通り、人生のある断面、何気ない日常の一コマを強調する時によく使われています。この “slice of life” という言葉が意味しているものは、「その時々を大切にしなさい」ということ。逆に言うと、多くの人が「よき人生を送りたい」と願っていながらも、“slice of life” を殆ど意識せずに生活をしているということを示しています。

 

長〜い食パンをイメージしてください。この片方からもう片方までが人生だとします。あなたの「今」は、これのどこかの断面にあるのです。この視座は、「幸福」との関連で何度か語って来ましたが、覚えておられますか? 「幸福」というものは、将来にあるのではなく、「今」を「幸福」だと思えば「幸福」なのだということ。そして、その「今」を継続すれば、「幸福」な一生が送れるということでしたね。

 

でも、そうはなかなか思えないですよね。

それは、「今」の自分には、何か〈足りないものがある〉と考えているからです。

それは、家や、恋人や、家族や、理解者や、金品や、能力や、適職や、地位や、賞賛だったり‥‥と。

 

そのため、将来の充足や、将来の獲得にばかり意識が向かって、“slice of life” を大切に生きるということをついつい疎かにしてしまうのです。しかしこれは無理もありません。そのように教育されて来ましたし、社会が発するメッセージはすべてこのような観点から紡ぎ出されているからです。曰く、有名大学を出ないとよい就職口はないぞ、よい相手に巡り会わないと幸せな家庭は築けないぞ、会社に逆らったりしたら出世は見込めないぞ、2000万円貯金しておかないと老後は悲惨だぞ、etc.。

 

しかしこれも以前に言いましたが、人間以外の生きものたちは、そんなことを考えているのでしょうか? たとえば、犬は犬生設計をした上で生きているのでしょうか? 猫は猫生設計をした上で生きているのでしょうか? 鳥は鳥生設計をした上で生きているのでしょうか? そんなふうには、とても思えません。みんな、ただ “slice of life” を生きているだけなのではないでしょうか?

 

でも人間だけが、「人生」という言葉に惑わされて、「時間軸」の上に自分が考える〈幸福イメージ〉を描こうとするのです。しかしこれは、危険な罠です。なぜなら、将来の「幸福」のために「今」を努力しようとすれば、「今」はまだ「幸福」ではないということになりますし、イメージした将来に、望んだ〈幸福イメージ〉がもしも獲得できなかった場合には、これまた「幸福」ではないという敗北感がその人を襲います。

 

つまり、自分は「幸福」ではない、という “slice of life” を連続的に生きる人生となってしまうのです!

 

あなた方が、みなこうした罠に陥ってしまう大きな原因は、この世には「時間」というものが存在するという根本的な錯覚があるためです。この信念は非常に強固なもので、宇宙の真理は、これまで繰り返し、「時間」というものはまやかしに過ぎない、宇宙には永遠の今しかない、と説いて来たのですが、その実感がつかめないために、みなこの根本命題をスルーして、「時間」に縛られて生きているのです。

 

これと対をなして、あなた方の世界を支配している根本的な錯覚がもう一つあります。それは、「自分は何者か」という問いに関するものです。みんな、鏡に映した時に見える、身体を持った自分が自分だと思っていて、そのことにいささかも疑念を抱いていません。そんなことは議論なしの当然だと考えているのです。つまり、それほど、この錯覚も強固なものだということです。

 

整理しますと、

 

1.この世には時間が存在する。

2.この肉体の私が、私である。

 

という二つの根本的な錯覚が、地球という惑星の霊性密度(次元)を、支配する根本原理になっているのです。そして、すべての問題(のように感じるもの)、すべての苦悩(のように感じるもの)は、全部、この錯覚を前提として、その上に生じているのです。試しに、あなたがいま問題だと思っていること、苦しいと感じていることがあったら、この二つのフィルターの中を通してみてください。必ず、引っ掛かるはずです。

 

あなた方を支配する「洗脳」は、三重構造になっていて、先ずベースにこの二つの錯覚があり、ベースの上に、さらに様々な社会システムが乗っかり、その上に個々人の信念があるのです。

 

昨今、このうちの社会システムの「洗脳」実態が、次々と明るみに出される事態が起きています。これは人類史から見れば驚くべき大変革です。数千年も前から変わることなく続いて来た、人類の支配と隷属という構造、そして支配の道具としての「お金」の実体が、根本から問い直される機会が巡って来たのですから‥‥。あなた方はその転換期にすでに突入しています。

 

また、この変化のせいで、上に乗った個人の信念もグラつき始めています。しかしこのことを不安に思わないようにしてください。転換期には、変わることを不安に思う人と、変えることを楽しみに思う人とが混在します。不安感を払拭する唯一の方法は、変革の阻止や現状の死守ではありません。あなたが理想とする社会をリビルドするイメージを強く抱いて、実際に行動を開始することです。変革を、不安ではなく楽しみに変えるのです!

 

さてこの中には、どちらかと言えば壊す方に比重を置いた「解体屋」と、新しい社会システムを創造することに、より比重を置いた「建設屋」が登場します。「解体屋」は、既存システムをぶっ壊せばいいだけですので、誰の目にも分かりやすいのですが、「建設屋」はどういうものをどういう手順で造るのかということを、多くの人にプレゼンテーションし、納得してもらわなければならないので、非常に手間も掛かるし大変です。

 

ここで、次を担う世代の方々に知っておいて欲しいことは、ただ社会システムをいじっただけでは、地球人類に真の幸福は訪れないということです。社会システムという、外に現れた表現物は、すべて人間の内面の反映なのです。分かりやすく言えば、今の人間の「心」の投影です。ですから、その時々の人類の「心」のありようが、その時々の社会システムを構築している。

 

ということは、人間にとって、あらゆる生物にとって、また宇宙にとって、「幸福」とは何か、という根本が問い直されなければならない時期が来たということです。ことここに至って、先に挙げた二つの根本命題に、いよいよ地球人類も踏み込む段階が来ました。

 

つまり、

_罅垢考えているような「時間」というものは実は存在しない、

∋笋遼楴舛脇体にあるのではない、

ということに万人が気づくことです。

 

そして、

 ̄宙には永遠の今しかないのだということと、∋笋遼楴舛録世任△と、実感を持って深く認識することが、眠りからの目覚め、すなわち「覚醒」の根本なのです。

これこそが、地球人類に与えらえた最終テーマ、アセンションです。

 

親ガメの上に子ガメを乗せて、子ガメの上に孫ガメ乗せて。親ガメ転けたらみな転ける。もしも地球人類の大多数が、いま言った根本命題に一斉に目覚めたとしたら、それはもうちゃぶ台返しのようなもので、上に乗っかっているものも全部がひっくり返る。価値観が一変し、地上には一切の悩みが無くなる。しかし、いつも言っているように「解る」には三段階があって、今日の明日というわけには行かないのです。

 

実は、いま新しい時代の構築に向けて、奮闘努力しておられる方々の中には、ご自身では明確に意識していないまでも、ベースの変革を(つまり地球人類のアセンションを)直感的に解っておられる方がいるのです。みなさんには、二段目の社会システムだけを変えようとしている人と、ベースから丸ごとひっくり返そうとしている人との違いは分からないかも知れません。しかし、分かる人には直ちに分かる。あなただって、直感を働かせればきっと分かるはずです。

 

ということで、今日はそのうちの「時間」についてお話をしましょう。私たちは、ほぼ例外なく、「時間」とは何かについて、深く考えたこともなしに「時間」のことを日常的に話題にしています。今日の待ち合わせは駅で11時30分にとか、一周を3分20秒で走り抜けたとか、お湯を注いで3分間待てとか‥‥。日常行動の基盤を完全に「時間」に頼っていて、しかもUTC(協定世界時)が定める標準時間に厳格に管理された中で生活しています。

 

ですから、「時間」があるということになんら疑問を抱かないのは、当然過ぎるほど当然です。けれども、神秘学では古来より一貫して「時間」は幻想だということを語って来ました。ただ、この両者の言葉には隔たりがあり過ぎて、かつ実感を伴わないために、「時間」は無いという主張は、常に嘲笑され無視され続けて来たのです。しかし、ここで逆に、「時間」が在るということの証明をしてくれますか、とあなたにお頼みしたら、あなたはどうされるでしょうか?

 

ある人は、自分の子ども時代の写真を見せて、これがその証拠だと仰るかも知れません。またある人は、過去のドキュメンタリーの映像を見せて、これが証拠だと仰るかも知れません。またある人は、マラソン中継を見せながらトップは2時間8分でゴールしたぞと仰るかも知れません。でも、私が証明して欲しいのは、時と時の間(あいだ)、「時間」が在るということなのです。写真もドキュメンタリーも、その記録を見ているのは「今」ですし、マラソン中継も「今」の連続を見ているだけです。

 

実は誰も、時と時の間(あいだ)を取り出して、「ほら、ここに時間が在るよ」と証明できているわけではありません。でも、私たちは「時間」が在ると思っているのです。これはなぜでしょうか? それは、自分の周囲で時々刻々展開してゆく「変化」というものを、五感が知覚するからです。そしてその変化の知覚を、「時間」が経過しているのだと「解釈」しているのです。つまり、外部に見られる変化と、内的な認識とが合わさって、「時間」が存在するという幻想を創り上げているのです。

 

あなたに、こんな経験はないでしょうか? 何かに夢中になっていて、ハッと時計を見たら、予想の倍もの時間が経過していた。あるいは、深い夢の世界に落ちて、夢の中で様々な体験をしたのに、気がついたらほんの数分しか立っていなかった。これらはいずれも、自分の認識と時計の針の進み具合とが一致しない時があるということを示しています。それより何より、眠っている時には「時間」が停止しているように感じていませんか?

 

先ずここで考えていただきたいのは、「時間」経過というものに関する「認識」は、一人ひとりで異なっており、決して一様ではないということです。にも関わらず、同じ「時間」を過ごしていると思っているのは、時計によって示されている標準時間というものに、みな暗黙の信頼を置いているからです。ですから、先に挙げたような経験をしたとしても、自分の「認識」の方が間違っていたと思うように教育されているのです。

 

でも、もしもあなたが、時計も窓もない部屋に何日も何日もずっと押し込められていたとしたら、あなたは「時間」というものを、どのように「認識」するでしょうか? 最初は腹時計や、眠くなったりすることで今何時かを類推するでしょうが、それがずっと続けば、終いにはもうなんだか分からなくなってしまうのではないでしょうか。ここで気に留めておいて欲しいことは、一つには、「時間」は「認識」の問題であるということです。

 

次に、なぜ自分の外部に見える世界が、時々刻々と変化するのかを考えて見ましょう。いわゆる「諸行無常」「生々流転」という法則が展開されている理由です。これは、今の私たちが、「物質」が存在する空間であるところの第3霊性密度(三次元)の世界に生きているからです。

 

*霊性密度については何度もお話しして来ましたが、宇宙というものは、高い振動数(密度)を持った非物質的な世界から、低い振動数(密度)によって形成された物質世界までがグラデーション状に展開されており、これをその性質の差から、大きく7つに分類しています。第3霊性密度というのは、この分類の下から3番めの領域を言い、5番め以上が非物質的世界、つまり霊的世界に当たります。そして中間の4番めが、半霊半物質世界を構成するという構造になっています。

 

地球で暮らす人間は、この物質世界が、そのまま宇宙の実相だと思っていますがそうではありません。宇宙を構成する素の素はたった一種類の振動するエネルギー体で、それが振動数を下げて行くことによって素粒子化し、さらに下がって様々な物質を形成しているのです。ですから、素粒子化以前の非物質的世界(それは、現在あるどんな機器を使っても観測できない世界ですが)までを含むものが、本当の全宇宙なのです。そして、その中では、物質世界の全エネルギー量などは微々たるものに過ぎないのです。

 

いま言った部分は、因の科学に属することですので、物質科学の世界ではまだ証明がなされていません。しかし物質科学の世界でも、あなた方の常識を覆す一つの結論がすでに出ているのです。その結論とは、時間と空間とは不可分であって、互いに連続しているというもの。そこでこれを「時空間連続体」と呼びます。私たちはこの「時空間連続体」の中に生きているのです。が、この中では、なんと「時間」の経過は一定のものではないのです。

 

*因の科学:現在、地上で「科学」と称しているものは、みな物質世界に顕れた「現象」の中に法則性を見出そうとするものであり、結果から結果を法則化しているに過ぎないのです。例えば、宇宙は今から138億年前にビッグバンによって誕生したと言い、今ではみんなそれを信じていますが、では生じる前の「無」とは何なのか、どうして「無」から突如「有」が生じたのか、何がそれを生じせしめたのか、生じせしめた理由は何か、といった「原因」に関する疑問には、全くの頰かむりなのです。この「原因」にまで踏み込む科学が「因の科学」です。

 

図を見てください。これは「時空間連続体」の概念を平面上に表したものです。横に時間軸、縦に空間軸を取っています。この平面の、A地点に今あなたがいるとしましょう。あなたはそこにいて、動かずにじっとしています。そのあなたに対して、時間軸が右から左にまるでベルトコンベアーのようにして流れて来るのです。実際にはあなたは静止しているのですが、時間軸の方が絶えず流れて来るので、あなたは逆方向へA’地点まで進みます。この移動を、あたかも「時間」が経過したかのように感じるのです。

 

さてここで、A’へと向かう途中のB地点で、静止をやめC地点にまで空間を移動したとします。あなたはA’までにかかる時間と、同じ時間をかけて今度はCへと移動します。すると、A-A’へ進むのも、A-B-Cへ進むのも、両者が持っている時計の針は同じだけ進んでいます。ところが、A’地点側から見た場合のA-B-Cの時間経過は、A-A’よりも縮んでしまうのです。つまり、あなたが空間を移動をしている時には、静止している状態よりも、なんと時間の進みが遅くなってしまうのです。

 

ということは?

しょっちゅう移動をしている人は、それだけ他の人よりも老け込むのが遅くなる!

 

とまあ理論上はそうなのですが、新幹線に乗っても飛行機に乗っても、光速に較べればそのスピードはあまりにも微々たるものなので、ほとんど影響がないのです。残念! しかしここで、まずもって理解していただきたいのは、「標準時」なるものは絶対的な基準ではないということです。地球上で体験される経験則を、「標準時」として制定したものに過ぎないのだということ。ですから、「時計」をもってして「時間」が在るということの証明にはならないのです。

 

その上で、次に、なぜ時間軸のベルトコンベアーが流れ続けているのかを考えて見ましょう。これは、実のところ、現代物理学でも未だに解明されていない謎です。いわゆる「時間の矢」の問題(どうして時間は後戻りできないのか? 時間には矢印がついているのか?)です。なぜ解明されないのでしょう? それは、宇宙の創生の問題と同じく、因の科学の領域にまで踏み込まない限り、この問題には答えが見つからないからです。

 

しかし、今の地球で「科学」と称しているものは、すべてが物質世界を基盤に置いた考え方を前提としていて、それを逸脱するものは「科学」とは決して認めません(これこそが非科学的なのですが‥‥)。ということで、因の科学の領域に少しでも踏み込んだものは、みな似非(えせ)科学のレッテルを貼られてしまうのです。当然、このブログも。残念ですが、現状では仕方がありません。しかしそれも、いつかは是正される時が来るでしょう。

 

話を戻して、今ここに書いた「時間軸のベルトコンベアー」という比喩も、数分前にインスピレーションを頂いたばかりのものであることを断っておきます。さて改めて、あなたに問いかけます。「空間」とは何でしょうか? 宇宙に出ると、真空の「空間」が広がっていると言いますが、「真空が在る」というのはどういうことなのでしょうか? 何も無いけれども「空間」だけは在る。その「在る」とは、いったい何が在るのでしょうか? 何も無いのに、なぜ「空間」は潰れてしまわないのでしょうか? まったく謎だらけです。

 

では、因の科学の世界に入りましょう。

 

先ず、「無」と「空」とは違うということです。「無」とは文字通り何も無い。ですから、「無」の存在を証明することは出来ません。「無」の存在が証明できたら、それは「有」ということですので自己矛盾です。従って「無」は無(だろう)としか言いようがありません。しかし、括弧して(だろう)としたのは、こちらの宇宙には無くても、こちらからはアクセス不可能な別の宇宙に「在る」可能性があります。その場合、その別の宇宙から見れば、やはり「無」というものは無いのです。<(_ _)> ややこしくてどうも済みません。

 

*宇宙は Uni-verse ではなく、Multi-verse になっている。

 

これに対して、「空」というのは、物質化したものは無いけれども、非物質的エネルギーがそこには満ちているのです。これが「空間」であり、このエネルギーを、古くからエーテル(Ether:英語の発音ではイーサー)と呼んで来たのです。それを何と呼ぶかは別として、「空間」には何も無いのではなくて、そこには宇宙の基本要素であるところの振動するエネルギー体が、まるで海のように充満しているのです。(その比喩的な映像に取り組んだ映画が『惑星ソラリス』)

 

*中世時代に盛んに言われていたエーテル論は、その後、原子の発見や真空の観測によって「そんなものは無い」と完全否定されてしまいましたが、現代物理学では、逆にこれを認めるようになって来ています。

 

さて、初めの方で、この振動するエネルギー体は、振動数に応じた階層構造を形成していると述べました。そして、振動数が低下して行くと、素粒子を形づくり、それが集まって物質化して行くと説明しました。この変化は、階段状ではなく、グラデーション状に変化して行きますので、素粒子になるかならないかの領域では、物質と波との中間的な性質を帯びるのです。すると、振動するエネルギー体は、喩えて言えば、お湯に葛粉を溶いたような状態になるのです。

 

物質化した宇宙は渦の回転をしておりますので、粘りをもったエネルギー体は、これに引っ張られて同様に回転をします。逆に、葛粉を溶いてかき回しているうちに、中に物質化する部分が出来ると言った方が適切かも知れません。いずれにしても、粘りを持った振動するエネルギー体が一定方向に回転する。これが、時間軸のベルトコンベアーとなるのです。ですから、「時間」は一方向にしか進まず、後戻りができないのです。

 

しかしこれは、あくまで、物資世界の領域(第3霊性密度)で起こる話。私たちはその世界に住んでいますので、そこを中心としてしかものを考えられなくなっていますが、物資世界というものは、宇宙全体からみれば非常に限定された狭い領域に過ぎないのです。むしろ、非物資的世界の方が圧倒的に大きい。では、どのくらい大きのかと言いますと、広大無辺。つまり限りがないほど大きい。

 

なぜ限りがないのでしょうか? それは「時空間連続体」という限定された場が、もはやそこには存在しないからなのです。ですから、正確に言えば、大きいとか小さいとかという基準そのものがない。極大が即極小であり、極小が同時に極大でもあるという無限の世界がそこに広がる。これが宇宙全体の本質であり、あなた方が考えている宇宙は、物資化された領域だけを見て「これが宇宙だ」と言っているに過ぎないのです。

 

物質世界の領域から脱し、高い霊性密度の領域に上がれば上がるほど、「時空間連続体」からは離れて行きます。第3霊性密度から、第4を越え、第5霊性密度に入った辺りから「時空間連続体」の影響はどんどん少なくなって行く。そしてついには、時間も空間も無い無限の世界に突入してしまうのです。果たして、それはいったいどんな世界なのでしょうか?

 

知りたいですか?

‥‥‥

本当に?

‥‥‥

心底から?

‥‥‥

今すぐにでも?

‥‥‥

 

まあ、そう焦りなさんなって。

いずれは知ることになるのですから。

その日が来るまで、楽しみにとっておきなさい。

あなたには、この世で、まだまだやるべきことがある!

 

本当の「知る」は、あちら側へ行かなければ解らないのですが、こちら側にいても、その一端に触れることは出来ます。現にあなたも常に触れているのであって、ただそれを意識できないでいるだけです。その接触(contact)を、意識的に行う手段が、他ならぬ「瞑想」です。そこで、虹の学校では、日常生活に「瞑想」習慣を持つことを強くお勧めしているのです。「瞑想」は、本当の宇宙、本当の自分、本当の愛、そして生命の神秘、を理解するための真実の扉を開けてくれるのです。

 

このように、あなた方が感じている「時間」というものは、絶対的な尺度ではなく、物質世界だけに出現する見かけ上の体感に過ぎないのです。それは、身体の自分が自分だと思っているために、その体感を信じるのであり、「時間」があると思い込むのです。その結果、身体に縛られ、さらに時間に縛られ、地上での活動のすべてを、この二つの幻をベースとして考えるようになり、それによって自ら問題を創り出し、悩み、苦しみ、自分は不幸だと思う人生を送っているのです。

 

でも、あなた方は意識していないだけであって、宇宙の本質とは日常的に接触しているのですよ。それどころか、今までに一度だって切れたことがない。ただの一度だって! なるほど、あなた方は生まれ、成長し、やがて衰え、死ぬという一生を送る。でもそれは、諸行無常、生々流転という地上の法則を体験するためのプロセスに過ぎないのです。体験を咀嚼して、何かを掴もうとしている本当のあなたが、それとは別にある! 真実のあなた、そのままのあなたが。

 

それは、身体ではない。あなたの「意識(mind)」だ。

 

つまり、今世の身体、およびそれに付随して動く環境は、すべて、あなたの「意識」を進化させるために用意された、単なる道具であり、スクリーンなのです。

 

あなたの本質は、あくまで「意識」なのです。そして「意識」だけが、あなた方が「死」と呼ぶ時を迎えた後も、連続して運ばれる。しかも、あなた方の「意識」は一重ではありません。ここが肝心なところ。これも多層を成していて、その最深部は、誰もが高い霊性密度とつながっているのです。でもそのことを実感できないのは、あなたが、身体と時間が示す罠に捕まっているためなのです。

 

そこで、この罠から脱し、本当の自分を見つけ出すためのテクニックをお伝えしましょう。何かの作業を終えた時、また作業を始める前、あるいは作業中に迷いが生じた時、感情をひどく動かしてしまってブレた時などに、ひとり目を閉じて、静かにして、自分の「意識」を観察してください。批評を加えずに、「意識」のありのままを見つめるのです。すると、あなたの「意識」は「時空間連続体」を脱け出して、永遠の「今」の世界に入ります。

 

その時、あなたは気づくことになる。自分の本質は、身体ではなく、連続した「意識」にこそある。が、その「意識」もまた、「今ここ」にあるのだということに。つまりあなたは、“slice of life” ではなく、“slice of mind” を生きているのだということに。あなたの「意識」に、「時間」というものは存在しないのです。Aという人物だった時の過去世、Bだった時の過去世‥‥、そしてXという人物であるところの未来世、これらは全部、同時に、それぞれの人生の “slice of mind” を生きているのです!

 

なんと壮大なドラマでしょう。なんとよく出来た計画でしょう。すべての人生における体験が、全部あなたの体験学習のためにあるのですから.。

このプレゼントに感謝しなさい。自分の身の上に起こる、良いことも悪いことも、実はぜーんぶ良いことだった、という実感に早く到達しなさい。

あなたの魂は、いつだって見守られているのですよ。いい加減に目覚めて、早く自分の手足となって働いてくれないかなぁと、上の存在は乞い願っているのですからね。

 

あなたは、自分が救われることばかりを考えてはいませんか? 逆なのですよ。あなたが、上の存在を救うのです! なぜって、地上で手足となって働いてくれる人がいなければ、いかに高次元の存在といえども、手の出しようがないのですからね。ですから、自分が手足となって働くことを、ここで宣言しなさい。何も難しいことを考えたり、したりする必要はありません。素直に、純粋に、誠実で、明るく、熱心に、思いやりを持って、いま出来ることを行いなさい。

 

スピリチュアルおたくになっていてはダメですぞ! 霊的世界は、駆け込み寺ではありません! ましてや魔法を授ける教習所でもありません、なんのための人生ですか? なんのための地上体験ですか? 思いつくことをどんどん行動に移して、人生を謳歌しなさい。すべてはスクリーンなのですから、怖くはないでしょう。自分は、自分のドラマの主役なのだということを強く意識して、渾身の力でこれを演じ切りなさい。あなたの、“slice of mind” を光り輝かせて。

地球のアセンション

アセンション(Ascension)とは上昇すること。何が上昇するのかというと、いわゆる「次元」です。この「次元」が、三次元から、四を跳び越して、一気に五次元にジャンプする。それが「アセンション」です。

 

さて、この「次元」という言い方なのですが、この名称が多くの人に誤解を与え、「宇宙」の構造に関する理解を難しくさせてしまっています。私も時に、通例に倣って「人間は多次元的存在」などと書いたりしているのですが、誤解を増幅させてしまっているかも知れません。そこでこの際、ちゃんとしたことを書いておこうと思います。

 

これからお話することについては、簡単にですが、今までにも何回か触れたことがあります。けれども、数学や物理学に関連した話をちょっとでもすると、どうもドン引きする人が多くて、今までキチンとお伝えすることは遠慮していました。でも、今回はちゃんと話しますので、頑張って着いて来てくださいね。

 

そもそも、「アセンション」で言っているところの「次元」というのは、数学で言うところの「次元」とは、全く異なる概念なのです。これは「アセンション」に限らず、今後は、神秘学において「次元」という言葉を目にした際には、すべてそうだと考えてください。そうすれば、基本的な謎の一つが解けます。

 

数学で言うところの「次元(Dimension)」というのは、移動できる方向の数(自由度)を表しています。点は0次元(どの方向にも動けないため)、直線は1次元(直線上をどちらか一方向に動ける)、平面は2次元(タテ、ヨコの二方向に動ける)、立体は3次元(これに高さが加わり三方向に動ける)となるのです。ということは、私たちがいま住む物質世界は、数学的には3次元世界ということになります。

 

これに時間軸をプラスして、この世は4次元だとする考えもあります。ただし、時間軸は片方向にしか進めません。いわゆる「時間の矢」というものが存在するのです。しかも私たちは、“今” しか知覚・体験できません。“時間” という幅を見ることは出来ないのです。なぜ時間軸が逆行できないかは、今も物理学上の大きな謎とされています。

 

一方の神秘学で言うところの「次元」は、正しくは「霊性密度(Spiritual Density)」と言い、宇宙を構成するあらゆるものを、その振動数の違いによって七階層に分類したものなのです。さてここで、先ず「振動数」という言葉が出て来ました。非物質的なものも含めて、宇宙のあらゆるものが振動しており、霊性の高いものほど微細で精妙な振動数を持ち、低くなるほど大まかで粗雑になっていくのです。

 

この説明にピンと来られない方も多分いらっしゃるでしょう。目の前にあるコーヒーカップが振動しているようには見えないからです。あるいは空気が振動しているようには見えない(空気そのものが見えない)からです。またあるいは、銀河系が振動しているようには、宇宙全体が振動しているようには思えない(観測できない)からです。

 

しかしみなさんは、物質を構成しているものが分子であることをご存知でしょう。そして、その分子を構成しているものが原子であることもご存知でしょう。これら物体を形成している粒子は、目には見えないのですが、みな細かな振動をしているのです。みなさんがよく知っている「熱」というのは、この粒子の振動状態なのです。そこで、この粒子振動を熱運動と呼びます。

 

粒子の振動が激しくなるとその物は高温となり、振動が小さくなると低温となります。一例を挙げましょう。水は、温度が0度から100度までの間に、固体、液体、気体へと変化します。気化した水であるところの水蒸気が膨張圧力を生むのは、水分子が液体時よりも激しく振動するためです。逆に自由度があまり無くなっていくと、水は氷という固体になるのです。

 

さて、最新の物理学は、原子核を構成する陽子や中性子よりもさらに微小な素粒子を発見し、今ではクォークに代表される17個の素粒子からなる「標準モデル」が確立されています。そして、自然界にある四つの力の大統一理論を探る過程で、「標準モデル」の素粒子よりもさらに微細な「素」が存在し、それは「振動するひも」である(超弦理論)という説が主流を占めるに至っているのです。

 

しかしこの「振動するひも」は、理論物理学から出て来たもので、あまりにも微小なために、大型ハドロン衝突型加速器を使っても、実験で確かめることが(今のところ)不可能とされています。一方、神秘学では、古来より、宇宙を構成する「素」は、振動するエネルギー体であるとし、それを「霊(Spirit)」と言って来たのです。つまり現代物理学は、古来より連なる神秘学に、やっと追いついて来たというわけです。

 

*霊(Spirit)については、あまりにも多くの解釈や定義づけが存在し、それぞれの人がそれぞれの説を語っておりますが、ここでは、万物を形成する唯一根源の「素」を霊(Spirit)と定義づけます。

 

よく、霊界の話をすると「そんなもの科学的じゃない」とか「トンデモ話だ」といった決めつけをなさる方がおられるのですが、現代科学は、もはやそのレベルではありません。天文学、物理学、数学が融合し、超微小世界と超巨大世界への観測技術が共に発達したこともあって、この2・30年ほどで急速な進歩を遂げています。そして、そこで得られた推論は、因の科学(現象面の裏にある本当の原因科学)が示して来たものに、どんどん近づいて来ているのです。

 

「Spirit」と「振動するひも」が、同じものだと結論づけるにはまだ早計かも知れません。ですが、『超弦理論』が、この世の常識を超える世界に踏み込んだことは、これまでの科学(現象から現象の法則性を探る)の一線を超えたと言えます。その『超弦理論』は、私たちが住む世界が実は3次元なのではなく、9次元(時間軸を含めると10次元)であるという説を立てています。残りの6次元分は畳み込まれていて観測できないだけだと言うのです。

 

さて神秘学に話を戻しましょう。神秘学では、万物を構成する素は「Spirit」であると言います。しかしこれは、大本の「振動するエネルギー体」が有する機能面の一つであり、他に「根源的生命力」と「宇宙意識」なるものを、この「振動するエネルギー体」は併せ持っているのです。この、三つの要素が、たった一つのものから成るということが、真の「三位一体」の意味なのです。

 

さてその時、元はたった一つのこの「振動するエネルギー体」が、振動数を次第に下げて行きます。すると、水で示した例と同じ様に「Spirit」の自由度がだんだんと減って行き、同種の振動数を持ったエネルギー体が塊りを形成するようになるのです。こうして、非物質であったところの「Spirit」が、半霊半物質状となり、さらに振動数を下げると、遂には物質化という現象が起こるのです。

 

ですから、人間の肉体も、「Spirit」が振動数を下げて物質化して行き、原子となり、それが分子となり、細胞を形づくって肉体を形成したものなのです。ここに、同じく「宇宙意識」の振動数を下げた「魂(Soul)」が結びつき、さらに「根源的生命力」の振動数を下げたプラーナ(気)が供給されて、あなたという一人の人間が、この地上で、この宇宙に生かされているのです。

 

このように、元々は非物質的な「振動するエネルギー体」が、振動を下げることによって、半霊半物質化、さらには物質化という現象が起き、その物質も、様々な化合を経て巨大化し、この大宇宙が出来上がっているのです。宇宙のすべては「波動」であるという言い方は、ここから来ています。ですから、「波動の法則」が「真理」であると言えるのです。それは、たった一つのものから生じているのです。

 

この時、振動数の高低差を、便宜上、七つに分けたものが、よく言われる「次元」、正しく言えば「霊性密度(Spiritual Density)」なのです。密度と、振動数と、波長は、同じことを違った視点から述べたものです。ですから、俗に言う「次元」とは、数学的次元を指しているのではなく、「振動するエネルギー体」の密度、あるいは振動数、あるいは波長を述べたものだということを、しっかり覚えてください。

 

さて、なぜ七つに分けられるのかということなのですが、振動数の違いからなる七つの領域が所持するそれぞれの性質に、大きく七つの特徴があるためなのです。そしてこの特徴をそっくり人体に移したものが、いわゆるチャクラ(中枢)の各働きであり、スシュムナー管上(背骨に重なる場所)に、七カ所に分かれて位置しているのです。

 

このことから、大宇宙(マクロコスモス)と、人体(ミクロコスモス)の相似形が言われ、人間は「神」に似せて創られたという言い方が為されているのです。また、七つの「霊性密度(次元)」を、人体が最初から所持しているという意味から、人間は「多次元的存在」であるという言い方もされるのです。

 

ところが残念なことに、地球に生まれた人間は、このチャクラが充分に目覚めていません。そこでこのチャクラを、眠りから目覚めさせ、活性化させることが求められます。これが、いわゆる「覚醒」の意味であり、完全に目覚めた人を「ブッダ」と呼ぶのです。(この七つの階層については、次回に『オクターブの法則』と題して、詳しい説明をします。えっ、もう結構ですって? まあ、そう言わずに。)

 

七つの階層のうち、上の三つが非物質界(霊界)、下の三つが物質界、そして中間の四番めに位置しているのが半霊半物質界です。地上に生活している人間は、下から三番めの「第三霊性密度」の領域に暮らしているのですが、四番めの半霊半物質界を跳び越えて、非物質界の一番下である五番めの「第五霊性密度」にジャンプすることを「アセンション」と言うのです。しかも、この肉体を持ったまま、地上に現に生活をしながら。

 

*本当はそうではないのに、そこに捕まっている状態。物質を知覚するための五感刺激に嵌まり込み、第六感以上が塞がっている。当然、チャクラも閉じたまま。

 

ややこしいのは、「第三霊性密度」を「次元」と言ってしまうと、これが「三次元」となり、数学的に言うところの「3次元」とちょうど重なり、区別がつかなくなってしまうだけでなく、英語の「Dimension」も「Density」も共に頭文字が「D」ですから、同じ「3D」と表記される場合があるのです。

 

そうしますと、「はて、3次元から5次元にジャンプするとはどういう意味なのだろうか?」「5次元世界とは何なのか?」という話になり、まるでワケが分からなくなってしまうのです。たまたま、そういうものが一致したために、多くの人に混乱を与えてしまっているのです。ということで、今日、その点を解説いたしました。

 

では、「霊性密度」上、なぜ四番めを超えるのか、また超えなくてはならないかと言いますと、半霊半物質界である「第四霊性密度」というのは、いわゆる魑魅魍魎がいる世界なのです。地上に思いを残して死んだ魂や、悪意を持った霊たちがウジャウジャいる世界です。オカルティックなことに興味を持ってはダメだよ、というのはそこです。興味を持った途端、実は、その波動の領域に捕まっているのです。

 

すると、その領域にいるタチの良くない霊たちが、「神」の名を語っていろんなことを伝えて来るのです。それはみな、人間を不安と恐怖と混乱に陥れるためのもので、その理屈を知らない霊媒が、それをそのまま下ろしてしまうのです。人間というのは、残念ながら、宇宙の「真理」を求める人よりも、恐怖の「予言」に興味を抱く人の方が圧倒的に多い。そこで、需要と供給が一致するというわけです。

 

「第四霊性密度」の領域を怖れる必要は、いささかもないのですが(むしろ怖れない方がいい)、オカルティックな興味を抱き続けている限り、アセンションすることは不可能です。なぜなら、それ以上には、自分の波動が(振動数が)上がらないということですから。ここが盲点であり、この「第四霊性密度」の川を渡るということが至難の技なのです。

 

と、以上が前置きです。う〜ん、ずいぶん長い前置きになってしまいましたが、今日お話ししたいことは、別のことなのです。これも以前に書いたことがあると思いますが、今この時期にアセンションすることが運命づけられているのは、実は人間ではなく、地球なのです。地球のアセンションというものが、地球の誕生時から計画されていて、そのタイミングに、既に入ったということ申し上げたいのです。

 

地球というのは、宇宙的に見てどういう惑星であったかと言いますと、「愛の惑星」だったのです。そう聞くと、何か素晴らしい星のように思うでしょうが(実際、ある意味で素晴らしいのですが)、もう少し正確に言うと、「愛を学ぶための惑星」でした。「愛を学ぶための惑星」ということは、裏を返せば、未だ「愛」を知らないレベルの、霊的に低い星だったということです。

 

地球人というのは、私を含めてみな、霊的レベルが低い「魂」が集まっているのであり、この惑星の上に誕生することで、「愛」を学習する機会を与えられたということです。そのために、「分離」意識の非常に強い、エゴと闘争が闊歩する惑星が、太陽系の中に用意されたということなのです。一種の愛のムチと言いますか、実地体験して学びなさいという配慮です。

 

「愛」というのは、別名キリスト精神とも言って、宇宙的に見れば当たり前のものです。地球人からしますと、「愛」はホットな感じがすると思いますが、むしろクールなものです。なぜなら、それは「法則」ですから。ところが地球人は、これに「情」をつけて、「愛情」にしてしまうものですから、ホットな感じになるのです。しかし「愛情」というものは、よく見れば、煩悩そのものなのです。

 

憎悪や支配的感情よりは、「愛情」の方が一歩進んではいます。しかし、家族愛とか、民族愛とか、愛国とか、限定されたものに「愛情」を向けますと、まかり間違えば、それ以外は敵視する、排斥するということになりかねません。そこを超えて、隣人愛、博愛、全地球愛、全宇宙愛となって行けば、本当のキリスト精神に到達するのです。しかしながら、人間はなかなかそこに到達できません。

 

到達できない主原因は、前回のブログで述べました。地球のアセンションというのは、地球という惑星が、「第三霊性密度」から「第五霊性密度」にジャンプする時期にいよいよ入ったということ。それはどういうことかと言いますと、地球が「愛を学ぶための惑星」としての役割を、これで終了するということです。そして、もっと霊性の高い星へと生まれ変わる時がやって来たということです。

 

*正確に言えば、既に60年ほど前から移行期に入っており、その前半の最終章への扉が開いたという段階です。

 

さて、これから書くことを、次の点を頭に刻み込んだ上で、聞いてください。どれもみな言い古されたことですが。

・真の宇宙には、時間も空間もないのだということ

・人間の本質は「霊」にあり、肉体の消滅後も「霊」は生き続けるということ

・地上世界は、そこでしか出来ない体験をするためのものであり、霊的世界から見れば幻に過ぎないのだということ

 

この言い古された真理を、頭で理解するだけでなく、心底そうだなぁと思えるようになるまでには、長い時間がかかるかも知れません。けれども、これを前提とした上で、次にする話を聞くのと、知らないで聞くのとでは、受け取り方がまるで違って来てしまうことでしょう。

 

以上を頭に刻み込んでいただいた上で、地球がアセンションするとはどういうことかと言いますと、この地球のアセンション時期に合わせて、アセンション出来なかった「魂」は、アセンション後の地球には、もはや居られなくなるということを意味します。惑星地球からは一掃されるということです。地球に輪廻転生して来ることも、もはや出来なくなるということです。つまり、この機会が、地球学校におけるラストチャンスということになります。

 

また、これも言い古されたことですが(言い古されたということは、万事「神」のご計画どおり進んでいるという証明でもありますが)、アセンションまでの途中には、地球に大変革が起こるということです。いわゆる「浄化」です。新しいものを生み出す前の産みの苦しみの時期です。そして、これも以前に書きましたが、「浄化」とは、カルマを受けることを意味します。

 

受けることによって、「浄化」が為されるのです。個人にとっても、人類全体にとってもそれは同じです。そして、より広範囲なカルマの方が優先されますから、人類全体で作って来たカルマは、人類全体で受けることになります。このカルマの「浄化」から、自分だけ逃れて助かろうと思ってもそうは参りません。そもそも「助かる」ということが、地上的な欲であり、宇宙的には最初から全部の「魂」は救われているのです。

 

賢明なみなさんは、今後の数十年をどう過ごしていけばよいか、既にお解りでしょう。いつも言っている通りです。素直に、元気で、朗らかに、周囲に親切を尽くして生きなさい。もはや、個人的な悩みがどうのこうのと言っている段階ではないのです。個人的なカルマ、社会的・政治的なカルマ、地球環境的なカルマは全部一直線に繋がっているのです。そのことに思いを馳せなさい。じっくり瞑想してみなさい。

 

人類の集合意識とは、一人ひとりの意識の集合体です。あなたの意識もそこに影響を与えています。この機会を、ワープ航法のように使って、自分がアセンションするためのチャンスとしてください。

 

既に、アセンション後の次の人類(第五原人種)の先遣隊が50年ほど前からポツポツと誕生し、各地で成長しています。あなたもそのお一人かも知れません。この人たちが、次の地球の礎(いしずえ)を創ることになっています。今日のこのメッセージは、そういう「魂」にリーチすることを目的に書かれました。役割を思い出していただくためです。

 

一方で今、旧人類の、エゴを剥き出しにする人々の活動が、一層エスカレートしています。この最終段階に現出する二極化現象も、言い古された預言です。これは彼らの危機意識の顕れとも取れますが、より長い視点から見れば、アセンション前の「浄化」を促進させてくれているとも言えるのです。彼らも、そうやって「神」のご計画に参加しているのです。皮肉なことですが。

 

ということで、みなさんには、この地球のアセンションの機会を、ぜひ上手に使っていただきたいと思います。