by Rainbow School
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自分自身をドライブして生きる

5月28日掲載の記事「アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』と、地球のアセンション」に関連して、ある方からご質問をいただきました。質問の主旨は、〈闇グループにせよ、光のグループの存在にせよ、我々というものは、結局はそうしたものに「管理」されてしまう存在でしかないのではないか。それを思った時に、この先、はたして自分に何が出来るだろうかと考えると焦りを感じる〉というものです。同じように感じられた方も、きっといらっしゃるのではないでしょうか。

 

私たちは、結局は「管理」されてしまう存在でしかないのか? 「管理」という言葉には様々な意味が含まれていますが、この方は、主として「コントロール」という意味合いで使われているのだと解釈しました。地球人類は、結局のところ、人智を超えた存在によってコントロールされて生きるしかないのか、と仰っているのではないでしょうか。間違っていたらごめんなさい。これは、概ねその通りだとも言えますし、そうではないとも言えるのです。はて、一体どういうことでしょう?

 

このご質問は、かなり本質を突いた問いです。というのは、結局は、「宇宙意識」と「自由意志」との関係の問題に帰着するからです。私たちは、誰もが「宇宙」の中にいる存在です。そこから逃れることは出来ません。はたして、「宇宙」に「意識」があるかどうか(「神」がいるかどうかと置き換えてもよいのですが)は別としても、存在の事実関係は曲げられません。ですから、その意味では、究極のところは「管理」されているわけです。でも一方で、あなた方は一人ひとりが「自由意志」を持ち、自由に行動することも出来るのです。

 

これは、視点をどちら側に持つかという違いであると同時に、「解釈」の問題でもあります。あなた方は「宇宙」のネット(網)からは逃れられません。これは事実です。仏陀の手のひらの上で、ただ忙しく動き回っていただけの孫悟空と同じです。しかし、いついかなる時もセーフティ・ネットから外れることは決してない、ともここで力強く言えるわけです。最初から(網に)救われているわけですね。

 

イエスが語った、人を漁(すなど)る網とはこれのことです。ですから、その状況にあることに先ずは感謝してください。その上で、なおかつ「自由意志」を行使する権限も与えられているわけですから、これほど恵まれたことはないのですよ。どんなに大冒険しても網から外れることはないんですからね。ですから、その恵まれた状況を大いに楽しんで、かつ大いに経験せよということです。それが、地球での人生を生きるということ。

 

ということで、本質を突いた問いには、究極の答えで応えました。

 

しかしみなさんは、目の前で展開される出来事にしょっちゅう振り回され、ついつい今言った本質を忘れてしまう傾向があるので、何度も同じことを言わなければならないというのは、こちらとしても辛いところです。ぜひとも、今度の「コロナ禍」を、二階級特進(第三霊性密度から第五霊性密度へ)のジャンピング・ボードに活用していただきたいと思います。迷ったら、いつでも、この究極の答えに戻ることです。

 

と、先ずは言ったところで、次にもう少し紐解いた話をいたしましょう。

 

あなた方を支配している構造は、これまでにも語って来たように、多段階から成り立っています。表 → 裏 → 影 → 闇 → 魔 です。これはある意味、宇宙の多段階構造(ハイアラーキ)を反映したもので、地上世界でも、この「ピラミッド構造」を人類支配の道具に活用できると考えた者たちがいるのです。しかしこれは、人間社会ではごく一般的な当たり前の認識です。会社組織だって、宗教だって、家元制度だって、みんな同じことをしているでしょう?

 

言い換えれば、「ピラミッド構造」による支配関係を、〈誰もが潜在的に知っている〉とも言えるのです。ですから、みんな無意識のうちにこれをやりたがるし、求めるし、支配・被支配の関係を容易に作り出しては、そのことで悦に入ったり、優越感を持ったり、逆に苦しんだり、劣等感に苛まれたりしているわけです。それは、霊的ハイアラーキの物質界への映し絵なのですが、誰もそんなこととはつゆ知らず、構造の中に巻き込まれて右往左往しているのです。

 

その時に、「気づき」というものが非常に重要になって来るのです。各人が、支配構造のどの段階までに気づいたか、ということです。そしてこれは、いま自分が見知っている世界にふとした疑問を抱かない限り(ひょっとしたら、これは本当の世界ではないのかも? と気づく)、次の段階には進みようがないのです。では、支配構造の各段階がどのような世界で構成されているかを、順番に見て行きましょう。

 

表:学校矯育で教わったり、マスコミが報道しているような日常的世界。

裏:そうした事象の背後にある裏側の意図。週刊誌ネタが暴く世界。

影:その裏を操っている権力者の世界。時たま単行本で暴かれることがある。

闇:その権力者たちを束ねている真の実力者の世界。表には出て来ない。

魔:闇が信仰対象とする世界。その霊的意識が闇を手足として使っている。

 

この構造の中で、「表」の世界しか知らずに、それが全てで真実だと思っているような人は、「裏」以深の世界については何も知らないわけです。そうしますと、「裏」の話を聞いた時には「え、本当?」と思うわけですし、「影」に至ってはまったくチンプンカンプンでしょうし、「闇」に至っては「バカげた陰謀論」だということになってしまうわけです。ましてや「魔」となると、悪魔教とかといったオカルト話としてしか理解しようとはしません。

 

しかし「魔」というのは、実は誰の心にもある「心の好き魔」「悪心」「魔が刺す」意識のことなのです。「魔」は、これを集めてエネルギー源にしている。「闇」はそのメカニズムをよく知っていて、それを利用しているのです。繰り返し言っているように、詐欺に遭う人がいなければ、詐欺師は成り立たないのです。詐欺に遭う人は、詐欺師が提示する文言に惹かれるので詐欺に遭う。つまり、波長が合うから詐欺に遭うわけであり、両者が協力してその関係を成し遂げているのです。

 

参照:人類支配の構造と、支配からの脱却 →

 

ここで、「ひょっとして、これは本当の世界ではないのかも?」と気づく人の歩留まりを、仮に1割としてみましょう。すると、

 

「表」の世界を信じ切っている人:90%

「裏」以深の世界に気づいた人:10%

「影」以深の世界に気づいた人:1%(100人に1人)

「闇」以深の世界に気づいた人:0.1%(1000人に1人)

「魔」の世界までを理解した人:0.01%(1万人に1人)

 

となって、人類のアセンションなど、絶望的に思えます。しかしこれが、地球がアセンション期に入ったことで、その追い風を受けて3割に上昇したとしましょう。すると、

 

「表」の世界を信じ切っている人:70%

「裏」以深の世界に気づいた人:30%

「影」以深の世界に気づいた人:9%(約10人に1人)

「闇」以深の世界に気づいた人:2.7%(約100人に3人)

「魔」の世界までを理解した人:0.81%(約100人に1人)

 

となって、俄然、アセンションする可能性のある人が増えるのです。もちろん、ダークサイドを理解することだけがアセンションの条件ではないのですが(むしろ深入りする必要はなく、しない方がよいのですが)、「光への道」は「闇」とパラレルに走っていますので、可能性はグッと上がることになるのです。『幼年期の終わり』を紹介した回で申し上げたのは、「魔」の世界のさらに奥に、実はもう一段あるよ、ということです。覚えておられますか?

 

それは何か? なんとビックリ仰天の「神々」の世界だったということ。「魔」が「神々」に変わる。「ルシファー」が「天使」に変わる。でも、「闇」ルートから直接そこへ行くことは出来ない。なぜなら「分離」が基本意識だから。「光」ルートに吸収合併されることによってしか、「神々」の世界に駒を進めることは出来ないのです。調和、中庸、中道、統合への道です。

 

それを知った上で、今後の世界を見て行ってください。筋トレと同じように、霊トレにも負荷が必要であり、それがアフター・コロナの世界にプレゼントとしてやって来ます。知らない人は、「何がプレゼントか」と思うでしょうが、あなたには是非ともジャンプ台に活用して欲しいのです。

 

アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』では、地球が黄金期に入った際の人類の行方を3タイプに分類しています。一つは、世界政府によって与えられたパラダイスに、従順にハマって家畜化されて生きる人々です。もう一つは、そのような世界政府の樹立に対して反旗を翻し、抵抗する人々です。そして三つめは、社会システムの良いところは取り入れて、でも「魂」は売り渡さんぞという感じで、芸術村のコミュニティに暮らす人々です。おそらく現実世界も、クラークの予言通りに進むことでしょう。

 

よく「社会主義は嫌いだ!」と公言して、社会主義的に見えるもの全てを毛嫌いする人がおられるのですが、いかにも狭量で凝り固まった考え方です。そこに「主義」を付けようがどうしようが、人間は個別の存在であるのと同時に社会的な存在でもあります。無人島にでも行かない限り、「社会」から離脱するすべはありません。また何でも自分ひとりで出来るわけでもありません。交通インフラや、水道設備や、ゴミ処理や、宅配便のお世話になって、みな生活しているのです。

 

それは、相互扶助の関係を学ぶ機会(広く捉えれば「愛」の学習実践機会)にもなっているのですが、どのような社会のあり方が良いのか、また社会と人間の関係のあり方が良いのかは、時代とともに、また意識変化とともに変わるにせよ、人はどこかで社会との折り合いを付けなければならないのです。ですから、それは「主義」というものではないのです。これまでの歴史では「主義」に引っ張られたこともあったかも知れませんが、これからは普遍的な「愛」の観点から再構築されるべきものです。

 

例えば、交通信号機です。交通信号機が設置され、それを守るという社会的ルールが一般化される。それは、トラフィックを円滑を進めるという点で、社会的に意味のあることです。世界には、信号機が無くて大渋滞を起こしている都市や、たとえ信号機があっても社会的ルールが育たなくてやはり大渋滞を起こしている都市がいくらでもあります。

 

それと比べれば日本人の従順さは社会的に大いに機能しています。けれども、見通しのきく横断歩道で、クルマが来ないのにも関わらず赤信号だったと。その時にも、信号が青に変わるまでずっと待ち続けるのか、と問われたらどうでしょう? う〜ん、私ならば信号無視してサッサと渡っちゃいますね。信号機の目的は、安全・円滑なトラフィックの実現にあるわけで、ルールの順守にあるわけではありませんからね。

 

社会と自分との関係(広く言えば、周囲の一切合切と自分との関係)を考えた際に、大切なポイントは、いつも「自分自身をドライブして生きる」ということです。「支配」とか「コントロール」という言葉を使ってもよいのですが、ネガティブに受け取られる可能性があるので、一応「ドライブ」としておきます。この意識を、常時立ち上げっぱなしにして生きるようにするのです。これだけで、あなたの生き方は、それ以前とはまるで違ったものになります。

 

例えば、いま外に出ると、あらゆる場所でソーシャル・ディスタンスというものを強いられるでしょう。「この位置で待て」という具合に、フロアに足型が描いてあったりします。それに対して、あなたはいろんな態度を選べます。従うことも従わないことも出来ますし、従うにしてもどういう考えで従うのか、従わないにしてもどういう考えで従わないのかをあれこれ選ぶことが出来ます。

 

その時に、表面的にはただ従順に従っているように見えたとしても、自分の意思で、そうすることを選んでいる、と確実に意識して行動することが大切なのです。理由などは要りません。とにかく、自分がドライブして、自分の足をそこに踏み出す。逆らったところで多勢に無勢ですし、そうすることが今は円滑な仕組みであるなら、従うことはわけないことです。しかし、そう「させられている」と思うのではなく、「自分がそれを選択する」と思い込むのです。

 

でも、仮にいま私が「戦争に行って敵を殺して来い」と国から言われたとしたら、私は従いません。たとえ投獄されようが死刑になろうが、拒絶します。それは人道的な理由からではありません。今の自分の霊的成長にとって不必要かつ有害なことだからです。同じように、私が「お金はもういい」と言うのは、不要と言っているわけではありません。いくらかはやはり必要です。でも「お金」にまつわる学習は終えてしまったので、もう興味がなく、あとは煩わしいだけなのです。

 

同じ行動をしていても、「やらされている」と思えば、その瞬間から「奴隷」になってしまいます。ですが、つねに自分自身を自分でドライブしていれば、いつでもあなた(の意識)は「自由」なのです。

 

やらされている、コントロールされていると思っている限り、あなたから不安や恐怖は消えません。自分が自分自身をドライブして生きる、という習慣を身につけることによってのみ、不安や恐怖から脱出することが出来るのです。そして、来たるべきアフター・コロナの世界は、まさにそう思うかどうかが、家畜化されてしまうか、真の「自由」に目覚めてアセンションするのか、の分かれ道になります。

 

*詐欺に遭う人が、自ら望んで、喜んで詐欺に遭うのと同じで、家畜化される人も、喜んで家畜化される道を選びます。

 

さて、もう一つの質問。〈この先、はたして自分に何が出来るだろうかと考えると焦りを感じる〉ですが、「自分に何ができるだろうか」と考える必要はありませんし、「焦る」こともありません。これも以前に言ったことの繰り返しになりますが、課題は「行為」の内容にあるのではないのです。どのような「意識」をもってでそれを為すか、ということです。

 

これは「適職」とか「天職」といったことでもそうなのですが、みんな「業種」ばかりを問題にしていますねぇ。確かに向き不向きはあります。けれども、自分は「適職」にありつけないとか、どうしても「天職」を見いだせない、などと始終考えていたとしたら、大多数の人が幸福感のない人生を送ってしまいますよ。「業種」など、思いつきや、はずみや、ふとしたきっかけで決めて構わないのです。大切なのは、それを、自分が「適職」にするか、「天職」に出来るか、ということです。出来なければ、変えればよいのです。

 

それと同じで、「自分に何ができるか」と考え続けていたら、日が暮れてしまいますよ。なぜって、それはまだ経験がないことなのですから。あなたは「自分に何が出来るか」と考えながら、きっと出来ない理由を、100も1000も探すことでしょう。まさしく、人は「I can’t」の理由をクリエイトすることにかけては天才です。そうではなくて、「今したい」と思ったことを直ちにすればよいのです。それが成功するか失敗するかなんてことはどうでもいい。失敗したら、そこから学んで次の「今したい」を探せばよいのですから。

 

この点で、ぜひ見習いたいのが、かつてプロ野球界で活躍された新庄剛志さん。この方は「宇宙人」と言われて来たのですが、まさに、人々に、直感力に従った生き方と、朗らかさと、宇宙的な「愛」を、身をもって示すことを使命として派遣された、類稀なる「魂」です。直感に従ってパッと行動し、やめる時もパッとやめる。そして、後に思いを残さない。この方の「愛」は、普通の人々には理解できないほどの大きさなので、時に小馬鹿にされたり、騙されたりすることもある。でも、めげずに使命を果たしておられるのは本当に素晴らしい。

 

話を戻して、大切なのは「何が出来るか」ではなくて、どういう「意識」でそれをするかです。大きなことは考えずに、小さなことから始めてください。ケーキを焼きたいと思ったらケーキを焼けばいいし、草取りをしたいと思ったら草取りをすればいい(と、これは私の日常ですが)。その時に、宇宙的な「愛」と寄り添ってそれをする。宇宙の「生命」を感じながらそれをする。自分が今それが出来ることの「幸福」を感じながらそれをする。そのことが重要であり、そうなることこそが、まさにアセンションなのです。

 

この感覚に至るまでには時間が掛かります。最初は、そう感じている「フリ」をするところから始めてください。それを何度も何度も繰り返していると、その「フリ」がだんだんと少しずつ本当になっていきます。そうなるまで、諦めずに続けてください。「何が出来るか」を考え続けて、時間をムダにすることのないように。「I can’t」の理由をひねり出してチャンスをムダにすることのないように。

 

いつもいつも「直感」に従うのです。「直感」は、高次元のあなたから今のあなたへのプレゼントなんですよ。その受け取りを拒絶する理由が、どうしてあるというのでしょうか?

 

それと、これも以前に語ったことですが、今回の地球のアセンション機会と、あなたのアセンションとを無理繰り結びつけて考える必要はありません。今回の地球のアセンションは、確かに二階級特進のチャンスであり、またそれを狙ってたくさんの「魂」が地球に降りるという人口爆発現象も起きています。ですが、この機会にたとえ成就できなかったとしても、究極的にはどの「魂」も必ずアセンションを成し遂げるのです。

 

それを、未来のどこかの時点で成し遂げた存在が、いわゆる「ハイヤーセルフ」です。ですから「焦る」必要などはまったくありません。地球は今回のサイクルで「幼年期」としての役割を終えます。そうなると、「幼年期」のままの「魂」は、アセンション後の地球にはもう転生して来ることが出来なくなります。けれども、宇宙のどこかに、また「幼年期」用の惑星がちゃんと用意され、集団移住となるのです。そしてそこで、またいがみ合いやドンパチの続きをおっ始める。

 

ですが、今回の地球のようなチャンスは、宇宙でも滅多に無いことですから、あなたには、是非ともモノにして欲しいところです。

 

「自分に何が出来るか」ということの中には、他の人々への貢献のことも含まれていると思います。ですが、これも「行為」が重要なのではなく、あなたがアセンションすれば、あなたの高い波動が周囲に影響を与えることになるので、あなたが何をしていようと、自動的に、つねに人類の霊的成長に貢献していることに繋がるのです。

 

ここで重要なのは、あなたがアセンションすれば、人類全体の霊的成長というものに大いに貢献することになります。がしかし、人類全体の霊的成長という課題と、あなたのアセンションという課題には、直接的な関係がないということです。つまり、人類全体のためを思って、自分のアセンションを考える必要はないということです。あなたは、ご自分のアセンションのことだけを考えて邁進していけばそれでよいのです。

 

これは一見、身勝手なことように思えるかも知れませんが、いわゆる「個人主義」とは違います。霊的課題や霊的成長というものは、あくまで個々の「魂」のものであって、他の「魂」の課題や成長に、他の「魂」が介入したり肩代わりしたりすることは出来ません。出来るとすれば、その「魂」の成長機会が奪われることになってしまいます。ですから、それはありません。ある「魂」にとって、それがどんなに辛そうに、また苦しそうに見えようとも、霊的に言えば、それらは全部がギフトなのです。

 

辛さや苦しさに喘いでいる人を手助け出来ない、と言っているわけではありません。手助けすることは出来ますし、手助けすることはよいことです。しかしそれは、互いにとっての経験、いわば互いにとっての風景として働くのであって、苦しんでいる人の身代わりになることは出来ないのです。この点を、しっかり押さえておくことが大切です。同情のあまり、課題の区別という原理を忘れてしまうことのないようにしなければなりません。

 

どうすれば人を助けられるのか、どのように人を助けてあげたらよいのか、と考えあぐねておられる方も多いでしょう。また、あの時、なぜあの人を助けられなかったのだろうと、過去の出来事を悔やみ続けておられる方も多いことでしょう。これらはみんな、霊的課題や霊的成長ということに関して無知なために起きる悩みなのです。

 

キリスト教的な「原罪論」に嵌った人たちにありがちなのですが、他者を救えなかった経験を、あまりにも真摯に見詰め過ぎて、自分を「罪深き者」としてひたすら責めている方がおられます。見ていて痛々しいくらいです。この人たちが知らないのは、他者を救うものはテクニックでもなければ、罪意識でもないということです。それは、ひとえに高い波動によるのです。人は高い波動に接した時に癒され、高い波動をもたらした時にだけ他者を癒すことが出来るのです。すべては「波動」の問題なのです。

 

ですから、他者を救えなかったという罪意識に縛られて、自分を過剰に責めたり、罪意識を克服しようとしてあまりにも真摯に他者に向き合うことは、すべて逆効果でしかないのです。なぜなら、その時、その人は非常に低い波動を発しているからです。そして、その低い波動で、周囲にいる人たちを巻き添えにしているからなのです。ですから、いわゆる「自助グループ」などの集まりは、多くは逆効果しかもたらしていません。互いが、低い波動を持ち寄って、それに同調し合って慰めとしているだけなのです。

 

他者を癒せる力は、高い波動以外にはありません。テクニックも言葉も知識も必要ないのです。ただただ高いバイブレーションです。それは一瞬にして伝わり、一瞬にしてその人を癒します。ですから、あなたの目標は、ただそこに居るだけで、あなたという存在が居るというだけで、高い波動を周囲に出し続ける存在になることです。それがアセンションの意義です。あなたがアセンションすれば、あなたは自動的に、他の人々を手助けする存在に変身するのです。

 

ということで、何も焦る必要はありません。「自分に何が出来るだろうか」と悩む必要もありません。ただただアセンションを目指してください。最初は「フリ」をすればいい。出来ない「フリ」をするのではなく、出来る「フリ」をするのです。勇気を持ってその一歩を踏み出しなさい。大きな一歩でなくてよいのです。大きな一歩ばかり考えていたら、壁に圧倒されてしまいます。今日できる確実な一歩を進むのです。日常の中の何気ない出来事の中に、すべて「フリ」を見い出しなさい。そして、少しずつ少しずつ感じ取るのです。

 

永遠の時を、生命の輝きを、宇宙の愛を。そしてすべてが一つであることを。

アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』と、地球のアセンション

NHK・Eテレの『100分 de 名著』は、毎回録画して観ている数少ないテレビ番組です。私は読書家ではないので、25分×4回の100分で「読んだような気になれる」この番組は、とても助かっています。進行役の伊集院光さんが文字通り光ってます。勘が非常に鋭くて頭もいいのに、嫌味がなく私は好きです。伊集院光さんじゃなかったら観続けていないかもね。

 

さて、その2020年3月は、「アーサー・C・クラーク スペシャル」でした。「スペシャル」と銘打った場合には、この著者の手になる本を毎回違ったものを取り上げて、都合4冊を紹介しています。

 

その2回めが今日ここで紹介する『幼年期の終わり』でした。この、わずか25分の番組を観た瞬間、私は「えーっ⁈」と声を上げそうになりました。例によって「これを見ろ!」と目の前に差し出された感じがしました。そして、今のこのタイミングに、「お前が解説しろ!」と命じられている気がしたのです。

 

しかし、コロナ騒動があったために、書くタイミングを見計らっていました。世間がそわそわし、みんなが浮き足立っているような心理状態では、せっかくの話も届かないと思ったのです。でも今がそのベスト・タイミング。まさにこの書は、いわゆるアフターコロナの世界を予言した物語だと言えます。今度の「コロナ・ショック」を、多くの人がおかしいと言い出しています。創られたパンデミックであった可能性が高いからです。今回、それが世界同時に実現された。明らかに、地球史の次のフェーズが始まったと言えるのではないでしょうか。

 

アーサー・C・クラーク(1917 - 2008)と言えば、スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』の共同原作者として有名です。

 

私はこれを、1978年に銀座のテアトル東京で観たのですが、この時の興奮は今も忘れられません。予告編が終わって、いよいよ本編となった時に、テアトル東京の大画面がさらにガーッと左右と上に広がったのです。うおーっ、凄い! 当時、70mmシネラマを上映できる劇場は、日本に2館しかありませんでした。その時が、私の70mmシネラマ初体験だったわけです。

 

圧倒されました。CGなど無かった時代に、よくぞここまでという完璧な映像描写。『2001年宇宙の旅』は、よく「SF映画の金字塔」といった言い方をされるのですが、私は、「これはSFなどではなく、宇宙を扱ったドキュメンタリーだ」とそのときに思いました。それほど「リアル」という感覚が突き抜けていたのです。しかしこれは、あくまで監督のキューブリックに対する賛辞であり、当時は、アーサー・C・クラークがどういう役割を果たしたかについては知る由もありませんでした。

 

小説を読む習慣がまったくといっていいほど無いものですから、クラークの小説も読んだことはありません。ですが何かの折、クラークが次のような発言をしていたことを印象深く覚えていました。彼は、地球外知的生命体の存在について、こう語っていたのです。「宇宙には、たくさんの知的生命体がいる。その中には、我々のような身体を持たない存在もいる」と。私はそれを聞いて、「この人は知っている」と直感しました。何を? 「本当のことを」です。

 

1999年より開始された「SETI」という地球外知的生命体探査の活動があったのですが、この3月31日をもって21年間の活動を休止しました。これはカリフォルニア大学バークリー校が音頭を取り、世界中のボランティアのパソコンを繋いで、宇宙から飛来する信号を昼夜を問わずに探索し続けるというプロジェクトです。でも、残念ながら成果は無かったわけですね。

 

私などからすると、これはアプローチ方法が完全に間違っていて、やはりこっちからあっち側を見ようとしている典型例だと言えます。ま、それはそれとして、しかしクラークは真実を知っているのです。

 

宇宙人とUFO問題については、いつか改めて書くことにして、クラークが著した『幼年期の終わり』の話に戻りましょう。この小説は1952年に執筆され、翌1953年8月に初版が刊行されました。ソ連のスプートニク1号の打ち上げが成功したのが1957年ですから、まだ人類初の人工衛星すら誕生していなかった時代の著作です。しかしその後、科学技術の進歩によって描写のいくつかに時代遅れの部分が生じてきたため、1989年と2001年の二度にわたって改訂版が出されています。

 

*日本語訳は、早川書房版、東京創元社版、光文社版があり、早川書房版は1953年刊行の旧版を元にしている。

 

本書の原題は『Childhood’s End』と言います。さて、この「幼年期」なのですが、これは地球の「幼年期」という意味なのです。そのことから、東京創元社版では、分かりやすさを考慮してかタイトルを『地球幼年期の終わり』と訳しています。ということで、ズバリこれは「地球のアセンション」を描いた物語なのです。驚くなかれ、今から68年も前の1952年にですぞ! 来たるべき世界の姿として、それがどのようなプロセスで進行するかを、クラークは寓話の形にして完璧に描き残したのです。

 

この解説は、たぶん私にしか出来ない。だから命じられたのだと思う。普通の人にはとうてい読み解けない。でも私には解る。なぜって、いつも自分が語っていることと同じ意味が書かれているから。しかし、どこの馬の骨とも分からない私が語ったところで所詮は眉唾物。だけど、こっちはなんてってSF界の巨匠、アーサー・C・クラーク様だぜ。ぜんぜん格が違います! ということで、そのアーサー・C・クラーク様が、何を書き残してくださったのかを、一緒に見て参りましょう。

 

本書を開くと、先ずは、扉ページの隅っこに付けられた奇妙なエピグラフ(断り書き)に、首を傾げることになります。そこには、こう書かれてあるのです。

「本文中に示された見解は、著者個人のものではない。」

えっ、なにこれ? じゃあ誰の見解だってわけぇ?

なんでわざわざこんな断り書きを‥‥?

 

1989年の改訂版に付けられた「まえがき」で、著者はその件について不可解な言い訳をしています。いわく「その少し前に “The Exploration of Space” を出版し、人類はやがて宇宙に広く進出するだろうと書いたのに、今度は “人類が宇宙を制する日は来ない” と主張する本を書いたわけで、短期間のうちに前言を翻したと思われたくはなかったから」だと。ですがそんなことで、わざわざこの断り書きを入れねばならなかったのでしょうか?

 

というのも、「人類が宇宙を制する日は来ない」と語っているのは、一人の登場人物(実際は宇宙人)のセリフとしてであり、その直前のセリフで「きみたちが太陽系の惑星を支配する日はいつか来るだろう。だが、」とも語らせているからです。これは今日の視点で見ても、異論の起きようがないことです。人類は、ボイジャー1・2号によって、太陽系の端っこまでを探査するレベルにはどうにかこうにか辿り着きました。しかし、その外宇宙はまだまだ未知のままです。それに、どだい無理! 物理的距離があまりにも遠すぎて。

 

著者は、さらにもう一つの理由を挙げています。1953年の出版から1989年に至るまでに経験して来た、超常現象やら、超能力、UFO、占星術、ピラミッドパワー、チャネリング等の「とにかく考えつく限りのデタラメの汚染」に対する嫌悪感です。「そうしたことに騙されやすい人々に、本書も寄与することになっていたとしたら残念だ」とクラークは語っています。こちらの理由は、前のものよりも理解できます。私も「ス」と聞いただけでコメカミが「ピリッ」とするほど嫌いですから。しかし、これは後付けされた理由です。

 

クラークは、暗に「そういうものとは一緒にしないで欲しいんだよな」と言っているように私には思えます。「だってこの見解のソースは、違うところから来たものなんだからね」と。

そして、私の見立てから言えば、アーサー・C・クラークという人物は、「宇宙」というものの〈拡張〉概念を、小説の形で人類に知らせる役目を持って、地球に派遣された、彼自身が「宇宙人」です。

 

「人類が宇宙を制する日は来ない」の「宇宙」とは、物質的な「宇宙」を指しているのではなく、広義の「宇宙」、つまり非物質世界を含めた「全宇宙」の意味なのです。そう考えれば、「きみたちが太陽系の惑星を支配する日はいつか来るだろう。だが、人類が宇宙を制する日は来ない」の意味が、すんなり解るのではないでしょうか。もしこれが物理的空間のことだけを語っているのなら、後の文言は「宇宙を」ではなく「太陽系外を」となるはずです。また主語も、「人類が」ではなく「きみたちが」の繰り返しになっていたことでしょう。

 

クラークは、おそらく抜群のテレパシー能力を持っていて、人類の未来に関する情報を、同胞である宇宙存在から受け取っていたと思います。

 

それでは、『幼年期の終わり』の中身について見て行きましょう。物語は、地球の主要都市上空に、巨大なUFOが出現して、しばらく経った時代から始まります。映画の『第九地区』や『メッセージ(原題:Arrival)』で描かれたような、強烈なパンチのある出だしです。というよりも、『幼年期の終わり』で描かれたこの描写が、その後のUFO映画のオープニング・パターンを創ったのです。

 

この巨大UFO群には、地球人が「オーヴァーロード」と名づけた宇宙人たちが乗っていて、すでに地球社会を平定しています。「Overlord」とは「lord」を超えたという意味ですから、日本語に訳せば「大君主」といったところでしょうか。しかし地球人は、ただ一人を除き、このオーヴァーロードを見た者が他に誰もいない。オーヴァーロードの正体は、完全に闇に包まれています。つまり、影の支配者の「実体」は謎のままなのですが、影の支配者の「存在」は、万人が既知なのです。

 

そのただ一人とは国連事務総長で、彼だけが定期的に宇宙船に招き入れられ、オーヴァーロードの中の総督との面会(実際にはスクリーン越しに声だけしか聞こえない)を許されて、その指示を得ながら地球社会を統括しています。つまり、闇に包まれている存在(宇宙人)の後押しを得て、国連統治による「世界政府」がそこに樹立されているのです。この統治下においては、かつての国家は、独立性を持たない、一つの地区行政単位でしかありません。

 

なぜそうなったのか? オーヴァーロードたちの知性と科学技術力が、地球人のそれを遥かに凌駕していたためです。彼らの前では、それまでの地球人の文明など、まるで赤子の手を捻るようなものだったのです。オーヴァーロードたちの実質的支配による「世界政府」が実現するまで、地球には様々な問題が山積していました。しかし「世界政府」の実現以降、人種差別や貧困や労働問題は、完全に過去のものとなってしまいます。戦争の記憶も、忘却の彼方へと消え去ってしまいました。

 

もっとも明らかな変化は、20世紀を象徴していた、何かに追いかけられるような世の中のスピードが、ゆるやかになったことです。人々から、無知や病気や恐怖が消えました。動物虐待もなくなりました。生産現場は高度にオートメーション化され、人間に代わってロボットが働いています。あらゆる日用品がタダ同然で手に入るようになり、人間は贅沢品のためだけに労働をするか、労働自体をやめてしまいました。代わって教育の密度が濃くなり、生涯教育が当たり前となりました。英語を話せない人間は一人もいなくなりました。

 

小型の空中自動車が普及し、移動が格段に便利になりました。いつでもどこでも世界中の情報をライブ映像で見ることも出来るようになりました。物を盗む必要がなくなったので、犯罪が一掃されました。また犯したとしても、オーヴァーロードの監視から逃れることは不可能であることをみな知っていました。宗教とは、新しい社会は完全に縁を切りました。怪しげな奇跡話に乗る人はもういなかったのです。清教徒的な異常な潔癖さを主張する性道徳も消え去りました。

 

このようにして、人類に黄金期が訪れたのです。自力では、かつて一度も実現することが出来なかった世界が。突如として。

 

みなさんはどう思われますか? 今まさに、それが進行しつつあるとは思いませんか。AI、ロボット、遺伝子操作、5G、監視社会、自動運転、ベーシック・インカム、デジタル・カレンシー(仮想通貨)等々、矢継ぎ早に繰り出される技術革新トレンド。そして「コロナ・ショック」を受けて一気に加速する、あらゆる「20世紀型モデル」の終焉。その変化の真っ只中に、われわれ人類が今いるのです。

 

コロナ騒動の比較的早い段階(3月26日)で、英国の元首相ゴードン・ブラウン氏が「世界政府」の設立を呼び掛けました。「これは一つの国で対応できる問題ではない。協調した世界的な対応が必要だ」と言って、強い権限を持つ世界的な「タスクフォース」をつくり、ワクチンの共同開発のほか、中央銀行による金融緩和や、政府による財政出動での協調、新興国からの資本流出の阻止などに取り組むよう世界各国の首脳に求めたのです。いささか勇み足だったものの、この先の狙いを露骨に表明していました。

 

今度のコロナ・パンデミックで、世界中のマスコミが軍産複合体の支配下にあるということがよく分かったと思うのですが、マスコミを軽信している人が大多数(pandemic ではなく infodemic だったと言われている)ですので、彼らの狙い通りに、人類削減計画、人類家畜化計画、中央銀行制度の破壊と世界共通デジタルコイン化、地球環境保全整備、そして世界統一政府の実現へ向けて、今後も着々と計画が進んで行くことになるでしょう。しかし、いつも言っている通り、それらもみな風景に過ぎない、ということは肝に命じておいてください。

 

『幼年期の終わり』に話を戻しましょう。宇宙からある日突如やって来たオーヴァーロードたちは、そのようにして地球社会を瞬く間にパラダイスに造り替えて行きます。オーヴァーロードたちが一体どのような姿かたちをしているのか、彼らが地球に来た目的や、最終的にやろうとしていることが何なのか、ということも人類にいっさい知らされることなく、時が進んで行きます。そして、世代交代が進み、いつしか旧世界のこともすっかり忘れ去られるようになったころ、オーヴァーロードがかつて人類と交わした約束が、遂に果たされる日がやって来るのです。

 

それは、50年後、オーヴァーロードが船を降りて人々の前に姿を現わす、というものでした。その登場の際の描写が次です。〈間違いようがなかった。硬い革でできたような翼、小さな角、矢印の形をした尾 ―― すべてが揃っていた。あらゆる伝説のなかでももっとも恐ろしい一つが、未知の過去から命を持って現れたのだ。ただし、それはいま、微笑みをたたえて立っていた〉。人類に、数々の “良い” 変革をもたらしてくれた宇宙人は、なんと西洋人が長年「悪魔」と呼んできた存在そっくりの姿をしていたのです。

 

なぜオーヴァーロードの姿が、人類が知る「悪魔」の姿そっくりだったのか。この理由として、二つの可能性が示唆されています。一つは、記憶の倉庫(いわゆるアカシック・レコード)というものは無時間の場にあるので、過去に生活していた人類が、未来に起きている出来事の記憶を引き出していたという説です。そしてもう一つは、オーヴァーロードたちが、過去にも地球に来た経験があるという説です。後者はボカされてはいるのですが、こっちの方が真実ということを暗に示しています。

 

それは、過去に二度あった、25920年周期の「地球のアセンション」チャンスにも来訪していたが、その時には「刈り取り(harvesting)」のミッションに失敗していたということ。「刈り取り」というのは、第五霊性密度へのジャンプが達成できそうな「魂」を見出して、手助けして掬い上げるということです。過去二回の来訪においては、Harvest できそうな「魂」が残念ながら見つからなかった。この失敗が、いわゆるアトランティスの水没といった伝説として残されているのです。

 

*以上は、本文中にそうした記述があるわけではなく、あくまで私による、他の情報との関連づけです。

 

ということで、オーヴァーロードたちがやって来た目的の一つが明らかにされます。それは危機に差し掛かっていた地球人類の救済です。

 

「このままでは、単に地球だけの問題ではなく、宇宙全体にその悪影響が及んでしまう危険性が生じたため、介入することになった」。これは地球にコンタクトして来る宇宙人の来訪理由として、様々なチャンネルを通じて繰り返し語られて来た言葉です。1960年代、70年代は、核戦争の具体的脅威がありましたので、私もこれは「核戦争」のことなのかな?と思っていました。しかし、仮に「核戦争」が起こったとして、どうしてそれが宇宙全体にとっても大問題となるのかがずっと解りませんでした。

 

広大無辺な宇宙からすれば、地球の「核戦争」など、線香花火にも満たない爆発でしょうに。なにしろ、たった一回の太陽フレア爆発が、水素爆弾10万発から1億発に相当すると言われているのですから桁違いです。しかも、宇宙に輝く星々、あれはみんな太陽と同じ恒星なんですからね。その数は無限です。ところが、今回『幼年期の終わり』を読んで、長年のその疑問がとけたのです。宇宙全体にとっての脅威とは、そのような物質的な問題ではなかったのです。

 

「核戦争」は、人類にとっては確かに滅亡への脅威です。しかしまだその先に二段階めの脅威があった。それは、オカルティズムへの偏向、偏重です。「魂」はその進化の過程で、第四霊性密度(いわゆる「四次元の河」)をくぐり抜けて、第五霊性密度へとジャンプします。しかし多くの人間が、一斉に第四霊性密度に進入してそこに留まったままでいると、その集合エネルギーがパワーを持ちます。霊的世界というのは時空間のない世界ですので、そのネガティブなパワーが霊界全体、つまりは「宇宙」全体の脅威になる、ということだったのです。

 

そして、その可能性は、現在の地球人の進化度合いから見れば、大いにあり得るということです。「時代の転換期には、必ずニセ預言者が登場する」と、これも古くから言い伝えられて来ましたが、どうでしょう? 脅威を強調し、恐怖を煽り、何かにすがるよう急き立てる「ニセ預言」のパワーが、一方でますます広がっているとは思いませんか? 人間はエキサイティングな情報にどうしても惹かれてしまうので、簡単にその術中にハマってしまいます。それが、その人だけの問題ではもはや済まない、宇宙全体の問題なのだということです。

 

さて、『幼年期の終わり』との関連で見たとき、この寓話から読み取らなければならない点は、隠れていた闇の支配者(大君主)が、実は「悪魔」の姿をしていたということの比喩です。これも、このブログでは、人類支配の構造は、表→裏→影→闇→魔と、順々に奥へと繋がり、最後は霊界に至るということをずっと言ってきました。そこで考えてみなければならないのは、「悪魔」が「善」なる社会の実現を人類にもたらすことになる、というプロセスに関する示唆なのです。

 

クラークは、単にドンデン返しの面白さを狙って、この設定を考え出したわけではありません。国連機関は、今でも「善」なる顔と、裏の「悪」の顔の両方を持っています。バチカンだって、マスコミだってそう。表の「善」と、裏の「悪」の両方の顔を持っている。戦争を仕掛ける者と、戦後復興を行う者は、実は同じです。貧困をつくり出す者と、人道援助を行う者も同じ。医療だってそうです。病気をつくり出す者と、治す者が同じなのです。

 

もちろん、各現場の当事者たちはそんなことは知りません。それぞれがみんな自分のミッションを遂行しようとして一生懸命にやっているのです。でも、大元の手綱を持っているところはみな同じ。彼らはAチーム、Bチームを闘わせるという手法だけではなく、人間が誰でも持っている「善・悪」の観念に介入し、これを刺激し、揺さぶりを掛けてコントロールしているのです。そうやって「善・悪」の二元性を上手に使って、「闇」グループはこれまで人類をコントロールして来たし、これからもコントロールしようとしているわけです。

 

ここで「ルシファー(Lucifer)」についても少し述べておきましょう。ルシファーというのは「堕天使」と言い、元々は天使の実力があったのに、天界を落っこちて悪魔の親玉であるサタンになったとされる存在です。「闇」グループを暴く活動をしている人たちの中には、「闇」グループの人たちがこの「ルシファー信仰」つまり「悪魔教」を崇拝している、と仰る方がおられるのですが、そうではありません。その考え自体が、キリスト教的な「善・悪」概念に取り込まれてしまっている。

 

そうではないのです。「闇」グループの信仰とは、キリスト教的な「神」概念そのものの否定。「実世界を動かすパワー」への信仰なのです。

 

そこで、彼らは、実世界を動かす二極性、二元性を最大限活用する道を選んだのです。

 

そうやって「善・悪」の両極端を支配してしまえば、その中間領域で「善・悪」に揺れ動く人間を、丸ごとそっくり支配してしまえることを発見した。ルシファーとは、天使でもあり悪魔でもあることの象徴なのです。

 

「正義」はダメだ、と何度も言って来たのはそれが理由です。「正義」の行使は、この「善・悪」コントロールの術中にまんまとハメられるということでしかないのです。そこで、これからの人間は、「善・悪」の裏側を見抜く眼をきちんと身につけていかなくてはなりません。と言っても、疑心暗鬼になれと言っているわけではありませんよ。「疑い」の眼差しは、その人の波動を著しく下げてしまいますからね。そうではなくて、そこには、ごく単純で明確な法則があるということです。ですから、それを知ってください。

 

それは「分離」と「合一」です。第三、第四、第五霊性密度は、二極性を学習する領域です。いま我々は、第三霊性密度の物質界に暮らしているのですが、周囲を見回してください。あらゆるところに陰陽の二極性が見られることにお気づきでしょう。これは、二極性があるからこそ、その間に新しいものが生み出されるという意味があるほかに、「分離」されているからこそ、「合一」を体験できるという意味もあるのです。ですから「分離」そのものが悪というわけではありません。

 

しかし、「魂」の進化のステップとしては、「分離」を充分体験した後に「合一」へと向かうというプロセスを必ず通るのです。例えば、憎しみから、許しへ、そして愛へ、というように。従って、その「魂」が霊的学習のどの段階にあるかは、「分離」と「合一」のどちらの要素が多いかを見れば、自ずと判断できるのです。これは、その人が出している波動を見れば即座に判ります。

 

さて、いま YouTube を見ますと、ありとあらゆる非難の応酬で溢れ返っています。その中には、義憤に駆られ、正義感から「悪」を叩くことに心血を注いでいるという人も多く見られます。それはそれで役立っている部分もあるのですが、大きな視点で見ると、やはり「分離」意識の中で語っている。言い換えれば、魔界お得意の「分離」意識に取り込まれている、と言えるのです。ですから、このような正義感を燃やし続けている人は、いつか必ずしっぺ返しを受けます。

 

これも、いつも言っていることですが、あなた方が目指すべきことは、「闇」に敵意を向けたり、「悪」を懲らしめたりすることではありません。そうしたところで、所詮は「善・悪」二元論の範囲内で闘っているに過ぎないのです。地上に生きている以上、誰の心の中にも「善・悪」の二極性があります。周囲の現実は、全部がその人の投影なのですから、「闇」や「悪」に闘いを挑んでいる人たちは、自分の中にある許せない「闇」部分や「悪」の部分と闘っているわけですね。つまりは自傷行為をしているのであり、それゆえ必ずしっぺ返しを受けるのです。

 

ジョン・レノンは、「世界は狂人に操られている」と言いました。でも、その狂人の指導者を打ち倒す必要はありません。自分がなぜ狂人の指導者に着いて行くのかを、各人が考え直せばそれでよいのです。

 

これを読んでくださっているみなさんには、是非ともその段階を超えていただきたいのです。それが、人類の明日への扉を開きます。それは、「調和」を目指すということです。光があれば影ができるのであり、影があるところ必ず光があるのです。光と影が揃ってこそ、一つであることは言うまでもありません。どうかこの原点に帰ってください。そして、いつでもどこでも「調和」を胸に刻んでください。争いなど実にツマラナイことです。詐欲でも憂欲でもなく、みんな仲良くを心がけてください。

 

「闇」グループに所属する「魂」たちというのは、「分離」意識の極端な道を歩んでいるのです。彼らにも彼らなりの理想があります。いわゆる「New World Order」。しかしその理想社会は、ごく一部のエリート層が、大多数の家畜人間を飼いならして、自分たちの思い通りに操ることによって平定した世界です。彼らの中には、「調和」という考えは芽生えていないのです。幼い「魂」というわけではありません。むしろ老獪です。彼らは、普通の人の中にある、中途半端さがイヤでこれを嫌ったのです。

 

しかし、ここで宇宙的な視点に立って、それらを眺めてみてください。その一方の極端さが、教師の役割を果たしていることに気づきませんか? それが理解できれば、この状況を、またこれから訪れるであろう変化を、あなたの「魂」の成長に役立てることができるのです。あなたが先行してそこに取り組めば、やがては人類全体の目覚めに寄与することが出来ます。

 

話を『幼年期の終わり』に戻します。オーヴァーロードたちの目的の一つは、そのようにして、人類の危機と宇宙の危機を同時回避することにあったのですが、実は隠されたもう一つの裏目的が存在していました。ユートピアの実現と見られた黄金期は、実は地球進化の通過点でしかなかったのです。彼らの真の裏目的とは、ユートピアの実現後に登場する、新しい人類の誕生を、今か今かと見守ることでした。旧い人類が滅び、新しい人類がすき間を埋めて行く。いわゆる「人類補完計画」が実現するかどうかです。

 

*作品中では「人類補完計画」の名は登場していない。

 

オーヴァーロードの意向を受けて国連が進める「世界連邦政府」の樹立に関しては、当然ながら反対もありました。彼らはテロリストと見なされていましたが、最終的には平定されてしまいます。これも、いま世界で起きている国家主義や民族主義の風潮を彷彿とさせます。一方で、これとは違った形の反逆者も登場します。それは、科学と芸術の自由な探求を目指すグループで、彼らには弾圧はなされず、「ニューアテネ」という自治区のような島が活動拠点として与えられるのです。

 

このエピソードも、「ああ、クラークは知っているな」と思わせられる点です。科学と芸術は、私もまさに同感する部分であり、その両方ともが、「宇宙」の実相をそれぞれの形式で表現できる分野だからです。「ニューアテネ」というコミュニティが形成されていった理由は、ユートピア社会が実現して、あらゆる種類の闘争や紛争が一掃された結果、創造芸術というものがすっかり衰退してしまったためです。なぜなら、創造芸術というものは、大部分が「葛藤の克服」をテーマとして描かれるからです。ユートピア社会では、その「葛藤」がもはやないのです。

 

ですから、管理されたユートピアからあえて距離を置き、自由な創造活動に身を投じたいと願うグルーブが生まれたのです。こうして人類は、ユートピアに暮らす、ある意味「家畜化」されたマジョリティと、それに抵抗し、独立性を一部保ちながら、伝統を守って自由な創造活動にいそしもうとするマイノリティとに分かれたのです。アフターコロナの社会では、おそらくこの通りに、人々が分かれて行くことでしょう。そして小説では、「ニューアテネ」のコミュニティの中に、新人類誕生の兆しが現れるのです。

 

それは26歳のジーン・モレルという女性で、オーヴァーロードの監視役が、「ひょっとしたら?」と目を付けます。けれども、ジーンはすでに26歳であったことから、本人自身ではなく、きっと彼女に関係した人物に違いないと目星を付け、彼女を引き続き監視下に置きます。この時のセリフが、「彼女のステータスを “カテゴリー・パープル” に変更する」となっている点に注目してください。「紫カテゴリー」、つまり「第七霊性密度の波動」で彼女を覆い支援するという意味です。

 

果たして彼女は妊娠し、続けて二人の子どもを産みます。この二人が、やがて新しい人類誕生の礎となるのです。この二人の子らは、生まれてしばらくすると、次第に奇妙な特性を示し始めます。予知夢を語ったり、子どもがいる部屋ではポルターガイスト現象が起こったり、そうかと思えば何時間もじっと座り続けたり、また何日も眠り続けたりするのです。子どもたちのこの少し変わった特性は、その後、加速度的に向上して行き、オーヴァーロードのモニタリングによると、宇宙の創生にまで遡った深い認識を得るに至るのです。

 

これを機に、全世界の10歳以下の子どもらに、まるで伝染病が広がるように同一の現象が起き始めます。オーヴァーロードが「トータル・ブレークスルー」と呼ぶメタモルフォーゼの始まりです。やがて子どもたちは、まるで夢遊病者のようになって、ボンヤリした表情のまま一斉に同じダンスを踊り続けるのです。子どもたちは、こうして「個」を失い、「統一意識体」へと変貌してしまうのです。番組ではこの時、果たしてこれはユートピアなのだろうか、という議論がなされていました。その問いかけは、半分当たっていて、半分違っています。

 

これはとても重要なポイントです。先ず違っている半分は、「そうなることが、果たして人間にとってユートピアなのか」ということではなくて、人類は必然的にそうなるのです。それは、既定路線の「帰還への旅」なのです。夢遊病者のようになるのは「瞑想」状態にあるからであり、そのもとで、全「魂」が統一体へと進化して行くわけです。しかし一方で、それがどうもハッピーな状態だとは思えないという予感もあります。それも間違ってはいないのです。

 

地上には、地上でしか味わえない苦痛と、同時に喜びがあります。霊界には、霊界の喜びがあるのですが、それは地上での喜びとは違った、パーっと心が澄んでホンワカ気分がじわーっとやって来る、といった静かな感じのものです。そうしますと、地上でのエキサイティングな喜びから見たら、どうももの足りない感じがするんですね。しかも、そうした気分に到達した経験もそれほどないわけですしね。

 

そこで重要な点は、地上でしか味わえない喜怒哀楽を、地上にいる間は充分に体験しておけ、ということです。『幼年期の終わり』には、終始一貫して、このテーマが間接的に語られています。「充分に楽しんでおけ世、でも君たちは、やがては統一体へと帰るんだから根」ということです。

 

さて、これに関連して、オーヴァーロードたちの運命に関して、重要なオチが付けられているのです。オーヴァーロードたちが宇宙で果たしていた役割というのは、まだ幼年期にある惑星に行って、彼らを支援し、幼年期を卒業させた上で、その中から更に「統一意識体」へと進化する生命の誕生を見届けるというものでした。

 

このミッションは、地球人からは、自分たちは「オーヴァーロード」と呼ばれていたけれどもこれほどの皮肉はなく、実は自分たちも上からの命令を受けて行動していただけなんだよ、と。我々の上には、更に「オーヴァーマインド」とでも言うべき存在がいるんだと言うのです。

 

この「Overmind」というのは、一般的には「Oversoul」と言われることが多く、日本語では「大霊」と訳されています。要するに「神」のことです。その「神」から司令を受けて、自分たちはミッションを遂行しているんだけれども、我々自身はもう子どもを産めないのだ、と言うのです。進化の袋小路に入ってしまった存在なのだ、と告白するんですね。

 

しかし地球人は違う。我々よりもっと超えた進化を遂げることが出来る。そして、それがうらやましいとまで言うのですから。

 

これはどういうことなのでしょう。「オーヴァーロード」は、「悪魔」の姿かたちを象徴しています。つまりは「闇」グループの親玉です。「闇」グループは、二極性の極端な道(図の赤矢印)を選択することで、支配的な人類統合を目指しています。それによって、第三〜第五霊性密度に至る二極性をクリアしてしまおうという戦略です。確かに、その方法でも、第五霊性密度には到達できる。しかし、その先の第六霊性密度に進むことはできないのです。そこで進化はストップです。

 

なぜなら、第六霊性密度というのは、二極性の学習を終えた領域だからです。

 

ここには、「調和」によって統合を実現した「魂」しか進めない。「分離」意識を抱えたままでは、そこで進化が止まってしまうのです。

 

『幼年期の終わり』には、それが象徴的な形で示されているのです。科学をどんなに進展させようとも、知識をどんなに拡大させようとも、文明をどんなに発展させようとも、「分離 / 支配」意識では、最終ゴールには到達できない。やはり「調和 / 合一」というルートを通ってしか「神」への帰還は果たせない。ゆえに中庸、中道を行けということです。

 

さて、メタモルフォーゼした子どもたちが、その後どうなったか? 子どもたちは、短期間のうちに第六霊性密度へと進みます。第六霊性密度には、神々とか、天使、ディーバ、マスターなどと呼ばれる存在たちがいます。この領域では、「魂」の個性はすでになく、同種の性質が集まって、特定の意識体を形づくっています。それぞれの意識体には、それぞれの役割があり、その一つに、星を創ったり、新しい生物を生み出したりするワークもあるのです。

 

メタモルフォーゼした子どもたちは、このワークを何度か練習した後、最後は役目を終えた地球を消滅させてしまうのです。凄いエンディングですよね。幼年期を終えた後は、「消滅」なのですからね。「消滅」、つまり物質界は卒業したということです。今日ここでした解説を聞かなかったとしたら、きっとワケが解らなかったことでしょう。不安に感じたかも知れません。

 

しかし、この小説が長年に渡って多くの人を惹きつけて来たのは、これが単にフィクションではなく、読み手の直感に訴えかけて、「ここには何かある」と思わせるものがあったからです。あの三島由紀夫も、原書で読んで感銘を受けたということですし。

 

いま進行しつつある世界的変化。その背後にはいったい何があるのか。裏の裏の、奥の、そのまた奥に、遠大な計画が隠されています。そのどこまでを知るかによって、人々の理解はまるで違います。しかし、これを読んでくださっているみなさんは、背後にある意味を知って、なぜアーサー・C・クラークがこれを書き残したのかに想いを馳せていただきたいと思います。

 

クラークは、最後の最後に、オーヴァーロードたちの悲哀と、対する人類の可能性を対比させて物語の行く末を描きました。

 

これから起こる状況を見るとき、この対比を、いつもちょこっと思い出していただければな、と思います。そうすれば、どんなピンチもチャンスに変えて生きることができるでしょう。

ネガティブな出来事を、覚醒へのチャンスに利用する

スーパーの棚にトイレットペーパーが無いのだそうです。1973年に起きたオイルショックの際にも首都圏のスーパーからトイレットペーパーが消え、この時の映像は、当時を物語る資料として今もしばしば取り上げられています。その当時と同じことが、47年後のこの令和の時代にも起きるとは、いやはや。

 

当時、私は田舎に住んでおりましたが、この時にはニュースの意味がまったく解りませんでした。「都会の人というのは、随分とおかしな行動をするものだなぁ?」と思っていました。オイルと言えば石油のことでしょう? それが高騰するかも知れないとなると、どうしてトイレットペーパーの買い溜めに走ることになるのか? まるで落語の「風が吹けば桶屋が儲かる」式の話にしか思えませんでした。

 

ま、今はその心理というものも判るようになったのですが、今回、我れ先にと買い溜めに走った方々に言いたいです。「自分のお尻さえ拭ければそれでいいのか!」と。足が悪くておいそれとはスーパーに行けない人もいるだろうし、寝たきりで誰かの世話にならなければ生きていけないという人だっているでしょうに。お知り合いにいません? そういう人のお尻事情のことは、まったく頭をよぎらなかったのかと。

 

いつもは無造作に、カラカラとペーパーホルダーから3回引き出していたところを、この際、意識して1回分に節約し未知の領域にチャレンジしてみるとか、そうして節約できた分を、他の人に分けてあげるということが、なぜ出来ないのか。47年経っても、人間はちっとも進化向上していない。これじゃあ、地球人類のアセンションなど、夢のまた夢だね。

 

あなた方は、二段階の覚醒を経なければなりません。一つめは、ご自分の外界に展開している景色からです。二つめは、あなた自身の固着した意識からです。一つめの景色は、原始人時代とは違い、今の人間は、殆どが何らかの「社会システム」を通過した後の景色を見るようになっています。これがあまりにも当たり前過ぎて、そのことにもはや誰も疑問を抱きません。よって、ここからの覚醒は、非常に難しいものになっています。

 

二つめの固着した意識とは、簡単に言えば「信念」です。「信念」は、その人が暮らす「社会システム」と、その人の「性質(サムスカーラ:過去世から続く傾向)」が合わさって生じます。この「信念」こそが、あなた方の「悩み」を生み出し、さらにはカルマをも生じさせる根本原因となっているのですが、人々はそんなことを知りませんし、逆に「信念」固い人が尊ばれ、「信念」を持てとさえ言われているのです。

 

ですから、この二重に覆い被さった「マーヤ(幻影)」からの覚醒は、現代では至難の技です。しかし、これまで説明して来たように、外界に映る世界というものが、自分の意識の投影なのだということ。つまり全ては「マヤ化し」であることをを理解し、自分の意識を変えれば、世界も変わって見えるというだけでなく、違った世界をも創造できるということに気づけば、そこに脱出への糸口が開かれるのです。

 

この「自由への脱出」を、わずか20分ほどで完了してしまった聖者もいると聞きます。確かに、それは不可能ではありません。「真我(アートマン)」は、その人が元々持っているものですから、マーヤを全て捨てて、ストンとその中に落ちれば、直ちにアセンションしてしまうことになります。しかし、あの釈迦ですら「六年麻麦の行」を経て次に進んだのですから、焦らずに、しかし熱心に、倦まず弛まず歩む以外にはないのです。

 

前回お伝えした情報(削除しました)は、この世界が、この世界を支配したいと願う一部の「魂」によって、意図的に計画され操作されている、ということを取り敢えずは知っていただきたいと思ってのことでした。でもそれは、全部が「マーヤ」なのです。

 

実に、ここが肝心なところ。これを間違ってはなりません。今まで、闇の世界のことや、オカルトや、超常現象などについて、あまり言及して来なかったのは、そこにしか興味のない人というのがいるためです。そういう人たちにリーチしてしまうことは避けたい。それでは、本末転倒になってしまいますからね。

 

しかし、このわずか数年で時代状況が大きく変わりました。闇の世界のことを知る人が爆発的に増えたのです。それはそれで、一つの必然ですし、そういう語り部が登場することも、その人たちの役割があってのことです。さてそこで、ただ闇を暴露するということではなく、ましてや未来に怯えるということではなくて、これを活用していただきたいのです。

 

あなたは、あなたの周囲に展開される出来事(それは、あなたが創るマーヤなのですが)を、ご自分のために活用できるのです。そしてまた、そうすることが、あなたがこの世で生きて、様々な体験をすることの真の目的であり、価値ある生き方なのです。

 

今なぜ、闇が明るみに出る事態が、加速度的に進行しているのか。これには理由があります。以前にも書きましたが、地球がアセンションする時期を迎え、宇宙から注がれるエネルギーが非常に強くなっているためです。曇り空の時には、影はぼんやりしているでしょう。でも強い日光が当たった時には、影の輪郭がハッキリ見えるし、光が廻り込むので、隠れていたものも見えるようになるのです。それと同じです。

 

隠れていたもの、隠されていたものが、強い光が当たることによって、露わになるのです。異常気象や天災が多発していることも同じ理由です。人間の行いの蓄積によって、ダメージを受けた地球が、そのダメージを放出して揺り戻しを図っているのです。これは個人においても同じ。他者を騙したり、あげつらったり、罵ったりする場面が急増しているのは、その人間の隠れていた本性(魂の性質)が、剥き出しにされているのです。

 

しかし、だからと言って、そういう人たちを糾弾してはなりません。宇宙のすべては、「波動の法則」によって動いています。人間の本性は、時に信じられないほどの残酷さを見せることがあります。でも、その人間を糾弾した場合、糾弾した人は、即座に相手と同じレベルの波動に落ちるのです。相手と波長が合うからこそ、「糾弾したい」という気持ちが沸いて来るのです。そのことをみんな知らないで、避難の応酬合戦をしています。

 

知識人と言われる人とて例外ではありません。むしろ、知識も教養もある人の方が、自分の「信念」を声高に主張し、自分とは異質な者に対する闘いを挑みます。しかし、ここで気がついていただきたいのです。そのようにして、「信念」の応酬を個人間で行ったものがケンカ、組織間で行ったものが闘争、国家間や民族間、宗教間でおこなったものが戦争、だという単純な原理にです。それらはみな相似形を為しているのです。

 

ではその根底にあるものとは何でしょう? 自己と他者との分離意識です。俺とあいつとは違う。あるいは、俺らとあいつらとは違う。そのような思いから出発して、仲間意識と敵対意識の両方の「信念」を、各人が自分の中に育て上げるのです。およそあらゆる戦争が、「防衛」と「正義」が口実になって始まっている、という事実に注目してください。そして、それは今も変わりません。

 

儲け話に心を動かされる人がいるから、詐欺師に騙されるのとまったく同じで、ヘイト意識を刺激されるから、戦争屋の策略にハメられるのです。もういい加減、人類はこの単純な原理に気づくべきです。今やっと、そのチャンスが訪れたのです。あなた方は見抜かねばなりません。この世の今の「社会システム」そのものが、壮大なる詐欺システムであり、人類を覆い尽くす大茶番劇であることに。

 

強い光が射し込むようになったことで、今までは気づくことのなかった、表の「社会システム」の裏側が、どんどん炙り出されるようになって来ました。投資家、グローバル企業、マスコミ、政府、政治家、官僚、警察、検察、裁判所、医療システム、教育システム、そして国連をはじめとする国際機関すらも、全部が裏を牛耳る者によって操られています。彼らは、自分が操られているとは少しも思わないまま、一般人を操っているのです。

 

その裏社会を牛耳っている者たちの奥には影の者たちがいる。そして、影の者たちを、さらにその奥にいる闇グループが支配しているのです。こうして、闇→影→裏→表という順番で、支配のヒエラルキーが出来上がっている。しかしここで、その詳細を追いかけることは致しません。追及しようとしたところで、所詮は分からないことですし、そんなことに興味を持ったら、直ぐにその波動にハマってしまいますからね。

 

それよりも、なぜそんなことが可能なのかを考えてみてください。あなたは、カラ領収書を書いてもらったり、カラ出張をしたりした経験がないでしょうか? 私はあります、何度も。勤め人をしていた時代に、上司からやり方を手ほどきされました。このようなちょっとした不正、ちょっとした嘘、ちょっとしたチョロまかしは誰もが経験している。そういう心を刺激して、束ねれば、闇→影→裏→表までの一直線の支配が可能になるのです。

 

ここで考えていただきたいのは、人類削減計画のような恐ろしい企て、人類家畜化計画のような非道な謀略を考える闇の人たちが、信じられないほど残虐な人間なのかということです。そうではありません。残虐・非道なことを実行するのは、末端にいるごくフツーの人間なのです。闇の人間たちは、豪勢な邸宅に住んで、まるでチェスの駒のように、それを見て動かしているだけなのです。

 

ここに、重要な秘密と、この支配の構図からの脱却へのヒントが隠れています。今の「社会システム」を、制度だけで変えようとしてもうまくはいきません。それは、人々の心のあり方、もっと言えば意識の成長度合いの問題だからです。地球人類の意識が成長しなければ、覚醒への一つめの課題である、この奴隷的「社会システム」からの脱却は出来ません。しかし逆に、もし意識がジャンプすれば、「社会システム」が一挙に変わる可能性も秘めているのです。

 

みなさんは、闇のグループが、どうしてそんな狂人的計画(見方によってはマンガチックですらある)を何百年にも渡って代々遂行し続けているのか、ときっと疑問に思うことでしょう。単に「お金のため」というのではないことくらいは誰だって分かる。しかし、この常軌を逸した執念は何なのか、と不思議に思われるでしょう。ある人は、「彼らは悪魔教を崇拝している」と言い、合理的理由づけをしようとしています。しかしこれは、ちょっと違う。

 

悪魔教というのは、キリスト教的な二元論に立った見方です。「善」の立場から見ると、彼らは悪魔を崇拝している「悪」なのだと。でも、最近のコピー用紙はどっちが表か裏か判らないじゃないですか。とりあえず最初に刷った面の反対側が裏になる。それとおなじことで、彼らは彼らなりの正義感と信仰を持っているのです。そして、強い「信念」の下に、彼らが描く理想社会を実現したいと考えているのです。

 

みなさんは、闇のグループが、なぜ「イルミナティ(Illuminati)」と呼ばれているのかご存知でしょうか? イルミナティとは、〈“Illumination” を受け取るに値する人〉の意味です。つまり、光り輝く段階に達した人のことを言っているのです。これは、もともと白色系の神秘主義の秘密結社にあった段位で、闇グループの名称は、この段位をそのまま模しているのです。つまりは、黒色系のイルミナティというわけです。

 

闇グループは、その中心的組織の形成段階において、白色系神秘主義の一部を中に取り込んで、白を黒に変えてしまったんですね。その意味で、両者は非常に似通っており、ただ進むべきルートが違うというだけ、とも言えるのです。ここを理解しないと、この壮大なる不思議が解けない。

 

糾弾していると誤解していただきたくはないのですが、悪魔を創り、育てたのはキリスト教なのです。なぜか? 自分たちを「善」だと言うためには、反対側に「悪」が必要になる。「悪」がもし無ければ、「善」は成立し得ないのです。まさしく「闇」と「光」の関係です。両者とも、それは単なる「概念」に過ぎないのですが、「善」を標榜する者は、必ず反対側に「悪」の存在を必要とするのです。

 

これが、組織宗教というものが共通して抱え続けて来た、そして今日も抱え続けている不毛の論理であり、地球人類のカルマなのです。自分たちが信じる神、信じる経典、信じる教義のみが正しく「善」であると言う。すると、それ以外は全部「悪」なのだということになってしまいます。そこで、宗教間の非難応酬合戦が絶えず繰り返され、エスカレートしたした際には、本当の戦争へと突き進んでしまうのです。過去の歴史は全部そうです。

 

ですから、人類はここを乗り越えなくてはなりません。不毛の論理を超越しなければならないのです。そういう段階に、人類が至ったということです。魚座の時代(宗教対立の時代)は終わり、水瓶座の時代(真理が流れ込む時代)に既に入ったのです。世界大戦がもう一度必要でしょうか? 同じことの繰り返しは、もうここでスッパリと断ち切りましょう。そして次の次元へと進みましょう。

 

そのためには、全体の構造をよく理解することが大切です。「善」が「悪」を駆逐するという論理は不毛です。どこまで行っても切りがなく、カルマの繰り返しでしかありません。「正義」をかざせば、反対に「不正義」(と見なすもの)を、自分で自分の中に育ててしまうのです。この理屈を理解しなさい。解りますか? すべては「意識」の世界なのですよ。外側に顕現するものは、全てあなたの「意識」の投影なのです。

 

「理想」というものを、あなたはお持ちですか? あなたが想い描く「理想社会」とはどんなものでしょう? 人間は、霊的学習の途上にある存在です。「魂」が、自己愛と他者愛の二極性を実地体験学習するために、身体という衣を纏って、この地上世界に降りたのです。ですから身体は、地上という物理的世界を生きるための、それは単なる乗り物、借り物に過ぎないのです。ここを先ず理解してください。

 

霊性密度の第三から第五までが、愛の二極性を体験する段階です。この領域の中で、両方の体験を味わい尽くして、第三→第四→第五へと霊性が向上して行くのです。

 

自己愛それ自体は、愛の本質でもあり、肯定されるべきものですが、本質からずれるとエゴに傾きやすいという性質を持っています。一方の他者愛は、一見するとよいことのように思えて、偽善や形を変えた支配に陥りやすいのです。わが子に対する親の愛情や、好きな異性に対する愛情は、本人はそれを「愛」だと思っているのですが、実は支配欲求の発露という場合が少なくありません。結局、それもエゴの変形なのです。

 

このようにして、自己愛と他者愛の両方を行ったり来たりしながら、みなさんは心の揺れ動きを体験し、悩んだり傷ついたりしながら、本当の「愛」とは何かを少しずつ学習して行くのです。

 

しかし、その行ったり来たりは、ある見方からすれば非常に中途半端に映ります。そこで、いっそのこと自己愛に徹してしまった方がよいと思う「魂」が、必ず出現して来ます。そういう「魂」は、ある意味で、一つの道を極めようとする「求道者」なのです。地球という惑星は、宇宙に置かれた監獄で、牢名主が幅を利かせる世界ですから、結果として、そのような「求道者」が世界の実権を手にしているのです。

 

しかし、ここで考えてみなければいけないのは、いつも言っている通り、もしも詐欺に引っ掛かる人が一人もいなければ、詐欺師は成り立たないということ。ですから、ほんの一握りに過ぎない闇の支配者が、世界を牛耳ることが出来ているのは、闇の支配者の支配に、大多数の人々が、それとは知らず協力しているからなのです。みんなで一致協力して、そのような世界を創り上げている。だから、みんな喜んで、自ら進んで奴隷になると言って来たのです。

 

支配者は、人々を「恐怖心」によって支配します。それがいちばん楽で、効果的であることがすでに解っているからです。よく注意して見れば、メディアも、金融も、政府も、企業広告も、教育も、医療も、宗教も、そして霊能者も、みんな「恐怖」ばかり煽っているということに気がつきませんか? これが、彼らの支配戦略なのです。恐怖で支配するのです。

 

しかしそれは、宇宙の理法ではありません。宇宙を司るものは一つです。その一者が、どうして自分で自分を怖がらせる必要がありましょうか。バカげています。今こそ、そこに気づいてください。一人になって、静かになってみれば、それがどれほどバカげたことか、直ぐに解る筈なのに‥‥。全世界の人間が、いとも簡単に引っ掛かって、何千年、何万年もの時を過ごして来たのです。それもこれも、無智なるがゆえです。

 

今、全世界には77億の人間がいると言われています。その77億人、全員が一人ひとりみな違う外見と個性を持っているのです。これって、凄いことだと思いませんか? さてそこで、「違い」にスポットを当てて、自己愛のみを徹底させるとしましょう。すると、自分以外の人間は全員、愛さざるべき人間ということになります。しかしこれではとても生きていけませんし、支配もできませんよね。

 

そこで人は、同質だと思われる人間と、それ以外の人間とに分ける妥協点を、どこかに見い出そうとするのです。それは、血縁、同族、出自、階級、地域、国家、言語、人種、組織、主義思想、利害関係、などであったりします。そして、そのインナーサークルに限ってだけ「愛」と思われるものを行使し、それ以外の外側にある者は排斥しようとするのです。

 

これは多かれ少なかれ、殆どの人間が持っている意識です。人類のカルマと言ってもいいでしょう。

 

闇の支配者は、その心理を巧みに突いてきます。人々を分断させ、競わせたり、嫉妬させたり、疑心暗鬼にさせたり、恐怖心を抱かせたりすることによって、全体の支配を可能にしているのです。

 

しかし、77億の人間を、まったく別の角度から見ることも出来ます。それは、全員の個性の奥に、何かしらの共通したものが、確かにあると感じる一瞬。それを、あなたも感じたことがあるはずです。旅に出た時、食事をともにした時、挨拶を笑顔で返して貰った時、音楽を聴いた時、アートに触れた時、海外ドキュメンタリーを見た時、「ああ、人はみんな一緒なんだな」と思う瞬間が、ありませんでしたか?

 

あるのは当然なんですよ。なぜって、源が一緒だから。77億の「魂」は、すべてたった一つのものから生じたのですからね。でも、「みんな一緒なんだ」というその感覚は長続きしない。あなた方は直ぐに、元の、社会が提示する分断に引き戻されてしまいます。なぜでしょうか? あなた方の中にある、「自分と他者は違う」という感覚の方が優ってしまい、せっかく湧き起こった「一つ」という感覚を、直ちに否定してしまうからです。

 

階段は、昇るよりも降りる方が楽です。恐怖心や闘争心を煽る社会は、常に低い波動を発していて、人間を、この波動に同調させるように仕向けています。その波動の大元が、霊界にある「魔」のエネルギーなのです。ですから、表→裏→影→闇の奥に、もう一段階の「魔」が存在している。それは意識の集合体で、人々が、恐怖心や闘争心に駆られれば駆られるほど、波動の法則によって同種のものが引き寄せられ、力を増すことになるのです。

 

ですから、それを悪魔教と呼べば、そう言えないこともありませんが、実体は、単に人々の意識のありようの問題だということです。従って、これをオカルティックに捉えてはなりません。オカルティックに見ること自体が、すでにその世界からの誘惑なのです。これに簡単に引っ掛かってはなりません。そこに気づきましょう。好奇心や恐怖心は、それらエネルギー体にとっての餌なのです。

 

いつも言っているように、人類の集合意識がどこへ向かうかによって、未来などいかようにも変化するのです。そして、今がその覚醒へのチャンスなのです。冒頭で、あなた方は、二段階の覚醒を経なければならないと言いました。一つめは「社会システム」の拘束からの目覚め、二つめは自分自身が創る「信念」の拘束からの目覚めです。しかし、必ずしもこの段階を経る必要はありません。

 

自分の「信念」をすっかり捨ててしまえば、自動的に「社会システム」の拘束からも自由になるのです。ですから、「社会システム」について精通する必要はありません。知識人がいて、各人がいろんな立場からいろんなことを言いますが、他人を小馬鹿にする人や、特定の主義主張に凝り固まった人の話は無視するに限ります。知識は、時に覚醒の邪魔をします。古代から言われて来たように、赤子のように、純粋無垢であった方がずっとよいのです。

 

今回は「社会システム」の闇について、構造をお話ししましたが、それを知った上で、次にはもう忘れてください。くれぐれも夢中にならないことです。夢中とは、まさに夢の中。夢の中にいたのでは目覚めることは出来ません。四次元の河にハマらないように、あなたは、ご自分の理想社会だけを胸に思い描いて、強く強く前に進んで行ってください。

 

意識のありようだけが重要なのです。もうそれしかないのです。周囲に見えるものはみな幻。それを忘れないようにして、日々を明るく、元気よく、誠実に、周囲の人々に親切を尽くし、かつ楽しんで、人生を生きてください。

 

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今月から、新しい試みをしてみたいと思います。

毎月、1日、11日、21日の3回、

21時から21時15分までの15分間、

「PEACE DOME」と名づけた、祈りの瞑想を宇宙に捧げます。

もしよければ、このイベントにご参加ください。

 

「PEACE DOME」の企画意図と詳細についてはこちら ▶

戦争への構図

戦争は一人では出来ません。集団同士が争うことによって、戦争が「創られる」のです。それは、悲惨で大規模な破壊をもたらしますが、地球という惑星に降りた魂たちの、〈現段階における〉創造的行為の、一つのバリエーションとなっているのです。

 

人間、一人になった時には、誰もが友愛と平和と笑顔であることを望んでいるのです。でも集団になると、時に、この思いがあっさりと破られ戦争へと突き進む。そうやって、平和と戦争、言い換えれば、友愛と他者蔑視との間を行き来し、愛の学習とカルマの清算とを繰り返しているのです。それは、健康な時には健康のありがたみがちっとも分からず、大病をしてからやっと分かるのに似ています。

 

メディアの発達は、過去の戦争がもたらした被害や、民衆の生活への影響、戦争体験で生じたトラウマ、また戦争へと突き進んでいった時代の背景や要因について、様々な角度から分析的な映像を見せてくれるようになりました。しかし同時に、戦争の立役者を歴史的偉人として描いたり、殺戮者をヒーローとして賞賛するドラマやゲームなども、数多く産み出されています。

 

それは正に、地球人というものが、未だにその間を行ったり来たりしている学習段階にあるということを、如実に示しています。芸術家の一部は、小説や絵画や映画やドキュメンタリー作品などを通じて、「なぜ人間はこんなにも悲惨で、不条理なことを繰り返すのか?」と、ずっと訴え続けて来たし、今も訴えているのですが、その効果がまだ目に見える形としては現れていません。

 

私たちは、その背景にはどんな構図があるのか、という点について、もう一歩進んだ理解をして行く必要がありそうです。また、そのような段階に至ったと思います。そして、ここを超えられるか、超えられないかが、第三次世界大戦の勃発を未然に防止できるかどうかの鍵になると思います。

 

戦争は一人では出来ません。集団が戦争を起こすのです。ですから、そこには、集団を動かすある「力学」が作用していることは間違いありません。そしてこの点をつぶさに観察してみると、どんな戦争にも次の3つの要素が必ず存在して、この三つのエネルギーが回転し、増幅し合うことによって、戦争へと突き進んで行っているのです。

 

その3つの要素とは、

 

1.権力者とその統治システム

2.大衆の熱狂(闘争意識の鼓舞)

3.裏づけとしての(宗教的)正義

 

です。

 

この三つが、まるで巴紋のように影響を与えあって、グルグルと回転することにより、戦争へのエネルギーが増幅されて行くのです。

 

1番目の「権力者とその統治システム」ですが、戦争遂行を決定するのは、その集団を掌握している権力者です。ですから先ず、権力者に「戦争をしたい、しよう」という欲望があって戦争が起こる。しかしその欲望を実現化するためには、統治システムが、それが可能なように備わっていなくてはなりません。例えば軍隊や、武器や、諜報機関や、徴兵制や、法律や、指揮命令系統です。

 

また同時に、権力者への信頼というものを大衆の中に醸成しておかなくてはなりません。なぜなら、大衆が具体的な戦争の駒(使い捨ての)となるからです。そこで権力者は、これを悟られないように糊塗し、自分を地位や、扮装や、勲章などで偉大な存在に見せる一方で、メディアや教育機関を使って都合のよい思想を大衆に吹き込み、戦争が可能なように法律を変えて行きます。

 

ここで気をつけておかなくてはならないのは、一つには、こうした権力者に都合のよい改変というものは、徐々に成されるということです。そのため、大衆は改変の影響度といったことには気づきませんし、関心もほとんどないのです。そしてもっと注目されるべきは、権力者というものは、一人の人間として誰もが持つ友愛と平和への念というものを、最初から喪失している「魂」だということです。

 

ですから、「魂」の成長(=愛の完成、oneness)という点から見た場合には、このような学習段階にある「魂」がリーダーであるというのは、本来はおかしいわけです。ところが人間社会というのは、「分離」と「競争」が価値観の根本を成していて、このスケールを社会全体に当て嵌めていますから、一般大衆を蔑む権力者が、人々を騙して権力の座に座れるし、その御輿を担ぐ者もいるのです。

 

しかし、権力者がいかに「戦争だ!」と叫んでも、それに従う者がいなければ戦争は起きません。法律や恐怖政治を用いていくら縛ったとしても、従わない者が多数いれば、権力者の更迭や、クーデターや、内戦が起こる場合もあります。ですから、2番目として、権力者の「戦争だ!」という声に賛同する大衆の熱狂を、どうしても作り出さなくてはなりません。この役割を担っているのがメディアや教育機関です。

 

ヒトラーはその重要性を非常によく解っていて、レニ・リーフェンシュタールにオリンピックを撮らせたり、選挙活動では飛行機を使って遊説したり、自分の演説時のポーズを研究したり、また人々の意識を集めるためのシンボリックなデザインのフラッグを多数用いました。ドイツ軍の軍服が実用を超えたかっこよさを放つのも、ヒューゴ・ボス(後のメンズブランドのBoss)にデザインさせたからです。

 

さて、大衆がどうして権力者の呼びかけに熱狂してしまうのかということですが、これは誰の心にもある生活上の不満やイライラ感を、権力者は闘争心へと転化させてしまう術を持っているのです。

 

大抵の人は、自分の恵まれなさや辛い体験を、自分以外の、他の何ものかのせいにしたがります。身近な配偶者や家族や、上司や勤め先や、それらが無かった場合には社会や時代のせいにする。この、誰かのせいにしたいという欲求を利用して、ここにシンボリックな「敵」を提示するのです。「あなたが恵まれないのは、ぜーんぶあいつのせいだよ」というわけです。そうすれば、大衆の熱狂に火が着くし、そのエネルギーが一本に纏る。

 

ナチスは、ご承知のように「ユダヤ人」をこれに当てました。第二次世界大戦中の日本軍は「鬼畜米英」と言っていました。ジョージ・ブッシュは「悪の枢軸国」と言い、テロとの戦いを宣言しました。権力者のこの常套手段は、今もまったく変わっていません。大衆は、一人の時には友愛と平和がいちばんと思っているのですが、心の奥に眠る闘争心に火が着けられると、パッと燃え上がって、友愛や平和はたちまちにして溶かされてしまうのです。

 

しかし、これだけでは戦争には突き進めないし、開戦したとしても継続することが出来ません。なぜかと言うと、戦争が残虐な殺戮を伴うものだということは、みなうすうす解っているからです。そのため、その「イヤだな」という気持ちを乗り超える何かがなくてはならないのです。これが「戦争の大義」というもので、多くは、(宗教的)正義がここに当て嵌められるのです。

 

そもそも戦争に「大義」などあるわけはないのですが、「大義」を設定しようとするのは、心の後ろめたさを和らげるためです。(宗教的)と括弧して書いたのは、別に宗教でなくても、共産主義でも、民族主義でも、愛国主義でも何でも構わないのですが、しかしそこに問答無用の宗教的信念が備わっていないと、力が弱い。そこでみな「正義」を強調するのです。あとは、その正義に反する奴らはみんな「敵」だということになる。

 

そして、いま挙げた3つが揃うと、権力者としては、戦争をしたいバックボーンがきれいに整って、さらに発言がし易くなるのです。こうして、(戦争屋にとっての)好循環がグルグル生まれて、エネルギーが増幅され、戦争へと突き進むことが可能となるのです。この「戦争への構図」は、どんな戦争であっても、また地域紛争であっても、内戦であっても、まったく変わりがありません。全部が、この構図によって生じているのです。

 

ですから、もしあなたが戦争を回避したいと思うのであれば、この構図が悪回転しないような楔をどこかで打ち込むことが大切です。回る扇風機の羽に、棒を突っ込むようにして。そうすれば、この回転は止まります。

 

権力者の発言や、メディアの報道が「敵」を強調し出したら要注意。そんな時には「ああ、またやってるな」と思えばいいし、次の選挙ではその人間に投票をしなければいい。自分の中で「くっそー、あいつらぁ」という気持ちが沸いて来たら、「でも待てよ」と気持ちをなだめて、「彼らにも同じように愛する家族がいるんだよな」と想像してみればいい。もし「正義だ!」と叫ぶ声が聞こえて来たら、あのブッシュの顔を思い出してみればいい。

 

そして、すべてを冷静に、なるべく客観的に見て、人間というものの、懲りない愚かさに気づいて欲しいのです。その視点だけが、全体のこの構図からの飛躍を実現させてくれます。

 

愚かな宰相がいるのは、あなたが見る景色の中で、愚かな宰相という役割を演じてくれているのです。さて、じゃあどうするか? それを今、あなたが問われているのです。「隣国の連中はひどい奴らだ」と、メディアが思わせようとしているのは、それによって、あなたの「愛の成長度」を試してくれているのです。「こうすることが正義だ!」と言うのは、「信用できる正義など、実は何もない」ということを教えてくれているのです。

 

何度も、何度も、同じ手口に引っ掛かるようでは、輪廻転生の学習効果というものがなさ過ぎます。一度、ぜーんぶの物理的形は無いものと想像してみてください。意識の世界だけしかないと想像してみるのです。そうすれば、よく解ります。

 

愚かな宰相の演じ手も、大衆を操っているつもりが、実は奥の院の存在に操られているのです。その奥の院の存在も、もっと奥にある闇に操られている。そしてさらにその奥にも‥‥。意識の世界から見れば、ただそれだけの話。大衆が熱狂するのは、自分の中にあるネガティブ意識が、共鳴して揺さぶられるためです。この時、サッと魔が刺す。普段は、友愛と平和と笑いを愛する一人の人間であるのに、ちょっとした拍子に「魔」が刺してしまう。

 

そして、今まで育って来るなかで教えられたことや、吹き込まれた信念、さらには今日も育ててつつある信念によって、あなたは自分の中に入って来た「魔」を育て上げる。そして、この「魔」を、自分に完全に憑依させる。このようにして、ゾンビとなった人たちが大結集し、互いに殴り合い、殺し合うという一大スペクタクルを演じる集団的「創造行為」、それが地球劇場で繰り返される世界大戦です。

 

そして、僅かな人たちだけが生き残り、ゾンビから人間に戻って、

我に返って言うのです。

「いっけねぇ、またやっちまったみたいだぜ」。

今度こそ、それはやめにしませんか?

 

あなたが、自分の中のネガティブに火を点けるのをやめて、友愛に生きようとすれば、世の中にある信念は変わります。ネガティブな信念が効力を持たなくなるからです。

 

そうすれば、愛と平和を求めるエネルギーが生まれて、そのような考えを代表するリーダーが誕生します。そしてリーダーたちは、人々が暮らしやすいような、分かち合うことを基盤とした新たな社会システムを創りあげて行くことでしょう。

 

そうなれば、人々は、その社会システムによって、争うことなく、みな平和で楽しく暮らせるようになります。奴隷的労働は一切なくなり、誰もが、各個性を認めて、自己を表現しつつ、なおかつ他者にも役立つような仕事をするようになります。まるで夢のような話に聞こえるかも知れませんが、話は簡単です。最初のボタンの掛け違えを正せばいい。そうすれば悪循環が善循環に変わるのです。

 

あの人も、この人も、私と同じ人間なんだと思うだけで。

みな等しく、ともに宇宙に生かされている存在なのだ、と思うだけで。

戦争屋と権力者

1961年1月17日、アメリカ合衆国第34代大統領であったアイゼンハワー(Dwight David Eisenhower、1890 - 1969)が、テレビカメラを前に歴史に残る退任演説を行いました。アイゼンハワーは陸軍出身の政治家で、第二次世界大戦では連合国遠征軍最高司令官を務め、あのノルマンディー上陸作戦を指揮しました。また軍歴では最高位である元帥にまで登りつめました。

 

アイゼンハワー本人は、当初は政治家になる気などまったく無かったということなのですが、人望が厚く、周囲に乞われるようにして選挙戦に担ぎ出され、あれよあれよと言う間に大統領に就任したのです。ダグラス・マッカーサーが、大統領の座を切望していたのになれなかったのとは、ちょうど対照的です。アイゼンハワーは、フィリピンではマッカーサーの副官を務めていたのです。

 

さて、この時の演説がなぜ歴史に残るエポックだったかと言いますと、この退任演説の中で、アイゼンハワーが史上初めて「軍産複合体(Military-industrial complex)」という言葉を用いて、その存在と、高まる影響力についての懸念を表明したのです。退任が決まっていたとは言え、こうした発言を行うことは非常に勇気のいることです。アイゼンハワーは、遠回しに、そして遠慮気味に語っていますが、今ここで言っておかねば、という決意のほどが言葉の端々に感じられます。

 

この一部始終は、インターネットで観ることが出来ます。

翻訳:https://esotericsociology.blogspot.com/2018/01/d.html

動画:https://www.youtube.com/watch?v=1UAiqAZoMgQ

*動画はすぐに削除されてしまうかも知れませんので、もし消えていたら探してみてください

 

「軍産複合体(MIC)」というのは、軍事組織と兵器産業によって構成された複合体という意味です。しかし、兵器を開発するためには研究機関が必要であり、研究機関には科学者や技術者が必要です。また、政府からそのための予算をぶんどるには政界工作が必要となります。さらに、政界工作のためには、危機を煽るプロパガンダが必要であり、ここに外交専門家と、マスコミまでもがぶら下がった巨大機構を構成するようになったのです。

 

しかし「軍産複合体」はこれだけに留まるものではありません。そうした機構が身体だとすれば、それを動かす頭脳に当たるものもな必要です。この頭脳に当たる組織が、米国のCIA、英国のMI6、イスラエルのモサドといった諜報機関で、これが諜報ネットワークを作り全世界で軍産のための工作を行っているのです。この機関は、各国政府や財界にも深く喰い込んでいて、いわゆる西側は、全てその傘下に取り込まれている状態なのです。

 

日本も例外ではなく、戦後から今日に至る政財界のボスたちは、親米であればその存続を長く許され、少しでも反米の態度を取れば、スキャンダルをでっち上げられて業界を追われる身となるか、殺されるかして来たのです。しかし、日本社会のバックにそういう闇があるということを、今もって殆どの日本人は知りません。そうした真実は、長年に渡って秘匿され続けて来たのです。

 

最近になって、このタブーにも少しずつ風穴が開けられるようになって来ましたが、それを知る人はまだほんの僅かです。これは日本が島国であって、かつ国民の大多数が英語を解しないために、世界情勢に関してあまりにも疎いということと、その代わりとして、日本のマスコミが流している情報を、無条件に信じている人が未だに大勢いるためです。

 

マスコミを一切見なくなって十数年が経ちますが、日本のマスコミ報道の8割はどうでもよい話題、1割が日本政府のコントロール情報、1割が西側(軍産)が意図的に流しているフェイクニュースだと、私には感じられます。独断をお許し願えれば、それらを見て有益なものは何一つありません。むしろ有害ですらあります。視聴者の思考力、判断力を奪っておいて、偽情報で染め上げるのですから。

 

そのようなわけで、「愛国」を叫んでいる者が、実はいちばんの売国奴であるということが、国民には見抜けないのです。防衛意識を煽り立てている者が、実は戦争屋代理人であるということに気がつかないのです。彼らの本当の姿は、「愛国」どころか、売国民、売市民、売人間なのです。そして逆に、人類の融和や平和共存を語る人たちを「平和ボケ」と言っては小馬鹿にし糾弾するのです。それもこれも、みんな戦争屋のために。

 

*この言葉は本当は使いたくはないのですが‥‥。「国家」というのは単なる行政単位に過ぎないと思っておりますので、そこに思い入れはありません。「愛国」は「愛」の文字こそ使っていますが、結局は我々と他者を分ける分断思想であり、「愛地球」「愛人類」「愛宇宙」にはなりえないのです。

 

戦争屋(軍産複合体)が、なぜそれほど「戦争」をしたがるかと言いますと、一つには「戦争」というのは、軍産複合体にとっては、在庫一掃処分市、かつ新製品お買い上げキャンペーンに当たるからです。軍産は、現在では社会構造の基盤を構成するまでに成長しています。しかも、各国の政府予算から毎年巨額な金額を捻り出すのです。その構造を継続的に維持するためには、10年に一度は、大規模な戦争が必要になって来るのです。

 

このため、戦争屋とその傀儡である各国の政府機関内エージェントは、つねに隣国との緊張状態を演出する必要に迫られ、故意に危機を煽っては、国民から掠め取った税金で兵器を購入しているのです。そして購入するだけではなく、時々は在庫一掃処分を敢行しなければなりません。そのようにして引き起こされているのが「戦争」なのです。

 

もう一つには、西側の諜報機関が、共にユダヤ教、キリスト教という一神教を背景にした文化圏に属していることも、「戦争」の創造に大きな影響を与えています。これらのバックには狂信的なグループがいて、聖書の予言に基づいた形での「戦争」を熱望しているのです。CIA他の諜報機関ネットワークは、こうしたことのために謀略を計画して動き、そうして作った偽ニュースを、西側の報道機関が世界に一斉配信しているのです。

 

ある方がカウントしたのですが、シリアのアサド大統領が自国民に化学兵器を用いたというニュースは、今までに少なくとも18回は流されているということです。しかしそのニュースのどれもが尻つぼまりで証拠もないのです。最近、トランプ大統領が、ダーイッシュ(IS)の掃討作戦が完了したので米軍を撤退させると言いましたが、これは名誉ある撤退を演出したものであって、実際はISを作ったのはアメリカですし、駆逐したのはロシアなのです。

 

こんなことは、欧米人の半数はもう知っていることではないでしょうか。しかし日本人の大多数は未だに知りません。ですが、対岸の火事ではもう済まされない。シリア、リビア、イラク、そしてウクライナの街や家々を破壊し、一般市民を路頭に迷わせてグチャグチャにしてしまった西側の片棒を、日本人も担いでいるのです。私もあなたも、日本国に税金を払うということによって、この軍産複合体の謀略に間接的に加担しているのです。

 

この壮大な謀略によって、シリアでは1000万人もの人々が難民となり、地中海で溺れ死んでしまった人もたくさんいるのです。こんな非道が許されていいのでしょうか。中東から遠く離れた島国で、我関せずで、コタツでぬくぬくし続けていていいのでしょうか。少なくとも、今まで政府に騙され続けて来たことに、そして自分もこの戦争に加担して来たことに、日本人は気づかなければならないのではないでしょうか。

 

戦争が起こるたびに、その悲惨さを体験した人たちは、「もう二度とこんな戦争は起こしてはならない」と叫んで来ました。各国の名だたる芸術家が、平和の尊さを訴えかける多くの作品を創って来ました。ところが、二世代も経過してしまうと、またぞろ戦争屋の代理人を務める政治家が登場して、防衛意識と危機感を煽っては、人々をまた戦争へと駆り立てて行くのです。なんと「南無妙法蓮華経を唱えながら戦場へ行け」と主張する政治家だっているのです!

 

全く人間というものは、どこまでも愚かであって、学習効果というものがなかなか表れませんね。何度も何度も同じカルマを繰り返していて、ちっとも懲りない。いったいこれはなぜなのでしょうねぇ? あなたはどう思いますか? 一つは、いま言った「軍産複合体」による世界支配の構造というものを、人々が知らないためです。報道機関そのものが軍産側のプロパガンダ機関ですし、学校教育も然りですから、一般市民は全くの無知に留め置かれているのです。

 

でも、仮にその構造を多くの人が知ったとして、それで地上から戦争が消えるでしょうか? この世から戦争がなくならない本質的な理由は、実はもっと別のところにあります。それは、人々の「心」の問題なのです。たとえ一握りの戦争屋が、次の戦争を計画したとしても、それに乗る人々が一人もいなかったとしたら、戦争にはなりません。第三次世界大戦は防げるのです。

 

ところが、国家指導者が「戦争しかない!」と言うと、「いいね!」ボタンを押す人がたくさん出て来てしまうのです。911後のジョージ・ブッシュの演説を受けて、アメリカ人の多くが、テロとの戦いに「いいね!」ボタンを押したのをあなたも目撃したでしょう。人間には、そういう面があるのです。

 

現実というものは、つまるところ、その時々の人間心理の反映なのです。一人の周囲に起きている現実は、その人の心理がそれを創造しているのであり、同じように集団の集合意識が、世界の現実を想像しているのです。この関係は、全くの相似形です。一人の人間の中に眠っている闘争意識と、世界大戦における闘争とは、実は同じ理由に起因しているのです。小さいか、大きいか、一人のものか、集合意識か、の違いだけです。

 

ですから、戦争屋やその代理人が発する「防衛意識」や「愛国意識」の言葉に、自分の中にもある闘争意識、防衛意識、分離意識を刺激されて「そうだ!」と同調した人たちは、簡単にそこに乗っかってしまう。しかもこのギスギスした世の中で、ゾンビをぶち殺すことに快感を覚えるように飼育された子どもたちが大量に生産されているのです。こうした個々の闘争意識が集合して臨界点を超えれば、人々の望み通りに現実は「戦争」を創ります。

 

実に、ここに気づかない限り、地球から戦争は無くなりません。戦争屋と、その代理人である権力者は、人々をつねに戦争へと駆り立てます。権力者がそうするのは、危機や、防衛意識、愛国意識を煽ることが政権への求心力になるからです。それによって政権基盤が維持されますし、軍産からは裏金の報酬が得られるのです。戦争屋代理人は、口では「愛国」を唱えますが、国民を奴隷や家畜としてしか見ていないのです。

 

ペンタゴン・ペーパーズ』(原題:The Post)という映画はご覧になられましたか? アメリカがベトナム戦争の泥沼に入り込んでいた1960年代。国防長官だったロバート・マクナマラが、軍の形勢が悪いのを知りながら、これを隠して国民に嘘の戦況報告をしていた。映画はその機密文書の暴露を巡る攻防を描いたものです。

 

この中で、マクナマラがなぜ国民に嘘をついていたのか、ということが問われるのですが、その答えは、なんと「グレート・アメリカが負けるわけにいかない」という、ただのメンツだったのです。まるで、太平洋戦争中の大本営のようですが、この映画が訴えかけているのは、「そんなメンツのために、多くの若者を戦場に送って死なせたのか」という理不尽さに対する怒りです。

 

そして、このような戦争屋の基本体質は、今もってまったく変わってはいないのです。しかしアメリカには、「腐っても鯛」でまだ報道の自由というものがある。でも今の日本には、報道の自由はおろか、司法の公正さも、役人の遵法意識も何もありません。すべてが闇の支配者の言いなりという、まさに暗黒の政治状況が展開されているのです。

 

こうしたちょっとした角度変更が積み重なると、気がついた時には、もう元に戻せないほどのターンが行われているのです。ここで、日本人特有の性質が一役買うことになります。それは「空気」を読むということ。これは、権力者にとっては大変便利な仕組みで、集団をある方向にドドドーッと向かわせやすい一方で、いざコトが失敗した場合には、「あの時の空気には逆らえなかった」と、全部を「空気」の責任にしてしまえるのです。

 

事実そうやって、太平洋戦争時の戦争指導者たちの多くは、戦後になると言い逃れをして保身を図りました。極東国際軍事裁判で処刑された者や自決した者を除いて、生き残った指導者たちは、その後国内法で裁かれることもなしに、中にはCIAのエージェントとなることで政財界や学界に返り咲いた人物もいたのです。

 

その人物たちは、戦後の日本をアメリカの植民地奴隷国家にする密約をアメリカと結んで、その取り引きを条件に、その後の地盤を固めて行ったのです。こうしたことも、日本人の大多数は何も知りません。権力を志向する者というのは、自分よりも強い者にはおもねり、弱い者に対しては強圧的に振る舞うというメンタリティーを本質的に有しているのです。なぜなら、それが彼らのアイデンティティを支えるスケール(物差し)になっているからです。

 

さて、そこでです。なぜ地上から戦争が無くならないのか、ということの理由はいま言った通りなのですが、今日はみなさんに、もう一歩先の意味を考えていただきたいのです。そこで、あなたに質問をいたしましょう。一人の戦争指導者がいて、その人物の命令の結果、数百万人の命が失われたとします。では、その人物であった「魂」は、その後にどのよう運命をたどるとお思いですか? どのようなことを経験していくことになるとお思いでしょうか?

 

それほど大量の人命を奪うようなことをしたのだから、きっと、さぞかし大きな罰を受けることになるだろう。そう、あなたは思いますか? ところが、そうではないのです。この戦争指導者は、作戦司令室で、葉巻をくゆらせながら、さながらチェス・ゲームのようなものをやっていただけなのです。前線での殺し合いには参加していません。実際に前線に出て、殺し合いをしているのは、その命令で動いていた若者たちなのです。

 

つまり、自分を信じずに、誰かの命令に従って行動してしまう人間、言い換えれば自分をロボットにしてしまえる人間が、実際の殺し合いをしているのです。そして、死んだり傷ついたり、のちにPTSDになったりしている。ここに注目してください。あなたがもし神だったとするならば、ただチェスに興じていた者と、血みどろの殺し合いをしていた者とを、どのように見て、その「魂」をどのように指導してあげるでしょうか?

 

‥‥‥‥

 

「そんな馬鹿な! そんな理不尽なことがあるかい」と思うでしょう。

到底、納得がいかないでしょう。

でも、前に言ったことを思い出しみてください。

宇宙には、罪も罰もないのですよ。

ただ、カルマの法則だけがある。

自分で蒔いた種は、自分で刈り取らなければならない、という。

 

ですから、命令に従っただけとはいえ、人殺しをした人は、いずれは、やはりそのカルマを清算しなければなりません。けれども、頂点にいたところの戦争指導者が影響力を行使していたのは、自分の周囲にいた側近たちだけなのです。ですから、この戦争指導者は、周囲の者たちを操ったというカルマを、いずれは清算しなければならなくなるでしょう。

 

しかし、戦争全体がどうして起きたかと言えば、そこに参加した者たちの、各人の行動の集合が、そのようなものを創り上げたということなのです。

参考:人類支配の構造と、支配からの脱却

 

*お時間のある方は、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画『華氏911』をぜひご覧になってください。戦争が持つこの構造が、とてもよく解ることと思います。

 

これが、「戦争」というものの、真に恐ろしい側面なのです。ヒトラーのようなある一人の極悪非道の戦争指導者がいて、その人間が、これから世界大戦の災いと、人類滅亡の危機をもたらすかも知れない、とあなた方は思っておられるかも知れません。結果としてそのように見えたとしても、決して、そうではないということなのです。一人では、絶対に戦争は起こせないのです。みんなの協力があって、初めて「戦争」という現実が、この世界に創造できるのです。

 

この点を、はたして人類が理解できるかどうかが、第三次世界大戦を回避できるかどうかのキモです。一人ひとりが、自分の中に眠る闘争意識を、ただ無分別に暴れさせるのではなく、「人間にとっての幸福とは何か」と、改めて思いを馳せてみればいいのです。その人の思いが、現実を創造する。これは真実です。あなたが心配をすれば心配が創造され、友愛や平和や幸福な世界を想像すれば、それらが創造されるのです。

 

戦争屋や権力者の文言に引っ掛かってはなりません。引っ掛かってバカを見るのは、結局あなた方なのです。彼らは、気まぐれなチェスをしているだけです。駒がどうなろうと大して気にはしません。霊的に言えば、まだその段階にある「魂」なのだということです。あなた方が、人類はみな兄弟、自分と他者は同じもの、ということを学習するために、もう一度「世界大戦」の悲惨さを味わう必要は、いささか足りともないのです。

 

もっと成長しなさい。もう戦争は充分したではありませんか。原爆だって、原発事故だって経験したではありませんか。それらが、あなたたちに幸福をもたらしましたか? 語らずとも解り切ったことです。この愚かさの輪廻をもう止めるのです。人類のカルマから脱出するのです。今がチャンスです。それには、あなたが先ず、率先して行動すること。周囲に愛を与えなさい。そして異質なものからは学びなさい。

 

そうすれば、あなたの周囲には、愛と平和の世界が創造されるのです。

 

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●アイゼンハワーの退任演説からの抜粋

 

*「軍産複合体」に対する警告を語った後に、アイゼンハワーは次のような対抗案を語っています。残念ながら、ここで語られた理想社会というものはその後実現されず、ますます軍産の思惑通りに世界が動き、人類はいよいよ破局へと向かっていることがお解りいただけるでしょう。

 

これからも続くであろう長きにわたる歴史の中で、アメリカは、わたしたちのこの世界がますます小さくなっていきながら、とてつもない恐怖と憎悪に満ちたコミュニティとなることを避けねばなりません。そうではなく、相互に信頼と尊厳をもつことができる誇りある連合体にしなければいけません。そのような連合体では、人々はみな平等であるに違いありません。(中略)

 

世界中のすべての人々へ、わたしはもう一度、アメリカの祈りと切なる願いを申し上げます。わたしたちは祈ります。あらゆる信仰、あらゆる人種、あらゆる国家の人々が、満たされんことを。今は苦難にさらされている人々が、歓喜に満たされんことを。自由を渇望している全ての人々に、祝福があらんことを。

 

自由を得た人は、同時にそれを引き受けるという重大な責務を理解するでしょう。困難に陥った人々がいることに鈍感な人はみな、慈善活動を通じて理解するでしょう。貧困や病気、無知などの徴候は地球上から消え失せるでしょう。そうなった時には、尊敬と愛との固い絆によって保障された平和のもとに、すべての人々が一緒に暮らせるようになるでしょう。

ポスト資本主義、ポスト宗教、ポスト・ポストアトランティス期

資本主義の崩壊が近づいています。信頼できる分析家の多くがその警告を発しています。米ドルの覇権の終わりについては、20年も前から繰り返し言われて来ました。ですが、一向にそれが現実化せぬまま今日に至ります。専門家はあれやこれやと理屈を説明しますが、要はモルヒネを打ち続けて延命を図って来たということです。その結果、資本主義そのものが、今や巨額な粉飾で膨らんだ風船のようになってしまっているのです。

 

風船は、どこまでも膨らませられるというわけには行きません。ほどほどのところで息を吹き込むのを止めればよいのですが、吹き続けていればいつかはパーンと破裂します。それが、無理に延命を図って来た分、より大きく膨らませて来た分、次の崩壊は、かつてない凄まじい破裂音となって鳴り響くだろうと予測されているのです。

 

今、冷静になって世の中を眺めて見ますと、非常におかしな現象がたくさん起きていることが判ります。片方に貧困世帯の増加という問題がありながら、投資熱は盛んでずっと株高が続いています。職を探しても正規雇用にはなかなかありつけないというのに、もう片方では人手不足だと言っています。環境問題が深刻な気候変動を惹き起こす事態にまでなっているというのに、資源開発という地球破壊は止みません。

 

こうした矛盾点は、数え挙げたらきりがありません。これらはみな、資本主義を延命させたいという無理が、無理に無理を重ねた結果、現実との著しい乖離を引き起こしているということの表れなのです。言ってみれば、激震前の予震のようなものです。それでも気づこうとしないのですから、地球人というものは、いやはや‥‥。

 

政治をあずかる者、経済をあずかる者に、もはや全体を俯瞰して見るだけの余裕がないのです。乖離が大き過ぎて、全体を見ようとしたら、股裂き状態になってしまう。そこで、自分たちが歩んで来た路線をゴリ押しするしか、もう手段が無くなっているのです。

 

「これからはグローバル経済だ、新自由主義だ」と言い始めていた95年から2000年代初頭にかけては、乖離はまだそれほど目立たず、資本主義の枠内にそれを吸収できました。ところが、今やあらゆるところで矛盾が吹き出し、市民生活を目に見える形で脅かすまでになりました。世界中が、そういう悪くなる一方の現実を直視するのか、それとも、これまで通りに権力者の言葉を信じ続けるのか、というせめぎ合い段階に至っているのです。

 

欧米では反グローバリズムの大きなうねりが起き、既成政党によるこれまでの政治を市民運動が揺さぶるまでになっています。日本は島国であり、世界情勢に関する情報にうといことや、政治的無関心が広く蔓延しているために、こうした事態はまだ起きていません。がしかし、日本でも、人類の支配構造の真の姿というものに気づき出した人たちが、ここへ来て随分と増えて来ました。

 

私がこのブログを書き始めた頃は、闇の支配者を「欧米の二つの貴族」といった言い方でボヤかして書いていました。ですが、今やこれらの名前が、ネット上で大っぴらに語られるまでになりました。この間の変化にはもの凄いものがあります。私がボヤかして書いていたのは、それがまだ市民権を得ていないということもありましたが、それよりも「暴く」という視点に意識を傾注したくなかったからでした。

 

「知る」と「暴く」とでは、近いようでいて、意識の置き方がかなり違うと思います。「暴く」というと、どうしても、やっつけてやろう、とっちめてやろうという思いがそこに付け加わってしまうのではないでしょうか。「○○の正体」といった言い回しも、ネット上でよく見かけます。そうしたものは一見、正義や善のように見えますが、本質を問えば、所詮は同列なのです。

 

闇のグループの存在や、企てを、世の人々に知らせたいとの熱意は解りますし意義もあることです。でも、方法論が間違っているのではないでしょうか。北風で外套を吹き飛ばすことは出来ないのです。やはり、暖かな日の光を当てることがいちばんです。ピューピュー北風を吹き散らしたら、その風に触れた人たちはみんな凍ってしまいますよ。そしたら、見事、闇の手先を果たしたことになる。「おう、よしよし。よくやった!」ってね。

 

あのね、あなたたちが思っている以上に、闇は狡猾なんですよ。遥かに頭がいいんです。人の心理を操ることなんて朝飯前。だから、「正義」はダメだと、何度も言って来たのです。彼らは、そこを巧みに利用して来る。「正義」を掲げた途端、その人は「光」から遠ざかってしまいます。そして、「闘争」という闇の領域に引っ張り込まれるのです。

 

彼らのことをサタニスト(悪魔崇拝主義者)の狂人と呼ぶ人がいますが、そうじゃないのです。それはやはり、この世的な見方の域を出ていません。闇の奥には、確かに魔がある。ですが、闇が魔を崇拝しているのではないのですよ。逆です。魔はれっきとした実体ある存在で、魔が闇を操っているのです。まっさか⁉ そう、そのマサカ(この場合は「魔逆」)です。

 

これで、魔→闇→影→裏→表へと、指令が一直線に伝わる。これが黒ルートのハイアラーキ(ヒエラルキー)です。では「魔」とは何か? そのような想念エネルギーを持った霊的存在、それが「魔」です。あなた方はどうしても物質世界をベースに物事を考えてしまいますが、一度、物を全部外して、物質は無いものと考えてみてください。そうすれば、魔→闇→影→裏→表が、同質の想念で一直線に繋がっている理由が解るでしょう。

 

物質界というのは、想念エネルギーが、振動数を下げて物質に実体化した世界なのです。そこに住む我々は、それが現実でありすべてだと思っています。でも、そうではないということです。昔から言われているように、現実だと思っているものが幻であり、幻だと思っているものが実は真実の世界だということ。これが解れば、「闇」に関する謎もすべて解けるのです。

 

大事なことは、闇を「暴く」ことではありません。そういう「人類支配の構造」を知り、ではどうしてそのような構造が出来上がってしまったのかという、人類に巣くっている根本原因を明らかにすることです。それでこそ、反省というものが起き、今までに経験した多くの悲劇を超えて、人類が、次の段階へと本当の進化を遂げることが出来るのです。

 

「人類支配の構造」は、大きく二つの面から成り立っています。一つはピラミッド構造(ヒエラルキー)です。ピラミッド構造であるがゆえに、ごく少数者によって全体が完全支配されてしまう。しかも、各階層に属する人々は、自分が属する階層のことしか知り得ません。その結果、全体の支配構造をよく知らないまま、今の状態を当然と思う洗脳支配が可能となっているのです。

 

もう一つは心理面です。ピラミッド構造を補強するために、より上位に居る者が偉いんだ、より優れているんだという思想を、あらゆる機会を通じて植え付けたのです。それによって、少しでも階層を上がりたいというモチベーションをエサに、社会のあらゆる面にこれを適用しました。その結果、人類の大多数は奴隷労働を当然のごとく強いられ、一部富者にのみ特権が与えられるようになったのです。

 

しかし、いま言った二つを、さらに遡って原因を探りますと、結局は、人類の創生に関連した「分離」と「合一」というアンビバレンツな問題に行き着くのです。人間という存在は、誰しもが、一つの「それ(=神)」から分かれた「魂」をベースにして、肉体を得て地上に誕生しました。そして、地上で様々な体験をすることで、霊性を成長させ、また元の「それ」へと帰還する旅を続けるています。

 

*アンビバレンツ(独:ambivalenz):相反する両極の気持ち

 

その時に、神から分かれたことによって、「自分は自由なんだ」という晴れ晴れした気持ちと、「一人じゃ寂しいよォ」という両極の気持ちのアンビバレンツが生じました。また、このアンビバレンツは、他者との関係において、自分以外の誰かを「愛することで、一緒になりたい」という欲求と、「支配することで、一緒になりたい」という欲求のアンビバレンツも育てることになったのです。

 

すると、「支配」から「愛」への両極の間に、段階的な「関係性」の在り方というものが生じます。すなわち、他者を暴力を使って支配したい → 隷属させて支配したい → 愛の名を語って実は支配したい → 条件付きで愛したい(情愛) → 無条件に愛したい(博愛)→ 完全なる奉仕の人となる、といった具合に。結局、この段階を体験学習していくことが、地球に生きる人間共通の、究極のテーマとなっているわけです。

 

*この最終段階を神秘学では「キリスト愛」と言っています。(キリスト教とは関係がありません)

 

さて、そのことが解りますと、今、権力者や闇の支配者となっているところの「魂」は、この「愛」の学習段階においては、未だ小学校にすら入学していない、幼稚園児の段階にあるのだということがお分かりでしょう。そのように、起きている現象そのものを見るのではなく(つまり巻き込まれることなく)、全体を俯瞰して見ることが大切です。あなた方は、保母さん保父さんの視点に立たなければならないのです。

 

彼らは、まだ「愛」ということへの、初歩の気づきすらもないのです。ですから、これを暴いてやろう、叩いてやろうなどとと思ってはいけません。そんなことをすれば、幼稚園児同士の喧嘩になってしまいます。人類の不幸は、そういう未熟な段階にある「魂」に、人類全体が支配される構造を創り、是認し続けて来たことです。その誤りに気づくことが、いま置かれた、人類全体の喫緊の課題なのです。

 

悪を為す人は、放っておいても、カルマの法則によって、いずれは自分がその報いを受けます。そうなる前に、少しでも早く気づいて貰えるように、愛の波動を送ってあげるというのが、保母さん保父さんの視点ではないでしょうか。闘争心を燃やせば、その波動が周囲に広がってしまいます。あなたが先ず「愛の人」になって、温かな波動を周囲に出していただきたいのです。

 

ではなぜ、そんな逆転のような支配構造が、人類の上に成立できたのでしょうか? それは、一人ひとりの中に眠る「分離」意識のかけら、つまりエゴの部分が支配者たちによってくすぐられ、これを道具に、人々がコントロールされてしまっているからです。みなさんは、ここに気づかなくてはなりません。自分自身の不徳に。騙される下心があるから、騙す人が成り立っているということを。

 

見てごらんなさい。今や支配者は、お金と地位をチラつかせ、闘争を煽ることでしか、取り巻きを信じ込ませられなくなって来ているのが分かりますか? 完全な末期症状です。それでしか人心を繋ぎ留められないから、そうしているのです。これらは強力な接着剤に見えて、実はとても脆弱なんですよ。もしそれらが無くなれば、たちまち逃亡と責任のなすり付け合いが始まりますから。本当に強い人というのは、純粋さと愛だけで人を惹きつける人です。

 

資本主義というものは、今の社会の根底を為しているものだけに、その崩壊は全世界に計り知れない打撃をもたらすことでしょう。しかしその過程で、お金や、銀行や、株や、民主主義や、医療制度や、教育や、マスコミや、戦争や、政府や、裁判所や、政治家や、有識者や、多国籍企業や、国際機関など、今まで信じて疑わなかったものが、実はことごとく茶番劇に過ぎなかったことに気づくことになります。そして、少しだけ目覚める。

 

そのプレリュード(序曲)が、すでにあちこちから聴こえていますよ。今はまだ、社会の表しか知らない人、裏まで知った人、裏の裏の影まで知った人、影の奥の闇まで知った人と、大変な温度差があり、ちっとも話が噛み合わないという状態です。ですが、資本主義の崩壊は、どの人の上にも例外なくやって来ます。さて、そこからです。重要なのは。

 

ポスト資本主義(資本主義後)の社会を、どう形づくっていくかということが、その後の人類の命運を左右することになるのです。これは、改築や増築では済まされませんよ。土台を全部ぶっ壊して、ひっくり返して、一から建て直さなければならない大変革事業となるのですよ。

 

例を挙げましょう。いまビットコイン(仮想通貨)なるものが登場して市場を賑わわせています。これは、果たして今までの「お金」を変革するものになって行くのでしょうか? なりません。ビットコインが既に投機商品になっているのを見れば明らかです。これでは、物珍しい投機市場が新たに出来たというだけであって、「お金」に対する考え方自体はまったく変わっていません。

 

ポスト資本主義に求められる変革とは、このようなものではないのです。「お金」とは何なのか、というところに立ち返って、まったく新たな仕組みが再構築されなければならないのです。

 

「お金」は単なる道具です。経済を円滑にするための仲介品です。ところが、「お金」に利息が付いたり、「お金」が「お金」を生む仕組みを作ったり、「お金」を発行する権限が私企業に独占されていたりするところから、「お金」がモンスターに化け、この仕組みを握った者たちが世界を支配し、大多数の人々が「お金」の奴隷にされてしまった。しかも、それが当然と思わされて来たのです。

 

「お金」が、全世界を牛耳っていますから、結局は、政治も、医療も、マスコミも、教育も、その他諸々が、全部この論理の下で動いている。この、諸悪の根源にある考え方と仕組みを、全部ぶっ壊してチャラにして、人々がみな仲よく、安心して、幸せに過ごせるにはどういう社会であればいいのかというところから、人類は再出発しなければならないのです。

 

奪い合う経済から、分かち合う、支え合う経済への根本的な転換です。

 

そうすれば、政治は苦しむ人を出さない、困っている人は助ける、そしてみんなが安心して暮らせる社会づくりを目指すようになるでしょう。医療は患者を作り出す医療から、救ける医療になるでしょう。また教育は、それぞれの人の個性を尊び、伸ばして活躍できるようにしてあげる恭育になることでしょう。

 

そのようにして、他者のために役立つことが自分の本当の喜びであり、真の幸福であるということに、人類は気がつくようになるでしょう。

 

なぜ、このような大変革が、これから必要とされている(予定されている)のか、なぜ小手先の変化ではもう済まされないのかと言いますと、これから来る資本主義崩壊のタイミングと、ポスト・ポストアトランティス期の始まりとが重なっているからです。重なっているというよりも、そうなることが必然だったと申し上げた方がよいでしょう。

 

現在の大西洋(Atlantic Ocean)上にあったアトランティス大陸は、数度の水没を経て、今から約1万2,000年前に完全に姿を消しました。それからの1万2,000年間が、ポストアトランティス期だったのです。そのポストアトランティス期の終盤に、今いよいよ差し掛かって、世界はアトランティス時代のカルマを再び体現しようとしています。

 

アトランティス時代の終盤には、一部特権階級のエゴと堕落、科学技術の発達のし過ぎから来る自然界との遊離と、大衆の無気力が、社会全体を覆い尽くしていました。今の状況は、それとそっくりです。そして益々酷くなる。これは、知ってか知らずか、アトランティスを滅亡に導いた「魂」が現代に多数生まれ変わり、同じ欲望を抱いて活動し、これに大衆を巻き込んでいるためです。

 

ですから、このカルマの清算が、今まさに行われつつあります。カルマの清算というものは、ある日突然訪れるというものではなく、幅を持って徐々に進行して行きます。しかし、宇宙の永遠からすればそれは一瞬の出来事。人類は、このカルマの清算を終えて、次の時代、つまりポスト・ポストアトランティス期に移行します。これが、『ヨハネの黙示録』で言われるところのニュー・エルサレムです。

 

それともう一つ。今という時期は、過去2,600年間続いた「宗教の時代」が終わりを迎えようとしている時期でもあるのです。宗教は本来、物質世界を超えた霊的世界に真理があることを人々に伝えようとして興ったものでした。しかし、組織宗教が幅を利かせるようになると、それぞれがみな勝手な救済理論や天国についての物語を説き始め、自分たち以外は邪宗・邪教と言って互いに攻撃し合うようになったのです。

 

それがどれほどおかしなことであるか、どれほど“宗教的”ではないか、少し距離を置いてみればすぐに解ることです。それなのに、組織宗教の内部にいる人たちにはそれが解りません。それが宗教の恐いところです。宇宙は一つ、真理は一つなのです。真理が二つも三つもある筈がありません。どんな人にも普遍性を持ったものしか「真理」ではあり得ないことは、自明ではないでしょうか。

 

よって「真理」は、宗教になる必要などいささかもないのです。「真理」は「真理」なのです。どこにでも普遍的に存在し、揺るぎない法であるがゆえに、誰が何と言おうが、それは「真理」であり続けるのです。来たるニュー・エルサレムの時代には、人類は、この点にも目覚めることになります。そうなれば、全部の「魂」が、共通の基盤に立っていることが解るので、本当の愛、キリスト愛に目覚めることになるのです。

 

お解りいただけたでしょうか。いま書いたシナリオは、霊的世界ではすでに実現していることです。あとは、地上でのみなさんの奮闘を願うばかりです。いま世の中で起きていること、そしてこれから起こることを、どうか宇宙的な視点で見てください。そして、この大変換期をジャンピングボードにして、あなたの使命達成に向けて邁進してください。

 

天はいつもあなたを見守り、あなたの活躍を応援していますよ。

人類支配の構造と、支配からの脱却

地球の未来は、今ある人々の意識の転換に掛かっています。今ある人々が、次代の社会基盤と環境を創り上げるのであり、次世代の人々の価値観や行動パターンをも左右してゆくのです。今ある我々も、前の世代が創り上げたそれらの影響を多分に受けて今あるのです。けれども、人々は、目の前の瑣末な変化のことに忙しく、かつ自分のことだけで精一杯なために、こうした長期的な視野にはなかなか立てません。

 

ところが、超長期的な視野に立って、人類の行く末を考え、実現に向けて代々行動し続けて来た少数の人たちがいるのです。それが「闇の支配者」です。「えっ、闇の支配者? 何それ?」と、初めて聞く人は、きっと思われるでしょう。ジョージ・アダムスキーは、彼らをシャドウ・グループと呼んでいました。皮肉なことに、人類の未来を真剣に考えて来た人たちは、地上においては、支配者が優勢だったのです。

 

このブログでは、しばしば洗脳とか、奴隷というちょっと過激な言葉を使っています。違和感を持たれる方もいらっしゃるでしょうし、冗談のように受け取っておられる方もいらっしゃるかも知れません。けれども、洗脳状態にある時には、人はそれが洗脳だとは気づかないものです。また、現代の奴隷制度は、かつてのような分かり易さを見せません。民主主義の名のもとに構築され、人々が、自ら進んで奴隷になるように仕立てられているのです。

 

支配の構造が見えにくいのは、一つにはそれが多段階になっていて、自分の所属領域以外の上下のことが分かりにくいということがあります。これに加え、この多段階構造が、社会システムとして是認されている。人々から当然視されていて、もはや誰も疑問に思わない、という面があるのです。つまり、社会システム自体が、巨大な「洗脳」システムを構成しているのです。

 

政府は国民を統率して当然。中央銀行は金融を操作して当然。経団連は経済界を仕切って当然。資本家は企業を売買して当然。メディアはニュースを流して当然。学校は生徒を教育して当然。医者が薬を出すのは当然。貧乏よりはお金持ちの方がよいのは当然。人間に優劣があるのは当然。と、みな思い込んでいる。思い込まされているとはよもや気がつきません。

 

そして宗教までもが、教祖、教主を頂点にピラミッド構造を作り、信者を支配しているのです。スピリチュアル業界だって、資格制度や家元制度を作り、高額の受講料の見返りにありがたい何かをお授けするといったことをやっている。これらの一体どこに、「魂」の平等があると言うのでしょうか? 神の下での、普遍的「自由」があると言うのでしょうか?

 

みんな、自ら進んで、束縛され、池に飛び込むように、支配される構造に飛び込んで行っている。そして、そのことに全く気がついていない。これが、実に、地球人が背負っている不幸の、大本なのです。自分で自分を、また自分たちで自分たちを、不幸に追い込んでいるということにちっとも気づかない。そこで、何度も何度も、同じカルマをグルグルと廻り続けているわけです。

 

だから、言うのです。地球の未来は、今ある人々の、意識の転換に掛かっていると。目覚めるのか、目覚めないのか。さあ、どっちに行くのだ。地球人は、もう一度、水没することを選ぶのか。

 

支配の構造が見えにくいのには、もう一つ理由があります。表の世界が多段階構造になっているだけではなく、その裏に隠れた世界もまた、多段階になっているのです。あなたがもし、マスコミのニュースを全面的に信じているとしたら、この構造は絶対に見えません。日本人の8割は未だマスコミを信じていますが、マスコが流すニュースなど、支配層による集団催眠ツールに過ぎません。

 

では、マスコミの中にいる人たちはそのことを解っているのでしょうか。中には解っている人もいるでしょうが、大多数の人たちは、全体構造を知らずに、それが自分の役割だと信じてやっているのです。自分の所属領域以外の構造は知らないのです。同様に、銀行に務める人も、病院に務める人も、学校に務める人も、自分がやっていることが正しいことだと思ってみなやっているのです。

 

けれども、マスコミが流しているニュースの裏には、大多数の人が知らない、隠れた世界というものがあるのです。しかもこの裏は、一段階では終わりません。裏の裏に影があり、影の奥に闇がある。そして闇のさらに奥には、魔があるのです。つまり、表←裏←影←闇←魔、という多段階の支配構造になっていて、最後は霊界にまで繋がっているのです。

 

スピリチュアルなことに関心のある方なら、ハイアラーキという言葉をお聞きになったことがあるでしょう。これは霊的な高所のことを指しています。このハイアラーキとヒエラルキー(ヒエラルヒー)とは同じ意味なのです。前者が英語、後者がドイツ語です。ヒエラルキー(ピラミッド構造)というのは、結局、霊界の階層構造を(宗教が先ず真似をして)地上にも当て嵌め、広がっていった構造なのです。

 

そしてこれも、表の世界と同様、表しか知らない人、裏も知っている人、影まで知っている人、闇まで知っている人、と段々少なくなっていき、魔まで知っている人となると、もう殆どいない。皆無に近い。すると、どういうことが起こるでしょうか。表しか知らない人にとっては、影の話は眉唾ものに見え、闇の話はトンデモ話に聞こえ、魔の話をしたら狂人扱いされてしまうことでしょう。

 

今、地球の転換期に際して、宇宙から強い光が当たるようになって来たことによって、今まで隠されていた影や闇が、表にどんどん炙り出されて来ています。そのため、これを語る人が多くなって来ています。しかし、それを語る人も、各階層の領域内で知っているものを語っているので、聞かされる方としては、多層階の断片的な情報をパッチワークしているような混乱した状態にあります。

 

こうした、今まで知らなかった支配の構造について知識を得ることは、強力な洗脳下にある現在の支配状況から脱出する糸口にはなります。このような情報は、今後もますます増え続けるでしょう。けれども、みなさんにお願いしたいのは、そこにあまり夢中にならないで頂きたいということです。

 

重要なのは、そこを暴くことではありません。ましてや影や闇の勢力に対して、報復をすることでもありません。一体どうして、人類がごく少数の者に支配されてしまうのか、という点です。そこに気づきがなければ、地球人としての進歩はありませんし、この構造はこれからも変わらずにずっと続くことになります。

 

大多数のみなさんは、「波動」というものを知覚できません。「波動」が何かということをきちんと説明しようとすると長くなってしまうので、ここではひとまず「思念」のエネルギーだと捉えてください。思いというものは、目には見えませんが塊りを創るのです。この思念エネルギーは、人からも、言葉からも、書かれたものからも、作られた物からも出ています。

 

敏感な人は、それをキャッチすることが出来ます。これは、生来、敏感な人もおられますが、訓練によって高めることが可能です。その時に、いわゆる「低い波動」というものは、ある種の気持ち悪さや、吐き気や、居たたまれなさ、肌を突き刺すような感じ、痛みなどとして知覚されます。ですから、波動が分かる人の前で「嘘」をつくことは出来ません。全部、見抜かれてしまいます。

 

*そのことを知らずに、人間恐怖症に陥った、自分は病気だ、社会不適合者、劣等者、無能者だと思い込んで(また周囲からもそういうレッテルを貼られて)悩んでいる魂がたくさんいます。かつての私がそうでした。人間社会は粗雑な波動で満ち溢れているので、それらをやり過ごす術を身につけるまでは、なかなか大変です。困っている方は相談してください。

 

さて、そうした時に、闇の支配者の存在を暴こうとして頑張っている人たちの多くからは、残念なことに、非常に「低い波動」が出ているのです。その理由は、この方たちが激しい「闘争心」を燃やしていることにあります。実に、ここが大切な点です。恨みや闘争心は、最も低い波動を出します。ですから、「闇」に対抗しようとして「正義」の戦いを主張していることが、逆に「魔」の格好の餌食になってしまっているということなのです。

 

霊能を自称する人たちの中には、アシュタール・コマンドとか、銀河連邦の名を持ち出して、白対黒、善が悪を叩くという図式を強調する人たちがおられます。ですが、高次元の存在たちが、地上の人間に対して、このような闘争を持ちかけて来ることは絶対にありません。なぜなら、その元は、一者ですから。一者であるということをよ〜く知っていますから。すべては一つなのです。

 

なにゆえ、自分で自分に脅威を煽る必要があるでしょう? なにゆえ、自分で自分を引っ叩かせる必要があるでしょう? このような馬鹿げた話を持ち出すのは、低次元の「魔」の存在の仕業だということに気づいてください。そのようなものに引っ掛からないように。光あるところ影あり、影あるところ必ず光あり。両者はつねにセットなのです。互いがあるからこそ、互いを認識できるのです。

 

ここで、北風と太陽の寓話を思い出してください。「闇」に、「闘争心」という「闇」をぶつければ、「闇」を太らせるだけなのです。「闇」を溶かすことが出来るのは、「光」しかありません。「光」を当てれば「闇」は消えるのです。この理屈を解ってください。人類が、これから乗り越えなければならない進化は、その点です。闘争で、闘争に終止符を打つことは出来ません。終わらせられるのは「愛」だけなのです。

 

実にここが、(簡単なことではあるのですが)人類にとっては大いなる飛躍です。今まで、何万年かかっても、どうしても成し得なかったのですからね。支配の階層構造という面だけではなく、人間は、もっと心理面のメカニズムに眼を向けるべきです。むしろ、こらに注目した方が、大ジャンプが果たせます。いくら階層構造に踏み込んで行っても、ラビリンスに迷い込んでしまいかねませんから。

 

なぜ、支配者が存在するのか? それは、彼らなりの One World への希求なのです。One World ですから、驚くなかれ Oneness への帰還という「魂」の基本欲求に沿っているのです。ところが、その為の方策が真反対を行こうとしているところが違う。多様性の認め合いによる Oneness ではなく、一部選民がゴイム(被支配者)を平定する Oneness を思い描き、愛による統合ではなく、支配による統合を目指す。

 

それは、その奥を覗けば、実に単純な話なのですが、「魂」の個別化、つまり一者から「分離」したことを、「愛」の学習のため(再統合)と捉えるのか、それとも、我ら選民による「支配」をすべき(分離意識の自己満足を追求する)と捉えるかの違いなのです。ですから、この支配構造というものが、表、裏、影、闇、魔と、霊界にまで一直線でつながっているというわけなのです。

 

さてここで、「支配者」のつもりになってみてください。あなたに操られる人たちが、もしも一人も居なかったとしたら、つまり全員がそっぽを向いてしまったとしたら、あなたはどんな気がするでしょうか? 幼稚園で、あなたは他の子たち全員を従えたい。でも誰も見向きもしてくれないとなったら、きっと、寂しい思いをするのではないでしょうか?

 

つまり、支配者だって、自分という存在に対するよき理解者を求めているのです。その理解者とは誰なのか。自分に操られてくれる人です。ですから、「支配」という構造を、心理面から逆に見ますと、「操られる心」「操られたい心」が、「支配」を創り出しているのだということが判るのです。この点で、支配者と被支配者は、持ちつ持たれつの関係を演じているのです。

 

人類が、今、気がつかなければならない点はそこです。先の大戦でも、戦後になってから、国に騙されたと言う人は多かったのです。けれども、操られる心理が多段階に構成されることによって、全体の「支配」構造が成り立っていたという点に注目してください。操られる者を操っている者も、その上から操られているのです。そしてその者も、また上から操られている。

 

こうした結果、悲劇が、いつもそのヒエラルキーの下部にいる者たちに集中するのです。ヒエラルキーの最頂部付近にいる人たちは、自ら戦場に行ったりはしません。自分で銃を持って戦ったりもしません。人々を操っているだけです。この多段階構造は、責任の所在を曖昧にする効果をも持ち、それゆえ最頂部にいる人たちは、形勢が悪くなると、最後は責任のなすり合いとなり、仲間割れを起こしてしまいます。

 

先の大戦後も、上層部で生き残った人たちの中には、米国の工作員にあっさり転向して、何食わぬ顔で政治経済の重鎮に収まった人が何人もいます。彼らは、脅威を煽り、防衛を訴え、盛んに「国家主義」を主張しますが、それらはみな人を操るための方便に過ぎません。そこに騙されてはいけません。本質は、どこまでもエゴにありますから、国民のことなど少しも考えてはいないのです。

 

ここで、繰り返しになりますが、だからと言って、そういう人たちに反撃を喰らわそうとしてはなりません。彼らもまた操られているのです。でも、あまりにもエゴが強過ぎて、そのことに気づく機会すら持てないのです。十字架に架けられたイエスが、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか、自分でもわからないのです。」と語った真意というのは、そこにあります。

 

それに、「闘争心」を燃やすことは、その人にとってもよくありません。顔つきが悪くなりますし、何よりその人の身体細胞を傷つけます。「あいつをやっつけろ!」という旗を立てて振り回せば、同じ思いの人々が惹かれて集まって来ます。すると、共鳴現象が生じて、その場の「闘争心」を高め合い、波動的には低め合い、身体細胞をますます傷つけて行くことになってしまうのです。

 

それよりも、なぜ、そのような人物を見抜けないのか。後になってから、騙されていたと言うのか。エゴの塊のような人物たちに、歴史上、大衆が何度も何度も操られ続けてしまうのか。という根本に眼を向けなければ、悲劇はこの先も無くなりませんし、人類の進歩もありません。

 

私たち一人ひとりの心の中には、誰にでも、「分離」意識と、「合一」意識が同居しています。ただ、その割合が違うというだけです。今ここで、「分離」意識を黒で、「合一」意識を白で表しましょう。支配欲に取り憑かれた人というのは、黒色が心の大部分を占めるに至っているのです。でも、真っ黒けということはありません。たとえ僅かでも、白部分は必ず残っています。

 

この限りなく真っ黒けに近い人物が、脅威や、国家主義や、防衛や、監視の必要性を訴えかけます。すると、同じように黒の割合の多い人たちが「そうだ、そうだ」と共鳴して、波動の法則によって惹き付けられるのです。このようにして「思念」の塊りが出来ると、白黒半々くらいの人たちの黒部分も刺激され、それを膨らませて行く人たちが出てきます。こうして、操られる方向性が決まるのです。

 

次の段階に入りますと、勢いを得た黒グループは、法律や社会システムを変えて、大衆操作へと突き進みます。すると、白の割合が多い人たちにまで効力が及ぶようになり、力づくでの支配体制がここに完成するのです。なぜ無意味な戦争が繰り返されるのか、なぜ無辜(むこ)の人を殺戮する悲劇が終わらないのか、といった根本問題は、複雑なように見えて、すべてはここに原因があるのです。

 

つまり、人々が、自分の中に潜在する「分離」意識を、誤用してしまった結果です。なぜ誤用してしまうのでしょうか? 無智だからです。宇宙の法則(真理)を知らないからです。愛に対する確信、平和というものへの確信がないからです。攻撃される恐怖が捨てられないからです。友愛、尊重、平等よりも、支配、差別、優越意識の方が気持ちがいい、と感じる人たちが地球にはまだまだ多いからです。

 

ですから、この心理操作に気づく人が増えて、容易には操られない人が多数を占めれば、支配の多重構造であるところの、裏、影、闇、魔と言うものの存在をたとえ知らなくても、人類は、永く続いた支配から脱却できるのです。そこで、あなたにはその先鞭となっていただきたいのです。こうして出会ったのも縁。あなたには、光への道を進む勇気を持って欲しい。

 

この道は楽ではありません。揶揄、嘲笑、蔑み、場合によっては、投獄や処刑までも覚悟しなければなりません。自分の中に未だ眠る、闘争意識も、被害者意識も、優越意識も、全部捨ててしまわなければ、光の道には入れない。「狭き門より入れ」とはこれです。しかしあなたは、ご自分の役割を誓って、この世に誕生して来られた筈です。今、それを思い出して欲しいのです。

 

あなたが、ご自分を高めて、光のバイブレーションを出せば、周囲はその影響を受けます。そのようにして影響を受けた人が、また自分の周囲を明るく変えます。そうやって、人類全体が変わる。支配の構造が終わる。その一人に、あなたにもなって欲しい。愛の宣士レインボーマンになっていただきたいのです。

「光」と「闇」の関係

日本では、小嘘つきであれば、国会議員や省庁の役人が務まります。その人に、もし大嘘つきの資質があれば、大臣や役所のトップにまで出世できる。でも総理大臣となると、これではまだ足りない。総理になるためには、“異次元” の嘘つきでなければなりません。小学生でも判るような嘘を「一点の曇りもない」と、なおも言い切るド根性と才能は大したもの。誠に余人をもって替えがたし。

 

本年度(平成30年4月)から、小学校で「特別の教科 道徳」というものがスタートしたそうです。その小学校で先ず教えるのは、公正、公平、社会正義だと言うのですから、いやはや。自分が教師だったとしたら、子どもたちにどう話せばいいのかな? 公正、公平、社会正義なんてぇものは絵に描いた餅なんだよと言えばいいのか、裏をかいた方が(徳じゃなくて)得だよと言えばいいのか?

 

「道」も「徳」も、共に人間完成を目指すうえでは大切なことです。でもそれは教えられない。本人が、自分の内に見出すしかないのです。我々に出来ることは、そのきっかけを与えてあげることだけ。もし「教え」ようとしたら、(誰かが発案した)特定の価値観を押し付けることになってしまいます。そんなものは不要、どころか有害ですらある。今の政治に、全く道徳心がないのを見れば、それは明らかではありませんか。

 

道徳教育の必要性を叫ぶ、この上なく不道徳な人たち。愛国心の必要性を叫び、隣人愛は持たない人たち。彼らにとっては、それが公正であり、公平であり、社会正義なのです。人は、その時、自分が理解できる以上のものを受け取ったり、また表出したりすることは出来ません。ですから(「正しい」という仮面をつけた)倫理、道徳、正義の押し付けは、極めて危険なのです。

 

すべては「道」です。終点に至るまでの途中なのです。人と接する時には(それが幼い子であっても)、常に、自分は未だ「道」半ばとの自覚を持って接しなければなりません。誰かが誰かに教えたり、誰かが誰かから教わったりという一方通行はないのです。必ず、互いに学びがある。そして、学ぶのはあなた自身。そこに積極的な価値を見出して、自分を統御していくことが大切です。

 

不正は、当然ながら褒められたものではありません。しかし、今のようにあからさまに出てきていることには、やはり意味があります。よく、政治家の「劣化」とか、官僚の「劣化」ということが言われているのですが、それは「昔はよかった」というノスタルジー的願望から出て来ているもので、昔も今も大して変わりがありません。韓国宮廷ドラマを観れば、よく解るのじゃありませんか?

 

それは「劣化」ではなく、今までなら隠されて来たことに光が当たって、よく見えるようになったというだけのことです。そのことで、みなさんは学習の機会を与えられているのです。「権力者というのは、なんだ、こういう人たちだったのか」に始まり、「権力構造というものは、なんと歪(いびつ)なんだろう」、そして「社会にとって、どういう統治機構が理想なのだろうか」まで。

 

そこまで、一気に来ているのです。選挙制度がどうとか、最高権力者の首をすげ替えたらどうとか、そんなことは今までの延長上の話です。確かに、当面はそういうことでしか進まないのかも知れません。しかし大河の流れは、奥底でもっと大きな変化を示しているのです。そこに気づくというか、そのことを感じながら、今の世の中の動きを見て、自分の中に受け止めていくことが大切です。

 

ニュースは日々、あれがこうなった、今度はこうなりそうだと語ります。でも、大河に浮かぶ木の葉が、右に振れた左に触れた、いや今度はひっくり返ったと言っても、要するに、最後はみんな大河に押し流されていってしまうのです。ですから、長い長い目で見てください。視点を離して、宇宙にまで上げて、大局的に地上を見てください。人々が、一喜一憂しながら蠢く様を見てください。

 

権力者が、なにゆえに必要以上の金を欲するのか。権力者が、なにゆえに「敵」と見なした者を憎むのか。権力者が、なにゆえに一般の民衆を蔑むのか。権力者が、なにゆえに保身のために嘘をつくのか。権力者が、なにゆえに暴力装置のナタを振り回すのか。それは、彼らがいま信じている「正義」の表現なのです。そして、その信念のスケールの最右端に彼らが位置しているからなのです。

 

*信念のスケール:人間はみなバラバラで、そこには優劣があるという「分離」の意識

 

このことを、みなさんは他山の石としてください。それらの「魂」は、未だ身体に埋没したままで、肉の欲望、肉の論理を一生懸命に経験・学習している段階なのです。この世は、そして今の地球は、未だ肉の欲望と論理が支配する世界です。そうした世界にあっては、彼らは優秀者でありエリートなのです。しかし残念ながら、まだ初歩の気づきにも至らない。そして勿論、「カルマの法則」も知りません。

 

みなさんから見れば、私利私慾に狂った、なんという浅ましい人間たちかと思うでしょう? でもその裏側は、不安でいっぱいなのですよ。自分の内に「信=真=神」がないのです。ですから、際限なくお金に頼り、特定の「信念」に盲従し、他者を蔑んだり攻撃したりすることによって、辛うじて自分のアイデンティティを確保しようとするのです。「分離」意識から来る表現の最たるものは、蔑み、憎しみ、そして暴力。霊的にみれば、彼らはまだまだ幼稚園児なのです。

 

しかしそんな彼らとて、いったん目覚めが始まれば、自らの不徳を恥じ、弱き者への憐憫と、悪は許さないぞ、不正は許さないぞ、との気持ちが自然と沸き起こって来るのです。さて、そこでです。大河の流れは、もうその段階にはないのです。実にここが肝心なところですぞ、みなさん。なぜ今、長きに渡ってこれまで隠されて来た悪事が、世界中で、表に曝け出されるようになって来ているのか?

 

それは、隠れていた悪を叩け、やっつけろ、ということではないのです。そう主張している人たちもいますが、それをやったら元の木阿弥。今までと少しも変わらない。そうじゃないのです。これは人類に突きつけられたチャンスなのですぞ。彼らのことは放っておきなさい。あなた方が従わなければそれでいいこと。見抜く眼を養えばそれでいいこと。彼らにはちゃんと「カルマの法則」が適用されます。

 

第三次世界大戦の勃発を心配している方がおられますが、どんなに法律を変えようが、道徳教科書で愛国思想を植え付けようが、軍備を増強しようが、マスコミを使って危機を煽ろうが、従わなければいいだけのこと。無視すればいいだけのこと。いま言ったことを、しっかりと心に刻み込んで、民衆の意識がジャンプしてしまえば、もう戦前のような逆戻りは不可能なのです。よって大惨事(洒落だがね)はない!

 

権力者の手口は、もう充分に学んだのではないかな? そう同じ手に何度も引っ掛かっていては、学習効果というものが見られないねぇ。よいかね、敵なんてものはいないんだよ。恐怖なんてものはないんだよ。そんなものは全部、権力者が、他の人々を支配したい者が、未だ「分離」意識の虜になっている未熟な段階の「魂」が、考え出したことなんだよ。それは、壮大なる人類の洗脳システムなのだよ。

 

どうして、すべてを創造した「神」が、自分の内側に敵と味方を創る必要があるのかい? どうして、すべてを見通している「神」が、自分の中に恐怖を創って自分に味わわせる必要があるのかい? 自分で落とし穴を作って、自分で落ちて「あ、びっくり!」とでも言うのかい? そんなことは、少し考えれば解りそうなものじゃないかね。だから、目覚めるのだよ。彼らが存在するわけを、彼らから学ぶべきことは何かを、知りなさい。

 

いいかい、なぜ「闇」があると思う? 「闇」があるから「光」が「光」だと分かるのだよ。朝まだき、まだ暗い東の山の稜線がうっすらとオレンジ色に染まり、やがてそこから強い「光」を放つ太陽が昇って行く。「光」は「闇」から出るのだよ。「光」があるから「影」があり、「影」あるところ必ず「光」がある。両者は、敵対関係ではなく、補完関係にあるのだよ。

 

ここを間違ってはいけない。「悪」を叩いても「闇」は消えない。「悪」を叩くことは「善」ではなく、「悪」の上塗り、「悪」の応酬でしかない。ここを、人類は、今まで間違って来たのだよ。特に、一神教の名を借りた、善悪二元論に立つ宗教が、その強固な信念を、人々に植え付けて来てしまったのだよ。さあ、でももう目覚める時だ。大河は、もうそっちへ動いているよ。

 

悪事を働く者はいます。不正を働く者はいます。「闇」を正義だと誤解している者もいます。しかし、それらはすべて「神」の手の内にあるのです。悪事を働く者は、創造のふりをして破壊を行なっています。けれども、霊的世界はもっと深甚で、破壊をすることで実は創造を行なっているのです。インドでは、この役割をする神をシヴァ神と名づけました。

 

新しい家を建てるには、古い家を壊さなければなりません。破壊と創造はOneセットなのです。「闇」と「光」は、いつでもOneセットなのです。大切なのはこのバランス。そこで釈迦は、中庸、中道を説きました。中庸、中道と言うと、どっちつかずの妥協点のように思われるかも知れませんが、そうではありません。要は、陰陽のバランスをいいように取りなさいということです。

 

今はまだ、無明の(つまり未だ「光」を知らない)段階にある「魂」たちが、悪事を通じて破壊活動を行っています。けれども、人類がもっと進歩すれば、悪事を行うことなく、この破壊と創造のバランスを上手にコントロールしていけるようになるのです。誰もが中庸、中道を生きるようになるのです。いま悪事が噴出しているように見えるのは、この変化の大潮流が、すでに地球上で起こっていることを示しています。

 

そこで、あなた方にお願いしたいのは、悪事の裏側にあるこの本質に、今こそ気づいていただきたいということです。このチャンスに、一気にジャンプして欲しいのです。アセンションして欲しいのです。悪を叩いても、悪は決して無くなりません。悪を退治する唯一の方法は、そこに「光」を当てること。その貢献によって、長きに渡った人類のカルマを、今度こそ断ち切って欲しいのです。

 

これは、あなたの中に巣食う悪についても言えること。自分の中に「光」を当てて追い出すのです。

 

静寂の中に身を置き、全身が「光」に包まれる様子をイメージしてください。細胞の一つひとつにまで、じんわりと染み入るように。そして、大河の流れに逆らわぬよう、この流れに乗りなさい。流れを味方に付けなさい。乗って、あなたの白光を強めなさい。あなたがする心遣いや親切は、どんなものでもこの流れに貢献することになります。

 

なぜ「闇」があるのか。「闇」があるからこそ「光」が「光」だと分かるのです。今、みなさんが「闇」から学ぶべきことは、それです。ああ、「光」があることの有難さ、「光」のこの上ない暖かさ、そして「光」の全き愛。あなたも、全身「光」の人になってください。そして、この転換期にある地球を、あなたの「光」で照らしてください。それでバランスが実現され、人類が乗り切れるのですから。

選択の時 ― 選挙を前にして ―

「近ごろの世の中と来たら、物騒でイヤなニュースばかりだねぇ」こんな嘆き節が、茶飲み話で囁かれるようになったのは、20年ほど前からだったでしょうか。その当時、多くの人が「なんだかおかしい」という時代変化の雰囲気を感じ取っていたと思います。それがちょっとずつ加速されて行き、今では異常気象が当たり前になったのと同様、物騒でイヤなことだらけが当たり前の社会になってしまいました。

 

経済が停滞期に入っていたということもありますが、1997年には神戸連続児童殺傷事件、2001年6月には附属池田小事件といった世間を震撼させる猟奇的殺人事件が相次いで起こり、心に巣食う闇というものに世間の注目が集まりました。同じ年の9月にはアメリカ同時多発テロ事件、2011年には東日本大震災が起きました。そして今や、毎日、全世界でテロや暴力や猟奇的犯罪が荒れ狂っているのを我々は見ています。

 

ここで留意しなければならないのは、今の35歳以下、場合によっては40歳以下くらいの人たちは、ずーっと経済不況下の時代に生きて来たのであって、物心つく頃から、物騒でイヤな世の中しか見て来なかったということです。そして今、政府も、政治家も、投資家も、企業も、金融も、マスコミも、医者も、教育者も、宗教も、何もかもが信用できない、ということをこれら若い世代は学習しつつあります。これは表面に現れない、地底のマグマのような隠れた大変化です。

 

こうした状況下にあって、個々人の「心」は、いったいどこに落ち着き先を見つけるのでしょうか? ある人は、こんな世の中には背を向けて、自分の趣味世界に耽溺する道を選ぼうとするでしょう。安全と保証を求める人は、すでに壊れ掛けている世界で、なおエリートの道を目指そうとするかも知れません。一方で、競争に馴染めない人は、厭世的気分に深く沈み込んでしまうかも知れません。

 

そして、今の時代に見られる極めて顕著な「心」の表出として、条件反射的な他者攻撃があります。誰も彼もが、一拍置くということをせずに、ちょっとでも気にくわない奴をみつけると、すぐさま罵詈雑言を浴びせ掛けています。一国の最高指導者にしてそうなのですから、あとは右に倣えです。そうやって、自分以外の他者を貶めることによって、自分の存在意義を保とうとしているのです。

 

この意識を、拡大して「国家」概念にあてはめたものがナショナリズムです。ですから、他者攻撃の願望を心の奥に持っている人は、国家主義や愛国主義思想に簡単になびいてしまいます。けれども、今の日本で「国家主義」を標榜している人たちの大部分が、実は「国家主義」とは真逆の、そして「愛国」とは真逆の、「対米追随主義」でしかないことを彼らは知りません。

 

そして宗主国であるそのアメリカとは、民主主義の名のもとに、今なお世界を蹂躙し続け、世界中の人々を貧困と恐怖と混乱に陥れている元凶なのです。そんなアメリカに追随して来たからこそ、見習って来たからこそ、日本の相対貧困率は、遂にアメリカに次いで第2位になったのです。つまり、いま叫ばれている「愛国」とは、アメリカとの心中へのゆるやかな道です。

 

でもそんなディテイルは、彼らにとってはどうでもよいのです。自分の攻撃的感情を載せられる受け皿があればそれでいい。ですから、そもそも「国家」など一つの行政単位に過ぎない、ということを考えてみようとする余裕がありません。歴史地図帳を開けば、日本においてすら国境というものが変わって来たことは明白です。戦国時代をご覧なさい。列島内にたくさんの国があったじゃありませんか。

 

もし「愛国」を言うのなら、どうして全世界の国々を愛する「愛世界国」と言わないのでしょうか? 日本だけを愛して、隣国、周辺国には敵意を剥き出しにする。これは、我が家の家族だけを愛し、隣家や町内会には敵意を抱くということと何ら変わりがありません。自分の仲間たちだけを寵愛し、それ以外は「こんな人たち」と蔑むことと全く変わりがありません。

 

日本人が「愛国」を言うのであれば、他国にだって「愛国」があることを認めるべきだし、それを尊重すべきです。そこに至って、自分を愛するということは、他者が同様に自分を愛することを認めることであり、反対に他者を愛するということは、他者も他者を愛することが可能ということを認めることになります。そしてこれこそが、「Universal Love」であり、世界平和への唯一の道なのです。

 

「必要なのは対話ではない。圧力です!」

全世界を前にして、まったく何という愚かで恥ずかしい発言なのでしょう。

敵意を剥き出しにして来る訪問者に、あなたは玄関の扉を開けますか? 大人は、お金や肩書きや信念で目が曇っているので見抜けませんが、子どもは即座に見抜きますよ。この人、いい人か、悪い人か。地球人の気づきは、まだまだ遠い。

 

これから書くことに、お気を留める方は極く少数でしょう。きっと嘲笑される方もおられるでしょう。でも大事な大事な選択のステップです。あなた方は今後数十年のうちに、二段階のステップを踏んで気づいていかなくてはなりません。第一段階は「人類支配の構造」に関して、そして第二段階は、その奥にある「因の世界」の法則についてです。人類の覚醒は一挙には進みません。この二段階のステップとなります。

 

今の人類が経験している苦しみの大部分の要素は、太古の時代から繰り返し続いて来たもので、その主因は、ほんの一握りの支配者が、残りの大多数の人間を騙して、奴隷化、家畜化し、その上に君臨していることから生じています。ところがこの支配構造は非常に巧妙で、かつ支配者が表に顔を出さないために、長年に渡って「まさか、そんなことが‥‥」という事態が続いて来たのです。

 

簡単に言えば、壮大なるフィクションを人類全体が演じさせられているということです。しかし、みんな自分が演じさせられているとは、よもや気づかない。なぜなら、上から下までが完全な洗脳状態にあるからです。これがあまりにも強力なために、二段階めの気づきが起こるための、最大のネックとなっているのです。しかし一段階めの気づきが起これば、二段階めに気づくのは早い。

 

選挙で、たとえ誰を選ぼうとも、この構造は直ちには変わりません。アメリカ人は、ここ何度かの大統領選で、また議員の選挙で、このことを随分学習しました。政府や政治家やマスコミは信用できないという人が、かなりの規模に達しています。でも日本人は、まだそこまでは行っていません。何度騙されても、懲りずに今なお、政治家や国に「期待する」という感覚の人が多いのです。

 

今日、政治の行方を決めているのは、政治家や役人ではありません。政治家や役人をコントロールしている企業(なかでも多国籍企業)です。その企業をコントロールしているのは、所有者つまり株主や投資家たちです。この投資家たちをコントロールしているのが金融です。そして金融をコントロールしているのが、世にいう「闇の支配者」です。

 

このような構造の中で、配下にいる政治家たちは、自分たちや企業に都合のよいような法律を制定し、この法律を基に国家運営の基本的なシステムを構築しています。このシステムは、金融制度、軍隊、エネルギー、司法、警察、医療、教育、マスコミ等々、全産業に渡っていますから、結果として、あらゆるものを「闇の支配者」がコントロールできる仕組みになっているのです。

 

選挙制度は全くの茶番で、「民主主義」というものをさも実現しているかのようなポーズのためにあるだけで、いま言ったように、実際には「民主主義」とはほど遠いコントロールが水面下で行われているのです。選挙に「お金」が掛かるのは、「お金」の手当てが可能な人しか出馬できないようにするためであり、政治家は、結局は「お金」をくれる者の言いなりになる構造になっているのです。

 

そして、人類を支配するために考案された最大級の発明品が、この「お金」および利息なのです。「お金」が無いと生きていけないとみんなが思い込み、「お金」の魅力によって操られ、「お金」を得るためにあくせくと働き、住まいを得るためには借金をし、利息を取られ、いよいよお金が無くなれば路上生活を強いられるという風で、大多数の人間が、一生を「お金」の奴隷となって過ごすのです。

 

さて「お金」とは何でしょうか? 人類を、この発明品の奴隷にし、富を偏在化させるための仕組みです。あなたが働くと、その労働は賃金に換算されます。しかしその賃金は直ちには払われないし、雇い主に上前を撥ねられます。こうして、労働を賃金に置き換えることで、富の一部を奪い、それを集め、この「お金」を運用することで、富者がますます太る仕組みが確保されます。

 

そしてこの仕組みを維持するために、「お金」の魅力を方々で力説してシステムに誘い込み、富を巻き上げ、次にその富を使って、大衆をコントロールするのです。と聞いても、「なるほどそうか!」と思う人は少ないでしょう。ピンと来ないか、何か私が大袈裟なフィクションを語っていると思うでしょう。それほど、洗脳が隅々にまで行き渡っている。だから大変なのです。

 

でも考えてみてください。自然界に「お金」があるでしょうか? 「お金」の仕組みが存在するでしょうか? 「お金」がないのに、自然界は、互いのエネルギー交換だけで、ちゃんと全体が調和するシステムを実現し、維持しています。これが自然界の摂理です。それぞれが、自分のあるがままに自由に生きて、それでなおかつ調和が成り立っているのです。そして自然とは、神の表現物であったことに注目してください。

 

今までの「お金」のあり方に疑問を持ち、金融支配の構造の裏を知った人たちの中から、「お金」に関して新たな模索をする動きが出始めています。ドルに代わる基軸通貨とか、「お金」の価値を何をもって担保するかとか、ビットコインだとか。でも、ポイントはそこではありません。「お金」のチェンジではないのです。人類の支配者にとって、「お金」はいわば血流ですから、何があってもこの仕組みを手離そうとはしないでしょう。

 

重要な点は、その構造を支えている人類の「意識」なのです。「お金」の裏側には、人類に共通した「エゴ」というものがあって、これが今の「お金」の仕組みを根底で支えているのです。そこに気づかない限り、根本は変わらない。地球の人間たちは、「お金」が支配する「現実」という海を、自分たちは泳いでいるのだと思っています。しかしこれは、物質世界に創られた、全人類合意のもとに演じられている壮大なフィクションに過ぎないのです。

 

あなた方の本質は「肉体」にあるのではなく「魂」にあるのだと繰り返し語って来ました。あなた方が泳いでいる本当の場所は、実は目に見えない場所、霊性(つまり「宇宙の法則」)が支配している海なのです。みなさんの「魂」は、根本のところでこれに気づいています。ですから、何でも「お金」が支配する、今のような世の中との間で、始終摩擦を起こし、苦しまされているのです。    

 

なぜこんな不毛なことが繰り返されているのでしょうか? それは、人々を支配しようとしている者たちもまた支配されているからです。これが「洗脳」というものの実に奥深いところで、支配者層は、「お金」を持つことが自分の「幸福」を実現することだと信じて疑わないのです。ですが、そんなことはありません。肉体の死を迎えた後も運ばれるのは「お金」ではなくて、霊性の海に生きた体験だけなのです。これが、あなたというアイデンティティの唯一の保障です。

 

そして「宇宙の法則」は、いつも次のことを示しています。自分が為したことは自分に返って来る。自分の「エゴ」によって、多くの人々を苦しめた人には、次にその苦しみを自分が体験するチャンスが与えられます。でもこれは「罰」ではありません。チャンスです。宇宙に「罰」はありません。あるのは法則のみ。そのような山登りのルートを選んだ人には、望み通りのチャンスが与えられるというだけのことです。

 

自然界は、理想社会のあり方をいつも示してくれています。多種多様なものが存在し、それぞれがあるがままに自由に生きることで調和が取れている世界。人間はこれを見習って、もっと謙虚になって、親和と愛に生きることを目指さなくてなりません。一握りの権力者が、他の多くの人々を支配することなどあってはならないし、それは「宇宙の法則」に反していますから、必ず破綻します。

 

小さきもの、多種多様なもの、それらの集合体が「生命」なのです。宇宙も、自然界も、そしてあなたの身体も、すべてそのように出来ています。この事実に気づきなさい。小さきもの、多種多様なもの、自分とは違う個性に敬意を払いなさい。あなたを生かしてくれているものはそれらです。ご自分の身体の細胞を慈しみなさい。そして、細胞を慈しむように、隣人を、自然を、世界の人々を愛するのです。世界は一つ、宇宙は一つです。

人類をコントロールして来たもの

今の世界情勢や国内政治を見ていて、何か「荒っぽさ」というものが、増々表面化してきたとはお感じになってはいないでしょうか。

 

ひとことで言えば、優しさや配慮が、少しも感じられないのです。政治家にしろ評論家にしろ、どの人も、仲間内と敵を峻別し、敵に対しては、目を吊り上げ、口から唾を飛ばして、容赦ない悪罵を投げつける。そうやって人々の感情を煽っては、特定のターゲットへ世間のバッシングが向かうように誘導しています。

 

これは身近な人間関係でも言えることなのですが、相手を自分のコントロール下に治めたいと思った場合に、相手がなかなか言うことを聞かないとなった時には、そのやり口が、だんだんと荒っぽくなっていくものなのです。

 

最初は対等な話し合い(‥‥のフリ)。次がお世辞やおためごかし。それでもダメだとなると、今度は脅しに転じる。そして最後は決まって暴力です。

 

今の政治や世界情勢を見てください。三番目、四番目が、あまりにも大っぴらに横行しているじゃありませんか。敵を設定し、脅威と恐怖を煽り、証拠もないのに相手を悪と決めつけ、正義の名のもとに一撃を加える。一体どっちが悪なのか?と聞きたいです。それを、本来は政治を監視する側でなければならない筈の大手メディアが、率先して誘導しているのですから。

 

けれどもこれは、見方を変えれば、これまでのようなやり方で人々を言い聞かせることが、もはや難しくなって来ている、ということでもあるのです。つまり、いま表れている「荒っぽさ」というものは、彼らの「心の焦り」を、そのまま映し出しています。

 

ここで、人間というのは(私も含めて)つくづく愚かだなぁと思うのは、「荒っぽさ」を出せば出すほど、その人間の本質、本当の姿というものがあぶり出されてしまうということです。人間たちの大半はそれに気づいていないし、ちっとも学習しようとしない。そして何度でも同じ過ちを繰り返す。

 

結局、自分の中に住むエゴという欲や、自分がつくる感情の支配から抜け出すことがなかなか出来ない。そのために、そういう「荒っぽさ」を目にした時に、簡単に同調してしまうんですね。要は「波長が合う」ということです。普段は取り繕ってスマしている人であっても、エゴや感情が刺激されると、隠していた本音がパッと出ちゃう。地位、名声、栄誉、財産、美貌、体重、まったく関係ない!

 

しかしここが、今という時代における分岐点、どっちを選ぶかという(あなたにとっても、また人類にとっても)重大な分かれ道なんです。あなたはどちらの道だって、自由に選ぶことが出来る。「荒っぽさ」が演出する道に乗っかって、一緒に着いて行くことも、それを完全に無視して、マイウェイを生きることも。さてどっちにします? どっちにしたいですか?

 

このブログを読んで下さっている方は、当然、後者を選ぶと信じています。何度も書いて来ましたが、あなたはご自分の幸福を、ご自分で選び取ることが出来るんですよ。朝、窓を開けたら今日は雨が降っている。その同じ雨降りを、「困ったなぁ」と思ってもいいし、「清々しいなぁ」と思ってもいいんです。どっちを選ぶかはあなた次第なんです。

 

ここで、よ〜く考えてみてください。「荒っぽさ」が目立つようになって来ているのは、権力者による、今までのような支配方法の維持が、いよいよ難しくなって来ているからだということを。

 

最も楽な支配。それは、それがコントロールだとは少しも悟られないようにして支配することです。そのためには、自分たち(支配者)は陰にひっそりと隠れていて、人々の心理を巧みに利用して、社会システムによってコントロールしていく。そうやって、人々が、自ら進んで、自分に手枷足枷を嵌め、喜んで奴隷になるように仕向けていくのです。

 

ですから、よもや自分がコントロールされているとは、殆どの人は気づかない。この盲目の状態に、ちっとも目覚めない状態に、人類は数万年もの長きに渡って、延々と留め置かれて来たのです。

 

そのための人間心理を操る手段となったのが、恐怖と、洗脳と、依存です。人類は、何度も何度も転生を重ねる中で、時の為政者から、絶えずこの三つを繰り返し刷り込まれて来ました。その結果、今ではこれが、DNAにすっかり刻印されてしまったのです。

 

恐怖と、洗脳と、依存。そう聞いて、まっ先に何を思い浮かべるでしょうか? そう、宗教です。恐怖の予言をし、教義で洗脳し、教団や聖典に依存させる。この三つは宗教の常套手段。だからこそ、各時代の政治は、宗教を取り込むことを覚えたのです。その方が、だんぜん統治がしやすかったから。言い方を変えれば、コントロールしやすかったからです。

 

こうして、政治は学びました。外敵の侵略や、テロや、災害や、パンデミックや、お金のないことや、病気になることの恐怖を植え付け、学校と、会社と、マスコミを使って洗脳し、自分で考える力を削ぎ、金融や、医療や、インフラや、専門家や、支援というものに依存させる。このようにして人々は、まったく気づかないうちに、権力者の思う壷となり、奴隷にさせられているのです。

 

それで、何が犠牲となったのでしょうか?

 

人間が、自分を信頼するということを、すっかり忘れてしまいました。人間同士が信頼し合えるということを、すっかり忘れてしまいました。本来、自分は自由なんだということを、すっかり忘れてしまいました。生きているだけで幸せということを、すっかり忘れてしまいました。いつも大いなるものに抱かれ、守られているということを、すっかり忘れてしまいました。

 

いいですか、もう一度、言いますよ。あなたは、あなたの幸福を自由に選ぶことが出来るんです。

 

ところが近年になって、これまで長きに渡って人類を支配し続けて来たこのコントロール・システムに気づく人が多くなって来たのです。これには、インターネットによる情報革命と、みなさんには分かりにくいかも知れませんが、宇宙から届く光が非常に強くなってきて、今まで隠れていた闇が、光に照らされるようになったことが、大きく影響しています。

 

世界を支配する、いわゆる「闇の勢力」の本丸がどのようなものであるかを、今日では多くの人が知るようになりました。「お金」という人類支配ツールの実権が、この「闇の勢力」に握られているというカラクリも、多くの人が知るようになりました。過去の戦争がいつも「闇の勢力」のシナリオで起こされて来たことや、医療やマスコミや教育が、これら「闇の勢力」の完全な支配下にあることも知られるようになって来ました。

 

要するに、世界は、そして人類は、「闇の勢力」が描くお芝居の脚本の上に成り立ってきたということです。これには、理解に温度差がありますので、首を傾げる人も、反感を抱く人も、解っているよという人も、さらにもっと先の意味まで解るという人までいろいろでしょう。しかしここでお願いしたいのは、みなさんには、この「闇」を暴くことや、糾弾することに夢中になって欲しくないということです。

 

日陰を好む生き物に強い光が当たれば、彼らはそのままではいられません。放っておいても、その場を逃げ出すか、自分自身が光を好む生き物に変化するしかないのです。みなさんが暴くことや糾弾することに夢中になると、その日陰に同調することによって生じたエネルギーが、彼らに元気を与え、勢いづかせることになるのです。もちろん、あなたの波動も著しく下がります。

 

いま世界中で、破壊衝動が止まずに、むしろエスカレートしていっている背景には、それがあるのです。「テロを撲滅するために闘う」と言う。でも後ろに付けた「闘う」、それは暴力ではないのでしょうか? 暴力に、良い暴力と悪い暴力があるのでしょうか? あるとしたら、それは誰が決めるのですか? こんな馬鹿げた発想が、今も人類を支配しているのです。

 

「平和ボケ」とか「危機意識がない」などと言う人間たちのことは、無視しておしまいなさい。彼らは知らないのです。自分たちこそが、いちばん恐怖に洗脳され、コントロールされたロボットになっているということを。ロボットですから自由に生きることは出来ず、自由に生きようとするものを妬み、自分の方が優れていると錯覚して、揶揄したり攻撃したりして来るのです。

 

そういう彼らの内心は、混乱そのものです。

 

そんな彼らに同調することなく、あなたはあなたの理想を想い描き、そして行動してください。出来ることをやりなさい。個人としての理想、夫婦としての理想、家族としての理想、コミュニティとしての理想、社会としての理想、人類としての理想、生き物としての理想、地球としての理想、宇宙としての理想。それを鮮やかに、心の中に思い浮かべなさい。

 

混乱した時代だからこそ、それが今、何よりも大切なのです。集合意識のことは前に話しましたね。人類というものは、つまるところ個人の集合なのです。あなたが自由に生きたいと願い、自由に生きれば、そしてその楽しさ、嬉しさを表現すれば、そのメッセージが周囲の人々にも伝わります。そして、自由に生きる人が増え、人類をロボット状態から開放します。

 

ですから、人類の命運は、ひとえに、あなたの生き方に掛かっている。

 

何ゆえ、あなたが、この地球世界に生を受けたのでしょうか? ロボットになるためでしょうか? 恐怖と洗脳と依存にコントロールされるためでしょうか? そんなことのために、わざわざ神があなたを創ったとお思いですか? そんな馬鹿げたことを神がするとお思いですか? あり得ません。あなたが地上に生まれた目的は一つ。魂の赴くまま、自由に生きて、体験し、愛を知るためです。

 

世の中に蔓延する嘘や策謀を見抜きなさい。そして、それらの混乱した情報を発信している人たちを、まだロボットの段階にある人たちだと、正確に見てあげて、愛の波動で、その束縛を溶かしてあげなさい。世の中の混乱は、すべてカルマの浄化の現れです。増々混乱する時代だからこそ、あなたには、愛に生きて欲しいのです。