by Rainbow School
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コロナ禍の意味を考える

どんな出来事にも偶然はありません。起こることは、起こるべくして起こります。一つには、「因果律」というものが、そこに必ず存在しているということ。何事も、原因があって結果が生じるのです。しかし釈迦は、そのあいだに「縁」というもう一つの要素を挟んで、本当は、因・縁・果なんだよ、と説きました。

 

「因」が即「果」を生むわけではない。「因」と「縁」が出会うことで、初めて「果」が生じるのだというわけです。これは「三角形の法則」を示しています。

 

この法則を知ると、これを運命転換に利用できます。自分の中に、ある悪い傾向の「因」があったとします。でもそこに繋がる「縁」をスッパリ断ち切れれば、「果」は生じないということになります。

 

しかし「因果律」はそれだけでは終わりません。「果」は、必ず反作用を生みます。それが「報」、すなわち(むくい)ということで、釈迦は、因・縁・果にさらに「カルマの法則」をプラスして、因→縁→果→報と巡る、いわゆる『縁起の法』を説いたのです。そして、この「果」や「報」は、次の「因」や「縁」となり、かくして因→縁→果→報、因→縁→果→報と、グルグル果てしなく回る出来事の中を、生きているのが人生だと言ったわけです。

 

メキシコ人のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が作った『BABEL』(2006年)という映画があります。役所広司さん、菊池凛子さんが出ていたので、知っている方もおられるでしょう。この映画は、まさに「縁起の法」の、グルグルと果てしなく回る世界を描いています。

 

ストーリーにメリハリの効いた起承転結がないのと、『HEREAFTER』と同じように、4つの別々の地で起こる出来事をフーガ(遁走曲)形式で描いているので、難解だとか退屈だとかと言われて、一般の人の評価はあまり芳しくありません。

 

しかし、この映画のテーマは非常にハッキリしていて、私はとても質の高い映画だと思います。フーガ形式で描いているということも、後になるほど、テーマを浮かび上がらせる効果を発揮してゆくのです。この映画のテーマは、4つの物語の一つである、アメリカで家政婦として働いている(不法就労)メキシコ人女性が語った、次の一言にすべてが集約されています。

 

「私は悪い人間じゃないの。ただ、ちょっと愚か(Stupid)なことをしただけ」

 

『BABEL』は、アメリカ、モロッコ、メキシコ、日本の4つの地で起きる出来事を入れ替わりで見せていくのですが、ただ『HEREAFTER』と違うのは、4つの物語が、最初から非常に些細な「縁」で結ばれていることです。『HEREAFTER』は、最後の最後で3人が出逢って、「ああ、実は見えない糸で結ばれていたんだな」ということが分かる。けれども『BABEL』は、ついに一緒になることはなく、最後までバラバラのまま。でも最初から、糸が複雑に絡んでいるのです。

 

『BABEL』で進行する4つの出来事は、理不尽としか言いようのないものばかりです。ところが、この一見「不条理」に見える出来事の裏にも、ちゃんと理があるのです。それは、登場人物たち全員が、ちょっとした「Stupid(愚か)」を犯していて、その「Stupid」が玉突き的に次の「Stupid」を誘発し、結果的に「不条理」としか言いようのない事件を作っているのです。でもその関連に、誰も気づいていません。まさに因縁果報の渦の中で溺れた状態にあるのです。

 

こうして、ある者は生死の境をさまよい、ある者は自殺し、ある者は心を病み、はなはだしきは、事件が国と国をまたぐ外交問題にまで進展するのです。

 

これら一連のことが、みなちょっとした「Stupid」の連鎖によって生じ、互いが互いの「Stupid」に協力し合うことで、この世界が進行している。それは、結局は徒労でしかない「バベル」を、みんなで必死になって作っていることと同じではないか。というのが本作のテーマです。

 

この映画には、しかし「救い」もちょこっとだけ示されていて、「Stupid」の連鎖をギリギリのところで止めたり、反省したり、ちょっとした親切に触れたりすることで、人は成長できるのだ、ということも示しています。

 

*よければ『BABEL』をご覧になってください。いま言った視点で観れば、たぶん退屈はしないだろうと思います。『HEREAFTER』をご覧になった方は、両者を見比べていただくと、その意味がよりよく理解できると思います。

 

ということで、「どんな出来事にも偶然はない」ということの二つめの意味として、「因果律」の奥には、物質世界を超えたセオリーがある、ということも頭に入れておいてください。その上で、今回の「コロナ禍」の意味を探ってみましょう。ただし、これから述べることは、一つの視点を提供しているというだけであり、これが正解だと言っているわけではありません。あなたは、あなたの意味づけを発見してください。

 

先ず、今回の「コロナ禍」については、おかしな点がたくさんあります。多くの方々が指摘されているように、病気の実際や実態よりも、パンデミックの報道の仕方や対処方法が、不的確かつ過剰に行われています。そしてこの過剰さに、全世界の人間がほぼ同時に、一斉に従うよう強いられています。その結果、経済活動のうちのグローバルな取り引きに関する分野と、人的接触が濃い分野は一様に壊滅的な打撃を受けるに至っています。

 

これは、見方を変えれば、「世界大戦」と同じことが起きていると言えなくもありません。ただ、ミサイルや銃弾が飛び交う代わりに、「ウィルス」というステルス性の新兵器が飛び交っている、という違いがあるだけです。もしもミサイル戦ということになれば、核の相互報復によって、地球には誰も住めなくなってしまいます。けれども「ウィルス」であれば、いつかは収束しますから、生き残った勝者は、引き続き地球で暮らして行くことが可能です。

 

実際、8月11日に、例のビル・ゲイツ氏が『WIRED』誌のインタビューに答える形で、次のような声明を出しています。

 

「2020年のはじめの状況に私たちが戻るには数年かかる。これは第一次世界大戦でも、第二次世界大戦でもないが、全システムへの否定的衝撃の規模としては同程度と言える」「私にはこんな感覚がある。それは、私たちの豊かな世界は、基本的には新型コロナを2021年末までに克服するが、しかし、全体的にはこの問題が片付くのは2022年末となる」

 

ビル・ゲイツ氏の言う「感覚」と、予想されるシナリオの断言との間に何があるのかは不明ですが、今回の「コロナ禍」が「第三次世界大戦」に匹敵するということをいみじくも語っている。そしてこの「世界大戦」と同程度のネガティブ・インパクトは2021年末まで続き、ダメージの影響が収束するのにはさらに1年は掛かる、と氏が断言しているのです。どうやらあと2年半、経済活動がこのまま止まった状態を、我々は耐え忍ぶことになりそうです。

 

今度のパンデミックが、人為的に起こされたものであるかどうかは別として、とにもかくにもそれが起きたのです。起きたことはもう変えようがありません。ですから、そこを追及してもあまり益はありません。起こることは、起こるべくして起こるのですから。ここで気持ちを切り替えて、人智を超えた意味、物質世界を超えた「因果律」に目を向け、これを機に充分に反省して今までの行動を是正すれば、浮かぶ瀬もあるというものです。

 

そこで次に考えてみたいのは、コロナ・ウィルスというものの特性です。みなさんも、すでにかなりの知識を得られたと思いますが、コロナ・ウィルスは電子顕微鏡でなければ見ることが出来ないほど小さい。電子顕微鏡を使うと、球形をしていて周囲にスパイクというイガイガの突起物を持っている姿がぼやーっと見える。その形が太陽のコロナに似ているところから、コロナ・ウィルスと名づけられたと言います。

 

ここで、先ずウィルスは細胞ではないということです。細胞ではありませんので、自己増殖することが出来ません。細胞という工場もなければ、代謝のためのエネルギーを得ることも、自己複製のための材料も持っていないのです。そこで、他の生物の細胞に入り込んで、そこの力を借りて、自らを複製させ生き残りを図る。早い話が、他の生物に取り憑いて、つまりは憑依して、宿主を自分の都合のよいように変えて行くのです。

 

では、細胞でなければ何なのかということですが、球形の袋の中に、遺伝子情報の鎖(RNA)が一本入っている。DNAの場合は鎖が二本あって二重螺旋を描いているのですが、RNAにはそれが片方しかない。DNAは二本の鎖がAGCTの塩基でしっかり結ばれているので安定しているのですが、RNAは結婚相手を探して始終ウロチョロするので安定せずに変異を繰り返す。と、どうもそのようなことのようです。COVID-19の場合には、スパイク部分のタンパク質にも多くの変異が認められるということですが。

 

さてそうなると、RNAウィルスとは何なのか?です。細胞を持たず自己複製もできないウィルスは果たして生物なのか、という議論もあるのですが、「虹の学校」流に言えば、もちろん生物です。「宇宙」イコール「生命」ですから。しかしそれ以上に、遺伝子情報しか持たないウィルスは、文字通り「情報」そのものだということです。この点を指摘している人が、非常に少ないのです。ほとんどの人がウィルスを「物」と見ていて、「物」としての対策をあれこれ考えているに留まるのです。

 

けれども、ウィルスは「情報」です。別の言い方をすれば、何らかの「意志」だと言える。なぜ、そう言い切れるかと言いますと、「宇宙」イコール「生命」と同じように、「宇宙」イコール「情報」でもあるからです。宇宙の開闢(かいびゃく)において、先ずロゴスがあった。次にロゴスが「光あれ」と命じた。そして、ここから万物が次々に生じて行った。ですから、万物には原初のロゴスがあまねく浸透しずっと生き続けているわけです。ロゴスは、日本語聖書では「言葉」と訳されていますが、法則、情報、意志と置き換えてもよいのです。

 

我々が「現実」と呼ぶ、周囲に展開される出来事は、我々の内面意識の投射(Projection)です。そう思って「コロナ禍」をよく見てください。拡散する力の強さとスピード、次々に起こる変異、解釈をめぐって議論百出、悪質なデマ、無智なるがゆえの他者排斥、憎悪、バッシング。これらはメディアやインターネットの世界で、今や日常的に起きている現象とそっくりだとは思いませんか? 今度の「コロナ禍」は、そこを反省しなければいけないよ、と示してくれているのではないでしょうか。

 

ある高名な科学者が、今回のパンデミックは「テレビ・ウィルス」の感染によって引き起こされた、と仰っていたのですが、その指摘は間違っていないと思います。テレビは、これまでも色々な「情報」に人々を「感染」させて来ました。CMなどは、まさに市中に「感染」拡大させることが目的です。今回はネタが「ウィルス」だったということで、そうした危ない「感染」の仕組みが、一挙に炙り出された感じがしますねぇ。これで、テレビ離れがまた一段と加速するのではないでしょうか。

 

さて、最後にもう一つ。今回のメインのお話です。

今度の「コロナ禍」が、来たる地球の大変革に向けて、最終章の扉を開けた、ということは前回に申し上げました。この先はおそらく、アーサー・C・クラークが『幼年期の終わり』を通して語った予言どおりに、事態が進展していくことになると思います。

 

世界各地で、いま暴動が頻発していますが、これも『幼年期の終わり』で予言されていたことです。この背景には、「コロナ禍」に伴う都市封鎖策によって自由を奪われた人々の反抗が起きているというのが一つ。もう一つは、国民国家の支配構造の裏がバレ出して、長年デタラメをやって来た政府に対し、市民の怒りが爆発しているのです。これは、世界支配を目論む者たちに対する、市民側の抵抗運動が始まったと言えます。そしてその動きは、IT市場の世界覇者となったGAFA解体を叫ぶ声にまで広がっているのです。

 

つまり、リアル・バーチャルの両方で、支配に対する抵抗運動が起きている。しかし、こうした抵抗運動も一時的な現象で、最後は「世界連邦」の秩序の中に自ずと収まって行くのです。そのプロセスが、『幼年期の終わり』の中に示されています。日本も、暴動こそ起きませんが、後者の事態は徐々に表面化して来ています。「コロナ禍」での一連の政府対応を見て、現政権の熱い支持層も、さすがに「これは無いよね」と思い始めたのではないでしょうか?

 

日本の政府・官僚機構というのは、やることなすこと全部が「インパール作戦」で、いちど始めたらどうにも止まらない。原発も、リニア新幹線も、諫早湾も、辺野古も、オリンピックも、Go to も、○ノマスクも、森友事件文書改ざんも、とにかく玉砕するまで走り続ける。途中、末端の兵士がいくら犠牲になってもお構いなし。真実は隠し、平気でウソをつき続け、最後はウヤムヤにしてみな逃げおおせてしまう。

 

これは日本人の体質というか、お家芸のようなもので、きちんと総括して「反省する」ということを一切しない。不祥事が起こると、すべてその時の「空気のせい」にして、あとは忖度して、ナアナアでやって、みんな鍋の中で煮溶かしてしまう。同じ敗戦国のドイツと比べると、これは雲泥の差です。でも、この次に逃げる場というのは、あるんでしょうかねぇ? 前提となって来たもの、思想、主義、価値観、社会構造、金融等が、ぜーーーんぶひっくり返るというのに‥‥。

 

大本」の開祖、出口なお(1837 - 1918)は、来たる大変革の時代に関して、次の言葉をお筆先で下ろしています。

 

「絶体絶命の世になりたぞよ。世界の者よ、改心いたされよ。ビックリいたすことがでけるぞよ。わかりた人民から改心してくださらんと、世界の人民三分になるぞよ」「艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。日本は神道、神が構わな行けぬ国であるぞよ。外国は獣類の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりて居るぞよ。外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ。是では、国は立ちては行かんから、神が表に現われて、三千世界の立替へ立直しを致すぞよ。用意を成されよ。この世は全然(さっぱり)、新(さら)つの世に替へて了うぞよ。三千世界の大洗濯、大掃除をいたして、天下泰平に世を治めて、万古末代続く神国の世にいたすぞよ。神の申したことは一分一厘違わんぞよ。毛筋の横幅ほども間違いはないぞよ。これが違うたら、神はこの世におらんぞよ」

 

*三千世界:この世のすべてということ。一つの世界が1000個集まったものが小千世界。小千世界が1000個集まったものが中千世界。中千世界が1000個集まったものが大千世界。ということで、三つの千世界が集まったものという意味で、三千世界と言う。

 

また、なおの娘婿で、不世出の予言者であった出口王仁三郎(1871 - 1948)は、来たる時代を「世の立て替え・立て直しの大峠」と呼び、次のように語っています。

 

「この世をこのままにしておいたなれば、日本は外国に取られてしもうて、世界は泥海になるから、末法の世を縮めて松の世にいたして、日本神国の行ないを世界の手本に出して、外国人を従わせて、万古末代動かぬ神の世で、三千世界のお土の上を守護いたして、神、仏事、人民を安心させてやるぞよ」

 

「そこへなるまでに、世界にはもひとつ世の立て替えの大峠があるから、一日も早く改心いたして、神にすがりて誠の行ないに替えておらんと、今までのような、我さえよければ人は転げようが倒れようが見向きもいたさん心でありたら、神の戒め厳しきから、到底この大峠を越すことはできんぞよ」

 

日本の政府・官僚の人たちも、今までに何度も「改心」のチャンスがあったのに、「インパール作戦」のお家芸は頑なに守って、公約どおり、日本を「鬱苦強い国」へと見事に変えた。政権与党を支える宗教団体は仏教系だと言うじゃありませんか。因縁果報を知らないんでしょうかねぇ? Aさんに「カルマの法則」を教えて上げればよかったのにねぇ。でもそういう人たちを選んだのは国民なのですから、どうしようもありまっしぇん。(ノ_-。)

 

と、ここまでは前置きで、これからが本日のハイライト。出口王仁三郎が、非常に興味深いことを語っているのです。でも、次に書くことにあまり夢中にならないでくださいよ。こういうことを書くと、どうしてもそこばっかりに注目する人が出て来るので、最初に釘を刺しておきますよ。トントン。予言は予言として、大切なのは、地に足を着けてしっかり生きることです。前回に書いた通りです。それを忘れないようにね。

 

さて、王仁三郎がなんと言っていたか。王仁三郎は、世界が大峠を迎える際、それまでのニセモノの「みろくの世」が、本物の「みろくの世」に変わる、と言っているのです。「みろく」というのは、弥勒菩薩(マイトレーヤ)のことで、釈迦の入滅後、56億7千万年後に人類救済のため再び現れる仏とされ、これはキリスト教で言うところの「キリストの再臨」に当たります。

 

ではニセモノの「みろく」とは何かと言いますと、これが666で象徴される世界だと言うのです。6が三つだからミロク。王仁三郎という人は、洒落っ気のあった人で、このように予言の中に語呂合わせを多用しました。666の数字に「えっ」と思われた方も多いでしょう。言うまでもなく、『ヨハネの黙示録』で言うところの「獣の数字」です。『ヨハネの黙示録』にはこうあります。

 

「ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは人間をさすものである。そして、その数字は666である」

 

では、王仁三郎はなんと解いているのでしょうか。

 

「釈迦が五十六億七千万年の後に、至仁至愛神(みろくさま)の神政が来ると予言したのは、五六七(みろく)と申す事であるぞよ。皆謎が掛けてありたのじゃぞよ。

五は天の数で火という意義であつて、火の字の端々に○を加えて五の○となる。火は大の字の形で梅の花、地球上の五大洲に象どる。

六は地の数で水という意義であつて、水の字の端々に○を加えて六の○となる。

火は人の立つ形で、水は獣類の形であるぞよ。

火は霊系、天系、君系、父系。水は体系、地系、臣系、母系であるぞよ。火は高御産巣日(たかむすび)の神が初まり、水は神御産巣日(かんみむすび)の神が初まりで、火はカの声、水はミの声、これを合してカミと申すぞよ。

七は地成の数で、土也成の意義であつて、土は十と一の集りたもの、十は円満具足完全無欠(まったく)両手揃(なりそろ)う事で、一は初めの意義であるぞよ。十は物の成就、一は世界統一、一人の事である。世の終いの世の初りがミロクの世であるぞよ。また土は地球(くに)という意義で土也(くになり)、成事である」

 

*文中に○で書かれた伏せ字箇所があるのですが、私に来たインスピレーションでは、

・火の字の端々に線を加えて五の星(✩=五芒星)となる。

・水の字の端々に線を加えて六の星(✡=六芒星)となる。

と読めます・

五芒星は人が立った形に見えますし、六芒星はモモンガというか、上が頭で下が尻尾と見れば、獣に見えませんか?

また、土は十と一の集りたもの、これを象徴図形で表すと、⦿になります。

 

王仁三郎は、結局、こう言っているのです。666の象徴数字で表される世界というのは、ニセモノの「みろくの世」であって、それは「体系(=物質)」が主体の、獣が支配する世界なんだと。でも、それが「霊系」主体に代わって、霊主体従の世界になった暁には、本当の「みろくの世」が出現するんだと。そして、その象徴数字は567であると。

 

というわけで、王仁三郎は「五六七」と書いて、これを(みろく)と読ませたのです。同様のことは、岡本天明(1897 - 1963)が自動書記で下ろした『日月神示』(ひづきしんじ、またはひふみしんじ)にも引き継がれています。岡本天明は、王仁三郎から密かに裏神業(信徒にも秘密にされて行われる神に仕える仕事)を仰せつかっていて、その過程で『日月神示』を下ろしたのです。

 

さて、勘のいい方はもうお気づきでしょう。語呂合わせが得意だった王仁三郎に倣えば、「五六七」は「コロナ」と読めませんか? つまり、大峠の「みろく」が、この「コロナ禍」を機に地に降りたと解釈できるのです。しかも「コロナ」というのは、元々が太陽の周囲に広がる火炎のことです。つまり「火」の親分みたいなもの。「火」は霊系、天系ですから、その親分が降りて来たということになるのです。そして、この後、「立て替え」と「立て直し」が同時に進行していく。

 

「立て替え」とは、「体主霊従」でやって来たこれまでの世界をぶっ壊すことです。「立て直し」とは、これから「霊主体従」の世界に新しく作り変えて行くことです。そうやって、本当の「五六七(みろく)世界」がこれから徐々に実現していくということです。

 

ここで、いま進行中の「大峠」を正しく理解しておくことが大切です。資本主義は、遠からず花火のように破裂するでしょう。自然災害もより激しさと頻度を増すことでしょう。出口なおが語った「ビックリいたすことがでけるぞよ」が、他にも色々と起きて行くことになるでしょう。けれども、そうした出来事の奥にある意味を、しっかりと把握しておいて欲しいのです。

 

王仁三郎も、善いことと悪いことが一緒に起こると言っていますし、『幼年期の終わり』では、悪魔が善いことを成して、平和な「世界連邦」を樹立させてシナリオが示されています。しかし巷では、正義が悪を叩く、善が悪に勝つ、という図式が今もって好まれ、この観点から「闇の支配者」のことをあれこれ語っている方が多いのですが、そんな単純なものではないのです。考えてみてください。桃太郎侍が、正義の名の下に、どんだけ人を斬り殺して来たのか。それって善なの? ぜーんぜん。

 

王仁三郎は、(地上の)神に四神あると言っています。ニ神(善悪二元論)ではなくて、本当は四神あるんだと。そして、これこそが四海の秘密の鍵なんだと語っています。四海というのは地上世界のことで、「一天四海」という四字熟語になっています。プラミッドの形を思い浮かべていただくと分かりやすいのですが、一つの天の下方、四隅に海が広がって在る、ということから、この四字熟語は全宇宙を意味します。そして、地上の四隅にそれぞれ神がいるんだと。これはどういう意味なのでしょう?

 

四神の意味を、王仁三郎は明らかにしてはいませんが、同様の記述は『ヨハネの黙示録』にもあるのです。7章には「四人の天使が地の四隅に立っている」とありますし、19章には「二十四人の長老と四つの生き物とがひれ伏し、御座にいます神を拝し」とあります。御座の神にひれ伏しているのですから、四つの生き物は神(根源神)の僕であることが解ります。西洋で言う天使は東洋で言う神々と同じです。

 

でも、なぜ24人の長老なのでしょうか? 12人ではないのでしょうか? 弟子は12人というのがお約束事なのに。ここにヒントがあります。12人×2組で、合計24人になっているのです。

 

左に示したのは、もう何度も登場願っている「陰陽太極図」です。陰極と陽極とが渦をなして絡み合う形で、この宇宙の成り立ちを表現しています。しかしよく見ると、白い勾玉上の渦には黒い目が、黒い勾玉上の渦には白い目が入っているのが分かるでしょう。これは、それぞれ陽中陰、陰中陽と言って、陽極の中にも陰極の要素があり、陰極の中にも陽極の要素があるということを示しています。

 

光は影を宿しており、影あるところにはすでに光があるのです。ですから、地上世界は単純な二元論で語られるものではなく、実は四つなのだということです。

 

「大本」というのは、その名の通り「根源神」を意味しているのですが、出口なおも王仁三郎も、チャンネルとしては「艮の金神(うしとらのこんじん)」に繋がって啓示を下ろしました。「金神」というのは祟り神の一つで、「艮」は方位で言うところの北東方向、つまり鬼門に当たります。ということで、「艮の金神」は最強の祟り神、早い話が「悪神」なのです。幕末三大新宗教の一つである金光教も「金神」を祭神にしています。

 

*ちなみに桃太郎伝説というのは、牛(丑)の角を持ち、虎(寅)柄のパンツを履いた鬼共を、十二支の反対側方向にいる、イヌ(戌)、サル(申)、キジ(酉)が力を合わせてやっつけに行くという話になっています。

 

北東の真逆である南西(坤:ひつじさる)は裏鬼門と呼ばれ、こちらも忌み嫌われますので、天門方向(北西)にちょっとずらして、イヌ、サル、キジの組み合わせにしてあるのです。それに羊じゃ、ちょっと弱っちいですしね。

 

「悪神」を信仰対象にしているのは、西洋におけるルシファーと同じで、力のある神だからです。ですから、もし怒らせたら大変なことになる。天変地異の災いをもたらす。でも、災いが起こるのは人間の行いが悪いせいですから、神を怒らせないようにして、贅沢をせず、誰とも争わず、あらゆるものに感謝して、誠実に生きれば、悪神はそのお力を手助けに使って下さるんだ、という考え方です。『大魔神』という映画に登場する埴輪は、まさにそうした神です。

 

自然を人と同列に見て来た日本人には、悪神も善神だという考え方があります。ですから、いま言った、実は四元なんだということもすんなり理解できると思うのです。しかし西洋は、キリスト教の二元対立思想が深く浸透していますから、善が悪を叩くという単純な話にすぐになる。ジョージ・W・ブッシュは、まさにそれを掲げて悪の枢軸国を叩きのめすという行動に出ました。ところが何のことはない。アメリカがいちばんのワルだった。でもそのワルに、同盟国である西側諸国と日本も加勢したのです。

 

根拠のない言いがかりを付けられ、勝手に「悪」のレッテルを貼られ、国土と生活をメチャクチャにされたイラク人の苦しみはどれほどのものであったか。このカルマを、当然ながら、日本と日本人は清算しなければなりません。ですから、先ずは「鬱苦強い国」となったのです。しかし、その後の日本政治を振り返れば、まだまだこんなもので済むとは思えません。

 

「世界の者よ、改心いたされよ。わかりた人民から改心してくださらんと、世界の人民三分になるぞよ。三千世界の大洗濯、大掃除をいたして、天下泰平に世を治めて、万古末代続く神国の世にいたすぞよ」

 

ということで、これを読んでくださっているみなさんは、今後、二つのことを同時に目標としていかねばなりません。一つは、自分がアセンションすることです。そしてもう一つは、大峠を生きのびることです。この二つを同時に実現させていかないといけない。これは、なかなかの難儀ですぞ。今までも難儀だったかも知れないが、これからはもっと難儀になる。

 

もう今までのようにはいきませんぞ。発想の大胆な転換が必要だ。いつかは元のように回復するだろう、なんて思っていたら甘い、甘い。これは脅かしじゃなくて励ましですからね。変革期は、守ろうとすれば苦しくなる。でも新しいことを創造しようとすれば楽しくなる。同じ Spend Time を、あなたはどっち側で過ごすかな? しかも、今度の変革期は、今までとはまるで違う、大大大変革期なんですぞ。

 

さあ、船出するんだ。四海の大海原に。良いことも悪いこともみんな良いこと。みんな、あなたの「魂」の成長のために用意されていること。これをしっかり胸に刻んで、大峠を生きぬきなさい。三千世界の立て直しは、これからの、あなた方の行動に掛かっているのですよ。

 

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参考

日本列島上に造られた、五芒星と六芒星の結界。

クリックすると拡大します。

 

 

アフター・コロナを生き残る

人類が、未だかつて経験したことのない事態が、世界的規模で進行中です。COVID-19によるパンデミックはその始まりで、恐怖心を利用した情報統制が、世界を、これまでとはまったく違った形へと一気に変えました。この後、経済崩壊、金融崩壊、各国政府の財政破綻へと進み、中央銀行が管理するデジタル通貨(CBDC)制度への転換、世界政府樹立までのシナリオが予定通り実現されて行くのでしょう。

 

*因みに「Pandemic」の Pan とは、Pan-Pacific(環太平洋)といった使われ方をする時の Pan と同じで、All の意味です。地域限定の風土病を「Endemic」と言うのですが、それより拡大した規模を「Epidemic」と言うようになり、さらに世界規模の感染を「Pandemic」と言うようになりました。最近よく聞く「Epicenter」は、「Epidemic」の震源地という意味になります。

 

その観測気球はポロポロ出されていて、3月27日にはブラウン元英国首相が「世界政府」の設立を呼びかけましたし、7月23日には国連開発計画(UNDP)「臨時ベーシックインカム」の導入に言及した報告書を発表しています。

 

ワクチン開発に関して出てくるすばやい動きやニュースも、たぶんその一環なのでしょう。COVID-19のワクチン開発は変異が激しすぎてとうてい無理とか、出来たとしても長期間を要すると一方で言われながら、もう一方では早くも臨床試験を終えたワクチンがあるというんですから、変ですよねぇ。

 

*観測気球(trial balloon):アドバルーン発言と言われたりもします。本番をいきなり実行したのでは世論がついて来られないので、予備的にチョロチョロと情報を小出しにしては、人々の反応を見ながら世論を誘導して行く手法。ハリウッド映画も、その手段としてよく使われています。

 

WHO(世界保健機関)への拠出金割合(2018〜19年分のデータ)を見ますと、1位は米国の14.7%ですが、2位には9.8%でなんと「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」が名を連ねているのです。また8.4%で3位の「GAVIアライアンス」という団体。ワクチン債を発行して、貧しい国の子供たちに予防接種を行うプログラムを実行している機関とのことですが、この創立者は「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」で、しかも「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」が「GAVIアライアンス」に資金提供をしているのです。ということで、両者を合わせるとWHOの活動費の18.2%はビル&メリンダ夫妻によるもの。

 

これって、いったいどういうこと? 2019年10月18日には、ビル&メリンダ・ゲイツ財団、ジョンズ・ホプキンス健康安全保障センター、世界経済フォーラムの共催で『Event 201』という会議がニューヨークで開催され、18カ月以内に6500万人の死者を出すパンデミックが起き、世界経済は大混乱に陥り、政府に不信感を持った暴動が頻発するという詳細なシミュレーションが提出されました。これには、ご丁寧にも、メディアの役割も含めて「こうなるぞ」という解説ビデオまで作られているのですからね。いやはや、露骨。

 

「闇」はもう隠れてなんかいません。堂々と表に出て来て、今後の戦略まで公開している。彼らには最終章がもうハッキリと見えていて、表に出たところでもはや揺るがない、という絶対的な自信があるのでしょう。世界は、自分たちの計画通りに進行する。進行させる。大衆は、必ずや我々のシナリオ通りに従って動く。なぜなら、お馬鹿な家畜に過ぎないのだから。

 

恐怖心を起こさせて先ず人々を操り、次に改善のための一見よいと思われることを提案・実行しては世の中を変え、支配構造をさらに盤石なものにする。その際に、ちゃっかりと莫大なお金まで手にする。以上、一石三鳥が闇の支配者のセオリー。地球温暖化人為説も、見事にそのシナリオで動いている。みんなが、その一見〈よいこと〉を信じ込んでいる。戦争屋が人道支援を行い、病気を創り出している者が医療活動を行い、貧困を生み出している者が援助の手を差し延べる。それと同じだと言うのに。

 

でもね、こういうことをいくら言ったところで仕方がないんです。人類の大多数はそんな支配構造があるということを知らないわけだし、政府やマスコミの発表を何の疑いもなく信じちゃっているんですからね。

 

それに‥‥、人類支配の構図を知ることは(古代に遡ったり、聖書研究をすることを含めて)、「気づき」の本質とは関係がないんです。そこが真の「気づき」の到達点ではないんです。そういう人間支配の構図があるとして、なぜ宇宙は(「神」と言い換えてもいいですが)、それを許容しているのかということが、真の「気づき」への扉なんです。キリスト教の善悪二元論は、そこまで踏み込まず、2000年間、人々を気づかせないままに留め置いたのです。

 

とは言え、「世界政府」樹立と「人類削減、家畜化」へ向けて、いよいよその最終章が幕開けしたことは確実です。加えて、AI、5G、ブロックチェーン、ロボット化、ナノテクノロジー、遺伝子操作、エネルギー革命といった技術革新が急速に進展し、人類はリアルとバーチャルの両方で、かつてない変革の時代へと突入して行くことになるのでしょう。

 

さて、そうなった暁には、時代環境変化を冷静に、また長期的に見通す眼が何よりも重要になって来ます。時代の変化に、ただただ流されて行くのか、それとも抜き手でスイスイ泳ぎ切って行くのか。

 

来たるべき時代は、大破壊と大創造とが入れ替わるようにして進んで行きます。政府など、無能で信用できないことはもうハッキリしましたので、これからは自分で自分を救けるということをつねに念頭に置いて、暮らしていかなければなりません。

 

それが「闇の支配者」(もう「闇」では無くなって来たわけですが)のシナリオだとしても、時代の流れを、完全無視して生活することは出来ませんし、また巨大なうねりに逆らったところでどうにもなりません。ですから、「面従腹背」と言うか、「体は売っても魂までは売らないぞ!」という娼婦のような気持ちと言ったらいいか、その気概をしっかり持って生き抜いて行くしかありません。

 

そこで、来たる動乱の時代を迎えて、あなたが第一に考えるべきことは、何としてでも「生き残る」ということです。「生き残る」というのは、元来、生物に備わった自然な本能ですが、人間だけはちょっと違う。人間だけは、時に自分の意思で自分の「死」を選ぶことがある。それは、人間が本能だけで動いているのではなく、「生きる意味」を絶えず模索して生きている動物だからです。そこで、「生きる意味」がないと考えた場合、「死」を選ぶことも起こり得るのです。

 

ここで、何としてでも「生き残る」ということを、これからの第一目標に掲げたのは、別に「生物の本能に帰れ」と言っているわけではありません。すでに大脳が今のような進化を遂げた以上、本能だけに立ち帰ることは出来ません。

 

そうではなくて、「生き残る」ことで、この人類史上初の時代を、「体験」できる機会がそれだけ増すということが重要なのです。その機会を、あなたであるところの「魂」は、成長のチャンスに使うことが出来るのです。ですから、「生き残る」ことが重要と言っても、それを自己目的化して言っているわけではありません。

 

これは以前にも書きましたが、私が、もしも「殺すか、殺されるか」という場面に遭遇したとしたら、その時には躊躇なく「殺される」方を私は選びます。それは、その状況下での「体験」として、相手を「殺す」という選択肢が自分の中にないからです。輪廻転生のメカニズムも、カルマの働きも解っているからです。ですからその場合は、「生き残る」機会を、「殺される」体験として利用し尽くし、その人生をそこで終わりにしたということになります。

 

それと、次の点はとても重要なキモになりますので、繰り返し語っておきますが、あなた個人の「魂」の成長と、地球人類の行方がどうなるかということについては、直接的な関係は何もないのです。あなたは、地球環境の中で生活していますので、その環境変化の影響を当然ながら受けます。また、あなた個人の「魂」の成長は、微力と言えども、人類の集合意識に影響を与えます。しかしそうであっても、あなたの「魂」の成長と、人類の行方がどうなるかということについては何の関係もないのです。

 

言ってることが解りますか? 地球がどうなるかとか、人類がどうなるか、といったことは、「魂」的に見れば、すべてが流れゆく風景に過ぎないのです。言うなれば、バーチャルなビデオゲームを楽しんでいるようなものでしょうか。言い方を替えれば、あなたの周囲で起きている出来事は、すべて、あなたという個別の「魂」の成長機会として、スペシャルに提供されている「幻影」に過ぎないのです。

 

*同じ「幻影」は一つとしてなく、すべてがあなた仕様のオーダーメイドとして提供されているという点に注目してください。つまりそれは、あなたが自分で見たいものを見ているということに他ならないのです。たとえどんなに辛いことでも、苦しいことであっても。

 

ここに、どの「魂」に対しても等しい「神」の愛があるのです。とても、そうは思えないでしょうけど‥‥。すべての「魂」が、「神」にとってはスペシャルな存在なのですよ。ああ、なんて素晴らしいこと!

 

ですから、今後展開されるであろう「闇の支配者」の手になる壮大なシナリオ実行も、所詮は茶番劇なのです。要は、その茶番劇を、あなたという個別の「魂」がどのように活用させてもらうか、というだけの話なのです。

 

解ります? う〜ん、あまりに突飛すぎて、頭がクラクラして来たという方がおられるかも知れませんねぇ。でも「魂」の世界からしたら、そういうことなのです。ま、直ぐには受け容れ難いのは分かります。そういう方は、ここに記述したことをテーマに瞑想を行ってみてください。

 

今後も、機会あるごとに、このことは繰り返し語っていくつもりです。というのは、みんなすぐに忘れちゃうんですよ。この世は「幻」ということを。そして、目の前の事象の変化についつい眼を奪われてしまう。そうなると、時代変化の荒波に巻き込まれて、大勢の人と一緒に流されて行っちゃいますからね。でもね、ここが正念場ですぞ。波に呑まれてゆくか、波を泳ぎ切るかの。

 

もう、誰かの後を着いて行けばいいという時代は終わりです。自分の力で、先頭を、風を切って歩かないとね。支配者は、いつも恐怖を与えて人々をコントロールしようとして来ます。メディアはそれに加担し、恐怖を大げさに扱います。でもそれで、恐怖「心」を抱くかどうかは、一人ひとりが決めるのです。恐怖心を描くのは、あなたの「心」なんですから。あなたの支配下にある意識なのですから。

 

彼らの術中にはまってはダメです。。そう何度も何度も同じ手を食うかっての。その手は桑名の焼き蛤。いい加減に、彼らのパターンを見抜きましょうよ。冷静に観察して見れば、滑稽さが見えて来るよ。ゲラゲラ笑ってあげましょう。困ったちゃんなのは、「○○恐怖症」に陥ってしまうこと。この○○に、今度のコロナとか、放射線とか、テロとか、地震とか、失業とか、何でも当てはめられる。でもパターンはぜーんぶ一緒だから、このメカニズムをよ〜く頭に入れて、そうならないようにしてね。

 

誤解や認識不足がある中で、同じ恐怖について繰り返し吹き込まれていると、意識がそこに集中して、先ず過剰反応を起こすのです。この過剰反応による不安状態が、その後もずーっと続くと、心身のバランスがしだいに崩れていき、遂には病的状態にまで陥ってしまうのです。ですから、誤解や認識不足があるということと、恐怖を煽る繰り返し刺激に無防備に身を晒してしまう、という2点が「○○恐怖症」に陥るリスクを一段と高めるのです。

 

それを知った上でテレビ報道を見ると、肝心な情報はちっとも伝えずに、恐怖心を煽る情報のみを繰り返し流しているのが判るでしょう。それは、彼らの戦術なのです。人々を「○○恐怖症」に陥らせるための。もう、テレビや新聞はいっさい見ないことです。もはや百害あって一利なし。マスコミの時代は終わりました。マスコミ人たちは、自分たちでそのようにして信頼を低下させて行ったのですから、同情はできません。気概あるジャーナリストは、すでに独立メディアを立ち上げていますよ。

 

「信頼」は昨日今日で出来るものではありません。10年は掛かる。また、人がやることですから、誠実な人からしか「信頼」に足る情報は出て来ません。何が正確な情報で、何がきちんとした認識なのかを見極めることは難しいですが、自分で情報を取りに行って、少しずつ勘を養っていくしかありません。あとは、直感に聞く。そうやって、誤解や認識不足を修正して行けば、「○○恐怖症」に罹るリスクはグッと減ります。

 

その上で、これからすることになるであろう「体験」を生き抜くのです。

 

動乱の時代こそ、自分で積極的に動くことが大切です。待ちの姿勢でいては、流されてしまいます。自分から動けば、何ものかにコントロールされているのではなく、自分で自分をコントロールして生きているという認識に立てます。そうすれば、怖いものはありません。成功・失敗は気にしなくていい。失敗して「魂」の成長を果たし、成功してカルマを作る、なんてことはしょっちゅうある。むしろその方が多いくらいです。

 

「体験」と「認識」がすべてです。周囲の出来事は、すべてあなたのために用意された「幻」なのです。ですから、この「幻」の最終章を見事に生き抜いて、様々な「体験」を通して、あなたという「魂」の大いなる成長を果たしてください。

 

天はいつもあなたを見守り、応援しています。

若い魂

宇宙の計画では、地球はまもなく「幼年期の惑星」としての役割を終えます。そして次元上昇(Ascension)を果たすのです。その完了までは、(あるチャンネルの情報によると)300年ほど掛かると言われています。しかし、様々なメッセージが、みな共通して語っているように、それまでの旧い秩序、旧い考え方、旧い社会システムが、ことごとく崩壊する過程を、人類はこれから共通体験しなければならないのです。

 

これは、旧来の秩序や考え方をどうしても維持し続けたいと考える人々にとっては、耐え難い苦痛をもたらすものになるかも知れません。ですが、何度も言って来たように、この過程は陣痛に喩えられ、新たな希望をもたらすものでもあるのです。同じ敷地に新しい家を建てるためには、旧い家は取り壊さなければなりません。これをしっかり頭に入れて、明るい希望を絶えずイメージしながら、今を乗り切って行ってください。

 

地球人口は、1900年には15億人ほどだったものが、1950年には25億人、そして現在は70億人を突破しています。日本の人口は減少する一方ですし、数字を見ただけではピンと来ませんが、グラフで見ると、まさに「人口爆発」と形容するしかないような急激な膨張カーブを描いていることが分かります。「人口爆発」現象の原因についてはひとまず置いて、これを「魂」的に見たとき、そこにはどんな意味があるのでしょう。

 

「魂」の世界から見れば、身体は乗り物です。乗り物の数が爆発的に増えているということは、そこに乗っかる「魂」も、また同じだけ増えているという勘定になります。つまり、同時代を生きる「魂」が爆発的に増加しているのです。ン? まったくワケがわからないですよね。一体どういうことなのでしょうか。これは、輪廻転生のサイクルがどんどん短くなって来ているということが一つ。それともう一つは、誕生したての「若い魂」が増えているのです。

 

転生サイクルが短くなっていることの大きな理由は、近年になるほど、一つの人生で体験できる要素が格段に増えたからです。時代を遡るほど、100年、200年と経過したところで、社会はそれほど大きく変わることがない。すると、仮に200年後に転生して来たとしても、直前の前世とまったく異なった新しい体験が出来る可能性に乏しいのです。そこで、古い時代には、新しい体験をするために、転生期間を大きく空ける必要があったのです。

 

しかし今は、社会変化のスピードに加速度が付き、昔なら100年で起きたようなことが50年で起き、50年で起きたことが30年に、30年で起きたことが10年で起きるといった具合で、激変の度合いがどんどん増しています。そうしますと、死後ほどなくして転生したとしても、前世とはまったく違った新しい社会が体験できます。そのようなことで、転生サイクルも加速度的に短くなって来て、それが人口増に影響しているのです。

 

けれども、これだけでは乗り物の爆発的増加に対して、まだまだ「魂」の数が足りません。結局その分は、宇宙に誕生して間もない「魂」が、大挙して地球に押し掛けるという現象によって補完しているのです。したがって、70億人の中には、地球人人生がまだ数回しかないという、非常に「若い魂」も大量に含まれ、彼らが今の「人口爆発」のマジョリティを形成しているのです。

 

「若い魂」が大挙して押し掛けている理由は、もちろんこの激動の時代(「動乱の時代」と言った方がいいくらいですが)を体験するためです。今度の「地球のアセンション」は、宇宙の中でも滅多にない出来事です。「魂」たちからすれば、激動の時代だからこそ、体験できることの幅も深さも大きい。言い換えれば、一回の人生で、何生分もの体験を、いちどきに通過できるというまたと無いチャンスなのです。

 

ここで、注意していただきたいことがあります。先ず、「若い魂」の「若い」ということですが、これを実年齢と混同しないようにしてください。「若い魂」というのは、あくまで転生回数が少ないという意味です。「若い魂」であっても、今現在の実年齢は、赤ちゃんからお年寄りまで幅広い年代がいます。また、転生回数が少ないと言っても、地球時間では数百年から一千年くらいの時代の、その時々を生きて来た体験を持っています。宇宙の時は悠久ですから、地球時間とは感覚が違うのです。

 

さて、「若い魂」たちが非常に多いということは、どんな傾向を社会にもたらすことになるでしょうか? 「若い」ということは、「魂」の旅の〈初期段階〉を経験したがっているということです。早い話が、地上世界に出て来て、思いっ切りヤンチャをしてみたいのです。父母の庇護のもとから離れて、家出したばかりの少年少女のようなものです。現代社会は、そういう、「魂」の〈初期段階〉にある人間たちが集まってマジョリティを構成しているのです。

 

一方、転生回数は相当数に上るものの、成長の極めて遅い「魂」たちがいます。成長が遅いということは、同じカルマを何度も繰り返しているということです。非常に執念深いのです。カルマの真因は、解消できないこだわりであり、その元にあるのはエゴです。ですから、成長の遅い「魂」というのは、言い換えれば「エゴ」のベテラン化した「魂」たちです。

 

この「エゴ」のベテランの「魂」に、ヤンチャ盛りの「若い魂」たちが呼応して(つまり同種の波動が互いに引き合って)、今の社会が、そして世界が現出しているのです。ですから、今の世界はメチャクチャなのです。人々が「現実」と呼ぶこの世界は、人々の「心」の総和が形となって現れたものです。その「心」の根っこにあるのは、結局は「魂」だからです。

 

地球は、いまだ「幼年期」にある惑星です。以前にも書きましたが、ここは「幼稚園」なんだと思って見れば、今の人間の行動が理解できます。他の人々を自分の思い通りに動かしたいジャイアンのような暴君がいて、それにゴマを擦って取り立ててもらう輩や、パシリとなって仲間にしてもらおうとする者や、言いなりになってコキ使われてしまう人々や、イジメられたり路上に放り出されたりする人もいる。地球人の人間社会というのは、このレベルです。

 

選挙で選ばれて国会議員になり、法務大臣の椅子に座った人間が選挙で買収をする。悪事と不正を暴くのが仕事であるはずの検察のトップが、賭博行為で失職する。非常事態の「宣言」は出しても実際の危機管理能力はゼロで、国民の生活危機すらも利権の種にしてしまう。そして、都合の悪いことは全て隠蔽し、ない成果を誇って、失策はみんな他人のせいにする。まったくマンガみたいな話がどうどうとまかり通っています。

 

モラルがどうのこうのと言っているわけではありません。「職務」をぜんぜん理解していない者が、「地位」に就いているという、この国の異常さを指摘しているのです。それは、今の政府閣僚、高級官僚の実態を映し出した鏡です。実務能力のある人はみんな粛清してしまい、周囲をゴマ擦り人間だけで固めたために、利権で金を配り続けていられる間は一強を保っていられたけれど、コロナ一つで、無能という真実の姿が露呈してしまった。

 

でも、どんなに利権まみれであろうが、税金を泥棒しようが、嘘つきであろうが、原稿棒読みしか出来なからろうが、漢字が読めなかろうが、ブチ切れた時にしか自分の言葉を持たなかろうが、「絶対に支持する」という岩盤支持層が3割いる。さらに、中国憎し、韓国憎し、北朝鮮憎しとちょっと口を開けば、パッと燃え上がる人たちが、これに最大3割プラスされる。こういう状況下で、かつ5割の人が選挙には行かず、政治に無関心なのですからどうにもなりません。


日本は、もう権力者たちのやりたい放題。利権にあずかれる3割だけが「いざなみ」を超える好景気という一方、非正規労働者は4割を突破。「貯蓄ゼロ世帯」もじわじわ増えて、今や37パーセントに。私も堂々その一員(´_`;)。平成の30年間、日本はこうして坂道を転げ落ちて来ました。いまや法治国家ならぬ放置国家。いや、呆痴国家と言うべきかな? でも、国民のマジョリティがそうなることを選んでいるのですから、これはもう仕方がない。

 

「若い魂」たちは、〈融和・統合〉へのプロセスよりも、いまだ〈分離・排斥〉意識の方がずっと勝っています。他者を出し抜くことで、個我を満足させたいという成長の段階にあるので、強さを誇る権力者や権威者には共感を示します。彼らにとっては、〈融和・統合〉の道など、偽善的なものとしか映りません。ですが、「若い魂」たちの思考や行動を、力づくで変えることは出来ません。そこは、やはり気づきを待つしかないのです。

 

ここで錯覚しないようにしなければならないのは、「若い魂」だからと言って、決して劣っているわけではないということ。宇宙は、確かに振動数の高低によるピラミッド構造(ハイアラーキー)を構成しています。しかしそれは「優劣」の差を表しているのではありません。低いドの音と、1オクターブ上のドの音に、優劣があるでしょうか。単に振動数が違うというだけであって、全体で宇宙は「一つ」なのです。宇宙にムダというものは一つもないのです。

 

地上に見られる大半の組織は、この宇宙のピラミッド構造を模して作られたものですが、人間は、これにエゴから生じた「優劣」の概念をプラスしてしまったのです。宗教組織ですらそうで、宇宙の平等というものを、彼らは何も解っていないのです。ですから、これをまた宇宙に再適応させてしまっては本末転倒です。ここは「幼稚園」。みなさんには、保母さん保父さんの視点に立って、「若い魂」を見守っていただきたいのです。

 

どんな「若い魂」にも、どこかの時点で完成の域に達している「魂」が必ずいます。また、あなたにも、生まれたての「若い魂」であった時期の自分が、今もどこかに同時に存在しているのです。この構造をよく理解してください。それを知って世の中を見れば、他者を許すことが出来ますし、自分を許すことも出来ます。腹が立つ瞬間も、しだいに少なくなって行くことでしょう。保母さん保父さんの視点に立つとは、他ならぬ「神々の視点」に立つということなのです。

 

〈融和・統合〉の集合意識と、〈分離・排斥〉の集合意識の、どちらが51パーセントを超えるかによって、今後の社会全体の行方は決まります。それは個人においても同じことで、一人の人間の中の、〈融和・統合〉と〈分離・排斥〉意識の、どちらが51パーセントを超えるかで、その人のこれからの生き方が変わって来るのです。今回のコロナ騒動はその試金石となりました。

 

全世界が、いまだかつてないパニックに同時に襲われた中で、人々の行動には二極化が見られました。第一のグループは、恐怖感に襲われたあまり、不安神経症や鬱になったり、逆に感染した人やその疑いがある人を村八分にするような行動に出た人たち。第二のグループは、この試練をテコにして、生きる意味や、本当に大切なものは何かを考え直すきっかけにした人々です。

 

前者は、自分を自分でドライブすることを忘れてしまった人たち。後者は、自分で自分をドライブする視点を忘れなかった人たちです。今度の騒動で、何かに依存して漫然と生きることの危うさを、みな解ったのではないでしょうか? 動乱の時代には、自分を信じ、自分をドライブして、日々クリエイティブに生きることが必須となります。

 

前者のグループも、この先、騒動が沈静化し、心が落ち着いてくれば、しだいに後者の視点を持つように変わっていくかも知れません。しかしどうなるにせよ、あなたにとって重要なポイントは、この先の社会で起こることはみな、あなたのために用意された風景に過ぎないということです。ここをしっかりと認識しておいてください。

 

世間的に良いとか悪いとか言われることであっても、また自分にとって良いとか悪いとか思われるような出来事であっても、そのすべての体験から、あなたは自分へのギフトを引き出すことが出来ます。あなたは、その体験を味わい、意味づけし、自己の「魂」への成長の糧とすることが出来るのです。そして、この気づきがあるたびに、あなたは〈融和・統合〉への道を、一歩、また一歩と自然と歩み出していきます。

 

これは理屈ではなく、最初からそうプログラミングされているのです。「魂」の旅の、これは必然なのです。

そして、そのような個々の気づきが増えていって、総量が51パーセントを超えた時、社会も〈融和・統合〉へと舵を切ることになるのです。

希望のあかりが見えて来た ― 2020年に贈る、2019年の総括

2019年は、山が大きく動き出した一年でした。古いものは壊れていき、新しいものが勃興する。これはごく自然な宇宙が宿したサイクルです。けれども、この自然な流れに抵抗して、いつまでも山のようにデンと居座り続けていると、歪みのエネルギーが溜まりに溜まって、遂には裂け目がポッカリと空く。それが2019年という年であり、平成の30年間(ちょうど一世代分)という節目を経て、新しい時代「令和」が誕生したのです。

 

時代の裂け目は、まるで蓋が開いた「パンドラの箱」のよう。隠されていた悪事が、次から次へと飛び出して来る。でもこれは地球の歴史の必然なのです。もう、隠し通せる時代は終わりました。2020年はこの山がさらに激しく動きます。あなた方は、その現象面に翻弄されることなく、大所高所からこれを見て、時代変化が示している意味をよ〜く考察して、激動の時期を乗り切り、二段階の飛躍をどうか成し遂げてください。

 

変化というものは徐々に進むので、変化中は、ゴールがどのようなものになるかがランナーには見えません。支配者や権力者たちはそれを利用して、表向きには美辞麗句のゴールを並べ立てておいて、実際には別の方向へと人々を走らせるのです。もう、こんなマラソン参加はやめましょう。これからは、その企みに乗らない感性、裏を見抜く直感を身につけてください。

 

憲政史上最長の在任期間となったA首相。この機会に、この方が為した功罪をここで振り返ってみましょう。もちろんこの「功罪」は、「宇宙には罪も罰もない」という基本に立った上で、話の都合上、使ったまでのことだとご理解ください。

 

先ず「罪」は、日本の富を盗んで、外国の投資家と自分および自分の取り巻きの人々に移し替えてしまったことです。また、こうしたことが可能となるように、法律、マスコミ、省庁、人事権等を自分の応援団たちのみが優遇される制度に作り変えて行きました。事実上の独裁体制です。その結果として、日本の国力は著しく衰退し、先端技術からも立ち後れ、富める者と貧しき者との格差が急激に広がり、あらゆる面で日本は二等国に転落しました。

 

一方の「功」は、価値観の大転換を促してくれたことです。いまや政府そのものが反社会勢力であること、マスコミ報道は情報操作であって全く信用ならないこと、政治家は私利私欲しか考えておらず汚職まみれであること、その政治家の提灯持ち専門の知識人がいるということ、警察・検察も政権の犬でしかないこと、裁判は決して公正ではないということ、地検特捜部の上部機関はCIAであること、首相を始め内閣の構成員は嘘しかつかないこと、高級官僚は脳を改造されたロボット人間になっていること、等が誰の目にも明らかにされました。

 

これは大変な功績です。それまでの「信用」をことごとく破壊し、見事に「戦後レジームからの脱却」という公約を実現させました。ただ一つ、対米従属だけはそのままでしたが。そればかりではなく、「鬱苦強しい国、日本」も公約通りに実現させた。今や多くの人が鬱になったり、生活苦を強いられて生きねばならない国となりました。第二次政権発足以降のわずか7年で、ここまで日本を変えた。こんな芸当は、Aさん以外には出来ません。

 

そして、ご自身の体調不良を押してまで、身に不都合あるごとに積極外遊を展開し、世界のどこに出しても恥ずかしい首相を、スーパーマリオに扮してまで立派に演じ切ってくれたのです。たとえ経済的、また頭脳的には二等国・三等国に転落しても、この涙ぐましい努力と、吉本にまで通って得た本格的ノウハウによって、日本を世界に冠たる「嘲退国」という新たなポジションに押し上げたのです。これは未だかつて、誰も成し遂げたことのない偉業です。

 

まさに逸材。だからこそ党内の信望も厚く、憲政史上最長の在任期間を達成できた。Aさんは、「信用は幻想に過ぎないのだ」ということを、7年間を掛けて、丁寧に少しづつ、国民の前に詳(つまび)らかにしてくれました。これでAさんの役割は終わりました。このAさんの身を呈した努力に、今度は国民が応える番です。Aさんが残してくれたこの成果を、次の時代を生きる人たちは、決して無駄にしてはなりません。

 

ここまでして下さったのに、それでもなお、政治家を信用し、政府を信用し、マスコミを信用し、御用評論家を信用し、警察・検察を信用し、裁判所を信用し、お金を求め、子どもを東大に行かせたいと思っていたとしたら、本当のお馬鹿さんです。時代変化を読めないにもほどがある。Aさんは、「俺たちを信用するんじゃない」「人や、組織や、システムへの依存体質をみ〜んなガラポンして、これからは自分で考え、自分の意思で行動しなければいけない時代が来たんだよ」と言ってくれているのです!

 

そこを忖度してあげてください。ですから、反Aとか、not Aではダメなのです。それでは今までと何も変わらない。同じ土俵上でのプレイヤーが変わるだけです。Aさんが示してくれたものは、土俵そのものを疑え、土俵そのものをひっくり返せ、ということなのです。それが冒頭の二段階の飛躍という意味です。要は、社会のプラットフォームの大転換が始まったぞ、ということなのです。

 

A首相に感謝です。Aさんの他に、誰がこれほどまでのことができたでしょうか。あなたにAさんと同じ役ができますか? 私にはとうてい無理。こんな辛い役目はできない。でも誰かがやらなくてはならなかったのです! この時代の、大きな節目にね。

 

ただ一つ心配なのは、Aさんの体調。Aさんは、自分がただの操り人形であったということに気づいていません。自分が、取り巻き連中を操っていると思っているのです。これぞエゴのなせる技です。

 

可哀想に、本当の自分、真実の自分という存在に、未だに気づいてはいません。でも奥深いところには、みんなと同じ愛のエネルギーが彼にも流れているのです。愛のエネルギーは、そのことを一生懸命に気づかせようとしているのですが、あまりにも肥大化したエゴがそれを許しません。「そんなものは見るな!」と命令するのです。するとどうなると思いますか? 両者の綱引きによって、心が引き裂かれてしまいます。そしてそれが、やがて体調にも顕れるのです。

 

エゴは強力な麻薬です。他者をエゴで操ろうとする者は、同じエゴに惹かれた人を集めて虜にします。このエゴがうまく機能している(つまりご馳走にありつけている)間は、エゴは強力な接着剤となってお友だちの団結は強まります。ところが、このままでは自分にとって不利益だと感じた途端、この人たちはまるで手の平を返したように、親分を裏切ってサッサと逃げてしまう。それか、捕まった場合には、責任のなすり合いが始まる。まあ見ていてご覧なさい、必ずそうなる。

 

結局、「自分だけは」というのが、エゴの働きだからです。「親分がお縄に掛かるなら、自分も切腹する!」な〜んて奴は一人もおりません。ですから、エゴの餌の上に君臨した親分というのは憐れなもので、運気が下降局面に入ると、部下の裏切りが怖くて夜もおちおち眠れなくなる。ノイローゼに陥った親分が最後に取る方法は、決まって裏切り者(と自分が見なした者)の粛清と、民衆への大弾圧です。

 

そんなところへ行き着く前に、「ごめんなさい」という気持ちが芽生えてくれればいいのですが。果たしてその勇気があるかどうか‥‥。

でもこれは、国だって、会社だって、宗教だって、み〜んな同じ。同じことの繰り返し。いや、繰り返しだった、今まではね。

 

さて、そこでです。

もう、繰り返す歴史を、ストップさせる時期が来たということ。

何しろ、信用できるものは、外には何ひとつないのですよ。

もちろん、このブログもです! 信じてはならない。

信じてはならないというこの忠告も、信じてはならない。

とにかく、一切合切、信じるな。

 

信じる者は救われない!

なぜって、救いようがないじゃありませんか。何かを信じているのだから。

信じているものを手離そうとしないのだから。

前にした、気球のたとえを思い出してくださいよ。

 

現内閣の支持率が、あなたが思う以上にずっと高留まりで推移していることを不思議に思ってはいませんか? でも、この内閣は連立を組んでいるんですよ。片方に、宗教組織をバックに持つ政党がくっ付いている。この信者さんたちは、何が何でもこの政権を支える。わが政党幹部のご意向に従う。それが、たとえ自分が信奉する宗教の、教義に反するものであってもね! だとしたら、この信者さんたちが「信じているもの」とはいったい何なのでしょうか?

 

外から来るものを信じたら、その瞬間から、あなたは自分を見失う。

そして、信じるものに頼ろうとする。

頼ろうとするから、不安感が増幅する。

そこで、増幅する不安感を打ち消そうと、あなたはますますそれを強く信じる。

そして、ますます自分を見失う。

 

だから、一切合切を信じるな。

 

じゃあ、どうすればいい?

あなた自身に聴くのです。

あなたの内なる真実にね。

 

騙す人が悪いのじゃない。

騙される人がいるから、騙す人が存在できるのです。

嬉々として操られる者がいるから、操る者が存在できるのです。

人類支配に関する闇は、一見、超複雑なように見えて、

実は、たったこれだけのことでしかない。

両者は協力し合って、この地獄絵図の世界を創っているのです。

この関係性に目覚めよ!

これに目覚めなければ、地球の歴史に真の変革は来ない。

 

他者に操られる者には、決してなるな。

自分で自分を支配せよ。

崩壊へ向かう世界、その中にある希望

地球の大変革が加速しています。敏感な方なら、その顕れをいま肌でひしひしとお感じになっておられることでしょう。

 

大きな潮流は三つあります。一つは、気象災害が激甚化している一方で、今なお地球環境の破壊行為が止まないという点。二つめは、お金の仕組みを含むこれまでの政治・経済システムが機能不全に陥る中で、新たな民衆運動が勃興して来ているという点。三つめは、AIやロボットや遺伝子操作等の、次世代テクノロジーの著しい発達です。

 

これらは表層的に見れば、それぞれバラバラな変化として見えるでしょうが、その根底にあるものはみな共通しています。それは、古い考え方、古いシステム、古い秩序から、新しい考え方、新しいシステム、新しい秩序への大転換が進行中ということを意味しているのです。そして、これまでにも何度か語って来たように、新しい家を建てるためには、古い家は破壊されなければならないのです。

 

これから進行することになるであろう世界の大混乱は、この移行期に伴う必然的な事象です。古くから、このことは陣痛にたとえられて来ました。それは地球という惑星に課せられた、次への産みの苦しみだということです。あなた方は、このことをよく認識して、これからご自分の目の前に起こることにもきちんと対処して行って欲しいのです。

 

それはこういうこと。来たる陣痛の苦しみに怯えながら毎日を過ごすか、それとも、赤ちゃん誕生の喜びを予感して今を耐え抜くかです。

 

毎日毎日、飽きもせずに、地震や台風や犯罪事件発生の警告ばかりしておられる霊能者の方がおられます。その方の霊能力を疑うわけではありませんし、きっと親切心でやっておられるのだと思います。でも、そんなことをしていったい何になるのでしょうか? そうした警告を事前に知って行動すれば、被害が未然に防げるということなのでしょうか?

 

たぶんそうなのでしょう。けれども、〈未然に防げるもの〉とは、何を意味しているのでしょう。生命や財産のことではありませんか? それがそんなに大切なのですか? 実に、ここが肝心なところです。あなた方は、全員が、いずれはこの世でいうところの「死」を迎えます。どの道、生命も財産もぜーーーんぶ失われることになるのですよ。そんなものに執着心を抱いて、一体どうするのですか?

 

そんな対処法は、単に「衝撃」の先延ばしに過ぎない。それよりも、「衝撃」を事前に手放して、来たる日が、もう「衝撃」とは思わない気持ちになって、今日という一日を楽しく過ごした方がずっといいとは思いませんか? 地震は起きるときには起きます。台風は来るときには来ます。事件は起こるときには起きます。そんなものは当たり前。ない方がおかしいです。

 

自分だけは助かりたい。そんな卑しい気持ちを刺激されて興奮しているようでは、先行きは暗いですぞ。よいですか、地球環境が今のようになったのはどうしてですか? 森林を伐採し、資源を掘り尽くし、川や海を汚染し、放射能を撒き散らし、毒入りの野菜を食べる日常を日常にしてしまったのは、あなたたちなんですよ。あなたたちが、総意としてそういう社会を創ったのです。

 

なぜ、そこに気づかないの? どの世界に、自分が依存している環境を、自分の手で破壊する生物がいますか? でもそれを、あなた方はやって来たし、今もまだやっている。ああ、なんという愚かさでしょう。昨今の気象の極端化現象は、人々の心の極端化現象をそのまま映し出したものです。これは天が下す罰ではありません。宇宙には罪も罰もありません。作用と反作用があるだけ。

 

それらはみんな、あなたたちが望んだこと。あなたたちの心が、そのような世界の実現を追い求めたのです。このメカニズムに気づきなさい。災害で突然死することの恐怖を云々する前に、人類は共同して、緩慢な「自殺」に向かっているということを知るべきです。いや、緩慢どころではない。今や急展開で向かっているのですよ。

 

あなたたちが今なすべきことは、霊能者の予言に従って、危険から自分の身を回避することではありません。これは、人類みんなの問題なのです。人間が誰も住めない地球になろうとしているのに、自分だけは生き残ろうとしたってそうはいかない。あなたたちが今なすべきことは、今できることからライフスタイルを改めることです。そして、地球を破壊することに熱心な、愚かな政治指導者たちに対しては、敢然と反旗をひるがえすことです。

 

古い考え方、古いシステム、古い秩序に固執する人たちは、これを維持しようとして、今やなりふり構わぬ策に出ています。しかし、いくら延命策を講じようとも、もはや継続の限界値を超えており、今の社会システムは近い将来に必ず破綻、崩壊します。一方で、新しい考え方、新しいシステム、新しい秩序を模索する人々は、既存の仕組みを破壊します。つまり、どっちの道を選ぼうとも、今の世界秩序は崩壊します。

 

そこに希望を見出してください。

 

えっ、分からない?

たったいま言ったばかりじゃありませんか。

赤ちゃん誕生の喜びを予感して、今を耐え抜くのですよ。

 

強いイメージを思い描きなさい。

住むところや、お金の心配がまったくなく、世界中の人々が、自分の才能を発揮し、これを持ち寄って互いに分かち合える世界を。助け合える世界を。喜びと喜びが交換できる世界を。一切の武器がなくなった世界を。子どもたちがみな笑顔で、のびのびと自由に遊んでいる世界を。

 

みんなが思い描けば、そのような世界が出来ます。うそじゃない。思いが行動となり、行動の結果が世界を創るのです。人類は今まで、それとは真逆の世界を思い描いて来たからこそ、そのような世界が実現化しているのですよ。この単純な理屈に気がつきなさい。深い眠りから、眠り続けて来た長い歴史から、いよいよ目覚める時が来ました。このチャンスを、是非ともものにしてください。

 

あなた方に染み付いた洗脳は、あまりにも深く、また何重にも積み重ねられているので、完全に目覚めるまでには、何度も何度も高いハードルを乗り越えなければならないかも知れません。でも、人類全体を覆い尽くしている「洗脳」が、どのような構造によって出来上がっているかをここで知れば、脱出への糸口が掴めるかも知れません。

 

人類全体を覆うこの巨大な洗脳システムは、次の三つの要素の連鎖から成り立っています。

 

/祐屬持つエゴ

▲┘瓦魎霹廚箸靴社会構造

その社会に適合しなくてはならないという思い込み

 

先ずは、人間が普遍的に持っているエゴです。エゴというのは、もともとは魂が一者から分かれて、個別化した際に、必然的に発生したものです。

 

それは、自分以外の「他者を認める」という視点を提供すると共に、乗り越えて行くべき修養のツールとして機能しているのです。

 

ところが地上では、エゴの行使がむしろ礼賛される傾向があり、近年その傾向が一段と強まっているのです。

 

富を得ること、名声を得ること、地位を守ること、他者を支配すること、人を騙すこと、他者から収奪すること、が実に大っぴらに行われ、こうした能力に長けた人たちが、社会の中枢でリーダーの役割を果たすようになっているのです。これは地上世界ならではの逆転現象です。かつて言われた「人徳」などという言葉はもはや死語同然で、剥き出しのエゴをぶつけ合う世の中になってしまったのです。

 

このような価値観を有するリーダーたちが、今の社会の中枢を担っているのですから、当然ながら、社会構造の基盤は、こうした価値観をベースに形成されて行きます。お金の問題も、教育も、医療も、外交も、法律も、エネルギー問題も、環境問題も、マスコミも、何もかもがエゴを満たすための仕組みとして考案され、特定の人のみが利益を得るように計画されているのです。

 

さて、こうした社会構造は、ごく一部の人のみが得をする仕組みになっているのですが、既得権益を持つ人たちは、この構造を維持し続けるために、ここに競争原理を導入し、この構造を大衆に認めさせます。それによって、構造そのものの是非までは問われないようにしているのです。たとえて言えば、高校野球の甲子園大会のようなもの。毎年恒例でそれが当たり前の感覚になっているのです。

 

しかし、むろん大衆の多くは、この支配構造の上部に行くことは出来ません。けれども、競争原理のおかげで、自己責任論を押し付けることが出来るのです。あなたが貧乏なのは、あなたがよい会社に入れないのは、あなたがいい地位につけないのは、あなたが結婚できないのは、みんなみんなあなた自身のせい。あなたの努力が足りないせいなのさ。

 

かくして、今の社会構造にちゃんと適合して生きねばならない、そしてその階段を上らなければならない、という「思い込み」が、体の芯にまで沁み通ることになるのです。そして、そのための必死の努力が、その人の内なるエゴを強化し、それによって社会構造はますますエゴに傾き、社会に適合しなければならないという思い込みが、さらなるエゴを育てるという悪循環となって、この輪がグルグル廻るのです。

 

今の社会の「生きにくさ」というものの正体は、まさにこの循環の中にあるのです。心を和ませる小さなコミュニティというものが次々と失われ、人類の大半が巨大システムに組み込まれて生活をするようになりました。誰も彼もがTwitterで呟き、いいねボタンを押し、amazonで買い物をし、チェーン店で食事を済ませ、テーブルに並んだお皿の写真を撮ってInstagramに投稿する。

 

それはまるで、先へ行こうとして、ただ車輪を回し続けるハツカネズミのようなものなのに、誰もそんなことは気にしていない。この循環の輪にいちど嵌ってしまったら、もう容易には脱け出せないのです。なぜなら、この輪からこぼれることは、その人に大変な恐怖心をもたらすから。エゴを捨て去ることも恐怖だし、社会構造が崩壊することも恐怖。自分の思い込み(信念)が引っくり返ることはさらにさらに大恐怖です。

 

この「洗脳」システムのループは極めて強力で、誰も、よもや自分が「洗脳」されているとは気がつかない。子どものためを思う親も、学校の教師もみな「洗脳」されているのであり、それを管轄している役所の人間も、政治家も、経済人も、学者も、マスコミ人もみんなみんな「洗脳」されていて、この「洗脳」が、グルグルと果てしなく回転するのです。

 

右だ、左だ、と言ったところで、このシステムの中でウロチョロしているだけであって、右が左を攻撃し、左が右を攻撃するのは、その約束事に習って条件反射しているだけの話。所詮は、籠の中でグルグル車輪を回すハツカネズミなのです。でも、「この社会は、それ自体がどうもおかしい」との直観を持つごく少数の人にとっては、この世界は、もの凄く生きにくい世の中に映ることになるのです。

 

そして、そのような人たちの大多数は、今までは、社会の同調圧力に負けてしまっていました。なぜなら、そこに疑問を呈することは、即、社会からの落ちこぼれを意味しましたし、独りぼっちになることでしたし、そもそもそれ以外の「生き方」を考えたこともないし、教えて貰ったこともなかったからです。

 

ですから、その輪からドロップアウトすることは、もの凄い勇気を必要とする。みんなそれが怖くて、「本当は、もっと違う世界があるのかも?」「本当の幸福というのは、違うところにあるんじゃないだろうか」とふと思っても、急いでその思いを打ち消して、またハツカネズミの生活に戻って行くのです。たとえ確信めいたものが浮かんだところで、家族がそれを否定することは目に見えていますし‥‥。

 

でも、あなた方に言っておきます。このループの一端は、すでに崩壊に向かって進んでいるのですよ。既存の社会構造の崩壊が加速度的に進んでいる。その顕れを、あなたも既にお感じになっている筈です。ですから、この輪のネガティブな連鎖はやがて切れてしまいます。

 

さてその時です。ただ仕組みをぶっ壊すだけでは足りない。人類の課題としては、自分の「思い込み(信念)」の誤りに気づいて、同時にエゴを手放すことが出来るかどうかです。

 

この点で、いま「地球人」となっている魂が選択する道は、大きく二手に分かれます。それでもなお、エゴを貫き通そうとする道を行くのか、それともエゴを手放す道に入るのか。

 

よいですか。「救い」というのは、命が助かることでも、財産が保全されることでもないのですよ。悩みが解消されることでも、どん底から引き上げられることでもない。結果、そうなることがあったとしてもね。「救い」というのは、「目覚める」ことなのですよ。何に? 自分は「最初から救われていたのだ」ということに。この世は、自分が現実だと思っていたこの世界が、実は「幻に過ぎないのだ」ということに。

 

この世は幻。

 

あなたも、この真理の言葉に、一度は触れたことがあるでしょう? 古代より、変わらず言われ続けて来たことです。でも、そう言われても何のことやらさっぱりワケが解らないでしょうし、たぶん実感も湧かないことでしょう。無理もない。もしそれが解れば、しかも頭で解るのではなく、全身で、かつ魂のレベルで解るのであれば、その人は既にアセンションしているということですから。

 

しかし、いま改めて「この世は幻」と聴いた時、あなたはこう思うかも知れません。「もし、この世が幻と言うのなら、そんな世界を生きることに、いったい何の意味があるのか」と‥‥。解りますよ。でも違うのです。

 

「幻の世界を、どう生きるか」が問われているのです。

 

あなた方が、この世でいうところの「死」を迎えた時、かつてあなたであった身体は、間もなく分解を始めます。あなたには、もうこの世で生きる乗り物はありません。あなたが生きた証しだと思って来た数々の残留物との接触も、その瞬間から断たれます。でも、本当のあなたは、その後も生き続けるのです。本当のあなた、それは多層階で構成された「意識」です。

 

本当のあなたであるところのこの意識体は、そうやって、あの世とこの世を行き来しているのです。意識体だけが連続するのであり、生まれ変わりを体験する度に、そこでの成長度合いが魂に刻み込まれるのです。さあ、もうお解りでしょう。「幻の世界を、どう生きるか」が問われている、ということの意味が。幻想の世界というのは、あなたに向けられた、中間テストや卒業テストのようなものです。

 

そのテストを前にして、あなたはまだエゴの誘惑に負けてしまうのですか。今度ばかりは、地球人にとってラストチャンスなのですよ。エゴをますます太らせて行こうとする人々を、反面教師としなさい。そして憐れんであげなさい。かつてイエスも言いました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、自分でも分からないのです。」と。

 

あなた方は、エゴの扇動者に、もうこれ以上、巻き込まれるのを止めるべきです。今度こそ、この不毛の輪の連続から自由になるのです。勇気を持ちなさい。この輪からドロップアウトしても、宇宙が失われるわけではありません。地球が無くなるわけではありません。

 

あなた方がいま「正しい」と思っている社会通念も、みーんな人間が拵えたもの。その時々の為政者が、社会の支配者が、自分たちに都合のよいように。そんなものは、時が変われば一変してしまう、所詮は泡沫(うたかた)に過ぎないのです。それなのに、これからも泡沫の奴隷であり続けるのですか?

 

そこに気づきなさい。あなたは自由だし、霊魂は深いところで、宇宙の真理を知っています。あなたが真理に沿った生き方をすれば、魂は喜び、真理に逆らった生き方をすれば、魂は引き裂かれ、苦悩に沈みます。

 

すべては一つ。そこに希望を見出しなさい。

あなたの中に未だ燻り続けるエゴを、ジャンピングボードに活用するのです。

そして、大きく羽ばたくのです。

あなたには、それが出来る。

地球のアセンションと政治

政治に関心を持ち、これに積極的に関わって行くことはとても大事です。なぜなら、私たちの生活は否応なく、政治が描く基盤の上に成り立っているのですから。その下では、あらゆる制度から、社会インフラから、ものの考え方や、行動原理までもが、政治によってコントロールされているのです。私たちは、そのことを普段ほとんど意識ませんが、実はそれほどまでに、そこに従属させられているのです。

 

精神世界に興味のある人の中には、ややもすると、政治的な事柄を、単に汚れている世界や俗事として決めつけ、そこを避けた生活を送ろうとしたり、神仏の加護をひたすら願う日常を送るという人が多いのですが、これでは本末転倒です。自分がなぜ地上に生を受けたのか、そこをよ〜く考えてみてください。地上でしか味わえない体験をするためであり、地上のカルマの世界に積極的に飛び込んで、行動することが何よりも大切なのです。

 

さて、このように政治は社会の基盤ですから、政治を司る地位にどういう者たちが就くかということは、人々の生活全般や、健康や、心のあり方に重大な影響を与えます。簡単に言えば、良い指導者がその地位に就けば、人々の暮らしは良くなり、悪い指導者が就けば、人々の暮らしは悪くなるのです。この良い・悪いは、利他的な発想をどれだけ持っている人なのか、あるいは利己的な人物なのか、ということに依ります。

 

現在の日本の政治のトップである内閣総理大臣のAという人は、類まれな人物です。後にも先にもこれほどの人物は珍しい。通算の在職期間が既に歴代3位を超え、1強と称されています。なぜこれほどまでに強いのでしょうか。それは、この人物が発する言葉には真実が一つもないからです。まるで、嘘で練り固めた金太郎飴のようなもので、どこを切っても嘘しか出てきません。このような人間は他にちょっといません。

 

2012年には「TPP断固反対。ウソつかない。ブレない。」と言っていました。「ウソつかない」と言っていたことが既に嘘なのですから、こうなると常人の神経では計り知れません。この人物が好きな言葉を借りれば、まさに「異次元」の存在です。でもこの人の内部では、それは「嘘」ではないのです。そうすることが、この魂のアイデンティティなのです。ですから「嘘」という自覚が全くありません。それゆえ、心が痛むこともなく、ずっと強者でい続けられるのです。

 

嘘でないならば、では何のか? それは戦略であり戦術なのです。ある目的、目標のために、その時々で繰り出す戦略・戦術。ですから、状況が変われば、戦略・戦術をその度にコロコロ変えていく。その時々で発する言葉には、何の論拠も真実性もなく、ただその場の状況で繰り出して行くだけです。人々には、それが嘘に見えるのですが、この人にとっては、それは戦略・戦術の行使に過ぎないのです。

 

こうした戦略・戦術の例を一つ挙げると、軍産複合体にとっての目的は軍産による世界支配であり、目標は武器を世界中に売ることです。そうしますと、このためならば何だってやるのです。もちろん嘘はつき放題。世界のどこかで、常に謀略による緊張状態を演出し、10年に一度は在庫一斉処分のための戦争を本当に起こす。そのためには「武力による平和」という、言葉自体が矛盾した思想さえも、人々に植え付け、信じ込ませていくのです。

 

A政権の目標は言わずと知れた「憲法改正」。ですが、驚くべきことに、目的は「政権維持」にあるのです。なんと手段が目的になってしまっている。そして「政権維持」が目的なのですから、そのためには何だってやるのです。アメリカさんに楯突くことは一切せずに、軍産の言いなりにもなる。三権分立をなし崩しにして手中に収め、第四権力のマスコミも抱き込んで、嘘で塗り固めた情報操作を行う。それらは全部、「政権維持」のための戦略・戦術なのです。

 

こうした結果、「波動の法則」によって、政権中枢には同種の波動を持つ人しか集まらなく(集まれなく)なっているのです。類い稀な嘘つき首相の周囲には、今や、嘘つきと、ゴロツキと、狐憑き(特定の信念に取り憑かれた人たち)しかおりません。内閣、政権与党、政府、マスコミは、結託して犯罪者集団と化しています。その犯罪者集団にすっかり操られてしまっていることにさえ気がつかない、というのが今の日本国民なのです。

 

さてここで、現内閣総理大臣の名前をAとしたのには訳があります。この構造にある本質を知っていただきたいからです。Aはアルファベットの最初の文字です。すべてはここから始まります。この頂点からは末広がりに2本の棒が伸びています。中央にある横棒は、嘘つき、ゴロツキ、狐憑きの(三ツキ集団)グループで、その下には台形が広がり、これらを統治しているという構図です。ですが、頂点の三角形部分には別の人間がいて、それ以下を握っているのです。

 

三ツキ集団は、類い稀な嘘つきの資質を持った人間を首相として神輿に担いだ、もっと上からの雇われグループに過ぎないということです。これらを操っている者たちがいる。そして、さらにその奥には闇の存在がいる。A首相はその操り人形に過ぎません。A首相の強さは、操り人形としては、他の人には真似の出来ないズバ抜けた資質を持っていたこと。何しろ嘘をつくことがアイデンティティそのものですから、良心の呵責というものが一切生じないのです。

 

ですから、普通の神経ならば、胃に穴が空いているような状況に追い込まれても、平気でゴルフや外遊に興じることが出来るのです。しかも、自分で考えた言葉や理想を全く持ちません。これは操る側からすれば、この上なく貴重な存在です。演説はすべて誰かが書いた原稿の棒読み。しかもそのことを恥じない。ですから、この政権が長続き出来たのです。でもそれも、利用価値がある間だけの話。利用価値が無くなったと見れば、すぐにポイ捨てされてしまうことでしょう。

 

そもそも、「分離」意識を下敷きに持つグループが、人類を完全に支配することなどは、論理的に言って不可能なのです。なぜなら、ベースにあるものが「分離」ですから。このようなグループは、利害が一致している間は仲良しこよしを続けます。ですが、ひとたび逆風が吹けば、必ず、言い逃れ、責任のなすり付け合い、裏切りが内部から始まります。「分離」意識による支配が、その人たちに共通した根本理念だからです。

 

世界を One World に統一する理念は、やはり「愛」以外にはあり得ないのです。

 

よく、「Aという人物は、国を売り飛ばし、これだけ酷いことをして来て、それ相応のカルマの報いというものは受けないのでしょうか?」と訊かれます。もちろん受けますとも。「カルマの法則」は絶対的なものですから。ですがそれは、みなさんが想像しているようなものとは違うのです。Aという人物は、Aという人物が、周囲に為した行為に対してのカルマをいずれ清算することになる、というだけの話です。

 

国家権力者としての地位の影響力が、非常に大きいように見えても、Aがたった一人で、そのような政治をすることは出来ないのです。Aが直接的に影響力を行使できるのは、せいぜい十数人。あとは、組織や、利害や、忖度や、飴玉が、このシステムを動かしているのです。ですから、そこに加担する人たちみんなで、そのような悪政をせっせと共同制作しているということです。決してA首相一人のせいという訳ではない。もちろん有権者や、国民のすべてが関わっています。

 

実にここが肝心なところで、この構造を理解し、反省しなければ、人類は次の時代へとジャンプすることは出来ません。悪政に賛同する人には賛同する人の責任があり、付和雷同する人には付和雷同する人の責任があり、無関心な人には無関心な人の、それぞれの自分の行動というものへの責任があるのです。これが、各々のカルマとなるのです。そしてこれらがちょっとずつ寄り集まって、国のカルマを形成しているのです。

 

最近になって、「A政権打倒」を叫ばずに、自分が考える「理想社会」のビジョンを、ハッキリ提言する活動家が増えて来ました。これはとてもよい傾向です。宇宙のすべては、波動(振動するエネルギー体)から成り立っています。「打倒」を叫べば、その闘争心が沸き起こす粗い振動のエネルギーが、相手側の同種のエネルギーを増幅することになるのです。殆どの人が、こうした法則を知らなために、人類は同じ過ちを何度も繰り返して来ました。

 

けれども、「それじゃダメだ、今までと変わらない」と、直感的に気づく人がどんどん増えています。潮目がいま急速に変わりつつあります。古い政治システムや、既成政党の枠組みの中でいくら政権交代を訴えても、そんなものはもはや時代遅れなのです。政治システムそのものや、お金の概念や、教育や医療の枠組み自体が大変革しなければならない時を、人類はいま迎えているのです。

 

その「予感」のある人が、世界中でいま続々と立ち上がっています。日本は、残念ながらトラック2周遅れくらいのところを走っているのですが、でも世界が変われば、日本もいずれ変わらざるを得なくなるでしょう。もっと広い視野を持つことです。「A政権打倒」を叫んで、仮にこれを打ち倒したとしても、古い政治システムがそのままならば、単なる操り人形のすげ替えに終わってしまいます。アメリカ合衆国の、大統領の交代を見るように。

 

そうではなくて、新しい理想社会のビジョンを語ることが大事なのです。それを夢想し、周囲の人たちと語り合うことは、あなたにも出来るはずです。それが、政治への参加です。不平不満や愚痴を言うのはおよしなさい。それよりも、万人が、不安なく、健康で、平和的に、日々伸び伸びと生き、自分の才能を活かし、周囲の人々にも喜びを与えられる理想の社会を、まざまざと胸に思い描きなさい。

 

そして、それを実行に移しなさい。あなたがいまこの瞬間に出来ることから。

Now!  Be here.

 

地球のアセンションが既に予定されたことだとしても、そのあり方は、人類の今後の行動に託されています。集合意識が変われば、そのあり方も変わるのです。ややもすると、精神世界に興味を抱く人は、これも「予言」ばかりに興味を集中させて、自分がどう行動するかということを考えない、受身的な傾向の人が多いのは困ったものです。繰り返しになりますが、それでは全くの本末転倒です。

 

霊性の向上は「行動」によって試されるのであり、ただ拝んでいるだけでは、その機会を活かせません。カルマの原意は「行為」です。ですから、「行動」することは、すべてその魂のカルマとなります。カルマを恐れて「行動」しなければ、今度は「行動」しなかったというカルマになるのです。これは最悪ではないにしても最低です。なぜなら、生まれてきた目的がまるで果たせないのですから。

 

ですから、この地球のアセンションの機会に、あなたの霊性も同時に向上するように図りなさい。そのためには政治に積極的に参加しなさい。今までの奪い合う政治から、分かち合う政治へと大きく意識を切り替えなさい。人類のジャンプは、「愛」に基づく行動によってしか実現できません。一人ひとりが、「愛」をベースに行動することで、その集合意識が波紋のように世界に広がるのです。

 

希望を持ちなさい。そしてあなたも、地球のアセンションに貢献して行けるように図りなさい。先ずあなたがアセンションすれば、次には他の人たちを手助けしてあげることが出来るのです。それがどんなに貴いことか、素晴らしいことか、そして喜びに満ちたことか、解りますか?

 

ピンと来てない人にはまだまだ道が遠いね。今までわたしがなんと言って来たか、思い出してください。繰り返し、繰り返し言ってきたこと。あなたはわたしであり、わたしはあなたなのですよ。すべては一つ。そこに「分離」はありません。ですから、他者を助けることは、自分を助けることであり、他者を傷つけることは、自分を傷つけることなのです。それを知って、なおも他者を傷つける道を選ぶのですか?

 

今こそ本当の喜びに目覚めなさい。人類を長きに渡って拘束して来た、この牢獄のようなシステムを破壊するのです。あなた自身の意思の力によって。

 

あなたの「魂」は、本来的に自由なのです。

ロボット人間 vs 人間ロボット

豊洲市場が開業して、はや一月半。利権がらみで、不透明で、安全性も定かではないままの強行突破です。原発と同じ、辺野古基地移転と同じ。権力者がやることはいつも一緒。2年前の東京都知事選挙、ありゃあ一体なんだったのだろうと思います。豊洲市場移転の見直し、オリンピック利権の見直しを掲げて当選した筈なのに、当選した途端にジャガーチェンジ(豹変ね)する。

 

10月の初旬、築地に残って営業を続ける人やその支援者の前に、東京都の職員がやって来て、彼らを排除しようとしている映像をインターネットで見ました。支援者たちの中に法律に精通している人がいて、都の職員にその法的根拠を説明するよう求めるのですが、その職員は、一切の問いかけにも耳を貸そうとはせずに、ただ同じ言葉を繰り返すだけです。

 

私には不思議でなりません。どうすれば、そのようになれるのかと。そこに居るのは、もはや人間ではありません。ロボットと化してしまった人間、つまり「ロボット人間」です。このような光景を見る時、私は、いつも胸が苦しくなってしまいます。人間は、どのような理由で、どのような瞬間に、自分をロボットにすることを決めるのでしょうか?

 

私はニュースを見ませんし、国会中継なども出来るだけ見ないようにしているのですが、たまにチラと見かける映像は、さながら「ロボット人間」シアターの演目のよう。官僚も政治家も、登場する人たちの大半は「ロボット人間」ばかり。このお芝居が面白いかと言えば、実につまらない。こんな出来レースに、多大な労力を注ぎ込んでいる人たちがいるということも不思議でなりません。

 

どうして、自由に生きようとしないのでしょうか? どうして、ロボットの鎧を自分に被せて生きようとするのでしょうか? どうして、自分のコントローラーを他の誰かに預けるのでしょうか? どうして、そうすることを「自分の意思で」選ぶのでしょうか? それが、楽しいのでしょうか? 無上の喜びなのでしょうか? そうしたくてしたくて、堪らないのでしょうか?

 

私が、もしもその東京都の職員だったら、その場に居る人の意見に耳を傾けます。そして、自分の考えを述べます。理想的なあり方を模索して、協力しようとします。もしそれが、都の上司の考えと違っていたら、上司と話し合います。ラチが開かなければ、もっと上に直訴します。それが嫌われてクビになったら、それを受け入れます。ずっとそのようにして生きてきました。

 

でも、そんなことをしたら立場が悪くなるだろう、ですって? その通り。立場が悪くなります。居場所すら無くなる。そんなことをしたら、生活に困らないか、ですって? その通り。大いに困ります。どビンボライフが待ち受けている。だから、もうどうにもならないと思って、自殺を考えたことも何度もある。でもいつも、「魂の衝動」に従うことを、自分は選んで来たのです。

 

その時には、無智だったので、それが「魂の衝動」だという認識はまだありませんでした。ですが、「俺は、ロボットになんか絶対にならないぞ!」という、破れかぶれの衝動があったのです。26歳の時には、実際に、職場での不正を告発してクビになりました。途方にくれ、東京を引き上げ、田舎に帰って、カミさんが旅館の仲居、自分はカラオケスナックのボーイをやって喰いつなぎました。

 

その時は苦しかった。ヒロシさんのネタにある「視力がいいのに、未来が見えんとです」状態。でも、今にして思えば、体験こそが人生だったんですね。自分というただの丸太に、どのようにノミを振るうかで、そこに、その人の彫刻作品が作られてゆくのです。円空仏のように、激しくノミを振るって刻んでいくのか、それとも、削るのを躊躇して丸太のままで終わるのか。

 

なぜ、こうも多くの人がロボットであることを選ぶのでしょう? 選ぼうとするのでしょう? それが、エリートと呼ばれる人ほどそうなのは、なぜでしょう? だとすれば、エリートになるということは、またエリート教育とは、「ロボット人間」製造システムに乗っかることだとは言えないでしょうか? 自分の自由意志というものを、「ロボット脳」に切り替えることだとは言えないでしょうか?

 

その人は、いったい何を恐れ、何を守ろうとしているのでしょうか? 自分をロボットに仕立てることで、何を守りたいのでしょうか? 組織、地位、名声、財産、安泰、信念? 自分をロボットにしてまで守らなければならないことなど、この宇宙に、果たしてあるのでしょうか? 諸行無常、生々流転が、宇宙の掟なのに。守り続けられるものなど、所詮は無いのに。

 

よいですか。皮肉なことに、その人は、自分を守ろうとして、自分を捨てているのですよ。本当の自分、真実の自分というものを。

その人が、いちばん恐れているものとは、真実の自分に向き合うこと。本当の自分を発見すること。

 

ああ、なんてことなの? なんたる無智。

それが、人生というものの究極の目的なのに‥‥。

なんと憐れな人間たちでしょう。

 

あなた方は、まだAI(人工知能)の本当の脅威というものに、気がついていません。あなた方の中で、それを進化させよう、発展させようと目論む人たちがいて、その分野での覇権争いが繰り広げられる以上、この流れは止まりません。そして急速に進みます。一方で、AI時代に適応できるよう(この適応とは、人間をAIの奴隷にすること)、人間自体を改造してしまおうという、まるで仮面ライダーのような計画も着々と進められているのです。

 

何も、ドンパチやることだけが戦争ではないのですよ。人類の最終戦争はもう始まっているのです。人々を操り、互いに殺し合いをさせるのが戦争なのですからね。わたしは何も、みなさんを脅かそうと思って、こんなことを言っているのじゃないのです。人類社会を覆い尽くすこの不毛な構造と、その原因に、今度こそ気づいて貰いたいのです。

 

「その原因とやらを教えろ」ですって? いいでしょう。地球人は、幻想の世界の生き方をいまだ知らないということです。幻想の生き方が、ど下手だということです。幻想の生き方については、小学校入学レベルにも達していないということです。

 

運転手の要らない自動車が、街を走り始めました。日本郵政はドローンによる配達を始めました。シリアへの空爆はカルフォルニアの米軍基地にいるオペレーターがビデオ画面を見ながら行っています。ロシアはロボット戦車を完成させました。ドバイでは警官ロボットが正式採用されました。カルフォルニアにはホームレスの人を追い出す警備員ロボットが登場。中国では、流暢な英語を話すニュースキャスターロボットが誕生しています。韓国では、なんと政治家ロボットの試作までもが行われました。人間は汚職ばかりするからですって。

 

つまり、あなた方が「ロボット人間」であり続けようとする意味など、もう無くなって来ているということです。「ロボット人間」など、もはや不要。そのニーズは、「人間ロボット」に取って代わられてしまう。「ロボット人間」よりも「人間ロボット」の方が、より正確で、無駄がなく、信頼が置ける、というふうに社会が認識し始めているのです。遠からず、医師ロボット、教師ロボット、弁護士ロボット、裁判官ロボットまでもが登場するようになるでしょう。

 

現代の医者は、検査データを見て、病気の診断名を下すだけになっています。だとすれば、AIの方が、多くの事例を一瞬のうちに参照し、よりスピーディに診断を下せるでしょう。同様に、教師も、弁護士も、裁判官も、もちろん官僚も、政治家も、企業経営者も、ロボットの方がより優秀ということになって行くことでしょう。そして、人間はついに不要となる。人間が、自分たちが創ったロボットに滅ぼされるのです。

 

*そればかりか、医者が診断名を下した瞬間に、この世に、一つの「病気」が創造されるのです。それは、銀行が貸し付けの書類を作った途端に、無いところから「お金」が創造されるのとそっくりです。

 

そういう社会の実現を、あなた方の大多数は喜んで推進し、その火の粉の中に、自ら飛び込んで行くことでしょう。まさしく、飛蛾の火に入るが如し。

今の世の中をよく見てください。その最終戦争が既に始まっているのが分かりませんか?

 

あなたは、何のために生まれたのですか? あなたは、どうしてこの世に生きているのですか? 自分をロボットにするためですか? それとも、ロボットに自分を滅ぼさせるためですか? 違うでしょう。人間であることの意味を、いま一度、自分に問いかけなさい。地球に誕生したことの幸福を、しみじみと味わいなさい。そして、真の自分とは何者かを、自分の中に見出しなさい。

 

あなたの喜びはそこにしかない。

 

なぜなら、それが、あなたという「魂」の衝動なのだから。

世界から戦争が無くならない10の理由

私の母は、生前「あー、恐ろしい、恐ろしい。戦争はもうコリゴリ。戦争だけは絶対にしちゃいけないよ」とよく言っていました。一方の父は、応召されて青春期から壮年期にかけてを軍隊で過ごし、自分の人生というものを戦争によってメチャクチャにされたはずなのに、それでも「国家」というものを信じ続け、復員後は自民党政治を熱心に応援し、反政府的な思想は徹底して毛嫌いしていました。

 

学生運動が頂点に達していた1970年前後、茶の間でテレビを観ていた父が突然「お前もあんなことしているのか?」と私に向かって言い、「もし、学生運動なんかしていたら、俺は、お前と刺し違えて死ぬ!」と身体を震わせながら言ったのです。その眼は本気でした。父が、戦争体験で、また軍隊経験で、刷り込まれたものとはいったい何だったのだろうと思います。

 

私は16歳で家を出てしまったので、その後は父と話す機会もほとんどなく、家とは疎遠でした。父はその後、63歳になって再生不良性貧血という血液の難病に罹り、入院生活を送るようになりました。60歳で年金が貰えたものを、支給開始を65歳にすれば金額が増えるということで、入院中もカツカツの貧乏生活を送っていたのですが、65歳の誕生日を迎えた、ちょうどその日に息を引き取りました。で結局、年金はもらわず仕舞い。ああ、可哀想なオヤジ。

 

どこの国の人であれ、普通の庶民は、ほとんどの人が「平和がいちばん、戦争はイヤだ」と思っているし、口に出しても語ります。そして旅人がぶらりとやって来たら、あたたかくもてなし、具合の悪い人は手当てし、食事を振る舞い、互いの文化を語り合って、和やかに交流するという度量をみな持っています。それなのに、世界から戦争が無くなることはありません。いったい、これはどうしてなのでしょうか。

 

そこに、前回書いた、男性性と女性性の問題があるのです。国家指導者がする発言が、庶民感覚とは真反対で、いつも敵意むき出しであることに着目してください。世の中が、もしも女性性をベースにして動いていれば、戦争は決して起きません。戦争はイヤだ。それでもうおしまいなのです。ところが、男性性は、こうした単純さを素直に認めません。単純であることは、バカだと思っているのです。女子供は黙っていろ!といった感じです。

 

会津家訓十五箇条』の中に、こんな一節があります。

一、婦人女子の言、一切聞くべからず。

 

と、まあこんな調子。そこで男性性は、物事をいつも複雑化し、様々な人が、様々な屁理屈を拵えては、そのセルクルの中に納まって、他のセルクルの中にいる人たちを、バカだのチョンだのと言ってはやっつけようとするのです。いったいどちらが「愚か」なのでしょうか? 「宇宙の真理」は、シンプルそのものです。全部が一つ、一つが全部。ただ、これだけ。男性性は、それを知りません。

 

米国の大統領が、新たな核戦術および核兵器の近代化プランを発表すると、日本の外相は、直ちにこれを「高く評価する」と発言しました。Hiroshima、Nagasaki の地名は、今や世界中の人々が知っています。核の脅威というものが、過去に、その地で具体的に示されたから。それなのに、世界122の国と地域が参加した「核兵器禁止条約」の採択に、日本は加わっていません。唯一の被爆国である日本が、今や「核平気」に賛成の立場です。

 

その理由は、屁理屈があるからです。〈あんな悲惨な出来事は、人類のうえにあっちゃならない。もう二度とゴメンだ。世界から全部「核」を無くそうよ!〉という訳にはいかない。国際政治はそんな単純なものではないと、男性性は言う。そこで、核の傘とか、核による戦争抑止力とか、集団的自衛権とか、専守防衛とか、防衛のための先制攻撃とか、いろんな屁理屈を考え出す。

 

この屁理屈が、インナーサークル(セルクルの内側にいる人たち)の政治家や、政治評論家によって繰り返し語られ、メディアがそればっかりを流すものだから、世間の人々は、いつの間にか「偉い人が言っていることだしなぁ、そんなものかなぁ」と思わされてしまう。そして、「人類、みなアミーゴだぜ」という、本来、人間だれしもが持っていたシンプルな庶民感覚を忘れてしまうのです。

 

この取り違えが、人類全体を今や厚い雲のように覆い尽くしている。しかし、屁理屈に屁理屈を重ねてみても、所詮それは屁理屈でしかないのです。北朝鮮が核兵器開発をやめないのはけしからんと言う。じゃあ現核保有国はどうなんだと。あなた方は「けしからん」くはないのかと。イスラエルだって秘密裏に核保有したじゃないか。北朝鮮が核兵器開発をやめない現実こそ、あなた方が言う「核による戦争抑止」という「幻想」が機能していない、正に証拠ではないのか。

 

結局、「幻想」をいかに信じ込ませるかということが、今の世界を、そして今までの世界を、統治する仕組みになっているのです。その「幻想」が今、崩れつつあります。逆に言えば、永きにわたる「幻想」から、人類がやっと目覚めつつある。今こそチャンスです! でもこの「幻想」は、まるでお風呂場の目地に巣食うカビのように、深く、多段階に根を生やしていて、ちょっと擦った程度では取れないのです。

 

なぜ、世界から戦争が無くならないのか? 一般庶民は、みんな「戦争なんてイヤだ。人類はみんなアミーゴだ」ということを知っています。多くの歴史書やドキュメンタリー映画が、また語り部たちが、戦争の悲惨さと、なぜ戦争が起きたのかという理由を伝えています。また多くの作家や歌手や芸術家が、戦争がもたらす悲劇と、それとは対極にある生命への讃歌をうたい続けて来ました。

 

それでも戦争は無くならない。無くならなかった。それは、部分部分の活動では、「幻想」を生み出している、この多段階の「構造」にまでは切り込めなかったから。そう、これは正に「構造」的な問題なのです。「構造」が隠れ蓑となって、個別に起きる悲劇を、みんなその「構造」の間に溶かし込んでしまう。だから人類は、何度悲劇を体験しようとも、何度反省しようとも、同じことを繰り返すのです。

 

そこで、人類が目覚めるためには、この「幻想」の「構造」を大多数が認識するか、あるいは、シンプルに女性性に帰るかしかないのです。

次に示した構造に、太平洋戦争でも、ヴェトナム戦争でも、テロとの戦いでも、何でも当て嵌めてみてください。これは全てに共通して言えることです。

 

◉世界から戦争が無くならない10の構造的理由

  1. 世界を、融和ではなく、支配によって統一すべきと考え、実際に世界をコントロールしている、隠れた存在がいること
  2. 表には出ないその存在の、代理人となって君臨する、各支配分野における世界の覇者がいること
  3. 各覇者の庇護の下で、分離主義の価値観によって教育された、エリート集団がいること
  4. エリート集団によって担ぎ挙げられ、実は操られているとも知らずに、その気になっている政治指導者がいること
  5. その政治にすり寄って、自分もおこぼれに預かりたいという、私利私欲が第一という人間がいること
  6. 2〜5が創り出している価値観を、当然のように考えて宣伝し、大衆を洗脳していくマスコミがあること
  7. 2〜6までを当然のこととして、また処世術として、小さい頃から教え込んでいく教育があること
  8. 2〜7が創り出す構造によって、分離主義に心強く惹かれ、これを積極的に発信する、一部の声の大きい人がいること
  9. その声に「NO!」と言えずに、組織の論理に埋没し、背景をよく理解しないまま、巻き込まれていく大衆がいること
  10. その結果、苦しみ、悲惨な目に遭っている人々がいても、我よしで片づけ素通りしてしまうこと

 

この10項目が、ピラミッドのような構造をガッチリと保っているために、いくら芸術や、ジャーナリズムや、ドキュメンタリー映画などで個別の階層を突いてみても、一向に世界から戦争が無くならないのです。壁にヒビを入れるくらいは出来たとしても、ピラミッド構造はビクともしないし、壁もすぐに元どおりに修復されてしまうのです。

 

人が一度戦争を経験すると、9.10.の階層の中では反省が起こり、改心する人々も出て来ます。しかし1〜8.までの階層の人々は、ほぼ全員が、自己正当化を行って、うまく責任逃れをしてしまいます。その一方で、9.10.の階層の一部にはトラウマを抱える人々が出てきて、これと、決して反省しない1〜8.までの階層の人々の意識が集まって、また次の戦争を引き起こしていくのです。

 

さらに言えば、これは「戦争」だけではなく、「金融」についても、「資源」についても、また「宗教」についても言える。つまり、全部が同じ構造を持っていて、要するに元は一緒だということです。このようにして、大衆洗脳が深く出来上がっているのです。ところが、各階層にいる人々は、その階層内に埋没しているために、全体構造を全くと言っていいほど知りません。こうして書いても、多くの人はたぶんピンと来ないことでしょう。

 

さてこの10項目の、最初と最後に注目してください。1番めと10番めです。この2つは、何か毛色が違っていることにお気づきでしょう。これは互いに出発点と終点になっていて、1番めはこのピラミッドの構造的要因の出発点となっていて、10番めは心理的要因の出発点になっているのです。そして2〜8.は、この二つの間でグラデーションのように変化して行きます。

 

このことからお気づきでしょう。この壮大なシステムは、あまりにも巨大すぎて、一見、崩すのが不可能のようにも思えます。ですが、1番めが変われば全部が玉突き的に変わりますし、逆に10番めが変わっても、全部がほどなく変わることになるのです。そして1番めも10番めも、実は同じ根っこにあるものを、片方は構造的に、もう片方は心理的に見ただけのことなのです。

 

それは、何度も言って来たように、みなさんが存在したことの根源的理由、すなわち「分離」と「合一」という二律背反から生じているのです。

 

みなさんの「魂」は、全体であったものから、本人の希望によって「分離」し、個別化するという形態を採りました。それは、全体の中にずっといたのでは、全体を知ることが出来ないためです。そこで、敢えて全体から別れ、個別化した「魂」となりました。そうすることによって、「合一」を再び経験し、全体の意味を知る(つまり、私は誰で、どこから来たのかを知る)道を選んだのです。この道が、道教でいうところの「道(タオ)」です。

 

その結果、みなさんの心情の中には、全体から離れたことによる「自由」と「不安」とが同居するようになったのです。一人になって「よーし、いろんなことを経験してやるぞォ」という気持ちと、「ひとりぼっちじゃ寂しいなぁ、理解者が欲しいなぁ、誰かと一緒になりたいなぁ、故郷に帰りたいなぁ」という気持ちが、信号機のように明滅し、両者の間で揺れ動くようになったのです。

 

1番めに書いた存在は、今日、「闇の勢力」とか「Silent Group」とかと呼ばれていますが、彼らも、やはり One World の「合一」を目指しているという点では、他の「魂」と違いがないのです。ただその目指し方が、ちょっと歪んでしまったのですね。強烈な「分離」意識の下敷きのもとに、他の人々を「支配」するという形で One World を目指したのです。

 

一方、10番めにある、虐げられている人々に対する「同情心」といったものを、もしも地球人類の全てが持てば、戦争が無くなるどころか、地上の天国が直ちに出現します。誰も、他者をやっつけようとは、もはや思わないからです。他者から傷つけられた時の、その悲しみ、苦しさ、惨めさ。切なさが、本当に自分のこととして解るので、もうそんなことは出来なくなってしまうのです。

 

ここに至って、他者を愛することは自分を愛することと同じ、自分を愛することは他者を愛することと同じだということに気づけるのです。そして他者を許し、自分も許すということの本当の意味が、その真髄が、自分の身体の中に入って来る。その時、あなたは愛の人になる。そして、愛の人が、一人、二人、十二人、百四十四人となり、千四百四十人になっていけば、世界は一変します。

 

先に、人類が目覚めるためには、二つのアプローチがあり、「幻想」の「構造」を知るか、「女性性に帰る」かどちらかだと書いたのは、以上の意味です。「幻想」の「構造」を知るとは、1番めからのアプローチであり、「女性性に帰る」とは、10番めからのアプローチなのです。そして、どちらのアプローチをとっても、「分離」はまやかしであるということに、人類が気づいて行くことになるのです。

 

さて、この『気づきの啓示板』を熱心に読んで下さっている方に、さらにその先をお伝えしましょう。賢明なあなたなら、きっと解ってくれる筈です。確かに、今の世界はひどい。メチャクチャです。でもそれは、2〜9までの階層に、人々が巻き込まれて埋没しているためです。自分が、まさか操られ、眠りの世界に生きているとは気づかない。気づけない。だから釈迦は、「無智が何より最悪なことなんだよ」と言ったのです。

 

ですから、そのような状態にある人々に、どうか敵意を向けないでください。

あなたという「魂」のためにも。

 

1〜5.の階層にいる人々は、今世で、多少の優越感やお金を手にすることが出来るでしょう。でも、本当のハッピーを知るすべを知らないんですよ。宇宙を、生命を、愛の真髄を、なにも知らないまま、「分離」意識の洗脳の殻の中に閉じこもって、ただ夢遊病者のように歩いている「魂」なのです。彼らの「言葉」に耳を傾けるのではなく、態度をボーっと観察してみてください。低い波動に取り憑かれていることが分かりますから。

 

階段を上るのはシンドイです。でも降りる方は楽です。それと同じで、微妙で繊細な高い波動をキャッチできる人は少ないです。でも低い波動に合わせて行くことは簡単です。自分の中に眠る「分離」意識に火を点ければいいだけのことですから。そのようにして、彼らは自分に注目を集め、その刺激に集まる人々の、落差から生じるエネルギーを食べているのです。果たして、このような飢餓状態にある「魂」に安らぎがあると思いますか?

 

ですから、憐れみをもって、その人の奥にある「魂」を見てください。彼らは、そういう役割を演じることで、他の人々に、本当のハッピーとは何かを気づかせようとしてくれています。そこを汲み取りましょう。

 

先ずあなたが、「そうか、本当のハッピーは、今ここにある自分で充分だったんだ」と気がついて、そのことを噛み締めてください。そして、未だ気づかずに、低い波動に埋没している「魂」に対しては、愛の波動を送ってあげてください。これは、あなたのためでもあるし、またその人のためでもあります。もう気がついたでしょう? あなたはわたしで、その人もわたしなのですよ。

 

さあ、一緒に行動しましょう。あなたが、愛の波動を送り出せば、世界は、愛の世界に変わるのです。

 

*1440人:12×12×10のこの数字は象徴的な意味合いであり、実際には、総人口の4〜7%が目覚めれば、人類は一気に変わります。ちなみに12は総量を示す神秘数で(1年の構成月や、時計の文字盤、1オクターブの鍵盤等に見られる)、10はべき乗(累乗)を意味しています。12人の覚者が、12人の弟子を目覚めさせる。そうしたことが、10倍、100倍、1000倍と拡大すれば、一気に変わるという意味です。また、このべき乗(累乗)というのは、宇宙が、極大にも極小にも広がっていることを数学的に表しているもので、まさしく、ヘルメスが語ったところの真理なのです。

男性性と女性性 ―― 内なる女性性が未来を開く

原始、女性は太陽であった。明治44年9月に創刊された雑誌『青鞜』の発刊の辞の冒頭で、平塚らいてうはそう記しました。これは、〈本来そうであった筈なのに、今は日影の身に置かれている〉ということを嘆いたもので、このあと文章は「今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である。」と続きます。

 

陰陽二元を考えた場合には、一般的に男性が陽極、女性が陰極側に置かれるのですが、男性性と女性性というものを比較してみると、らいてうの言う通り、確かに女性の方が「太陽」のような感じがします。それは産む、生み出すというところから来ているようで、海や大地も、女性性で喩えられることが多い。何か温かな、ふんわりと包みこむような要素を、女性性というものが持っているからでしょう。ちなみに「子産む生む」が「commune」の原点だという説もある。

 

これからの社会変革は間違いなく、この女性性が鍵を握っています。それは、らいてうが生きた時代のような、女性解放運動的な意味合いではなくて、もっと根元的な、人間本来の生き方に還るという意味において重要になって来ます。さらに言えば、これまでの社会にあった男性性の悪い面は、これからどんどん捨てて行く。そのような変革無くして、人類の明るい未来はないでしょう。

 

男性性が支配する社会、それは虚飾であり、遊戯(ゲーム)であり、勝ち負けにこだわる社会でした。こんなものは本来不必要でした。それなのに、そこにずっとしがみ付いて来たことが、人類を永らく不幸のどん底に落とし込んで来た元凶でもあるのです。ですから、先ずはその構造に気づくということが、いま崖っぷちにある地球人類全体を救うことにつながって行くのです。

 

ここで、男性性と女性性が、男性と女性を指しているわけではないことを強調しておきます。男性にも女性性はあるし、女性にも男性性はあります。中には、性同一性障害と呼ばれている人たちだっている。しかし、声を大にして言いますが、それは障害ではありません。「魂」は輪廻転生していますから、今のドレスに違和感を持つ人が出ることは当然です。それは、障害ではなく、個性であり、表現であり、才能であり、恵みです。

 

女性政治家というと、今までは男性に伍してというか、自分の中の男性性を発揮することで、政界への進出を果たして来ました。逆に言えば、男性性を発揮できる人のみが政界に入れたのです。演説の口調、態度、全部が男性のモノマネです。弱みを見せてはいけない、勝たなければいけない、敵をやっつけなければいけないと思い込んでいる。でもそんな時代は、決定的に古いということです。もう終わりです。

 

これからは、女性性を持つ女性政治家、女性性を持つ男性政治家が多く登場することになるでしょう。そうであってこそ、人類に明るい未来が開けて行くのです。女性の社会進出ということも、既存の男性社会のルールの中に、女性がビシッとスーツを着て出て行くというのではなくて、社会全体に、インクが滲むようにして「女性性」が浸透して行く、という意味に変わって行くことでしょう。

 

男性性と女性性との決定的な違いは、ものの見方、つまり視点です。これまで、視点がその人の認識を創り、認識が行動を生み、行動が体験になると繰り返し言って来ました。そのことを思い起こしていただければ、この「視点の違い」というものが、その後の行動までを全部支配していることが解って頂けると思います。いわゆる男女間のスレ違いは、その殆どが、ここに理由があるのです。

 

女性というのは、すぐ目の前にあるものを見ようとします。そして、目の前の対象物の中の、自分が共感できる部分にパッとアクセスして行くのです。ですから、初対面の人とでもすぐに打ち解けられるし、仲よくできるのです。(バーゲン品にスッと目が行くというのもその顕れの一つ)女性のコミュニケーションというのは、まるでレース編みを広げて行くように、糸で繋がりながら周囲に拡大して行くのです。

 

これは優れた特質ですが、目の前ばかりに集中し過ぎて、周囲が見えないという面もあります。スーパーに行くと、少しでも良い品を探そうと、取っ替え引っ替え、下から野菜をひっくり返し、売り場をメチャクチャにして去って行く人をよく見かけます。また、共感でつながるのはよいのですが、そこにちょっとでもズレを感じるようになると、仲間うちの噂話で、特定の人を口撃しようとしたがります。

 

一方、男性の視点には、目の前のものの細部がよく見えていません。男性の場合、そこに関心はないのです。男性は細部よりも、鳥の視点で、先ず全体を俯瞰して眺めようとします。そうやって安全性を確かめた上でないと、自分の降りる場所を決められないのです。用心深いというか臆病というか。そのため、初対面の人とすぐに打ち解けるということは苦手です。打ち解けるまでには何度も会って、相手の「力量を量る」ということをするのです。

 

けれども、この「力量を量る」というプロセスを、一瞬にして省いてしまう便利な仕組みが、男性社会にはあるのです。それが「肩書き」です。男性同士の出会いでは、とにもかくにも名刺交換が先。男性にとっては、自分がどういうところの所属で、どんなポジションであるかが、その人のアイデンティティを決めるのです。ですから、定年でリタイアした後も、何らかの肩書きがついた名刺を欲しがる人が大勢います。

 

男性のコミュニケーションというのは、まるでドーナツ生地を、セルクル(仏:お菓子作りで使う輪っか、英語のサークル)で型抜きして行くようなものです。円形にも大小があり、その他にも星型やハート型や六角形や動植物をかたどったものまである。男性は、自分がこの中のどのサークルに属するかということが大問題で、サークルの中では生き生きとしているものの、その外に対してはあまり心を開こうとはしません。

 

男性性優位の社会とは、このような感覚や態度が、当たり前となり定着した社会なのです。さて、どうでしょう? 現代の女性から見たら、実にアホらしい仕組みだとは思いませんか? 結局、男性性優位の社会というのは、種つけと、重い物を持ったり兵隊員になったりする以外には、あまり使い道のない男性が、それを悟られないようにと編み出した、虚飾の仕組みだと言えなくもありません。

 

さて問題は、この虚飾の化けの皮が、剥がれ始めて来ていることです。いや、もう既に随分と剥がれ落ちている。けれども、それを認めたくない、これまでと同じでありたいと願う人たちが、必死に延命策を弄しているというのが、今という時代状況なのではないでしょうか。そして、その過中で起きている混乱を、みなさんがただ今目撃しているのです。

 

そうでなければ、まるで幼稚園児かと思うような国会での稚拙なやり取りや、バレバレの嘘を平気でつき続けたり、税金泥棒を政府の要職に付けたり、盗んだ大金をお友達に融通したり、犯罪を犯しても友達なら逮捕せず邪魔者を長期間拘留したり、国民の多くが貧困に陥っていても「いざなぎ景気を超える」と言い張ったりなど、とても出来る訳がありません。

 

もう、何もかもがタガが外れていて、呆れるしかないのに、マスコミはそのことをちっとも報道しようとしません。マスコミもまた、崩壊が差し迫った利権構造の延命に、必死になって食らいついているといった状況なのでしょう。しかし、いくらそのような延命策を試みたとしても、最後の最後は、花火のように弾け飛びます。宇宙の摂理から言って必ずそうなります。

 

考えてみれば、男性性とは哀れなものです。現実を〈生き抜く〉という力が乏しいのです。目の前が見えませんから、今ここ(be here now)、この瞬間を生きるという力がそもそも弱い。そこで、入れ替わりに、大志とか、野望とか、ロマンといった非現実的なことを言い出してはこれに執着するのです。坂本龍馬や三国志にワクワクするのも男性。ゲームや博打に夢中になったり、コレクターになるのは、殆どが男性です。

 

女性から見れば「えっ、何でそんなことに?」と、きっと不思議に思うでしょうねぇ。

 

また、男性には「かしずく美学」というものがあって、サークルの内側では、その主君のために馬車馬のように働くのです。そうすることで、上の人たちから、頭を「いい子、いい子」して貰いたいという欲求があるのです。これが度を超して、忠誠を尽くすまで行ってしまう。そうなると、サークルの外側がどうなろうが、人としてそれはどうか、などはもうどうでもよくなってしまうのです。

 

実に、これが恐ろしいのです。小はちょっとした出来心による汚職に始まり、大は世界大戦や、ホロコースト(大虐殺)を引き起こすところまで、男性性というものはエスカレートしてしまう。ところが、サークルの内側にいる人たちにとっては、そうすることに対して、その瞬間においては少しも疑問はないのです。むしろ、信念に支えられて、嬉々としてそれをこなして行く。

 

アイヒマン裁判というのがあって、第二次世界大戦後の1961年、アウシュヴィッツ最後の収容所所長だったアドルフ・オットー・アイヒマンが、アルゼンチンで逃亡生活を送っていたところを、イスラエルの諜報機関に捕まり、イスラエルで裁判にかけられた。これをドイツ出身で、当時アメリカに亡命していたユダヤ人の思想家、ハンナ・アーレントが傍聴して『The New Yorker』誌に記事を書いたのです。

 

しかしこの傍聴記は、轟々たる非難を巻き起こしました。ハンナ・アーレントが、アイヒマンを擁護したというのです。しかしアーレントは、分かり易い「憎しみの構図」を超えて、「一体なぜこんなことが起きたのか?」を追究しようとしました。その結果、アイヒマンは、ただの凡庸な役人に過ぎず、職務に忠実に従っただけだったと書いたのです。これは結果的にアイヒマンが主張するものと同じでした。

 

アーレントは、ホロコーストを引き起こしたものの原因には、自己の本質(人間としてのあり方)を忘れてしまった「忠誠心」がある(つまり誰にでも、それは起こりうること)と見抜いたのですが、世間はそれでは納得しませんでした。「目には目を」という分かり易さを求めて、アイヒマンは絞首刑にされました。日本では、インパール作戦を率いた牟田口廉也中将が、戦後にやはり、同様の自己弁護を行っています。

 

男性性というものは、先ずは「枠組み」ありきです。この「枠組み」発想というものから、男性はどうしても逃れられません。それは一見、大局的に物事を見ているようでいて、「枠組み」の中にいちどハマってしまうと、周囲が全く見えなくなってしまうのです。そしてこの周囲の見えなさは、「人として」という最低限の垣根さえも、容易に破壊してしまうほどの恐ろしさを秘めているのです。

 

ですから男性は、環境変化というものに非常に弱い。周囲の環境に慣れるのにも女性よりはずっと時間が掛かるのですが、いったん慣れると、今度は過適応を起こして、そこからハミ出すのを怖がるようになるのです。(男性が、「行きつけの呑み屋」が好きなのはそのため。)そういう弱さを内心よく解っているので、頭のいい人ほど、それを悟られまいとして威張り散らし、真っ先に保身に走ろうとするのです。

 

これに対して、女性性というものは、目の前にあるものにすぐに適応してしまいます。そして、まるでレース編みのようにしてコミュニケーションを広げて行く。それは、いわゆる地図が読めないということ、空間把握する力という点では男性よりも弱いかもしれませんが、現実を確かに〈生き抜く〉という、男性性にはない力強さを持っているのです。

 

そしてこの〈生き抜く〉力に、人間としての理想、子育てに対する理想、食に関しての理想、自然環境に対する理想、働き方に関しての理想等々が加われば、これまでの、虚飾に満ち満ちた、男性性優位の社会を変えられると思うのです。「枠組み」発想にいつまでも縛られた、今の男性性優位の社会に、もう従う必要などはないのではないでしょうか。それでは人類の幸福はない、という結論はもう出ていると思うのですが。

 

原始、女性は太陽であった。まさにその言葉のように、ご自分の中の輝きを、周囲にこれから注いで行って欲しいのです。そうすれば、社会は変わります。男性性に敵対するのではなく、その中に埋没している人を哀れんで、太陽の輝きによって、重い(思い)コートを脱がしてあげてください。今世、女性であった人も、来世には男性に生まれるかも知れませんよ。その時には、今よりも、もっと進歩している男性であるように。

 

いつまでも同じことを繰り返している歴史(he-story)は、ここらで終わりにしましょう。女性も、男性も、これからは内なる女性性を意識して、それを大いに誉めてあげて、行動して行きましょう。枠組みや常識などにとらわれず、あなたの理想に向かって突き進んでください。そして、今ここ(be here now)、この瞬間を、元気よく生きてください。

 

そんなあなたを、わたしはいつも見守っています。

本物に出逢う

私が生まれたのは昭和29年。家には、テレビも洗濯機も電気炊飯器も、まだ何にもない時代でした。電化製品としてあったのは、ラジオと、天井からぶら下がった裸電球だけ。うちは母親が洋裁店を細々とやっていたのですが、アイロンもホースが付いたガスアイロン。ボディ横の小窓にマッチを突っ込んで点火するのですが、ボッと着火する瞬間が恐かった。冬の暖房ときた日には、火鉢と練炭炬燵だけ。それはそれは寒かった。

 

まあ『三丁目の夕日』のような感じでしょうかねぇ。クルマはオート三輪が走り始めたばかりで、鉄道は蒸気機関車が全盛。スーパーはまだ登場していないし、もちろんコンビニなんてない。自動販売機もあるわけない。飲食店はほとんどが個人経営の家業(「暖簾分け」というのが少しあったけど、いわゆるチェーン店は一つもなし)。当然ながら、パソコンもないし、スマホもない。

 

とにかく、なーーーんにもない! でも「本物」があった。本物の素材、本物の技、本物の味、本物の職人、本物の人情、etc.。‥‥と書いてしまうと、「昔は良かったなぁ」という感傷のように聞こえるかも知れないけれど、自分にはそれはありません。やはり今の方が格段に過ごしやすくなっているし、パソコンとインターネットがあるおかげで、こんなことも出来ているし。

 

ただね、「おーい、本物はどこへ行っちまったんだよーォ」と、三丁目の夕日に向かって叫びたくなるんだよね。その最たるものが食べ物。今じゃ、外食というものを殆どしなくなりました。どこへ行ってもチェーン店ばかり。あー、つまらない。都心へちょいと出掛ける用事があって、目的地付近の飲食店をネット検索してみるのですが、上位に並ぶのはみーんなチェーン店。「これじゃ、検索の意味ねぇじゃん」と思ってガッカリ。

 

それで、自分で食事を作るのだけれど、スーパーにお頭つきの魚がもうない! あるのは、パックに入った切り身ばっかし。魚は頭が美味しいのにねぇ。ある日イカを探していたら、全部筒切りになって売っていたのにはびっくり。味噌だって醤油だって「だし」ってものが入っているし、その「だし」と称するものだって、正体が何かは不明。自分でとった「だし」は3日で腐るのに「だし」入り調味料がいつまでも腐らないのはどうしてなの?

 

ということで、自分で料理をすることも年々難しくなってきました。いったいこの先、何を食べればいいのでしょうねぇ? 私に餓死しろということか(とチト大袈裟)。自分の年代が、たぶん「本物」を知っているギリギリでしょう。だから、今の50代以下の大多数は「ニセモノ」しか知らない、「ニセモノ」をスタンダードだと思わされて、育ってきたのじゃないかな?

 

イボ胡瓜のとげとげの痛さと、付け根部分の苦味。いつまでも舌に残り続けるほうれん草のえぐ味。食べる者を拒絶するかのような人参の強烈な香り。煎茶の渋みに、焙じ茶の香ばしさ。顔をしかめるほどに酸っぱい夏みかん。魚肉ソーセージの中の白い脂肪の塊。羽釜のお焦げが発する食欲をそそる匂い。いったいどれほどの人が、それらを覚えているでしょう?

 

でも、そうしてしまったのは、みんなその前の世代の「思想」と「行動」が原因です。「本物」の素材よりは合成品や「◯◯風」、だしよりは化学調味料、職人よりはロボット、技よりはコンピュータプログラム、手間ヒマ掛けるよりは早く安く、人情よりはマニュアル接客の方がずっと効率的でいい、と考える大勢の大人たちが、今の「ニセモノ」氾濫の文化を創り上げちゃった。

 

でもそれで、いったい誰が得をしているのかな? 「本物」に触れた経験がないから、「本物」と「ニセモノ」の区別がつかない。そのために、「本物」だけが持つ表情や奥深い文化というものを理解できない。理解出来ないから「本物」を創れる人が育たない。「本物」を創れる仕事がないから、生活に充実感もない。育てる必要などないという考えだから、低廉で単純なマニュアル労働の奴隷としてみなコキ使われてしまう。

 

それで、いったい誰が得をしているのかな? 労働者は同時に消費者でもあるのに。これじゃ、消費が萎縮するのは当たり前だよ。デフレ脱却なんて、そもそも無理。だって、お財布に遣えるお金がないんだから。生きていくだけでギリギリという人が多いんだから。かくいう私も、年金とアルバイトで月収9万4千円。ま、新しい服などいらないし、今さらモテようとも思わないから、ビンボーであっても困窮はしていないけど。

 

今や、失われた20年が25年になり、30年に迫ろうとしている中で、その間に人々が学習したのは、「もう、高い物は買わなくていい」ということだと思う。我々の年代は、前の「好況」の時代を知っているけれど、40代以下は「不況」しか知らないんだよね。だからこの先、たとえ労働者賃金が上昇したとしても、バブル景気の頃のような消費形態にはもう戻らないと思う。あまりに長きに渡る「不況」を経験して、人々は、経済の裏を、すっかり学習したと思う。

 

高級ブランド品製造の舞台裏のことも。コモディティ(生活必需品)はここまで安く出来るんだということも。グローバリズムで全世界の消費が平準化してしまったことも。その裏には、奴隷にされている労働者がたくさんいるということも。その陰で、一部の投資家だけが莫大な富を手中にし、隠し財産を蓄えていることも。そしてそれらを、嘘つきの政治家や、政府や、銀行や、マスコミが結託して推し進めているということも。

 

もちろん、全員が「解った」というわけじゃない。今も変わらず、前の世代が作った物差しから、もしも外れてしまったら「自分はどうなっちゃうのだろう」と不安に思っている人は多い。それで、お隣の韓国のように、ごく少数の指定席を求めて必死になるという人もいるでしょう。でも大学を出たとしても、ロクな働き口がないということも、多くの若者は学習してしまいました。

 

そんな中で、最近、時代が変わりつつあるなと思うのは、30代、20代の若い人たちの中に、「本物」にスッと近づこうとする人たちが出て来ているということ。彼ら彼女らは、それまでの歴史的経緯をほとんど知らない。だからこそ、逆に、今の世に特別プロテスト(protest、反抗する)するという意識もなく、スッと「本物」に近寄れてしまうのかも知れないです。それはまるで、光を求めて吸い寄せられる虫たちのように。

 

だとすれば、それは凄いことだと思う。ゴチャゴチャ言わずに、「好きだからやる」「自分がやりたいことをやる」「世の中にいま必要とされていることに貢献していくんだ」と、感覚的にかつシンプルに想い、行動できる若者の登場は、世の中に、本当に革命をもたらすものになるかも知れない。若い頃の自分が、到底持ち得なかった勇気を、これらの人たちは既に持っているのだから。

 

今までなら、「そんなことを言っても現実は甘くはないよ」とか、「お金がなかったら生活できないのよ」とか、「いつまでもそんな夢みたいなことは通用しないよ」とかと言っては、前の世代は、いつも若者の夢を潰して来ました。そして、世間のレールに従わせようとして来ました。その際の常套句は、「あなたの将来を思って」だったけれど、それは、勇気を行使しなかった者の、勇気ある者への嫉妬だったのではなかろうか?

 

しかし現代の若者は、みな個室を持ち、有り余る物に囲まれて育ち、飢えることもなく、少子化によって家も余る時代に生きている。だから、そんな古典的脅しはもう通用しなくなっていると思う。(もちろん、それとは裏腹に貧困世帯が増加しているという現実もある。だからこそ、格差の問題は深刻ですが)しかも、そんな脅しに乗っても、ブラック企業のドレイになってしまうかも知れないということもバレている。

 

そういう中で、自分の直感に従って素直に行動する人たちが出現し始めているというのは、表に見えない部分での感覚的変化が、今まさに進行しつつあるのだと思う。権力のためなら、出世のためなら、お金のためなら、見え透いた嘘を平気でつき、それを恥だとも思わず、自分に反抗する者は計略によって陥れ、恐怖を煽っては人々を騙し、自分は接待ゴルフに興じる、醜い先人たちの姿にも大いに学習したことだと思う。

 

このような価値観を未だに抱いている大人たちは、醜いだけでなく古い。あまりにも古過ぎる。時代感覚が無さ過ぎだし、何より自分を変えようとする勇気がない。口では「圧力」とか「攻撃」とか威勢のいいことを言っていたとしても、内実はすこぶる付きの小心者だ。いや昇進者か。はたまた傷心者なのか。もし権力を失ったら、出世から取り残されたら、収入の道を奪われたら、自分はない。そう考える、あなたとは一体何者なのだ。

 

それらが全部なくなって、素っ裸になった時こそが、あなたではないのか? この世に誕生した時には、素っ裸だったではないか。素っ裸ではあったが、あなたはあなた以外ではあり得なかったではないか。その後あなたは成長した。肉体も、思考も、感情も、すべてが変化し続けて来た。それでもなお、あなたは、自分がまぎれもなく、継続し続けている、同一の個体であると考えているはずだ。

 

それはなぜだろうね。「あなた」を継続させているものは、はたして何か?

 

よ〜く考えてごらん。それが真のあなた、本物のあなたなのだよ。解るかい? そして、それは永遠の生命なのだよ。『ブラザー・サン シスター・ムーン』という映画を観るといい。アッシジのフランチェスコは、民衆の前で、豪華な刺繍のついたコートを脱ぎ、文字通り素っ裸になる。それは、誕生以来に身につけたもの全てが「幻想」だという強烈なメッセージなんだよ。そして、自分は、「本物」の自分を生きるという決意を、そのことで示したんだね。

 

だから、あなたにも、「本物」の自分を生きて欲しいのだよ。「本物」の自分を生きれば、世の中の「本物」と「ニセモノ」の区別がつくようになり、「本物」に近づきたいと思うようになる。そして「本物」に近づけば、「本物」だけが持つ素晴らしさに気づき、自分の喜びを発見できるようになるから。そのために、どうか勇気を持って、生きていって欲しい。

 

なあに、勇気と言ったって、それほど大したことじゃない。

自分の直感に、素直になるだけのことだから。