by Rainbow School
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戦争への構図

戦争は一人では出来ません。集団同士が争うことによって、戦争が「創られる」のです。それは、悲惨で大規模な破壊をもたらしますが、地球という惑星に降りた魂たちの、〈現段階における〉創造的行為の、一つのバリエーションとなっているのです。

 

人間、一人になった時には、誰もが友愛と平和と笑顔であることを望んでいるのです。でも集団になると、時に、この思いがあっさりと破られ戦争へと突き進む。そうやって、平和と戦争、言い換えれば、友愛と他者蔑視との間を行き来し、愛の学習とカルマの清算とを繰り返しているのです。それは、健康な時には健康のありがたみがちっとも分からず、大病をしてからやっと分かるのに似ています。

 

メディアの発達は、過去の戦争がもたらした被害や、民衆の生活への影響、戦争体験で生じたトラウマ、また戦争へと突き進んでいった時代の背景や要因について、様々な角度から分析的な映像を見せてくれるようになりました。しかし同時に、戦争の立役者を歴史的偉人として描いたり、殺戮者をヒーローとして賞賛するドラマやゲームなども、数多く産み出されています。

 

それは正に、地球人というものが、未だにその間を行ったり来たりしている学習段階にあるということを、如実に示しています。芸術家の一部は、小説や絵画や映画やドキュメンタリー作品などを通じて、「なぜ人間はこんなにも悲惨で、不条理なことを繰り返すのか?」と、ずっと訴え続けて来たし、今も訴えているのですが、その効果がまだ目に見える形としては現れていません。

 

私たちは、その背景にはどんな構図があるのか、という点について、もう一歩進んだ理解をして行く必要がありそうです。また、そのような段階に至ったと思います。そして、ここを超えられるか、超えられないかが、第三次世界大戦の勃発を未然に防止できるかどうかの鍵になると思います。

 

戦争は一人では出来ません。集団が戦争を起こすのです。ですから、そこには、集団を動かすある「力学」が作用していることは間違いありません。そしてこの点をつぶさに観察してみると、どんな戦争にも次の3つの要素が必ず存在して、この三つのエネルギーが回転し、増幅し合うことによって、戦争へと突き進んで行っているのです。

 

その3つの要素とは、

 

1.権力者とその統治システム

2.大衆の熱狂(闘争意識の鼓舞)

3.裏づけとしての(宗教的)正義

 

です。

 

この三つが、まるで巴紋のように影響を与えあって、グルグルと回転することにより、戦争へのエネルギーが増幅されて行くのです。

 

1番目の「権力者とその統治システム」ですが、戦争遂行を決定するのは、その集団を掌握している権力者です。ですから先ず、権力者に「戦争をしたい、しよう」という欲望があって戦争が起こる。しかしその欲望を実現化するためには、統治システムが、それが可能なように備わっていなくてはなりません。例えば軍隊や、武器や、諜報機関や、徴兵制や、法律や、指揮命令系統です。

 

また同時に、権力者への信頼というものを大衆の中に醸成しておかなくてはなりません。なぜなら、大衆が具体的な戦争の駒(使い捨ての)となるからです。そこで権力者は、これを悟られないように糊塗し、自分を地位や、扮装や、勲章などで偉大な存在に見せる一方で、メディアや教育機関を使って都合のよい思想を大衆に吹き込み、戦争が可能なように法律を変えて行きます。

 

ここで気をつけておかなくてはならないのは、一つには、こうした権力者に都合のよい改変というものは、徐々に成されるということです。そのため、大衆は改変の影響度といったことには気づきませんし、関心もほとんどないのです。そしてもっと注目されるべきは、権力者というものは、一人の人間として誰もが持つ友愛と平和への念というものを、最初から喪失している「魂」だということです。

 

ですから、「魂」の成長(=愛の完成、oneness)という点から見た場合には、このような学習段階にある「魂」がリーダーであるというのは、本来はおかしいわけです。ところが人間社会というのは、「分離」と「競争」が価値観の根本を成していて、このスケールを社会全体に当て嵌めていますから、一般大衆を蔑む権力者が、人々を騙して権力の座に座れるし、その御輿を担ぐ者もいるのです。

 

しかし、権力者がいかに「戦争だ!」と叫んでも、それに従う者がいなければ戦争は起きません。法律や恐怖政治を用いていくら縛ったとしても、従わない者が多数いれば、権力者の更迭や、クーデターや、内戦が起こる場合もあります。ですから、2番目として、権力者の「戦争だ!」という声に賛同する大衆の熱狂を、どうしても作り出さなくてはなりません。この役割を担っているのがメディアや教育機関です。

 

ヒトラーはその重要性を非常によく解っていて、レニ・リーフェンシュタールにオリンピックを撮らせたり、選挙活動では飛行機を使って遊説したり、自分の演説時のポーズを研究したり、また人々の意識を集めるためのシンボリックなデザインのフラッグを多数用いました。ドイツ軍の軍服が実用を超えたかっこよさを放つのも、ヒューゴ・ボス(後のメンズブランドのBoss)にデザインさせたからです。

 

さて、大衆がどうして権力者の呼びかけに熱狂してしまうのかということですが、これは誰の心にもある生活上の不満やイライラ感を、権力者は闘争心へと転化させてしまう術を持っているのです。

 

大抵の人は、自分の恵まれなさや辛い体験を、自分以外の、他の何ものかのせいにしたがります。身近な配偶者や家族や、上司や勤め先や、それらが無かった場合には社会や時代のせいにする。この、誰かのせいにしたいという欲求を利用して、ここにシンボリックな「敵」を提示するのです。「あなたが恵まれないのは、ぜーんぶあいつのせいだよ」というわけです。そうすれば、大衆の熱狂に火が着くし、そのエネルギーが一本に纏る。

 

ナチスは、ご承知のように「ユダヤ人」をこれに当てました。第二次世界大戦中の日本軍は「鬼畜米英」と言っていました。ジョージ・ブッシュは「悪の枢軸国」と言い、テロとの戦いを宣言しました。権力者のこの常套手段は、今もまったく変わっていません。大衆は、一人の時には友愛と平和がいちばんと思っているのですが、心の奥に眠る闘争心に火が着けられると、パッと燃え上がって、友愛や平和はたちまちにして溶かされてしまうのです。

 

しかし、これだけでは戦争には突き進めないし、開戦したとしても継続することが出来ません。なぜかと言うと、戦争が残虐な殺戮を伴うものだということは、みなうすうす解っているからです。そのため、その「イヤだな」という気持ちを乗り超える何かがなくてはならないのです。これが「戦争の大義」というもので、多くは、(宗教的)正義がここに当て嵌められるのです。

 

そもそも戦争に「大義」などあるわけはないのですが、「大義」を設定しようとするのは、心の後ろめたさを和らげるためです。(宗教的)と括弧して書いたのは、別に宗教でなくても、共産主義でも、民族主義でも、愛国主義でも何でも構わないのですが、しかしそこに問答無用の宗教的信念が備わっていないと、力が弱い。そこでみな「正義」を強調するのです。あとは、その正義に反する奴らはみんな「敵」だということになる。

 

そして、いま挙げた3つが揃うと、権力者としては、戦争をしたいバックボーンがきれいに整って、さらに発言がし易くなるのです。こうして、(戦争屋にとっての)好循環がグルグル生まれて、エネルギーが増幅され、戦争へと突き進むことが可能となるのです。この「戦争への構図」は、どんな戦争であっても、また地域紛争であっても、内戦であっても、まったく変わりがありません。全部が、この構図によって生じているのです。

 

ですから、もしあなたが戦争を回避したいと思うのであれば、この構図が悪回転しないような楔をどこかで打ち込むことが大切です。回る扇風機の羽に、棒を突っ込むようにして。そうすれば、この回転は止まります。

 

権力者の発言や、メディアの報道が「敵」を強調し出したら要注意。そんな時には「ああ、またやってるな」と思えばいいし、次の選挙ではその人間に投票をしなければいい。自分の中で「くっそー、あいつらぁ」という気持ちが沸いて来たら、「でも待てよ」と気持ちをなだめて、「彼らにも同じように愛する家族がいるんだよな」と想像してみればいい。もし「正義だ!」と叫ぶ声が聞こえて来たら、あのブッシュの顔を思い出してみればいい。

 

そして、すべてを冷静に、なるべく客観的に見て、人間というものの、懲りない愚かさに気づいて欲しいのです。その視点だけが、全体のこの構図からの飛躍を実現させてくれます。

 

愚かな宰相がいるのは、あなたが見る景色の中で、愚かな宰相という役割を演じてくれているのです。さて、じゃあどうするか? それを今、あなたが問われているのです。「隣国の連中はひどい奴らだ」と、メディアが思わせようとしているのは、それによって、あなたの「愛の成長度」を試してくれているのです。「こうすることが正義だ!」と言うのは、「信用できる正義など、実は何もない」ということを教えてくれているのです。

 

何度も、何度も、同じ手口に引っ掛かるようでは、輪廻転生の学習効果というものがなさ過ぎます。一度、ぜーんぶの物理的形は無いものと想像してみてください。意識の世界だけしかないと想像してみるのです。そうすれば、よく解ります。

 

愚かな宰相の演じ手も、大衆を操っているつもりが、実は奥の院の存在に操られているのです。その奥の院の存在も、もっと奥にある闇に操られている。そしてさらにその奥にも‥‥。意識の世界から見れば、ただそれだけの話。大衆が熱狂するのは、自分の中にあるネガティブ意識が、共鳴して揺さぶられるためです。この時、サッと魔が刺す。普段は、友愛と平和と笑いを愛する一人の人間であるのに、ちょっとした拍子に「魔」が刺してしまう。

 

そして、今まで育って来るなかで教えられたことや、吹き込まれた信念、さらには今日も育ててつつある信念によって、あなたは自分の中に入って来た「魔」を育て上げる。そして、この「魔」を、自分に完全に憑依させる。このようにして、ゾンビとなった人たちが大結集し、互いに殴り合い、殺し合うという一大スペクタクルを演じる集団的「創造行為」、それが地球劇場で繰り返される世界大戦です。

 

そして、僅かな人たちだけが生き残り、ゾンビから人間に戻って、

我に返って言うのです。

「いっけねぇ、またやっちまったみたいだぜ」。

今度こそ、それはやめにしませんか?

 

あなたが、自分の中のネガティブに火を点けるのをやめて、友愛に生きようとすれば、世の中にある信念は変わります。ネガティブな信念が効力を持たなくなるからです。

 

そうすれば、愛と平和を求めるエネルギーが生まれて、そのような考えを代表するリーダーが誕生します。そしてリーダーたちは、人々が暮らしやすいような、分かち合うことを基盤とした新たな社会システムを創りあげて行くことでしょう。

 

そうなれば、人々は、その社会システムによって、争うことなく、みな平和で楽しく暮らせるようになります。奴隷的労働は一切なくなり、誰もが、各個性を認めて、自己を表現しつつ、なおかつ他者にも役立つような仕事をするようになります。まるで夢のような話に聞こえるかも知れませんが、話は簡単です。最初のボタンの掛け違えを正せばいい。そうすれば悪循環が善循環に変わるのです。

 

あの人も、この人も、私と同じ人間なんだと思うだけで。

みな等しく、ともに宇宙に生かされている存在なのだ、と思うだけで。

戦争屋と権力者

1961年1月17日、アメリカ合衆国第34代大統領であったアイゼンハワー(Dwight David Eisenhower、1890 - 1969)が、テレビカメラを前に歴史に残る退任演説を行いました。アイゼンハワーは陸軍出身の政治家で、第二次世界大戦では連合国遠征軍最高司令官を務め、あのノルマンディー上陸作戦を指揮しました。また軍歴では最高位である元帥にまで登りつめました。

 

アイゼンハワー本人は、当初は政治家になる気などまったく無かったということなのですが、人望が厚く、周囲に乞われるようにして選挙戦に担ぎ出され、あれよあれよと言う間に大統領に就任したのです。ダグラス・マッカーサーが、大統領の座を切望していたのになれなかったのとは、ちょうど対照的です。アイゼンハワーは、フィリピンではマッカーサーの副官を務めていたのです。

 

さて、この時の演説がなぜ歴史に残るエポックだったかと言いますと、この退任演説の中で、アイゼンハワーが史上初めて「軍産複合体(Military-industrial complex)」という言葉を用いて、その存在と、高まる影響力についての懸念を表明したのです。退任が決まっていたとは言え、こうした発言を行うことは非常に勇気のいることです。アイゼンハワーは、遠回しに、そして遠慮気味に語っていますが、今ここで言っておかねば、という決意のほどが言葉の端々に感じられます。

 

この一部始終は、インターネットで観ることが出来ます。

翻訳:https://esotericsociology.blogspot.com/2018/01/d.html

動画:https://www.youtube.com/watch?v=1UAiqAZoMgQ

*動画はすぐに削除されてしまうかも知れませんので、もし消えていたら探してみてください

 

「軍産複合体(MIC)」というのは、軍事組織と兵器産業によって構成された複合体という意味です。しかし、兵器を開発するためには研究機関が必要であり、研究機関には科学者や技術者が必要です。また、政府からそのための予算をぶんどるには政界工作が必要となります。さらに、政界工作のためには、危機を煽るプロパガンダが必要であり、ここに外交専門家と、マスコミまでもがぶら下がった巨大機構を構成するようになったのです。

 

しかし「軍産複合体」はこれだけに留まるものではありません。そうした機構が身体だとすれば、それを動かす頭脳に当たるものもな必要です。この頭脳に当たる組織が、米国のCIA、英国のMI6、イスラエルのモサドといった諜報機関で、これが諜報ネットワークを作り全世界で軍産のための工作を行っているのです。この機関は、各国政府や財界にも深く喰い込んでいて、いわゆる西側は、全てその傘下に取り込まれている状態なのです。

 

日本も例外ではなく、戦後から今日に至る政財界のボスたちは、親米であればその存続を長く許され、少しでも反米の態度を取れば、スキャンダルをでっち上げられて業界を追われる身となるか、殺されるかして来たのです。しかし、日本社会のバックにそういう闇があるということを、今もって殆どの日本人は知りません。そうした真実は、長年に渡って秘匿され続けて来たのです。

 

最近になって、このタブーにも少しずつ風穴が開けられるようになって来ましたが、それを知る人はまだほんの僅かです。これは日本が島国であって、かつ国民の大多数が英語を解しないために、世界情勢に関してあまりにも疎いということと、その代わりとして、日本のマスコミが流している情報を、無条件に信じている人が未だに大勢いるためです。

 

マスコミを一切見なくなって十数年が経ちますが、日本のマスコミ報道の8割はどうでもよい話題、1割が日本政府のコントロール情報、1割が西側(軍産)が意図的に流しているフェイクニュースだと、私には感じられます。独断をお許し願えれば、それらを見て有益なものは何一つありません。むしろ有害ですらあります。視聴者の思考力、判断力を奪っておいて、偽情報で染め上げるのですから。

 

そのようなわけで、「愛国」を叫んでいる者が、実はいちばんの売国奴であるということが、国民には見抜けないのです。防衛意識を煽り立てている者が、実は戦争屋代理人であるということに気がつかないのです。彼らの本当の姿は、「愛国」どころか、売国民、売市民、売人間なのです。そして逆に、人類の融和や平和共存を語る人たちを「平和ボケ」と言っては小馬鹿にし糾弾するのです。それもこれも、みんな戦争屋のために。

 

*この言葉は本当は使いたくはないのですが‥‥。「国家」というのは単なる行政単位に過ぎないと思っておりますので、そこに思い入れはありません。「愛国」は「愛」の文字こそ使っていますが、結局は我々と他者を分ける分断思想であり、「愛地球」「愛人類」「愛宇宙」にはなりえないのです。

 

戦争屋(軍産複合体)が、なぜそれほど「戦争」をしたがるかと言いますと、一つには「戦争」というのは、軍産複合体にとっては、在庫一掃処分市、かつ新製品お買い上げキャンペーンに当たるからです。軍産は、現在では社会構造の基盤を構成するまでに成長しています。しかも、各国の政府予算から毎年巨額な金額を捻り出すのです。その構造を継続的に維持するためには、10年に一度は、大規模な戦争が必要になって来るのです。

 

このため、戦争屋とその傀儡である各国の政府機関内エージェントは、つねに隣国との緊張状態を演出する必要に迫られ、故意に危機を煽っては、国民から掠め取った税金で兵器を購入しているのです。そして購入するだけではなく、時々は在庫一掃処分を敢行しなければなりません。そのようにして引き起こされているのが「戦争」なのです。

 

もう一つには、西側の諜報機関が、共にユダヤ教、キリスト教という一神教を背景にした文化圏に属していることも、「戦争」の創造に大きな影響を与えています。これらのバックには狂信的なグループがいて、聖書の予言に基づいた形での「戦争」を熱望しているのです。CIA他の諜報機関ネットワークは、こうしたことのために謀略を計画して動き、そうして作った偽ニュースを、西側の報道機関が世界に一斉配信しているのです。

 

ある方がカウントしたのですが、シリアのアサド大統領が自国民に化学兵器を用いたというニュースは、今までに少なくとも18回は流されているということです。しかしそのニュースのどれもが尻つぼまりで証拠もないのです。最近、トランプ大統領が、ダーイッシュ(IS)の掃討作戦が完了したので米軍を撤退させると言いましたが、これは名誉ある撤退を演出したものであって、実際はISを作ったのはアメリカですし、駆逐したのはロシアなのです。

 

こんなことは、欧米人の半数はもう知っていることではないでしょうか。しかし日本人の大多数は未だに知りません。ですが、対岸の火事ではもう済まされない。シリア、リビア、イラク、そしてウクライナの街や家々を破壊し、一般市民を路頭に迷わせてグチャグチャにしてしまった西側の片棒を、日本人も担いでいるのです。私もあなたも、日本国に税金を払うということによって、この軍産複合体の謀略に間接的に加担しているのです。

 

この壮大な謀略によって、シリアでは1000万人もの人々が難民となり、地中海で溺れ死んでしまった人もたくさんいるのです。こんな非道が許されていいのでしょうか。中東から遠く離れた島国で、我関せずで、コタツでぬくぬくし続けていていいのでしょうか。少なくとも、今まで政府に騙され続けて来たことに、そして自分もこの戦争に加担して来たことに、日本人は気づかなければならないのではないでしょうか。

 

戦争が起こるたびに、その悲惨さを体験した人たちは、「もう二度とこんな戦争は起こしてはならない」と叫んで来ました。各国の名だたる芸術家が、平和の尊さを訴えかける多くの作品を創って来ました。ところが、二世代も経過してしまうと、またぞろ戦争屋の代理人を務める政治家が登場して、防衛意識と危機感を煽っては、人々をまた戦争へと駆り立てて行くのです。なんと「南無妙法蓮華経を唱えながら戦場へ行け」と主張する政治家だっているのです!

 

全く人間というものは、どこまでも愚かであって、学習効果というものがなかなか表れませんね。何度も何度も同じカルマを繰り返していて、ちっとも懲りない。いったいこれはなぜなのでしょうねぇ? あなたはどう思いますか? 一つは、いま言った「軍産複合体」による世界支配の構造というものを、人々が知らないためです。報道機関そのものが軍産側のプロパガンダ機関ですし、学校教育も然りですから、一般市民は全くの無知に留め置かれているのです。

 

でも、仮にその構造を多くの人が知ったとして、それで地上から戦争が消えるでしょうか? この世から戦争がなくならない本質的な理由は、実はもっと別のところにあります。それは、人々の「心」の問題なのです。たとえ一握りの戦争屋が、次の戦争を計画したとしても、それに乗る人々が一人もいなかったとしたら、戦争にはなりません。第三次世界大戦は防げるのです。

 

ところが、国家指導者が「戦争しかない!」と言うと、「いいね!」ボタンを押す人がたくさん出て来てしまうのです。911後のジョージ・ブッシュの演説を受けて、アメリカ人の多くが、テロとの戦いに「いいね!」ボタンを押したのをあなたも目撃したでしょう。人間には、そういう面があるのです。

 

現実というものは、つまるところ、その時々の人間心理の反映なのです。一人の周囲に起きている現実は、その人の心理がそれを創造しているのであり、同じように集団の集合意識が、世界の現実を想像しているのです。この関係は、全くの相似形です。一人の人間の中に眠っている闘争意識と、世界大戦における闘争とは、実は同じ理由に起因しているのです。小さいか、大きいか、一人のものか、集合意識か、の違いだけです。

 

ですから、戦争屋やその代理人が発する「防衛意識」や「愛国意識」の言葉に、自分の中にもある闘争意識、防衛意識、分離意識を刺激されて「そうだ!」と同調した人たちは、簡単にそこに乗っかってしまう。しかもこのギスギスした世の中で、ゾンビをぶち殺すことに快感を覚えるように飼育された子どもたちが大量に生産されているのです。こうした個々の闘争意識が集合して臨界点を超えれば、人々の望み通りに現実は「戦争」を創ります。

 

実に、ここに気づかない限り、地球から戦争は無くなりません。戦争屋と、その代理人である権力者は、人々をつねに戦争へと駆り立てます。権力者がそうするのは、危機や、防衛意識、愛国意識を煽ることが政権への求心力になるからです。それによって政権基盤が維持されますし、軍産からは裏金の報酬が得られるのです。戦争屋代理人は、口では「愛国」を唱えますが、国民を奴隷や家畜としてしか見ていないのです。

 

ペンタゴン・ペーパーズ』(原題:The Post)という映画はご覧になられましたか? アメリカがベトナム戦争の泥沼に入り込んでいた1960年代。国防長官だったロバート・マクナマラが、軍の形勢が悪いのを知りながら、これを隠して国民に嘘の戦況報告をしていた。映画はその機密文書の暴露を巡る攻防を描いたものです。

 

この中で、マクナマラがなぜ国民に嘘をついていたのか、ということが問われるのですが、その答えは、なんと「グレート・アメリカが負けるわけにいかない」という、ただのメンツだったのです。まるで、太平洋戦争中の大本営のようですが、この映画が訴えかけているのは、「そんなメンツのために、多くの若者を戦場に送って死なせたのか」という理不尽さに対する怒りです。

 

そして、このような戦争屋の基本体質は、今もってまったく変わってはいないのです。しかしアメリカには、「腐っても鯛」でまだ報道の自由というものがある。でも今の日本には、報道の自由はおろか、司法の公正さも、役人の遵法意識も何もありません。すべてが闇の支配者の言いなりという、まさに暗黒の政治状況が展開されているのです。

 

こうしたちょっとした角度変更が積み重なると、気がついた時には、もう元に戻せないほどのターンが行われているのです。ここで、日本人特有の性質が一役買うことになります。それは「空気」を読むということ。これは、権力者にとっては大変便利な仕組みで、集団をある方向にドドドーッと向かわせやすい一方で、いざコトが失敗した場合には、「あの時の空気には逆らえなかった」と、全部を「空気」の責任にしてしまえるのです。

 

事実そうやって、太平洋戦争時の戦争指導者たちの多くは、戦後になると言い逃れをして保身を図りました。極東国際軍事裁判で処刑された者や自決した者を除いて、生き残った指導者たちは、その後国内法で裁かれることもなしに、中にはCIAのエージェントとなることで政財界や学界に返り咲いた人物もいたのです。

 

その人物たちは、戦後の日本をアメリカの植民地奴隷国家にする密約をアメリカと結んで、その取り引きを条件に、その後の地盤を固めて行ったのです。こうしたことも、日本人の大多数は何も知りません。権力を志向する者というのは、自分よりも強い者にはおもねり、弱い者に対しては強圧的に振る舞うというメンタリティーを本質的に有しているのです。なぜなら、それが彼らのアイデンティティを支えるスケール(物差し)になっているからです。

 

さて、そこでです。なぜ地上から戦争が無くならないのか、ということの理由はいま言った通りなのですが、今日はみなさんに、もう一歩先の意味を考えていただきたいのです。そこで、あなたに質問をいたしましょう。一人の戦争指導者がいて、その人物の命令の結果、数百万人の命が失われたとします。では、その人物であった「魂」は、その後にどのよう運命をたどるとお思いですか? どのようなことを経験していくことになるとお思いでしょうか?

 

それほど大量の人命を奪うようなことをしたのだから、きっと、さぞかし大きな罰を受けることになるだろう。そう、あなたは思いますか? ところが、そうではないのです。この戦争指導者は、作戦司令室で、葉巻をくゆらせながら、さながらチェス・ゲームのようなものをやっていただけなのです。前線での殺し合いには参加していません。実際に前線に出て、殺し合いをしているのは、その命令で動いていた若者たちなのです。

 

つまり、自分を信じずに、誰かの命令に従って行動してしまう人間、言い換えれば自分をロボットにしてしまえる人間が、実際の殺し合いをしているのです。そして、死んだり傷ついたり、のちにPTSDになったりしている。ここに注目してください。あなたがもし神だったとするならば、ただチェスに興じていた者と、血みどろの殺し合いをしていた者とを、どのように見て、その「魂」をどのように指導してあげるでしょうか?

 

‥‥‥‥

 

「そんな馬鹿な! そんな理不尽なことがあるかい」と思うでしょう。

到底、納得がいかないでしょう。

でも、前に言ったことを思い出しみてください。

宇宙には、罪も罰もないのですよ。

ただ、カルマの法則だけがある。

自分で蒔いた種は、自分で刈り取らなければならない、という。

 

ですから、命令に従っただけとはいえ、人殺しをした人は、いずれは、やはりそのカルマを清算しなければなりません。けれども、頂点にいたところの戦争指導者が影響力を行使していたのは、自分の周囲にいた側近たちだけなのです。ですから、この戦争指導者は、周囲の者たちを操ったというカルマを、いずれは清算しなければならなくなるでしょう。

 

しかし、戦争全体がどうして起きたかと言えば、そこに参加した者たちの、各人の行動の集合が、そのようなものを創り上げたということなのです。

参考:人類支配の構造と、支配からの脱却

 

*お時間のある方は、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画『華氏911』をぜひご覧になってください。戦争が持つこの構造が、とてもよく解ることと思います。

 

これが、「戦争」というものの、真に恐ろしい側面なのです。ヒトラーのようなある一人の極悪非道の戦争指導者がいて、その人間が、これから世界大戦の災いと、人類滅亡の危機をもたらすかも知れない、とあなた方は思っておられるかも知れません。結果としてそのように見えたとしても、決して、そうではないということなのです。一人では、絶対に戦争は起こせないのです。みんなの協力があって、初めて「戦争」という現実が、この世界に創造できるのです。

 

この点を、はたして人類が理解できるかどうかが、第三次世界大戦を回避できるかどうかのキモです。一人ひとりが、自分の中に眠る闘争意識を、ただ無分別に暴れさせるのではなく、「人間にとっての幸福とは何か」と、改めて思いを馳せてみればいいのです。その人の思いが、現実を創造する。これは真実です。あなたが心配をすれば心配が創造され、友愛や平和や幸福な世界を想像すれば、それらが創造されるのです。

 

戦争屋や権力者の文言に引っ掛かってはなりません。引っ掛かってバカを見るのは、結局あなた方なのです。彼らは、気まぐれなチェスをしているだけです。駒がどうなろうと大して気にはしません。霊的に言えば、まだその段階にある「魂」なのだということです。あなた方が、人類はみな兄弟、自分と他者は同じもの、ということを学習するために、もう一度「世界大戦」の悲惨さを味わう必要は、いささか足りともないのです。

 

もっと成長しなさい。もう戦争は充分したではありませんか。原爆だって、原発事故だって経験したではありませんか。それらが、あなたたちに幸福をもたらしましたか? 語らずとも解り切ったことです。この愚かさの輪廻をもう止めるのです。人類のカルマから脱出するのです。今がチャンスです。それには、あなたが先ず、率先して行動すること。周囲に愛を与えなさい。そして異質なものからは学びなさい。

 

そうすれば、あなたの周囲には、愛と平和の世界が創造されるのです。

 

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●アイゼンハワーの退任演説からの抜粋

 

*「軍産複合体」に対する警告を語った後に、アイゼンハワーは次のような対抗案を語っています。残念ながら、ここで語られた理想社会というものはその後実現されず、ますます軍産の思惑通りに世界が動き、人類はいよいよ破局へと向かっていることがお解りいただけるでしょう。

 

これからも続くであろう長きにわたる歴史の中で、アメリカは、わたしたちのこの世界がますます小さくなっていきながら、とてつもない恐怖と憎悪に満ちたコミュニティとなることを避けねばなりません。そうではなく、相互に信頼と尊厳をもつことができる誇りある連合体にしなければいけません。そのような連合体では、人々はみな平等であるに違いありません。(中略)

 

世界中のすべての人々へ、わたしはもう一度、アメリカの祈りと切なる願いを申し上げます。わたしたちは祈ります。あらゆる信仰、あらゆる人種、あらゆる国家の人々が、満たされんことを。今は苦難にさらされている人々が、歓喜に満たされんことを。自由を渇望している全ての人々に、祝福があらんことを。

 

自由を得た人は、同時にそれを引き受けるという重大な責務を理解するでしょう。困難に陥った人々がいることに鈍感な人はみな、慈善活動を通じて理解するでしょう。貧困や病気、無知などの徴候は地球上から消え失せるでしょう。そうなった時には、尊敬と愛との固い絆によって保障された平和のもとに、すべての人々が一緒に暮らせるようになるでしょう。

ポスト資本主義、ポスト宗教、ポスト・ポストアトランティス期

資本主義の崩壊が近づいています。信頼できる分析家の多くがその警告を発しています。米ドルの覇権の終わりについては、20年も前から繰り返し言われて来ました。ですが、一向にそれが現実化せぬまま今日に至ります。専門家はあれやこれやと理屈を説明しますが、要はモルヒネを打ち続けて延命を図って来たということです。その結果、資本主義そのものが、今や巨額な粉飾で膨らんだ風船のようになってしまっているのです。

 

風船は、どこまでも膨らませられるというわけには行きません。ほどほどのところで息を吹き込むのを止めればよいのですが、吹き続けていればいつかはパーンと破裂します。それが、無理に延命を図って来た分、より大きく膨らませて来た分、次の崩壊は、かつてない凄まじい破裂音となって鳴り響くだろうと予測されているのです。

 

今、冷静になって世の中を眺めて見ますと、非常におかしな現象がたくさん起きていることが判ります。片方に貧困世帯の増加という問題がありながら、投資熱は盛んでずっと株高が続いています。職を探しても正規雇用にはなかなかありつけないというのに、もう片方では人手不足だと言っています。環境問題が深刻な気候変動を惹き起こす事態にまでなっているというのに、資源開発という地球破壊は止みません。

 

こうした矛盾点は、数え挙げたらきりがありません。これらはみな、資本主義を延命させたいという無理が、無理に無理を重ねた結果、現実との著しい乖離を引き起こしているということの表れなのです。言ってみれば、激震前の予震のようなものです。それでも気づこうとしないのですから、地球人というものは、いやはや‥‥。

 

政治をあずかる者、経済をあずかる者に、もはや全体を俯瞰して見るだけの余裕がないのです。乖離が大き過ぎて、全体を見ようとしたら、股裂き状態になってしまう。そこで、自分たちが歩んで来た路線をゴリ押しするしか、もう手段が無くなっているのです。

 

「これからはグローバル経済だ、新自由主義だ」と言い始めていた95年から2000年代初頭にかけては、乖離はまだそれほど目立たず、資本主義の枠内にそれを吸収できました。ところが、今やあらゆるところで矛盾が吹き出し、市民生活を目に見える形で脅かすまでになりました。世界中が、そういう悪くなる一方の現実を直視するのか、それとも、これまで通りに権力者の言葉を信じ続けるのか、というせめぎ合い段階に至っているのです。

 

欧米では反グローバリズムの大きなうねりが起き、既成政党によるこれまでの政治を市民運動が揺さぶるまでになっています。日本は島国であり、世界情勢に関する情報にうといことや、政治的無関心が広く蔓延しているために、こうした事態はまだ起きていません。がしかし、日本でも、人類の支配構造の真の姿というものに気づき出した人たちが、ここへ来て随分と増えて来ました。

 

私がこのブログを書き始めた頃は、闇の支配者を「欧米の二つの貴族」といった言い方でボヤかして書いていました。ですが、今やこれらの名前が、ネット上で大っぴらに語られるまでになりました。この間の変化にはもの凄いものがあります。私がボヤかして書いていたのは、それがまだ市民権を得ていないということもありましたが、それよりも「暴く」という視点に意識を傾注したくなかったからでした。

 

「知る」と「暴く」とでは、近いようでいて、意識の置き方がかなり違うと思います。「暴く」というと、どうしても、やっつけてやろう、とっちめてやろうという思いがそこに付け加わってしまうのではないでしょうか。「○○の正体」といった言い回しも、ネット上でよく見かけます。そうしたものは一見、正義や善のように見えますが、本質を問えば、所詮は同列なのです。

 

闇のグループの存在や、企てを、世の人々に知らせたいとの熱意は解りますし意義もあることです。でも、方法論が間違っているのではないでしょうか。北風で外套を吹き飛ばすことは出来ないのです。やはり、暖かな日の光を当てることがいちばんです。ピューピュー北風を吹き散らしたら、その風に触れた人たちはみんな凍ってしまいますよ。そしたら、見事、闇の手先を果たしたことになる。「おう、よしよし。よくやった!」ってね。

 

あのね、あなたたちが思っている以上に、闇は狡猾なんですよ。遥かに頭がいいんです。人の心理を操ることなんて朝飯前。だから、「正義」はダメだと、何度も言って来たのです。彼らは、そこを巧みに利用して来る。「正義」を掲げた途端、その人は「光」から遠ざかってしまいます。そして、「闘争」という闇の領域に引っ張り込まれるのです。

 

彼らのことをサタニスト(悪魔崇拝主義者)の狂人と呼ぶ人がいますが、そうじゃないのです。それはやはり、この世的な見方の域を出ていません。闇の奥には、確かに魔がある。ですが、闇が魔を崇拝しているのではないのですよ。逆です。魔はれっきとした実体ある存在で、魔が闇を操っているのです。まっさか⁉ そう、そのマサカ(この場合は「魔逆」)です。

 

これで、魔→闇→影→裏→表へと、指令が一直線に伝わる。これが黒ルートのハイアラーキ(ヒエラルキー)です。では「魔」とは何か? そのような想念エネルギーを持った霊的存在、それが「魔」です。あなた方はどうしても物質世界をベースに物事を考えてしまいますが、一度、物を全部外して、物質は無いものと考えてみてください。そうすれば、魔→闇→影→裏→表が、同質の想念で一直線に繋がっている理由が解るでしょう。

 

物質界というのは、想念エネルギーが、振動数を下げて物質に実体化した世界なのです。そこに住む我々は、それが現実でありすべてだと思っています。でも、そうではないということです。昔から言われているように、現実だと思っているものが幻であり、幻だと思っているものが実は真実の世界だということ。これが解れば、「闇」に関する謎もすべて解けるのです。

 

大事なことは、闇を「暴く」ことではありません。そういう「人類支配の構造」を知り、ではどうしてそのような構造が出来上がってしまったのかという、人類に巣くっている根本原因を明らかにすることです。それでこそ、反省というものが起き、今までに経験した多くの悲劇を超えて、人類が、次の段階へと本当の進化を遂げることが出来るのです。

 

「人類支配の構造」は、大きく二つの面から成り立っています。一つはピラミッド構造(ヒエラルキー)です。ピラミッド構造であるがゆえに、ごく少数者によって全体が完全支配されてしまう。しかも、各階層に属する人々は、自分が属する階層のことしか知り得ません。その結果、全体の支配構造をよく知らないまま、今の状態を当然と思う洗脳支配が可能となっているのです。

 

もう一つは心理面です。ピラミッド構造を補強するために、より上位に居る者が偉いんだ、より優れているんだという思想を、あらゆる機会を通じて植え付けたのです。それによって、少しでも階層を上がりたいというモチベーションをエサに、社会のあらゆる面にこれを適用しました。その結果、人類の大多数は奴隷労働を当然のごとく強いられ、一部富者にのみ特権が与えられるようになったのです。

 

しかし、いま言った二つを、さらに遡って原因を探りますと、結局は、人類の創生に関連した「分離」と「合一」というアンビバレンツな問題に行き着くのです。人間という存在は、誰しもが、一つの「それ(=神)」から分かれた「魂」をベースにして、肉体を得て地上に誕生しました。そして、地上で様々な体験をすることで、霊性を成長させ、また元の「それ」へと帰還する旅を続けるています。

 

*アンビバレンツ(独:ambivalenz):相反する両極の気持ち

 

その時に、神から分かれたことによって、「自分は自由なんだ」という晴れ晴れした気持ちと、「一人じゃ寂しいよォ」という両極の気持ちのアンビバレンツが生じました。また、このアンビバレンツは、他者との関係において、自分以外の誰かを「愛することで、一緒になりたい」という欲求と、「支配することで、一緒になりたい」という欲求のアンビバレンツも育てることになったのです。

 

すると、「支配」から「愛」への両極の間に、段階的な「関係性」の在り方というものが生じます。すなわち、他者を暴力を使って支配したい → 隷属させて支配したい → 愛の名を語って実は支配したい → 条件付きで愛したい(情愛) → 無条件に愛したい(博愛)→ 完全なる奉仕の人となる、といった具合に。結局、この段階を体験学習していくことが、地球に生きる人間共通の、究極のテーマとなっているわけです。

 

*この最終段階を神秘学では「キリスト愛」と言っています。(キリスト教とは関係がありません)

 

さて、そのことが解りますと、今、権力者や闇の支配者となっているところの「魂」は、この「愛」の学習段階においては、未だ小学校にすら入学していない、幼稚園児の段階にあるのだということがお分かりでしょう。そのように、起きている現象そのものを見るのではなく(つまり巻き込まれることなく)、全体を俯瞰して見ることが大切です。あなた方は、保母さん保父さんの視点に立たなければならないのです。

 

彼らは、まだ「愛」ということへの、初歩の気づきすらもないのです。ですから、これを暴いてやろう、叩いてやろうなどとと思ってはいけません。そんなことをすれば、幼稚園児同士の喧嘩になってしまいます。人類の不幸は、そういう未熟な段階にある「魂」に、人類全体が支配される構造を創り、是認し続けて来たことです。その誤りに気づくことが、いま置かれた、人類全体の喫緊の課題なのです。

 

悪を為す人は、放っておいても、カルマの法則によって、いずれは自分がその報いを受けます。そうなる前に、少しでも早く気づいて貰えるように、愛の波動を送ってあげるというのが、保母さん保父さんの視点ではないでしょうか。闘争心を燃やせば、その波動が周囲に広がってしまいます。あなたが先ず「愛の人」になって、温かな波動を周囲に出していただきたいのです。

 

ではなぜ、そんな逆転のような支配構造が、人類の上に成立できたのでしょうか? それは、一人ひとりの中に眠る「分離」意識のかけら、つまりエゴの部分が支配者たちによってくすぐられ、これを道具に、人々がコントロールされてしまっているからです。みなさんは、ここに気づかなくてはなりません。自分自身の不徳に。騙される下心があるから、騙す人が成り立っているということを。

 

見てごらんなさい。今や支配者は、お金と地位をチラつかせ、闘争を煽ることでしか、取り巻きを信じ込ませられなくなって来ているのが分かりますか? 完全な末期症状です。それでしか人心を繋ぎ留められないから、そうしているのです。これらは強力な接着剤に見えて、実はとても脆弱なんですよ。もしそれらが無くなれば、たちまち逃亡と責任のなすり付け合いが始まりますから。本当に強い人というのは、純粋さと愛だけで人を惹きつける人です。

 

資本主義というものは、今の社会の根底を為しているものだけに、その崩壊は全世界に計り知れない打撃をもたらすことでしょう。しかしその過程で、お金や、銀行や、株や、民主主義や、医療制度や、教育や、マスコミや、戦争や、政府や、裁判所や、政治家や、有識者や、多国籍企業や、国際機関など、今まで信じて疑わなかったものが、実はことごとく茶番劇に過ぎなかったことに気づくことになります。そして、少しだけ目覚める。

 

そのプレリュード(序曲)が、すでにあちこちから聴こえていますよ。今はまだ、社会の表しか知らない人、裏まで知った人、裏の裏の影まで知った人、影の奥の闇まで知った人と、大変な温度差があり、ちっとも話が噛み合わないという状態です。ですが、資本主義の崩壊は、どの人の上にも例外なくやって来ます。さて、そこからです。重要なのは。

 

ポスト資本主義(資本主義後)の社会を、どう形づくっていくかということが、その後の人類の命運を左右することになるのです。これは、改築や増築では済まされませんよ。土台を全部ぶっ壊して、ひっくり返して、一から建て直さなければならない大変革事業となるのですよ。

 

例を挙げましょう。いまビットコイン(仮想通貨)なるものが登場して市場を賑わわせています。これは、果たして今までの「お金」を変革するものになって行くのでしょうか? なりません。ビットコインが既に投機商品になっているのを見れば明らかです。これでは、物珍しい投機市場が新たに出来たというだけであって、「お金」に対する考え方自体はまったく変わっていません。

 

ポスト資本主義に求められる変革とは、このようなものではないのです。「お金」とは何なのか、というところに立ち返って、まったく新たな仕組みが再構築されなければならないのです。

 

「お金」は単なる道具です。経済を円滑にするための仲介品です。ところが、「お金」に利息が付いたり、「お金」が「お金」を生む仕組みを作ったり、「お金」を発行する権限が私企業に独占されていたりするところから、「お金」がモンスターに化け、この仕組みを握った者たちが世界を支配し、大多数の人々が「お金」の奴隷にされてしまった。しかも、それが当然と思わされて来たのです。

 

「お金」が、全世界を牛耳っていますから、結局は、政治も、医療も、マスコミも、教育も、その他諸々が、全部この論理の下で動いている。この、諸悪の根源にある考え方と仕組みを、全部ぶっ壊してチャラにして、人々がみな仲よく、安心して、幸せに過ごせるにはどういう社会であればいいのかというところから、人類は再出発しなければならないのです。

 

奪い合う経済から、分かち合う、支え合う経済への根本的な転換です。

 

そうすれば、政治は苦しむ人を出さない、困っている人は助ける、そしてみんなが安心して暮らせる社会づくりを目指すようになるでしょう。医療は患者を作り出す医療から、救ける医療になるでしょう。また教育は、それぞれの人の個性を尊び、伸ばして活躍できるようにしてあげる恭育になることでしょう。

 

そのようにして、他者のために役立つことが自分の本当の喜びであり、真の幸福であるということに、人類は気がつくようになるでしょう。

 

なぜ、このような大変革が、これから必要とされている(予定されている)のか、なぜ小手先の変化ではもう済まされないのかと言いますと、これから来る資本主義崩壊のタイミングと、ポスト・ポストアトランティス期の始まりとが重なっているからです。重なっているというよりも、そうなることが必然だったと申し上げた方がよいでしょう。

 

現在の大西洋(Atlantic Ocean)上にあったアトランティス大陸は、数度の水没を経て、今から約1万2,000年前に完全に姿を消しました。それからの1万2,000年間が、ポストアトランティス期だったのです。そのポストアトランティス期の終盤に、今いよいよ差し掛かって、世界はアトランティス時代のカルマを再び体現しようとしています。

 

アトランティス時代の終盤には、一部特権階級のエゴと堕落、科学技術の発達のし過ぎから来る自然界との遊離と、大衆の無気力が、社会全体を覆い尽くしていました。今の状況は、それとそっくりです。そして益々酷くなる。これは、知ってか知らずか、アトランティスを滅亡に導いた「魂」が現代に多数生まれ変わり、同じ欲望を抱いて活動し、これに大衆を巻き込んでいるためです。

 

ですから、このカルマの清算が、今まさに行われつつあります。カルマの清算というものは、ある日突然訪れるというものではなく、幅を持って徐々に進行して行きます。しかし、宇宙の永遠からすればそれは一瞬の出来事。人類は、このカルマの清算を終えて、次の時代、つまりポスト・ポストアトランティス期に移行します。これが、『ヨハネの黙示録』で言われるところのニュー・エルサレムです。

 

それともう一つ。今という時期は、過去2,600年間続いた「宗教の時代」が終わりを迎えようとしている時期でもあるのです。宗教は本来、物質世界を超えた霊的世界に真理があることを人々に伝えようとして興ったものでした。しかし、組織宗教が幅を利かせるようになると、それぞれがみな勝手な救済理論や天国についての物語を説き始め、自分たち以外は邪宗・邪教と言って互いに攻撃し合うようになったのです。

 

それがどれほどおかしなことであるか、どれほど“宗教的”ではないか、少し距離を置いてみればすぐに解ることです。それなのに、組織宗教の内部にいる人たちにはそれが解りません。それが宗教の恐いところです。宇宙は一つ、真理は一つなのです。真理が二つも三つもある筈がありません。どんな人にも普遍性を持ったものしか「真理」ではあり得ないことは、自明ではないでしょうか。

 

よって「真理」は、宗教になる必要などいささかもないのです。「真理」は「真理」なのです。どこにでも普遍的に存在し、揺るぎない法であるがゆえに、誰が何と言おうが、それは「真理」であり続けるのです。来たるニュー・エルサレムの時代には、人類は、この点にも目覚めることになります。そうなれば、全部の「魂」が、共通の基盤に立っていることが解るので、本当の愛、キリスト愛に目覚めることになるのです。

 

お解りいただけたでしょうか。いま書いたシナリオは、霊的世界ではすでに実現していることです。あとは、地上でのみなさんの奮闘を願うばかりです。いま世の中で起きていること、そしてこれから起こることを、どうか宇宙的な視点で見てください。そして、この大変換期をジャンピングボードにして、あなたの使命達成に向けて邁進してください。

 

天はいつもあなたを見守り、あなたの活躍を応援していますよ。

人類支配の構造と、支配からの脱却

地球の未来は、今ある人々の意識の転換に掛かっています。今ある人々が、次代の社会基盤と環境を創り上げるのであり、次世代の人々の価値観や行動パターンをも左右してゆくのです。今ある我々も、前の世代が創り上げたそれらの影響を多分に受けて今あるのです。けれども、人々は、目の前の瑣末な変化のことに忙しく、かつ自分のことだけで精一杯なために、こうした長期的な視野にはなかなか立てません。

 

ところが、超長期的な視野に立って、人類の行く末を考え、実現に向けて代々行動し続けて来た少数の人たちがいるのです。それが「闇の支配者」です。「えっ、闇の支配者? 何それ?」と、初めて聞く人は、きっと思われるでしょう。ジョージ・アダムスキーは、彼らをシャドウ・グループと呼んでいました。皮肉なことに、人類の未来を真剣に考えて来た人たちは、地上においては、支配者が優勢だったのです。

 

このブログでは、しばしば洗脳とか、奴隷というちょっと過激な言葉を使っています。違和感を持たれる方もいらっしゃるでしょうし、冗談のように受け取っておられる方もいらっしゃるかも知れません。けれども、洗脳状態にある時には、人はそれが洗脳だとは気づかないものです。また、現代の奴隷制度は、かつてのような分かり易さを見せません。民主主義の名のもとに構築され、人々が、自ら進んで奴隷になるように仕立てられているのです。

 

支配の構造が見えにくいのは、一つにはそれが多段階になっていて、自分の所属領域以外の上下のことが分かりにくいということがあります。これに加え、この多段階構造が、社会システムとして是認されている。人々から当然視されていて、もはや誰も疑問に思わない、という面があるのです。つまり、社会システム自体が、巨大な「洗脳」システムを構成しているのです。

 

政府は国民を統率して当然。中央銀行は金融を操作して当然。経団連は経済界を仕切って当然。資本家は企業を売買して当然。メディアはニュースを流して当然。学校は生徒を教育して当然。医者が薬を出すのは当然。貧乏よりはお金持ちの方がよいのは当然。人間に優劣があるのは当然。と、みな思い込んでいる。思い込まされているとはよもや気がつきません。

 

そして宗教までもが、教祖、教主を頂点にピラミッド構造を作り、信者を支配しているのです。スピリチュアル業界だって、資格制度や家元制度を作り、高額の受講料の見返りにありがたい何かをお授けするといったことをやっている。これらの一体どこに、「魂」の平等があると言うのでしょうか? 神の下での、普遍的「自由」があると言うのでしょうか?

 

みんな、自ら進んで、束縛され、池に飛び込むように、支配される構造に飛び込んで行っている。そして、そのことに全く気がついていない。これが、実に、地球人が背負っている不幸の、大本なのです。自分で自分を、また自分たちで自分たちを、不幸に追い込んでいるということにちっとも気づかない。そこで、何度も何度も、同じカルマをグルグルと廻り続けているわけです。

 

だから、言うのです。地球の未来は、今ある人々の、意識の転換に掛かっていると。目覚めるのか、目覚めないのか。さあ、どっちに行くのだ。地球人は、もう一度、水没することを選ぶのか。

 

支配の構造が見えにくいのには、もう一つ理由があります。表の世界が多段階構造になっているだけではなく、その裏に隠れた世界もまた、多段階になっているのです。あなたがもし、マスコミのニュースを全面的に信じているとしたら、この構造は絶対に見えません。日本人の8割は未だマスコミを信じていますが、マスコが流すニュースなど、支配層による集団催眠ツールに過ぎません。

 

では、マスコミの中にいる人たちはそのことを解っているのでしょうか。中には解っている人もいるでしょうが、大多数の人たちは、全体構造を知らずに、それが自分の役割だと信じてやっているのです。自分の所属領域以外の構造は知らないのです。同様に、銀行に務める人も、病院に務める人も、学校に務める人も、自分がやっていることが正しいことだと思ってみなやっているのです。

 

けれども、マスコミが流しているニュースの裏には、大多数の人が知らない、隠れた世界というものがあるのです。しかもこの裏は、一段階では終わりません。裏の裏に影があり、影の奥に闇がある。そして闇のさらに奥には、魔があるのです。つまり、表←裏←影←闇←魔、という多段階の支配構造になっていて、最後は霊界にまで繋がっているのです。

 

スピリチュアルなことに関心のある方なら、ハイアラーキという言葉をお聞きになったことがあるでしょう。これは霊的な高所のことを指しています。このハイアラーキとヒエラルキー(ヒエラルヒー)とは同じ意味なのです。前者が英語、後者がドイツ語です。ヒエラルキー(ピラミッド構造)というのは、結局、霊界の階層構造を(宗教が先ず真似をして)地上にも当て嵌め、広がっていった構造なのです。

 

そしてこれも、表の世界と同様、表しか知らない人、裏も知っている人、影まで知っている人、闇まで知っている人、と段々少なくなっていき、魔まで知っている人となると、もう殆どいない。皆無に近い。すると、どういうことが起こるでしょうか。表しか知らない人にとっては、影の話は眉唾ものに見え、闇の話はトンデモ話に聞こえ、魔の話をしたら狂人扱いされてしまうことでしょう。

 

今、地球の転換期に際して、宇宙から強い光が当たるようになって来たことによって、今まで隠されていた影や闇が、表にどんどん炙り出されて来ています。そのため、これを語る人が多くなって来ています。しかし、それを語る人も、各階層の領域内で知っているものを語っているので、聞かされる方としては、多層階の断片的な情報をパッチワークしているような混乱した状態にあります。

 

こうした、今まで知らなかった支配の構造について知識を得ることは、強力な洗脳下にある現在の支配状況から脱出する糸口にはなります。このような情報は、今後もますます増え続けるでしょう。けれども、みなさんにお願いしたいのは、そこにあまり夢中にならないで頂きたいということです。

 

重要なのは、そこを暴くことではありません。ましてや影や闇の勢力に対して、報復をすることでもありません。一体どうして、人類がごく少数の者に支配されてしまうのか、という点です。そこに気づきがなければ、地球人としての進歩はありませんし、この構造はこれからも変わらずにずっと続くことになります。

 

大多数のみなさんは、「波動」というものを知覚できません。「波動」が何かということをきちんと説明しようとすると長くなってしまうので、ここではひとまず「思念」のエネルギーだと捉えてください。思いというものは、目には見えませんが塊りを創るのです。この思念エネルギーは、人からも、言葉からも、書かれたものからも、作られた物からも出ています。

 

敏感な人は、それをキャッチすることが出来ます。これは、生来、敏感な人もおられますが、訓練によって高めることが可能です。その時に、いわゆる「低い波動」というものは、ある種の気持ち悪さや、吐き気や、居たたまれなさ、肌を突き刺すような感じ、痛みなどとして知覚されます。ですから、波動が分かる人の前で「嘘」をつくことは出来ません。全部、見抜かれてしまいます。

 

*そのことを知らずに、人間恐怖症に陥った、自分は病気だ、社会不適合者、劣等者、無能者だと思い込んで(また周囲からもそういうレッテルを貼られて)悩んでいる魂がたくさんいます。かつての私がそうでした。人間社会は粗雑な波動で満ち溢れているので、それらをやり過ごす術を身につけるまでは、なかなか大変です。困っている方は相談してください。

 

さて、そうした時に、闇の支配者の存在を暴こうとして頑張っている人たちの多くからは、残念なことに、非常に「低い波動」が出ているのです。その理由は、この方たちが激しい「闘争心」を燃やしていることにあります。実に、ここが大切な点です。恨みや闘争心は、最も低い波動を出します。ですから、「闇」に対抗しようとして「正義」の戦いを主張していることが、逆に「魔」の格好の餌食になってしまっているということなのです。

 

霊能を自称する人たちの中には、アシュタール・コマンドとか、銀河連邦の名を持ち出して、白対黒、善が悪を叩くという図式を強調する人たちがおられます。ですが、高次元の存在たちが、地上の人間に対して、このような闘争を持ちかけて来ることは絶対にありません。なぜなら、その元は、一者ですから。一者であるということをよ〜く知っていますから。すべては一つなのです。

 

なにゆえ、自分で自分に脅威を煽る必要があるでしょう? なにゆえ、自分で自分を引っ叩かせる必要があるでしょう? このような馬鹿げた話を持ち出すのは、低次元の「魔」の存在の仕業だということに気づいてください。そのようなものに引っ掛からないように。光あるところ影あり、影あるところ必ず光あり。両者はつねにセットなのです。互いがあるからこそ、互いを認識できるのです。

 

ここで、北風と太陽の寓話を思い出してください。「闇」に、「闘争心」という「闇」をぶつければ、「闇」を太らせるだけなのです。「闇」を溶かすことが出来るのは、「光」しかありません。「光」を当てれば「闇」は消えるのです。この理屈を解ってください。人類が、これから乗り越えなければならない進化は、その点です。闘争で、闘争に終止符を打つことは出来ません。終わらせられるのは「愛」だけなのです。

 

実にここが、(簡単なことではあるのですが)人類にとっては大いなる飛躍です。今まで、何万年かかっても、どうしても成し得なかったのですからね。支配の階層構造という面だけではなく、人間は、もっと心理面のメカニズムに眼を向けるべきです。むしろ、こらに注目した方が、大ジャンプが果たせます。いくら階層構造に踏み込んで行っても、ラビリンスに迷い込んでしまいかねませんから。

 

なぜ、支配者が存在するのか? それは、彼らなりの One World への希求なのです。One World ですから、驚くなかれ Oneness への帰還という「魂」の基本欲求に沿っているのです。ところが、その為の方策が真反対を行こうとしているところが違う。多様性の認め合いによる Oneness ではなく、一部選民がゴイム(被支配者)を平定する Oneness を思い描き、愛による統合ではなく、支配による統合を目指す。

 

それは、その奥を覗けば、実に単純な話なのですが、「魂」の個別化、つまり一者から「分離」したことを、「愛」の学習のため(再統合)と捉えるのか、それとも、我ら選民による「支配」をすべき(分離意識の自己満足を追求する)と捉えるかの違いなのです。ですから、この支配構造というものが、表、裏、影、闇、魔と、霊界にまで一直線でつながっているというわけなのです。

 

さてここで、「支配者」のつもりになってみてください。あなたに操られる人たちが、もしも一人も居なかったとしたら、つまり全員がそっぽを向いてしまったとしたら、あなたはどんな気がするでしょうか? 幼稚園で、あなたは他の子たち全員を従えたい。でも誰も見向きもしてくれないとなったら、きっと、寂しい思いをするのではないでしょうか?

 

つまり、支配者だって、自分という存在に対するよき理解者を求めているのです。その理解者とは誰なのか。自分に操られてくれる人です。ですから、「支配」という構造を、心理面から逆に見ますと、「操られる心」「操られたい心」が、「支配」を創り出しているのだということが判るのです。この点で、支配者と被支配者は、持ちつ持たれつの関係を演じているのです。

 

人類が、今、気がつかなければならない点はそこです。先の大戦でも、戦後になってから、国に騙されたと言う人は多かったのです。けれども、操られる心理が多段階に構成されることによって、全体の「支配」構造が成り立っていたという点に注目してください。操られる者を操っている者も、その上から操られているのです。そしてその者も、また上から操られている。

 

こうした結果、悲劇が、いつもそのヒエラルキーの下部にいる者たちに集中するのです。ヒエラルキーの最頂部付近にいる人たちは、自ら戦場に行ったりはしません。自分で銃を持って戦ったりもしません。人々を操っているだけです。この多段階構造は、責任の所在を曖昧にする効果をも持ち、それゆえ最頂部にいる人たちは、形勢が悪くなると、最後は責任のなすり合いとなり、仲間割れを起こしてしまいます。

 

先の大戦後も、上層部で生き残った人たちの中には、米国の工作員にあっさり転向して、何食わぬ顔で政治経済の重鎮に収まった人が何人もいます。彼らは、脅威を煽り、防衛を訴え、盛んに「国家主義」を主張しますが、それらはみな人を操るための方便に過ぎません。そこに騙されてはいけません。本質は、どこまでもエゴにありますから、国民のことなど少しも考えてはいないのです。

 

ここで、繰り返しになりますが、だからと言って、そういう人たちに反撃を喰らわそうとしてはなりません。彼らもまた操られているのです。でも、あまりにもエゴが強過ぎて、そのことに気づく機会すら持てないのです。十字架に架けられたイエスが、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか、自分でもわからないのです。」と語った真意というのは、そこにあります。

 

それに、「闘争心」を燃やすことは、その人にとってもよくありません。顔つきが悪くなりますし、何よりその人の身体細胞を傷つけます。「あいつをやっつけろ!」という旗を立てて振り回せば、同じ思いの人々が惹かれて集まって来ます。すると、共鳴現象が生じて、その場の「闘争心」を高め合い、波動的には低め合い、身体細胞をますます傷つけて行くことになってしまうのです。

 

それよりも、なぜ、そのような人物を見抜けないのか。後になってから、騙されていたと言うのか。エゴの塊のような人物たちに、歴史上、大衆が何度も何度も操られ続けてしまうのか。という根本に眼を向けなければ、悲劇はこの先も無くなりませんし、人類の進歩もありません。

 

私たち一人ひとりの心の中には、誰にでも、「分離」意識と、「合一」意識が同居しています。ただ、その割合が違うというだけです。今ここで、「分離」意識を黒で、「合一」意識を白で表しましょう。支配欲に取り憑かれた人というのは、黒色が心の大部分を占めるに至っているのです。でも、真っ黒けということはありません。たとえ僅かでも、白部分は必ず残っています。

 

この限りなく真っ黒けに近い人物が、脅威や、国家主義や、防衛や、監視の必要性を訴えかけます。すると、同じように黒の割合の多い人たちが「そうだ、そうだ」と共鳴して、波動の法則によって惹き付けられるのです。このようにして「思念」の塊りが出来ると、白黒半々くらいの人たちの黒部分も刺激され、それを膨らませて行く人たちが出てきます。こうして、操られる方向性が決まるのです。

 

次の段階に入りますと、勢いを得た黒グループは、法律や社会システムを変えて、大衆操作へと突き進みます。すると、白の割合が多い人たちにまで効力が及ぶようになり、力づくでの支配体制がここに完成するのです。なぜ無意味な戦争が繰り返されるのか、なぜ無辜(むこ)の人を殺戮する悲劇が終わらないのか、といった根本問題は、複雑なように見えて、すべてはここに原因があるのです。

 

つまり、人々が、自分の中に潜在する「分離」意識を、誤用してしまった結果です。なぜ誤用してしまうのでしょうか? 無智だからです。宇宙の法則(真理)を知らないからです。愛に対する確信、平和というものへの確信がないからです。攻撃される恐怖が捨てられないからです。友愛、尊重、平等よりも、支配、差別、優越意識の方が気持ちがいい、と感じる人たちが地球にはまだまだ多いからです。

 

ですから、この心理操作に気づく人が増えて、容易には操られない人が多数を占めれば、支配の多重構造であるところの、裏、影、闇、魔と言うものの存在をたとえ知らなくても、人類は、永く続いた支配から脱却できるのです。そこで、あなたにはその先鞭となっていただきたいのです。こうして出会ったのも縁。あなたには、光への道を進む勇気を持って欲しい。

 

この道は楽ではありません。揶揄、嘲笑、蔑み、場合によっては、投獄や処刑までも覚悟しなければなりません。自分の中に未だ眠る、闘争意識も、被害者意識も、優越意識も、全部捨ててしまわなければ、光の道には入れない。「狭き門より入れ」とはこれです。しかしあなたは、ご自分の役割を誓って、この世に誕生して来られた筈です。今、それを思い出して欲しいのです。

 

あなたが、ご自分を高めて、光のバイブレーションを出せば、周囲はその影響を受けます。そのようにして影響を受けた人が、また自分の周囲を明るく変えます。そうやって、人類全体が変わる。支配の構造が終わる。その一人に、あなたにもなって欲しい。愛の宣士レインボーマンになっていただきたいのです。

「光」と「闇」の関係

日本では、小嘘つきであれば、国会議員や省庁の役人が務まります。その人に、もし大嘘つきの資質があれば、大臣や役所のトップにまで出世できる。でも総理大臣となると、これではまだ足りない。総理になるためには、“異次元” の嘘つきでなければなりません。小学生でも判るような嘘を「一点の曇りもない」と、なおも言い切るド根性と才能は大したもの。誠に余人をもって替えがたし。

 

本年度(平成30年4月)から、小学校で「特別の教科 道徳」というものがスタートしたそうです。その小学校で先ず教えるのは、公正、公平、社会正義だと言うのですから、いやはや。自分が教師だったとしたら、子どもたちにどう話せばいいのかな? 公正、公平、社会正義なんてぇものは絵に描いた餅なんだよと言えばいいのか、裏をかいた方が(徳じゃなくて)得だよと言えばいいのか?

 

「道」も「徳」も、共に人間完成を目指すうえでは大切なことです。でもそれは教えられない。本人が、自分の内に見出すしかないのです。我々に出来ることは、そのきっかけを与えてあげることだけ。もし「教え」ようとしたら、(誰かが発案した)特定の価値観を押し付けることになってしまいます。そんなものは不要、どころか有害ですらある。今の政治に、全く道徳心がないのを見れば、それは明らかではありませんか。

 

道徳教育の必要性を叫ぶ、この上なく不道徳な人たち。愛国心の必要性を叫び、隣人愛は持たない人たち。彼らにとっては、それが公正であり、公平であり、社会正義なのです。人は、その時、自分が理解できる以上のものを受け取ったり、また表出したりすることは出来ません。ですから(「正しい」という仮面をつけた)倫理、道徳、正義の押し付けは、極めて危険なのです。

 

すべては「道」です。終点に至るまでの途中なのです。人と接する時には(それが幼い子であっても)、常に、自分は未だ「道」半ばとの自覚を持って接しなければなりません。誰かが誰かに教えたり、誰かが誰かから教わったりという一方通行はないのです。必ず、互いに学びがある。そして、学ぶのはあなた自身。そこに積極的な価値を見出して、自分を統御していくことが大切です。

 

不正は、当然ながら褒められたものではありません。しかし、今のようにあからさまに出てきていることには、やはり意味があります。よく、政治家の「劣化」とか、官僚の「劣化」ということが言われているのですが、それは「昔はよかった」というノスタルジー的願望から出て来ているもので、昔も今も大して変わりがありません。韓国宮廷ドラマを観れば、よく解るのじゃありませんか?

 

それは「劣化」ではなく、今までなら隠されて来たことに光が当たって、よく見えるようになったというだけのことです。そのことで、みなさんは学習の機会を与えられているのです。「権力者というのは、なんだ、こういう人たちだったのか」に始まり、「権力構造というものは、なんと歪(いびつ)なんだろう」、そして「社会にとって、どういう統治機構が理想なのだろうか」まで。

 

そこまで、一気に来ているのです。選挙制度がどうとか、最高権力者の首をすげ替えたらどうとか、そんなことは今までの延長上の話です。確かに、当面はそういうことでしか進まないのかも知れません。しかし大河の流れは、奥底でもっと大きな変化を示しているのです。そこに気づくというか、そのことを感じながら、今の世の中の動きを見て、自分の中に受け止めていくことが大切です。

 

ニュースは日々、あれがこうなった、今度はこうなりそうだと語ります。でも、大河に浮かぶ木の葉が、右に振れた左に触れた、いや今度はひっくり返ったと言っても、要するに、最後はみんな大河に押し流されていってしまうのです。ですから、長い長い目で見てください。視点を離して、宇宙にまで上げて、大局的に地上を見てください。人々が、一喜一憂しながら蠢く様を見てください。

 

権力者が、なにゆえに必要以上の金を欲するのか。権力者が、なにゆえに「敵」と見なした者を憎むのか。権力者が、なにゆえに一般の民衆を蔑むのか。権力者が、なにゆえに保身のために嘘をつくのか。権力者が、なにゆえに暴力装置のナタを振り回すのか。それは、彼らがいま信じている「正義」の表現なのです。そして、その信念のスケールの最右端に彼らが位置しているからなのです。

 

*信念のスケール:人間はみなバラバラで、そこには優劣があるという「分離」の意識

 

このことを、みなさんは他山の石としてください。それらの「魂」は、未だ身体に埋没したままで、肉の欲望、肉の論理を一生懸命に経験・学習している段階なのです。この世は、そして今の地球は、未だ肉の欲望と論理が支配する世界です。そうした世界にあっては、彼らは優秀者でありエリートなのです。しかし残念ながら、まだ初歩の気づきにも至らない。そして勿論、「カルマの法則」も知りません。

 

みなさんから見れば、私利私慾に狂った、なんという浅ましい人間たちかと思うでしょう? でもその裏側は、不安でいっぱいなのですよ。自分の内に「信=真=神」がないのです。ですから、際限なくお金に頼り、特定の「信念」に盲従し、他者を蔑んだり攻撃したりすることによって、辛うじて自分のアイデンティティを確保しようとするのです。「分離」意識から来る表現の最たるものは、蔑み、憎しみ、そして暴力。霊的にみれば、彼らはまだまだ幼稚園児なのです。

 

しかしそんな彼らとて、いったん目覚めが始まれば、自らの不徳を恥じ、弱き者への憐憫と、悪は許さないぞ、不正は許さないぞ、との気持ちが自然と沸き起こって来るのです。さて、そこでです。大河の流れは、もうその段階にはないのです。実にここが肝心なところですぞ、みなさん。なぜ今、長きに渡ってこれまで隠されて来た悪事が、世界中で、表に曝け出されるようになって来ているのか?

 

それは、隠れていた悪を叩け、やっつけろ、ということではないのです。そう主張している人たちもいますが、それをやったら元の木阿弥。今までと少しも変わらない。そうじゃないのです。これは人類に突きつけられたチャンスなのですぞ。彼らのことは放っておきなさい。あなた方が従わなければそれでいいこと。見抜く眼を養えばそれでいいこと。彼らにはちゃんと「カルマの法則」が適用されます。

 

第三次世界大戦の勃発を心配している方がおられますが、どんなに法律を変えようが、道徳教科書で愛国思想を植え付けようが、軍備を増強しようが、マスコミを使って危機を煽ろうが、従わなければいいだけのこと。無視すればいいだけのこと。いま言ったことを、しっかりと心に刻み込んで、民衆の意識がジャンプしてしまえば、もう戦前のような逆戻りは不可能なのです。よって大惨事(洒落だがね)はない!

 

権力者の手口は、もう充分に学んだのではないかな? そう同じ手に何度も引っ掛かっていては、学習効果というものが見られないねぇ。よいかね、敵なんてものはいないんだよ。恐怖なんてものはないんだよ。そんなものは全部、権力者が、他の人々を支配したい者が、未だ「分離」意識の虜になっている未熟な段階の「魂」が、考え出したことなんだよ。それは、壮大なる人類の洗脳システムなのだよ。

 

どうして、すべてを創造した「神」が、自分の内側に敵と味方を創る必要があるのかい? どうして、すべてを見通している「神」が、自分の中に恐怖を創って自分に味わわせる必要があるのかい? 自分で落とし穴を作って、自分で落ちて「あ、びっくり!」とでも言うのかい? そんなことは、少し考えれば解りそうなものじゃないかね。だから、目覚めるのだよ。彼らが存在するわけを、彼らから学ぶべきことは何かを、知りなさい。

 

いいかい、なぜ「闇」があると思う? 「闇」があるから「光」が「光」だと分かるのだよ。朝まだき、まだ暗い東の山の稜線がうっすらとオレンジ色に染まり、やがてそこから強い「光」を放つ太陽が昇って行く。「光」は「闇」から出るのだよ。「光」があるから「影」があり、「影」あるところ必ず「光」がある。両者は、敵対関係ではなく、補完関係にあるのだよ。

 

ここを間違ってはいけない。「悪」を叩いても「闇」は消えない。「悪」を叩くことは「善」ではなく、「悪」の上塗り、「悪」の応酬でしかない。ここを、人類は、今まで間違って来たのだよ。特に、一神教の名を借りた、善悪二元論に立つ宗教が、その強固な信念を、人々に植え付けて来てしまったのだよ。さあ、でももう目覚める時だ。大河は、もうそっちへ動いているよ。

 

悪事を働く者はいます。不正を働く者はいます。「闇」を正義だと誤解している者もいます。しかし、それらはすべて「神」の手の内にあるのです。悪事を働く者は、創造のふりをして破壊を行なっています。けれども、霊的世界はもっと深甚で、破壊をすることで実は創造を行なっているのです。インドでは、この役割をする神をシヴァ神と名づけました。

 

新しい家を建てるには、古い家を壊さなければなりません。破壊と創造はOneセットなのです。「闇」と「光」は、いつでもOneセットなのです。大切なのはこのバランス。そこで釈迦は、中庸、中道を説きました。中庸、中道と言うと、どっちつかずの妥協点のように思われるかも知れませんが、そうではありません。要は、陰陽のバランスをいいように取りなさいということです。

 

今はまだ、無明の(つまり未だ「光」を知らない)段階にある「魂」たちが、悪事を通じて破壊活動を行っています。けれども、人類がもっと進歩すれば、悪事を行うことなく、この破壊と創造のバランスを上手にコントロールしていけるようになるのです。誰もが中庸、中道を生きるようになるのです。いま悪事が噴出しているように見えるのは、この変化の大潮流が、すでに地球上で起こっていることを示しています。

 

そこで、あなた方にお願いしたいのは、悪事の裏側にあるこの本質に、今こそ気づいていただきたいということです。このチャンスに、一気にジャンプして欲しいのです。アセンションして欲しいのです。悪を叩いても、悪は決して無くなりません。悪を退治する唯一の方法は、そこに「光」を当てること。その貢献によって、長きに渡った人類のカルマを、今度こそ断ち切って欲しいのです。

 

これは、あなたの中に巣食う悪についても言えること。自分の中に「光」を当てて追い出すのです。

 

静寂の中に身を置き、全身が「光」に包まれる様子をイメージしてください。細胞の一つひとつにまで、じんわりと染み入るように。そして、大河の流れに逆らわぬよう、この流れに乗りなさい。流れを味方に付けなさい。乗って、あなたの白光を強めなさい。あなたがする心遣いや親切は、どんなものでもこの流れに貢献することになります。

 

なぜ「闇」があるのか。「闇」があるからこそ「光」が「光」だと分かるのです。今、みなさんが「闇」から学ぶべきことは、それです。ああ、「光」があることの有難さ、「光」のこの上ない暖かさ、そして「光」の全き愛。あなたも、全身「光」の人になってください。そして、この転換期にある地球を、あなたの「光」で照らしてください。それでバランスが実現され、人類が乗り切れるのですから。

選択の時 ― 選挙を前にして ―

「近ごろの世の中と来たら、物騒でイヤなニュースばかりだねぇ」こんな嘆き節が、茶飲み話で囁かれるようになったのは、20年ほど前からだったでしょうか。その当時、多くの人が「なんだかおかしい」という時代変化の雰囲気を感じ取っていたと思います。それがちょっとずつ加速されて行き、今では異常気象が当たり前になったのと同様、物騒でイヤなことだらけが当たり前の社会になってしまいました。

 

経済が停滞期に入っていたということもありますが、1997年には神戸連続児童殺傷事件、2001年6月には附属池田小事件といった世間を震撼させる猟奇的殺人事件が相次いで起こり、心に巣食う闇というものに世間の注目が集まりました。同じ年の9月にはアメリカ同時多発テロ事件、2011年には東日本大震災が起きました。そして今や、毎日、全世界でテロや暴力や猟奇的犯罪が荒れ狂っているのを我々は見ています。

 

ここで留意しなければならないのは、今の35歳以下、場合によっては40歳以下くらいの人たちは、ずーっと経済不況下の時代に生きて来たのであって、物心つく頃から、物騒でイヤな世の中しか見て来なかったということです。そして今、政府も、政治家も、投資家も、企業も、金融も、マスコミも、医者も、教育者も、宗教も、何もかもが信用できない、ということをこれら若い世代は学習しつつあります。これは表面に現れない、地底のマグマのような隠れた大変化です。

 

こうした状況下にあって、個々人の「心」は、いったいどこに落ち着き先を見つけるのでしょうか? ある人は、こんな世の中には背を向けて、自分の趣味世界に耽溺する道を選ぼうとするでしょう。安全と保証を求める人は、すでに壊れ掛けている世界で、なおエリートの道を目指そうとするかも知れません。一方で、競争に馴染めない人は、厭世的気分に深く沈み込んでしまうかも知れません。

 

そして、今の時代に見られる極めて顕著な「心」の表出として、条件反射的な他者攻撃があります。誰も彼もが、一拍置くということをせずに、ちょっとでも気にくわない奴をみつけると、すぐさま罵詈雑言を浴びせ掛けています。一国の最高指導者にしてそうなのですから、あとは右に倣えです。そうやって、自分以外の他者を貶めることによって、自分の存在意義を保とうとしているのです。

 

この意識を、拡大して「国家」概念にあてはめたものがナショナリズムです。ですから、他者攻撃の願望を心の奥に持っている人は、国家主義や愛国主義思想に簡単になびいてしまいます。けれども、今の日本で「国家主義」を標榜している人たちの大部分が、実は「国家主義」とは真逆の、そして「愛国」とは真逆の、「対米追随主義」でしかないことを彼らは知りません。

 

そして宗主国であるそのアメリカとは、民主主義の名のもとに、今なお世界を蹂躙し続け、世界中の人々を貧困と恐怖と混乱に陥れている元凶なのです。そんなアメリカに追随して来たからこそ、見習って来たからこそ、日本の相対貧困率は、遂にアメリカに次いで第2位になったのです。つまり、いま叫ばれている「愛国」とは、アメリカとの心中へのゆるやかな道です。

 

でもそんなディテイルは、彼らにとってはどうでもよいのです。自分の攻撃的感情を載せられる受け皿があればそれでいい。ですから、そもそも「国家」など一つの行政単位に過ぎない、ということを考えてみようとする余裕がありません。歴史地図帳を開けば、日本においてすら国境というものが変わって来たことは明白です。戦国時代をご覧なさい。列島内にたくさんの国があったじゃありませんか。

 

もし「愛国」を言うのなら、どうして全世界の国々を愛する「愛世界国」と言わないのでしょうか? 日本だけを愛して、隣国、周辺国には敵意を剥き出しにする。これは、我が家の家族だけを愛し、隣家や町内会には敵意を抱くということと何ら変わりがありません。自分の仲間たちだけを寵愛し、それ以外は「こんな人たち」と蔑むことと全く変わりがありません。

 

日本人が「愛国」を言うのであれば、他国にだって「愛国」があることを認めるべきだし、それを尊重すべきです。そこに至って、自分を愛するということは、他者が同様に自分を愛することを認めることであり、反対に他者を愛するということは、他者も他者を愛することが可能ということを認めることになります。そしてこれこそが、「Universal Love」であり、世界平和への唯一の道なのです。

 

「必要なのは対話ではない。圧力です!」

全世界を前にして、まったく何という愚かで恥ずかしい発言なのでしょう。

敵意を剥き出しにして来る訪問者に、あなたは玄関の扉を開けますか? 大人は、お金や肩書きや信念で目が曇っているので見抜けませんが、子どもは即座に見抜きますよ。この人、いい人か、悪い人か。地球人の気づきは、まだまだ遠い。

 

これから書くことに、お気を留める方は極く少数でしょう。きっと嘲笑される方もおられるでしょう。でも大事な大事な選択のステップです。あなた方は今後数十年のうちに、二段階のステップを踏んで気づいていかなくてはなりません。第一段階は「人類支配の構造」に関して、そして第二段階は、その奥にある「因の世界」の法則についてです。人類の覚醒は一挙には進みません。この二段階のステップとなります。

 

今の人類が経験している苦しみの大部分の要素は、太古の時代から繰り返し続いて来たもので、その主因は、ほんの一握りの支配者が、残りの大多数の人間を騙して、奴隷化、家畜化し、その上に君臨していることから生じています。ところがこの支配構造は非常に巧妙で、かつ支配者が表に顔を出さないために、長年に渡って「まさか、そんなことが‥‥」という事態が続いて来たのです。

 

簡単に言えば、壮大なるフィクションを人類全体が演じさせられているということです。しかし、みんな自分が演じさせられているとは、よもや気づかない。なぜなら、上から下までが完全な洗脳状態にあるからです。これがあまりにも強力なために、二段階めの気づきが起こるための、最大のネックとなっているのです。しかし一段階めの気づきが起これば、二段階めに気づくのは早い。

 

選挙で、たとえ誰を選ぼうとも、この構造は直ちには変わりません。アメリカ人は、ここ何度かの大統領選で、また議員の選挙で、このことを随分学習しました。政府や政治家やマスコミは信用できないという人が、かなりの規模に達しています。でも日本人は、まだそこまでは行っていません。何度騙されても、懲りずに今なお、政治家や国に「期待する」という感覚の人が多いのです。

 

今日、政治の行方を決めているのは、政治家や役人ではありません。政治家や役人をコントロールしている企業(なかでも多国籍企業)です。その企業をコントロールしているのは、所有者つまり株主や投資家たちです。この投資家たちをコントロールしているのが金融です。そして金融をコントロールしているのが、世にいう「闇の支配者」です。

 

このような構造の中で、配下にいる政治家たちは、自分たちや企業に都合のよいような法律を制定し、この法律を基に国家運営の基本的なシステムを構築しています。このシステムは、金融制度、軍隊、エネルギー、司法、警察、医療、教育、マスコミ等々、全産業に渡っていますから、結果として、あらゆるものを「闇の支配者」がコントロールできる仕組みになっているのです。

 

選挙制度は全くの茶番で、「民主主義」というものをさも実現しているかのようなポーズのためにあるだけで、いま言ったように、実際には「民主主義」とはほど遠いコントロールが水面下で行われているのです。選挙に「お金」が掛かるのは、「お金」の手当てが可能な人しか出馬できないようにするためであり、政治家は、結局は「お金」をくれる者の言いなりになる構造になっているのです。

 

そして、人類を支配するために考案された最大級の発明品が、この「お金」および利息なのです。「お金」が無いと生きていけないとみんなが思い込み、「お金」の魅力によって操られ、「お金」を得るためにあくせくと働き、住まいを得るためには借金をし、利息を取られ、いよいよお金が無くなれば路上生活を強いられるという風で、大多数の人間が、一生を「お金」の奴隷となって過ごすのです。

 

さて「お金」とは何でしょうか? 人類を、この発明品の奴隷にし、富を偏在化させるための仕組みです。あなたが働くと、その労働は賃金に換算されます。しかしその賃金は直ちには払われないし、雇い主に上前を撥ねられます。こうして、労働を賃金に置き換えることで、富の一部を奪い、それを集め、この「お金」を運用することで、富者がますます太る仕組みが確保されます。

 

そしてこの仕組みを維持するために、「お金」の魅力を方々で力説してシステムに誘い込み、富を巻き上げ、次にその富を使って、大衆をコントロールするのです。と聞いても、「なるほどそうか!」と思う人は少ないでしょう。ピンと来ないか、何か私が大袈裟なフィクションを語っていると思うでしょう。それほど、洗脳が隅々にまで行き渡っている。だから大変なのです。

 

でも考えてみてください。自然界に「お金」があるでしょうか? 「お金」の仕組みが存在するでしょうか? 「お金」がないのに、自然界は、互いのエネルギー交換だけで、ちゃんと全体が調和するシステムを実現し、維持しています。これが自然界の摂理です。それぞれが、自分のあるがままに自由に生きて、それでなおかつ調和が成り立っているのです。そして自然とは、神の表現物であったことに注目してください。

 

今までの「お金」のあり方に疑問を持ち、金融支配の構造の裏を知った人たちの中から、「お金」に関して新たな模索をする動きが出始めています。ドルに代わる基軸通貨とか、「お金」の価値を何をもって担保するかとか、ビットコインだとか。でも、ポイントはそこではありません。「お金」のチェンジではないのです。人類の支配者にとって、「お金」はいわば血流ですから、何があってもこの仕組みを手離そうとはしないでしょう。

 

重要な点は、その構造を支えている人類の「意識」なのです。「お金」の裏側には、人類に共通した「エゴ」というものがあって、これが今の「お金」の仕組みを根底で支えているのです。そこに気づかない限り、根本は変わらない。地球の人間たちは、「お金」が支配する「現実」という海を、自分たちは泳いでいるのだと思っています。しかしこれは、物質世界に創られた、全人類合意のもとに演じられている壮大なフィクションに過ぎないのです。

 

あなた方の本質は「肉体」にあるのではなく「魂」にあるのだと繰り返し語って来ました。あなた方が泳いでいる本当の場所は、実は目に見えない場所、霊性(つまり「宇宙の法則」)が支配している海なのです。みなさんの「魂」は、根本のところでこれに気づいています。ですから、何でも「お金」が支配する、今のような世の中との間で、始終摩擦を起こし、苦しまされているのです。    

 

なぜこんな不毛なことが繰り返されているのでしょうか? それは、人々を支配しようとしている者たちもまた支配されているからです。これが「洗脳」というものの実に奥深いところで、支配者層は、「お金」を持つことが自分の「幸福」を実現することだと信じて疑わないのです。ですが、そんなことはありません。肉体の死を迎えた後も運ばれるのは「お金」ではなくて、霊性の海に生きた体験だけなのです。これが、あなたというアイデンティティの唯一の保障です。

 

そして「宇宙の法則」は、いつも次のことを示しています。自分が為したことは自分に返って来る。自分の「エゴ」によって、多くの人々を苦しめた人には、次にその苦しみを自分が体験するチャンスが与えられます。でもこれは「罰」ではありません。チャンスです。宇宙に「罰」はありません。あるのは法則のみ。そのような山登りのルートを選んだ人には、望み通りのチャンスが与えられるというだけのことです。

 

自然界は、理想社会のあり方をいつも示してくれています。多種多様なものが存在し、それぞれがあるがままに自由に生きることで調和が取れている世界。人間はこれを見習って、もっと謙虚になって、親和と愛に生きることを目指さなくてなりません。一握りの権力者が、他の多くの人々を支配することなどあってはならないし、それは「宇宙の法則」に反していますから、必ず破綻します。

 

小さきもの、多種多様なもの、それらの集合体が「生命」なのです。宇宙も、自然界も、そしてあなたの身体も、すべてそのように出来ています。この事実に気づきなさい。小さきもの、多種多様なもの、自分とは違う個性に敬意を払いなさい。あなたを生かしてくれているものはそれらです。ご自分の身体の細胞を慈しみなさい。そして、細胞を慈しむように、隣人を、自然を、世界の人々を愛するのです。世界は一つ、宇宙は一つです。

人類をコントロールして来たもの

今の世界情勢や国内政治を見ていて、何か「荒っぽさ」というものが、増々表面化してきたとはお感じになってはいないでしょうか。

 

ひとことで言えば、優しさや配慮が、少しも感じられないのです。政治家にしろ評論家にしろ、どの人も、仲間内と敵を峻別し、敵に対しては、目を吊り上げ、口から唾を飛ばして、容赦ない悪罵を投げつける。そうやって人々の感情を煽っては、特定のターゲットへ世間のバッシングが向かうように誘導しています。

 

これは身近な人間関係でも言えることなのですが、相手を自分のコントロール下に治めたいと思った場合に、相手がなかなか言うことを聞かないとなった時には、そのやり口が、だんだんと荒っぽくなっていくものなのです。

 

最初は対等な話し合い(‥‥のフリ)。次がお世辞やおためごかし。それでもダメだとなると、今度は脅しに転じる。そして最後は決まって暴力です。

 

今の政治や世界情勢を見てください。三番目、四番目が、あまりにも大っぴらに横行しているじゃありませんか。敵を設定し、脅威と恐怖を煽り、証拠もないのに相手を悪と決めつけ、正義の名のもとに一撃を加える。一体どっちが悪なのか?と聞きたいです。それを、本来は政治を監視する側でなければならない筈の大手メディアが、率先して誘導しているのですから。

 

けれどもこれは、見方を変えれば、これまでのようなやり方で人々を言い聞かせることが、もはや難しくなって来ている、ということでもあるのです。つまり、いま表れている「荒っぽさ」というものは、彼らの「心の焦り」を、そのまま映し出しています。

 

ここで、人間というのは(私も含めて)つくづく愚かだなぁと思うのは、「荒っぽさ」を出せば出すほど、その人間の本質、本当の姿というものがあぶり出されてしまうということです。人間たちの大半はそれに気づいていないし、ちっとも学習しようとしない。そして何度でも同じ過ちを繰り返す。

 

結局、自分の中に住むエゴという欲や、自分がつくる感情の支配から抜け出すことがなかなか出来ない。そのために、そういう「荒っぽさ」を目にした時に、簡単に同調してしまうんですね。要は「波長が合う」ということです。普段は取り繕ってスマしている人であっても、エゴや感情が刺激されると、隠していた本音がパッと出ちゃう。地位、名声、栄誉、財産、美貌、体重、まったく関係ない!

 

しかしここが、今という時代における分岐点、どっちを選ぶかという(あなたにとっても、また人類にとっても)重大な分かれ道なんです。あなたはどちらの道だって、自由に選ぶことが出来る。「荒っぽさ」が演出する道に乗っかって、一緒に着いて行くことも、それを完全に無視して、マイウェイを生きることも。さてどっちにします? どっちにしたいですか?

 

このブログを読んで下さっている方は、当然、後者を選ぶと信じています。何度も書いて来ましたが、あなたはご自分の幸福を、ご自分で選び取ることが出来るんですよ。朝、窓を開けたら今日は雨が降っている。その同じ雨降りを、「困ったなぁ」と思ってもいいし、「清々しいなぁ」と思ってもいいんです。どっちを選ぶかはあなた次第なんです。

 

ここで、よ〜く考えてみてください。「荒っぽさ」が目立つようになって来ているのは、権力者による、今までのような支配方法の維持が、いよいよ難しくなって来ているからだということを。

 

最も楽な支配。それは、それがコントロールだとは少しも悟られないようにして支配することです。そのためには、自分たち(支配者)は陰にひっそりと隠れていて、人々の心理を巧みに利用して、社会システムによってコントロールしていく。そうやって、人々が、自ら進んで、自分に手枷足枷を嵌め、喜んで奴隷になるように仕向けていくのです。

 

ですから、よもや自分がコントロールされているとは、殆どの人は気づかない。この盲目の状態に、ちっとも目覚めない状態に、人類は数万年もの長きに渡って、延々と留め置かれて来たのです。

 

そのための人間心理を操る手段となったのが、恐怖と、洗脳と、依存です。人類は、何度も何度も転生を重ねる中で、時の為政者から、絶えずこの三つを繰り返し刷り込まれて来ました。その結果、今ではこれが、DNAにすっかり刻印されてしまったのです。

 

恐怖と、洗脳と、依存。そう聞いて、まっ先に何を思い浮かべるでしょうか? そう、宗教です。恐怖の予言をし、教義で洗脳し、教団や聖典に依存させる。この三つは宗教の常套手段。だからこそ、各時代の政治は、宗教を取り込むことを覚えたのです。その方が、だんぜん統治がしやすかったから。言い方を変えれば、コントロールしやすかったからです。

 

こうして、政治は学びました。外敵の侵略や、テロや、災害や、パンデミックや、お金のないことや、病気になることの恐怖を植え付け、学校と、会社と、マスコミを使って洗脳し、自分で考える力を削ぎ、金融や、医療や、インフラや、専門家や、支援というものに依存させる。このようにして人々は、まったく気づかないうちに、権力者の思う壷となり、奴隷にさせられているのです。

 

それで、何が犠牲となったのでしょうか?

 

人間が、自分を信頼するということを、すっかり忘れてしまいました。人間同士が信頼し合えるということを、すっかり忘れてしまいました。本来、自分は自由なんだということを、すっかり忘れてしまいました。生きているだけで幸せということを、すっかり忘れてしまいました。いつも大いなるものに抱かれ、守られているということを、すっかり忘れてしまいました。

 

いいですか、もう一度、言いますよ。あなたは、あなたの幸福を自由に選ぶことが出来るんです。

 

ところが近年になって、これまで長きに渡って人類を支配し続けて来たこのコントロール・システムに気づく人が多くなって来たのです。これには、インターネットによる情報革命と、みなさんには分かりにくいかも知れませんが、宇宙から届く光が非常に強くなってきて、今まで隠れていた闇が、光に照らされるようになったことが、大きく影響しています。

 

世界を支配する、いわゆる「闇の勢力」の本丸がどのようなものであるかを、今日では多くの人が知るようになりました。「お金」という人類支配ツールの実権が、この「闇の勢力」に握られているというカラクリも、多くの人が知るようになりました。過去の戦争がいつも「闇の勢力」のシナリオで起こされて来たことや、医療やマスコミや教育が、これら「闇の勢力」の完全な支配下にあることも知られるようになって来ました。

 

要するに、世界は、そして人類は、「闇の勢力」が描くお芝居の脚本の上に成り立ってきたということです。これには、理解に温度差がありますので、首を傾げる人も、反感を抱く人も、解っているよという人も、さらにもっと先の意味まで解るという人までいろいろでしょう。しかしここでお願いしたいのは、みなさんには、この「闇」を暴くことや、糾弾することに夢中になって欲しくないということです。

 

日陰を好む生き物に強い光が当たれば、彼らはそのままではいられません。放っておいても、その場を逃げ出すか、自分自身が光を好む生き物に変化するしかないのです。みなさんが暴くことや糾弾することに夢中になると、その日陰に同調することによって生じたエネルギーが、彼らに元気を与え、勢いづかせることになるのです。もちろん、あなたの波動も著しく下がります。

 

いま世界中で、破壊衝動が止まずに、むしろエスカレートしていっている背景には、それがあるのです。「テロを撲滅するために闘う」と言う。でも後ろに付けた「闘う」、それは暴力ではないのでしょうか? 暴力に、良い暴力と悪い暴力があるのでしょうか? あるとしたら、それは誰が決めるのですか? こんな馬鹿げた発想が、今も人類を支配しているのです。

 

「平和ボケ」とか「危機意識がない」などと言う人間たちのことは、無視しておしまいなさい。彼らは知らないのです。自分たちこそが、いちばん恐怖に洗脳され、コントロールされたロボットになっているということを。ロボットですから自由に生きることは出来ず、自由に生きようとするものを妬み、自分の方が優れていると錯覚して、揶揄したり攻撃したりして来るのです。

 

そういう彼らの内心は、混乱そのものです。

 

そんな彼らに同調することなく、あなたはあなたの理想を想い描き、そして行動してください。出来ることをやりなさい。個人としての理想、夫婦としての理想、家族としての理想、コミュニティとしての理想、社会としての理想、人類としての理想、生き物としての理想、地球としての理想、宇宙としての理想。それを鮮やかに、心の中に思い浮かべなさい。

 

混乱した時代だからこそ、それが今、何よりも大切なのです。集合意識のことは前に話しましたね。人類というものは、つまるところ個人の集合なのです。あなたが自由に生きたいと願い、自由に生きれば、そしてその楽しさ、嬉しさを表現すれば、そのメッセージが周囲の人々にも伝わります。そして、自由に生きる人が増え、人類をロボット状態から開放します。

 

ですから、人類の命運は、ひとえに、あなたの生き方に掛かっている。

 

何ゆえ、あなたが、この地球世界に生を受けたのでしょうか? ロボットになるためでしょうか? 恐怖と洗脳と依存にコントロールされるためでしょうか? そんなことのために、わざわざ神があなたを創ったとお思いですか? そんな馬鹿げたことを神がするとお思いですか? あり得ません。あなたが地上に生まれた目的は一つ。魂の赴くまま、自由に生きて、体験し、愛を知るためです。

 

世の中に蔓延する嘘や策謀を見抜きなさい。そして、それらの混乱した情報を発信している人たちを、まだロボットの段階にある人たちだと、正確に見てあげて、愛の波動で、その束縛を溶かしてあげなさい。世の中の混乱は、すべてカルマの浄化の現れです。増々混乱する時代だからこそ、あなたには、愛に生きて欲しいのです。

「炎上」のそばには近づかないようにね

「炎上」というのは炎が燃え上がることですが、インターネット用語としてこれが使われ「サイト管理者の想定を大幅に超えて、非難や批判、誹謗、中傷などのコメントやトラックバックが殺到すること」に用いられています。別の言い方で、「祭り」ということもあるようです。どっちにしても、あんまりいいネーミングじゃないですねぇ。

 

専門用語というものは、どんなものにしろ、知っている者しか知らない、ある種の閉鎖性(それが仲間意識や優越感を抱かせたりもする)を持つものですが、その囲い込みの方向が、ネットの世界ではみんな汚いというか、ちょっとヒネくれた方向に流れて行きます。「炎上」とか「祭り」とか「フルボッコ」とか「ワロた」とか、ネットで飛び交うこういう言葉づかいのセンスは、私は大嫌いです。

 

「炎上」行為に参加する人は、それが楽しくてやっているんでしょうけれど、本人が全く気づいていない、実はもの凄い悪影響があるんですよ。それは「炎上」させている相手に対して、ということだけじゃありません。やっている人が、自分自身に対して、一つの牢獄に押し込めた上で、自傷行為を行っているんです。その恐ろしさを知らないんですね。

 

自分とは考え方がちょっと違うからと言って、匿名性をいいことに、特定の人に、なぜそれほどまでに悪罵を投げつけたりするのでしょうか? そこには、自分を誇示したい、勝ち誇りたい、やっつけてやりたい、自分の下にひれ伏させてやりたい、という単純で未熟な欲望が火を噴いていて、そういう人たちは、その感情をコントロールできないのです。

 

しかもその発端は、ちょっとした考え方の違いや、誤解・曲解から生じている。要するに、自分自身の「観念」と衝突したと感じた瞬間に反応している。これは何を意味しているでしょうか? 自分の「観念」にすっかり嵌っていて、なおかつ感情をコントロールできないのです。そして、縁もゆかりもない人に、憎悪を燃やしてネット上でこき下ろす。

 

こうした感情が、「炎上」のたびに集合意識となって膨れ上がり、その思念の塊がパワーを持って、同類の人をまた惹きつけるのです。

この状況は、何かに似ているとはお思いになりませんか?

 

ピン!と来た人は凄い。そう、幽霊ですよ。地獄をさまよい歩く不成仏霊です。「観念」の虜になって、自分ではそれに全く気づかずに、ただ憎悪をぶつける相手を探し、目をキョロキョロさせながらさまよっている。まるでそっくりじゃありませんか。

 

死霊と生き霊の違いは、ただ肉体を持っているかどうかということだけです。現代社会では、生きながら不成仏霊になりたい人がうじゃうじゃいるのです。「炎上」が創る空間はまさに地獄で、その地獄を好む生き霊たちが、類は友を呼ぶで集まっては、ゲラゲラと高笑いをして「ああ楽しい、愉快だ」と言っている。

 

これが、その人の「魂」にとって、どれほど有害なことであるかは言うまでもありません。無智とは、本当に恐ろしいものだと思います。

相模原の事件に際して

相模原で痛ましい事件が起きました。この件で、どのような報道がなされているかを私は知りません。けれども、日本障害者協議会代表の藤井克徳氏が、犯行を行った人物は、ナチス・ドイツが行った「T4作戦(独: Aktion T4)」のことを知っていたのではないか、という指摘をされております。


「T4作戦」というのは、ナチス・ドイツで優生学思想に基づいて行われた安楽死政策のことを言います。「T4」というのは通称で、安楽死管理局の所在地がベルリンのティーアガルテン通り4番地にあったことから、第二次世界大戦後にそう呼称されるようになったそうです。


ナチス・ドイツがユダヤ人を虐殺したことは広く知られていますが、それに先立つ1939年10月(ドイツ軍がポーランドへ侵攻した直後)から、この作戦が開始され、推定では20万人以上のいわゆる障害者が亡くなったとされています。この際の一連のプロセスが、その後のユダヤ人虐殺にも応用されて行ったのです。


「T4作戦」のおぞましさは、一つには「ダーウィニズム(Darwinism)」から派生した「優生学思想」に基盤を置いていることです。「優生学(eugenics)」の父と呼ばれるフランシス・ゴルトンは、人の才能は遺伝によって大部分が受け継がれるものであって、家畜の品種改良と同じように、人間にも人為的選択を適用すれば、より良い社会が形成できると論じました。


これが、「民族の血を純粋に保つ」というナチズム思想に取り入れられ、二つめとして、民族の血を劣化させる「生きるに値しない命」 は、根絶するべきであるという「T4作戦」の具体化に繫がったのです。「生きるに値しない命」とは、生産することも、兵隊になることもできない命という意味でした。


この安楽死政策は、ヒトラーの秘密命令によって法律もなく始められ、当初は法務省も事態を把握していませんでした。しかしこれが明るみに出ると、2年後にヒトラーは安楽死の中止を命令します。ところが、三つめとして、精神病患者の収容施設などでは、その後も医師や看護師による患者の殺害が継続されたのです。


この事実は、もはや国家の統制を失ったという意味で「野生化した安楽死」と呼ばれています。今度の事件の犯人は、より良い社会のためには、「生きるに値しない命」は抹殺すべきなんだと考えた。まさに、これはナチス・ドイツの「優生学思想」を彷彿とさせるものです。


さて、私自身は「障害者」という言葉があること自体が嫌いです。世の中には「障害者」などいないと思っていますし、逆に人間は全員が「障害者」だと言ってもいいと考えています。確かに、五感や四肢の機能に特別な不自由さを感じている方はおられるでしょう。しかし、この境界を越えたら「障害者」で、それ未満は「健常者」だという、今の常識には違和感を覚えます。

 

仮に、オリンピックの選考基準をクリアできる身体能力の持ち主のみが、身体的に「正常」だという基準を設けたとしましょう。すると、この基準に達しない者は全員が「障害者」ということになってしまいます。何を言いたいかといえば、能力というものは相対的なもので、基準は恣意的なものに過ぎないということです。それなのに、「障害者」に等級まで設けて認定行為を行っている。


「障害者」差別を失くせ、と人は言います。けれども、レッテルを貼るから区別が生じ、区別が生じるから、差別が生じるのです。ある一定基準によってグループ分けをし、保護することは、それ自体がすでに「差別」なのです。今の社会では、「保護」や「支援」の名の下に、こうしたレッテル貼りが蔓延し常識化している。こうした風潮にこそ、私はそら恐ろしさを感じます。


「優生学思想」の決定的な誤りは、人間を物質としてしか捉えていないところにあります。社会にとって有用であるべき優秀な個体は、遺伝の操作によって生み出せると考えている。まさに「物」です。


しかし、そうではありません。肉体というのは乗り物であって、その生命の本質は、あくまで「魂」にある。そして「魂」は、完成を目指して何度も輪廻転生していくのです。その一つの人生における肉体は、輪廻転生という長大なドラマの中の、わずか一つの選択に過ぎないのです。


わけあって、今世はその肉体を選択した。しかしそれは、多様な生命の表現における「個性」に過ぎません。優秀とか劣等というのは、人間が人為的な基準によって(たとえば兵隊になれるかどうか)勝手に決めていることであって、「生命」そのものには優劣などないのです。「生命」は、ただ連続して運ばれるだけなのです。


ですから、すべての「生命」には存在している意味があるのです。あなたにも、そして別のあなたにも。あなたは、自身だけではなく、周囲の人々にも、その「個性」が存在していることを通じて「意味」の気づきを与えているのです。このようにして、すべての「生命」が、互いに意味を分かち合っているのです。


棒を一本、横に置いてみてください。左端と右端があります。左は右があるから左であり、右は左があるから右でいられるのです。でも左側が邪魔だと思って、半分から左側を切り落としてしまったらどうなるでしょう。残った右側に、やっぱり左が生じるでしょう。これは棒磁石でやっても同じです。切った端には必ずS極とN極ができる。

 

これが陰陽二元性の法則です。陰中陽、陽中陰と言って、一見、陰極性、陽極性を表現しているものにも、必ず反対の要素が含まれている。陰陽太極図の中の、白黒を反転した小さな丸は、それを表しています。


お解りでしょうか? 「物質」だと見なしている人間の一部を、いくら排除したところで、「魂」は輪廻転生します。前世までにこしらえたカルマを、解消するチャンスを与えられた肉体を、自ら選択して。そこには、その人だけでなく、その人と関わる周囲の人々にも、ある学習のチャンスが与えられているのです。


このようにして、「生命」というものは、宇宙の下にまったく平等にあるのです。この普遍的「真理」を知らない限り、いくら倫理や道徳といった人間社会のルールを持ち出したところで、人間社会で起きる矛盾を乗り越えることは出来ません。いつも言っているように、その「観念の枠組み」そのものからのジャンプが必要なのです。


自然界に、なにゆえ、これほど多種多様な「生命」が存在すると思われるでしょうか? 植物が動物を育み、動物が排泄物を出し、その排泄物をバクテリアが食べ、無機塩類と二酸化炭素に分解し、これが植物を育てる。すべてが完璧です。すべての「生命」が相互依存によって成り立っている。意味のないものなど、一つもないのです。


これが「生命」の尊重ということの真の意味です。あなたには、生きていく価値があり、同様に周囲の人たちも、みな生きていく価値があるのです。あなたは私であり、私はあなたでもあるわけですから。

恐ろしい予言をしてくる元は低次元の存在

世を震撼させるような事件が起こる。すると、人々の関心は一気にそちらへ向かいます。そしてこの期を逃さんとばかりに、マスコミは、事件の詳細や、背景や、心理的な分析を試みる報道を加熱させていきます。その事件の賞味期限が切れて、人々がもはや関心を示さなくなるまで。


恐ろしい事件、感情を刺戟するような事件に、より人々の関心が集まるというのは解ります。でも考えてみてください。その事件の大元は、果たして高い波動を出しているのでしょうか、それとも低い波動を出しているのでしょうか? 言うまでもなく極めて低い波動です。ですから大勢が注目すれば、世の中全体の波動は一気にドーンと下がってしまいます。


おそらく、そうした報道に注目している間の人々の「心」は、ザワザワと粗れた感じになっている筈です。遠く離れた地の、自分とは関係のない、どうせ数ヶ月もすれば忘れてしまうような事件報道に「心」を弄ばれて、いったい何の得があるのでしょうか? そうやって、大衆心理を操ることに精力を傾け、ほくそ笑んでいる人たちがいるということに気づいてください。


「恐ろしい予言」というものも、構造はこれと全く一緒です。「真理」よりも、「恐ろしい予言」の方に、より人々は「心」を惹かれます。しかしその大元は、言うまでもなく低い波動の存在であり、霊能者を操って「恐ろしい予言」を下ろし、大衆心理を低い波動に誘導することで、その動揺する姿を見てほくそ笑んでいるのです。


私たちの本質は「魂」です。「魂」は思念の塊ですから、この世で大衆心理を操ることに無上の喜びを見いだす人たちがいるのと同じように、あの世でもそれと同様の存在たちがウヨウヨいるのです。そして両者は、低い波動で同調し、エネルギー交換を行って、お互いを支援しているのです。


このようなメッセージを降ろしてくる霊能者がいるというのは残念ですが、そういう霊能者も相対性の世界に生きる同じ人間です。絶対者ではありません。そのため、地上の善悪二元論を基本に生きていれば、降りてきたメッセージをその論理の許に解釈するために、自分自身で「恐ろしい予言」を信じてしまうのです。


しかし考えてみてください。宇宙を創ったのは一者です。一者であってなおかつ全体のものです。これまでにも何度かお話しましたが、二者ということは論理的にあり得ません。もし二者だと仮定しますと、お互いを創ったのは誰か?というパラドックスに陥ってしまいます。イヴがアダムの肋骨から創られたということになっているのは、元は「一つ」ということを象徴しているのです。


しかし、ずっと「一つ」のままでは、その「一つ」の存在は、永遠に自分自身を確認することができません。そこで、自らの内部に陰と陽の二元を創ったのです。この二元性が、バイブレーションを下げていく過程で様々に組み合わされ、万物が誕生しました。その際に、二元性の中に「善悪」の対立概念も生じたのです。


そしてこの中で、宇宙から与えられた「自由意志」を、人々を支配する、思い通りに操るということに行使し、そこに異常な執念を燃やす「魂」も出現するに至りました。そして、多かれ少なかれ、誰の「心」にも含まれている同様の感情を刺激し、揺さぶりを掛け、全世界を支配下に置こうとしているのです。


健康のことでお話しした際に、「人間、歳を取ったら病気になるものだ」と思っていたら、本当にそうなってしまうよと書きました。それと同じように、「恐ろしい予言」に注目する人々が一気に増えれば、「ああ、恐ろしい。当たるのではないか?」という気持ちが集合して、その「望み」通りに、予言を実現させる方向に現実世界が動く可能性が高くなって行きます。


そして、ひとたび「恐ろしい予言」が的中すると、人々は「神の怒りだ」とか「天罰が下った」と言うのです。でも本当にそうなのでしょうか?


宇宙は一者が創った。もう一度、この意味を思い起こしてください。善も悪も全部が一者の内にあるのです。その一者が、なにゆえ自分が創造したものに対して、自分で罰を与える必要があるでしょうか? 全くもって辻褄が合いません。ましてや(予め知っている筈の)「恐ろしい予言」を、どうして自分にするというのでしょうか? バカげています。


そうではなく、「恐ろしい予言」の的中は、人々が起こしているのです。「真理」に昏(くら)い、「真理」に目覚めようとしない、人間どもがみな起こしているのです。振り子をどちらかに大きく振ってみてください。必ず反対側に大きく揺れ戻します。そして段々と揺れが小さくなって、最後は中庸で治まる。これが宇宙の自然の姿です。


産業革命以降、人間は、科学技術を急速に発達させる一方で、自然界の法則を無視し、様々な欲望を肥大させてきました。今もその流れは収まっていません。しかし人間の本質は「魂」にありますから、どこかで「このままでよい筈がない」という予感も抱いています。こういう漠然とした不安感に、「恐ろしい予言」がヒットするのです。


けれども、それら一切合切を含めて、全部を人間が起こしている。ということに気づいていただきたいのです。自分で火を着けて自分で消火する。いわゆるマッチポンプをやっている。一見「天災」のように思える出来事も、バランスを取り戻そうとする宇宙の法則が、冷徹に働いただけのことです。人間にとっては都合が悪くても、宇宙にとっては当たり前のことなのです。


ですから、いま説明したメカニズムをよく理解して、マッチポンプに踊らされることなく、「心」を平静にして、自己の「魂」の声をよく聞き、それに従って生きていって欲しいと思います。それが即、宇宙の法則と合致する、幸福な生き方になるのですから。